第17話 裏と表

文字数 1,189文字

佐野が葬られた浅草本願寺が、

佐野の墓参りをする庶民で賑わう一方、

田沼邸には中傷する文が記された紙で

包んだ石が投げ込まれる被害があった。

意次は、心労を理由に休みがちとなった。

意知の家族は、身の安全のため、意知の妻の実家へ行く事になった。

 事件から3日後の夜。編み笠を被った数名の武士が続々と、

愛宕にある青松寺の中へと消えた。

本堂では、青松寺の僧侶たちが、

待機していて訪れた武士たちを隠し部屋へと先導した。

「貴様は大罪を犯した。命がほしければ、

京兆の首をここへ持って参れ」
 
 隠し部屋からしゃがれ声が響いた。

中では、浅葱裏が、体格の良い武士に怒鳴られていた。

「あの夜は、しきりに、雨が降っていまして

傘に隠れて姿がよく見えず、

家紋が似ていた故、見誤ってしまいました」
 
 浅葱裏が血相を変えて告げた。

「佐野の奴を身代わりにして、かたを付けました故、

我らの所業とは、誰も思わぬはず」
 
 着物の下に襦袢を着た武士が告げた。

「世直し将軍とは、また、上手い事を思いつきましたな」
 
 部屋の後ろに立つ武士が言った。

「遅いではないか。何処をほっつき歩いておった? 」
 
 体格の良い武士が、部屋の中に入って来た武士に向かって言った。

「追ってを巻くのに、遠回りして来た故、遅れました」
 
 おくれて到着したその武士が、肩で息をしながら言った。

「追ってとな? もしや、ばれたのではあるまい」

 体格の良い武士が目を見開いた。

「幸い、長岡殿が、誤って殺めたのが、

京兆が、密告しようとした山城守でした故、

例の件は、何処にも漏れていないかと存じます」
 
 その武士は答えた。

「左様か。なれど、油断はならぬ。

京兆が、命欲しさに幕府に寝返るかもしれぬ」
 
 体格の良い武士は言った。

「それはありえません。普通ならば、

山城守の無様な死に様を見たら、次は己かと考える。

命が欲しければ、幕府に寝返るなどせぬはずです」

  部屋の後ろに立つ武士が言った。

「総裁。大変です。早く、この場から離れてくだされ。

御庭番らしき者が、表にうろついているのを

家来が見かけたそうでござる」
 
 合羽を着た武士が、部屋に駆け込んで来た。

 隠し部屋に集まっていた者たちは足早に、

寺の裏から外へ抜け出すと散り散りになって闇夜へ消え去った。

 家治が、床に臥せる日が多くなると、

念仏を唱える奥女中たちの声が絶えず聞こえて来た。

家斉は、朝から夜中まで、聞こえて来る

念仏に耐えかねていら立ちを募らせた。

「城内では、公方様の重病説が飛び交っておりますが、

大納言様は、何か、聞いておられますか? 」
 
 定之助が、家斉の肩をもみながら訊ねた。

「鳥居の爺が、御休息之間の前に坐り込み、

公方様を御守りすると息巻いておる。

先日、爺が、一時、席を外した隙に、

中へ入ろうとした周防守が、戻って来た爺に見つかり、

こっぴどく、叱りを受けたそうじゃ」
 
 家斉があくびをかみ殺すと言った。

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