第28話 遺産
文字数 1,736文字
「その書物は、何ですか? 」
定之助は、家斉の背後に隠された
書物を目ざとく見つけると指摘した。
「実を言うと、この絵は、この書物の合間に挟まっていたのじゃ」
家斉は、後ろに隠した「愚官抄」を出して見せた。
「愚官抄は、上様には、ちと、難しいのではござらんか? 」
定之助は、書物を見た途端、眉をひそめた。
「もとより、読むつもりで持っていたのではない。
遺品を頂いたのじゃ」
家斉は、口をとがらせた。
「この書物を書いた慈円和尚は、後鳥羽上皇の身辺に、
挙兵の動きがあると知り、西園寺公経と共に反対に出た。
これは、挙兵を留まらせるために書いた物といわれています。
結句、後鳥羽上皇は、挙兵した末に敗れて配流となった。
慈円和尚の兄、九条兼実の曾孫にあたる仲恭帝が、
後鳥羽上皇に連座して廃位された事に憤慨した慈円和尚は、
仲恭帝復位を願う願文を収めたと言われています」
定之助は、神妙な面持ちで語った。
「後鳥羽上皇の事まで知っているとは、正直、驚いた。
史書を読み解くよりも、そちから聞いた方が早いのではないか? 」
家斉が感心した気に言った。
「愚官抄の合間に挟まっていたという事は、
その絵は、後鳥羽上皇を示す絵なのかもしれませぬ。
坂上田村麿の化身だとする少年は、
後鳥羽上皇を示しているに違いない」
定之助が考え深げに告げた。
「上様。田沼意次でござる。御目通り願います」
ふいに、障子の外から、意次の声が聞こえた。
家斉は、部屋の隅に鎮座していた木村重勇に、
障子を開けるよう命じた。
意次は障子が開くなり、中へ飛び込んで来て、家斉の前に着座した。
「何用じゃ? 」
家斉は、ぶっきらぼうに訊ねた。
「一同、御座之間にて、上様の御出ましを待っております」
意次が恭しく告げた。
「それが如何した? 評議するのはそちらの役儀じゃ。
わしには報告で十分じゃ」
家斉はあさっての方向を向いた。
「家治公の葬儀や幕閣の新たな人事等、
評議せねばならぬ儀が山のようにござる。
休んでいる暇などございますまい」
意次が厳しい表情で訴えた。
「下がれ。わしには、評決を伝えるだけでかまわぬと
申したのが聞こえなかったか? 」
家斉は追い払う仕草をしてみせた。
「何を申されますか?
上様がおられなくては何事もはじまりません。
ただちに、政務におつきいただきませんと政が滞ってしまいます」
意次がやりきれないと言った風に言った。
「相分かった」
家斉は重い腰を上げると、
意次を随い【御座之間】へ向かった。
【御座之間】には、大老、老中、若年寄といった
重職に就く者たちが勢揃いしていた。
「上様。お待ちしておりました。此度の議題でござる」
大老の井伊直幸が、家斉に書状を差し出した。
「その方。名を何と申す? 」
家斉は、書状を受け取ると訊ねた。
「大老の井伊直幸と申します」
直幸は、一礼すると速やかに席に戻った。
「上様が御出ましになられた事ですし、評議をはじめます」
直幸が声高々に告げた。
家斉は、周囲を見渡しながら
知らぬ顔が多い事に改めて気づいた。
「上様。お渡しした書状を御覧くだされ。
まずは、誤りがないかご確認頂きたい」
家斉の傍にいた若年寄の井伊直朗が、小声で告げた。
家斉は、直幸から手渡された評議文書に目を通した。
いつ、用意したのか、文句のない完璧な内容であった。
「通例通り、発葬は、9月8日とし、
墓所は、上野の寛永寺となります。
その間、新たな幕閣人事が決定となります故、
それまでは、今まで通り、各自、役務に励むように」
直幸が告げると、一同が声を揃えて
【承知つかまつりました】と大声で返答した。
評議の後、家斉はぼんやりとその場に座っていた。
「上様。お戻りにならないのでござるか? 」
意次が、まるで、尻が畳に張りついたかのように
その場に佇んでいる家斉を見兼ねて声をかけた。
「集まった者共の半分も知らぬというに、
向後、あの者らと上手くやっていけるのであろうか」
家斉は重い腰を上げた。
「上様は、これまで、幕政に関わっておられなかった故、
全ての者を存じ上げないのは無理もない事と存じます。
追々、近しくなればよろしい」
意次が穏やかに告げた。
「しかり、その通りじゃ」
家斉が相槌を打った。
定之助は、家斉の背後に隠された
