第66話 歩み寄り
文字数 2,062文字
家斉は、定信を説得するため
【御座之間】ではなく城の外に呼び出した。
定信は、迎えに来た定之助に連れ出された先が、
隅田川沿いの渡し場だった事に驚きを隠せなかった。
渡し場には、一艘の屋形船が停めてあった。
「我は、急ぎ、片付けねばならぬ政務を抱えておる。
悠長に、川遊びをする暇はござらん」
定信は、その屋形船に乗る事を拒んだ。
「さぁさぁ、お乗りくだされ」
定之助は、定信を強引に船上へ誘った。
船内からは、楽し気な舟唄が聞こえて来た。
「越中、待っておったぞ」
家斉が、定信を手招きした。
「公方様。これはいったい? 」
定信は、落ち着かない様子で家斉の御前に着座した。
「話は、船が出てからじゃ」
家斉の合図で、船頭が、屋形船を漕ぎ出した。
家斉は、御膳には一切、手をつけず
直立不動で着座する定信を見ながら御膳に箸をつけた。
屋形船が、隅田川を遡り、
4月には満開を迎える隅田川沿いの桜並木が、
一望出来る付近に差し掛かった時、家斉はようやく話を切り出した。
「あすこを見るが良い。吉宗公が、
植えさせた吉野の桜が、蕾をつけておるではないか」
「恐れながら、我には、花見をする余裕などありませぬ」
定信は、呆れた顔で言った。
「吉宗公は、庶民にも、娯楽が必要だと、両国の川開きと共に、
吉野から取り寄せた桜を江戸の各所に植えさせて、
庶民に憩いの場をお与えになった。
そちは、御上の財政再建のためだと
質素倹約を強いるばかりで民心を無視しておる」
家斉は、言い終えるなり大きなくしゃみをした。
「金をかけずとも、娯楽はいくらでもありますぞ」
定信は、家斉にちり紙を差し出すと言った。
「赤蝦夷の漂流民の件だが、
密航を企てた者が帰国を望むはずがないと思うが、
そちは何故、あの者らを罪人とみなしておる? 」
家斉は本題に入った。
「あの者らを帰国させることは、
赤蝦夷に我国へ攻め込む機会を与えるようなもの。
厳しく罰せねばならぬと存じます」
定信がきっぱりと告げた。
「その石頭につける薬はなさそうじゃのう」
家斉が、わざとらしくため息をついた。
「我の留守中は、全ての者に登城を禁じる所存にござる」
定信が上目遣いで家斉を見た
「何とな? 」
カッと来た家斉が、定信につかみかかった。
「公方様。杯が空いておりますぞ」
傍らで、2人を見守っていた定之助が2人の間に割って入ると、
すかさず、家斉が手に持っていた杯にお屠蘇を注いだ。
「この先で、下船させて頂きたく存じ奉ります」
定信が浮腰で言った。
「四の五の言わず、お酌せぃ」
家斉は、お屠蘇を一気に飲み干すと
空いた杯を定信に突き出した。
定信は渋々、定之助から銚子を受け取ると、
家斉の杯にお屠蘇を注いだ。
「そちも、謁見に同席致せ。江戸湾の巡視は延期せよ」
家斉は、定信に杯を持たせるとその杯にお屠蘇を注いだ。
「公方様。海防は、一刻を争う重要事項故、
延期する訳には参りませぬ。
罪人に謁見賜るなどあってはならぬ事と存じます」
定信が心痛な面持ちで告げた。
「将軍補佐の役儀を見誤ってはおらぬか? 」
家斉が、定信をにらみつけた。
「失格だと仰せになるならば、いっその事、罷免してくだされ」
定信は、家斉が、自分を罷免することはないとわかっておどしをかけた。
いつもなら、ここで話が終わるところだが、
今回ばかりはいつもと様子が違った。
「百歩譲って、その傲慢な態度は老婆心と受け取ろう。
なれど、何かある度に罷免にしろとなど
おどしをかけて来るのはいかがなものかのう」
家斉が口をとがらせた。
「おどしではなく覚悟だと取って頂いてけっこうでござる」
定信がきっぱりと告げた。
「そちの覚悟、しかと受け止めたぞ」
家斉が、定信を見すえると告げた。
「公方様が、罪人の謁見をお許しになるというのならば、
我は身を退かせて頂きます」
定信が【辞職願】を家斉の御前に置いた。
家斉は、定信は、罷免覚悟で反対しているのだと理解した。
しかし、意次の場合は、
失政の責任を取る意味での辞職願だったが、
定信の場合は駆け引きとも取れた。家斉は辞職願を受理した。
定信は、一瞬、驚いた表情で家斉を見たが、
家斉は何食わぬ顔で席を立った。
「まことに、越中殿を罷免なさるおつもりですか? 」
江戸城に戻った後、定之助が、家斉の意思を確かめた。
「越中は、言葉だけでなく、態度で示してきた。
此度ばかりは、まことに、辞する覚悟なのではないかのう」
家斉は事ある毎に、定信に妨害されるのにがまんならなかった。
定信が辞表を提出した事で、家斉も罷免する気になったのだ。
「越中殿も、早まったことをなされましたな」
定之助が言った。
「越中の奴めは、余には、何も出来ぬと高をくくっておるのじゃろ。
あいつが、辞したいのであれば引き留めるつもりはない」
家斉は口をへの字に曲げた。
「主殿頭でしたら、公方様に同調なさったでしょうな」
定之助が遠い目で言った。
「しかり、その通りじゃ。
主殿頭であれば、余の考えを受け入れたはずじゃ」
家斉が考え深げに頷いた。
