第21話 進言

文字数 1,500文字

「半刻前、於知保の方が、中へお入りになられたばかりでござる。

お出になるまでお待ちくだされ」
 
 鳥居が深々と頭を下げた。

「於知保の方ならば、わしの同席をお許しくださる。

さっさと、聞いて参らぬか」
 
 家斉が、鳥居を促した。

「どうぞ、中へお入りくだされ」
 
 少しして、中から、初老の女の声が聞こえた。

 家斉が慎重に障子を開けた。

家治は御休息之間上段に寝ており、於知保は、

下段にて背筋を伸ばして座っていた。

家斉は、於知保の向かい側に着座した。

「御方様。公方様の御加減は、如何でござるか? 」

  家斉は、於知保の背後にいる家治を意識して訊ねた。

「本日の療治を終えて、休んでおられます」
 
 於知保が静かに告げた。

「わしに、出来る事があれば、何なりと、申しつけくだされ」
 
 家斉は、家治に聞こえるようわざと大声で言った。

「斯様に、大声を出さずとも聞こえております」
 
 於知保が小声で言った。

「心得ましてござる」
 
 家斉が頭を下げた。

「主殿頭が、公方様の療治を担う奥医師として

新たに登用した町医2名の事でございますが、

公方様は、あの者らが療治にあたるようになってから、

ますます、御加減が悪くなっている気がしてなりませぬ。

先日、あの者らが用意した薬材の中に、

公方様の療法には用いない種の薬があるのを見た者がおります。

病床におられる公方様に代わり、あの者らを罰してくださらぬか? 」
 
 於知保が薬をみせると小声で言った。

「わしが、何の薬なのか調べます故、お任せあれ」
 
 家斉は、於知保から問題となっている薬を預かった。

「しばらく、会わぬ間に、一段とたくましくお成りになって、

心強い限りでございます」
 
 於知保が感心したように言った。

 上段の方から、咳き込む音が聞こえた。

家斉は席を立つと、静かに【御休息之間】を出た。

「大納言様。於知保様と、

いったい、何の話をなさっていたのでござるか? 」
 
 鳥居が、【御休息之間】から出て来た家斉に駆け寄ると訊ねた。

「公方様の様子を聞いた。他に何があると申すか? 」
 
 家斉がぶっきらぼうに答えた。

「大納言様。折り入って、お話がござる」

鳥居は、家斉を【御仏間】へ誘導すると、

辺りを慎重に伺いながら障子をきっちりと閉めた。

「何度、来てもなれぬ」
 
 家斉は、落ち着かない様子で辺りを見渡した。

 家斉は、江戸城の中で、厳粛な雰囲気漂う【御仏間】が最も苦手だった。

「万が一の時を考えて、公方様から、

大納言様にお渡しするようにと御内書をお預かりしました」
 
 鳥居が神妙な面持ちで【御内書】の存在を明らかにした。

「そちに、御内書を預けるとは、

もしや、死を覚悟なされているのではあるまい」
 
家斉は複雑な気分になった。

「病を機に伝えたい事があると仰せでした。

それに、公方様は、大納言様が、

鶴千代君と密議を凝らした件を御存じでござる」
 
 鳥居がふいに 話を切り出した。

「友と会って何が悪い? 密議を凝らしたとな? 

いったい、何を勘違いなされたのじゃ? 」
 
 家斉が強く非難した。

「それがしも、大納言様に限って、

公方様の信頼を裏切るような行いはなさらぬと信じてはおりますが、

大納言様のお立場を考えると、やはり、勤王家だと言われている

水戸徳川藩家の嫡子とは、関りを持たぬ方が賢明かと存じます」
 
 鳥居が強い口調で苦言を呈した。

「相分かった。して、公方様は、他に何か仰せであったか? 」
 
 家斉が仏頂面で訊ねた。

「鶴千代君は、しばらく、登城を禁じる様と仰せでござる」
 
 鳥居が静かに告げた。

「鶴千代は、幼い頃から近しくしている

大切な友なのじゃぞ。唯一の友を失いたくない」
 
 家斉は思わず、カッとなり声を荒げた。


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