書物を目ざとく見つけると指摘した。
「実を言うと、この絵は、この書物の合間に挟まっていたのじゃ」
家斉は、後ろに隠した「愚官抄」を出して見せた。
「愚官抄は、上様には、ちと、難しいのではござらんか? 」
定之助は、書物を見た途端、眉をひそめた。
「もとより、読むつもりで持っていたのではない。
遺品を頂いたのじゃ」
家斉は、口をとがらせた。
「この書物を書いた慈円和尚は、後鳥羽上皇の身辺に、
挙兵の動きがあると知り、西園寺公経と共に反対に出た。
これは、挙兵を留まらせるために書いた物といわれています。
結句、後鳥羽上皇は、挙兵した末に敗れて配流となった。
慈円和尚の兄、九条兼実の曾孫にあたる仲恭帝が、
後鳥羽上皇に連座して廃位された事に憤慨した慈円和尚は、
仲恭帝復位を願う願文を収めたと言われています」
定之助は、神妙な面持ちで語った。
「後鳥羽上皇の事まで知っているとは、正直、驚いた。
史書を読み解くよりも、そちから聞いた方が早いのではないか? 」
家斉が感心した気に言った。
「愚官抄の合間に挟まっていたという事は、
その絵は、後鳥羽上皇を示す絵なのかもしれませぬ。
坂上田村麿の化身だとする少年は、
後鳥羽上皇を示しているに違いない」
定之助が考え深げに告げた。
「上様。田沼意次でござる。御目通り願います」
ふいに、障子の外から、意次の声が聞こえた。
家斉は、部屋の隅に鎮座していた木村重勇に、
障子を開けるよう命じた。
意次は障子が開くなり、中へ飛び込んで来て、家斉の前に着座した。
「何用じゃ? 」
家斉は、ぶっきらぼうに訊ねた。
「一同、御座之間にて、上様の御出ましを待っております」
意次が恭しく告げた。
「それが如何した? 評議するのはそちらの役儀じゃ。
わしには報告で十分じゃ」
家斉はあさっての方向を向いた。
「家治公の葬儀や幕閣の新たな人事等、
評議せねばならぬ儀が山のようにござる。
休んでいる暇などございますまい」
意次が厳しい表情で訴えた。
「下がれ。わしには、評決を伝えるだけでかまわぬと
申したのが聞こえなかったか? 」
家斉は追い払う仕草をしてみせた。
「何を申されますか?
上様がおられなくては何事もはじまりません。
ただちに、政務におつきいただきませんと政が滞ってしまいます」
意次がやりきれないと言った風に言った。
「相分かった」
家斉は重い腰を上げると、
意次を随い【御座之間】へ向かった。
【御座之間】には、大老、老中、若年寄といった
重職に就く者たちが勢揃いしていた。
「上様。お待ちしておりました。此度の議題でござる」
大老の井伊直幸が、家斉に書状を差し出した。
「その方。名を何と申す? 」
家斉は、書状を受け取ると訊ねた。
「大老の井伊直幸と申します」
直幸は、一礼すると速やかに席に戻った。
「上様が御出ましになられた事ですし、評議をはじめます」
直幸が声高々に告げた。
家斉は、周囲を見渡しながら
知らぬ顔が多い事に改めて気づいた。
「上様。お渡しした書状を御覧くだされ。
まずは、誤りがないかご確認頂きたい」
家斉の傍にいた若年寄の井伊直朗が、小声で告げた。
家斉は、直幸から手渡された評議文書に目を通した。
いつ、用意したのか、文句のない完璧な内容であった。
「通例通り、発葬は、9月8日とし、
墓所は、上野の寛永寺となります。
その間、新たな幕閣人事が決定となります故、
それまでは、今まで通り、各自、役務に励むように」
直幸が告げると、一同が声を揃えて
【承知つかまつりました】と大声で返答した。
評議の後、家斉はぼんやりとその場に座っていた。
「上様。お戻りにならないのでござるか? 」
意次が、まるで、尻が畳に張りついたかのように
その場に佇んでいる家斉を見兼ねて声をかけた。
「集まった者共の半分も知らぬというに、
向後、あの者らと上手くやっていけるのであろうか」
家斉は重い腰を上げた。
「上様は、これまで、幕政に関わっておられなかった故、
全ての者を存じ上げないのは無理もない事と存じます。
追々、近しくなればよろしい」
意次が穏やかに告げた。
「しかり、その通りじゃ」
家斉が相槌を打った。
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