【御座之間】ではなく城の外に呼び出した。
定信は、迎えに来た定之助に連れ出された先が、
隅田川沿いの渡し場だった事に驚きを隠せなかった。
渡し場には、一艘の屋形船が停めてあった。
「我は、急ぎ、片付けねばならぬ政務を抱えておる。
悠長に、川遊びをする暇はござらん」
定信は、その屋形船に乗る事を拒んだ。
「さぁさぁ、お乗りくだされ」
定之助は、定信を強引に船上へ誘った。
船内からは、楽し気な舟唄が聞こえて来た。
「越中、待っておったぞ」
家斉が、定信を手招きした。
「公方様。これはいったい? 」
定信は、落ち着かない様子で家斉の御前に着座した。
「話は、船が出てからじゃ」
家斉の合図で、船頭が、屋形船を漕ぎ出した。
家斉は、御膳には一切、手をつけず
直立不動で着座する定信を見ながら御膳に箸をつけた。
屋形船が、隅田川を遡り、
4月には満開を迎える隅田川沿いの桜並木が、
一望出来る付近に差し掛かった時、家斉はようやく話を切り出した。
「あすこを見るが良い。吉宗公が、
植えさせた吉野の桜が、蕾をつけておるではないか」
「恐れながら、我には、花見をする余裕などありませぬ」
定信は、呆れた顔で言った。
「吉宗公は、庶民にも、娯楽が必要だと、両国の川開きと共に、
吉野から取り寄せた桜を江戸の各所に植えさせて、
庶民に憩いの場をお与えになった。
そちは、御上の財政再建のためだと
質素倹約を強いるばかりで民心を無視しておる」
家斉は、言い終えるなり大きなくしゃみをした。
「金をかけずとも、娯楽はいくらでもありますぞ」
定信は、家斉にちり紙を差し出すと言った。
「赤蝦夷の漂流民の件だが、
密航を企てた者が帰国を望むはずがないと思うが、
そちは何故、あの者らを罪人とみなしておる? 」
家斉は本題に入った。
「あの者らを帰国させることは、
赤蝦夷に我国へ攻め込む機会を与えるようなもの。
厳しく罰せねばならぬと存じます」
定信がきっぱりと告げた。
「その石頭につける薬はなさそうじゃのう」
家斉が、わざとらしくため息をついた。
「我の留守中は、全ての者に登城を禁じる所存にござる」
定信が上目遣いで家斉を見た
「何とな? 」
カッと来た家斉が、定信につかみかかった。
「公方様。杯が空いておりますぞ」
傍らで、2人を見守っていた定之助が2人の間に割って入ると、
すかさず、家斉が手に持っていた杯にお屠蘇を注いだ。
「この先で、下船させて頂きたく存じ奉ります」
定信が浮腰で言った。
「四の五の言わず、お酌せぃ」
家斉は、お屠蘇を一気に飲み干すと
空いた杯を定信に突き出した。
定信は渋々、定之助から銚子を受け取ると、
家斉の杯にお屠蘇を注いだ。
「そちも、謁見に同席致せ。江戸湾の巡視は延期せよ」
家斉は、定信に杯を持たせるとその杯にお屠蘇を注いだ。
「公方様。海防は、一刻を争う重要事項故、
延期する訳には参りませぬ。
罪人に謁見賜るなどあってはならぬ事と存じます」
定信が心痛な面持ちで告げた。
「将軍補佐の役儀を見誤ってはおらぬか? 」
家斉が、定信をにらみつけた。
「失格だと仰せになるならば、いっその事、罷免してくだされ」
定信は、家斉が、自分を罷免することはないとわかっておどしをかけた。
いつもなら、ここで話が終わるところだが、
今回ばかりはいつもと様子が違った。
「百歩譲って、その傲慢な態度は老婆心と受け取ろう。
なれど、何かある度に罷免にしろとなど
おどしをかけて来るのはいかがなものかのう」
家斉が口をとがらせた。
「おどしではなく覚悟だと取って頂いてけっこうでござる」
定信がきっぱりと告げた。
「そちの覚悟、しかと受け止めたぞ」
家斉が、定信を見すえると告げた。
「公方様が、罪人の謁見をお許しになるというのならば、
我は身を退かせて頂きます」
定信が【辞職願】を家斉の御前に置いた。
家斉は、定信は、罷免覚悟で反対しているのだと理解した。
しかし、意次の場合は、
失政の責任を取る意味での辞職願だったが、
定信の場合は駆け引きとも取れた。家斉は辞職願を受理した。
定信は、一瞬、驚いた表情で家斉を見たが、
家斉は何食わぬ顔で席を立った。
「まことに、越中殿を罷免なさるおつもりですか? 」
江戸城に戻った後、定之助が、家斉の意思を確かめた。
「越中は、言葉だけでなく、態度で示してきた。
此度ばかりは、まことに、辞する覚悟なのではないかのう」
家斉は事ある毎に、定信に妨害されるのにがまんならなかった。
定信が辞表を提出した事で、家斉も罷免する気になったのだ。
「越中殿も、早まったことをなされましたな」
定之助が言った。
「越中の奴めは、余には、何も出来ぬと高をくくっておるのじゃろ。
あいつが、辞したいのであれば引き留めるつもりはない」
家斉は口をへの字に曲げた。
「主殿頭でしたら、公方様に同調なさったでしょうな」
定之助が遠い目で言った。
「しかり、その通りじゃ。
主殿頭であれば、余の考えを受け入れたはずじゃ」
家斉が考え深げに頷いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)