第60話 親政

文字数 2,390文字

寛政4年、9月13日には旗本や御家人の子弟を対象として

朱子学を中心とした【学問吟味】を実施するなど文武を推奨した。

あくまでも、朱子学以外の学問の禁止は、

江戸の昌平坂学問所にのみにおいての事だったが、

各地の藩校も、それに倣い朱子学を正学とし、

他の学問は異学という思想が広まった。

幕閣人事については、

松平定信主導の幕府を支える新たな人材が登用された。

天明8年2月に、松平伊豆守系大河内松平家七代の

松平信明と若年寄の本多忠籌が、

それぞれ、側用人に任じられた。

本多は、定信や信明と異なり

蝦夷地の開発に関心を持っていた。

一方、田沼派の老中、阿部正倫は、

在任わずか、11か月にして、

病を理由に老中を辞職し老中首座を務めた

田沼派の重鎮、松平康福は、

阿部と共に天明8年まで持ち堪えるも、

結局、免職となり家督を譲ると間もなく死亡した。

また、老中の牧野貞長も寛政2年に辞職し、

老中の鳥居忠意もまた、

その翌年の寛政3年に眼病を患い辞職した。

蝦夷地で、酒造や廻船業を営む

商家の島谷屋の婿となった最上徳内は、

江戸にいる青島俊蔵に時をみて、

蝦夷地の様子を報せる文を送っていた。

寛政元年、国後場所請負人の商人【飛騨屋】との商取引や

労働環境に不満を持った国後場所【国後郡】在住のアイヌが、

首長ツキノエの留守中に蜂起し、

商人や商船を襲い和人を殺害するという事件が起きた直後、

国後場所在住のアイヌの蜂起の

呼びかけに応じた根室場所メナシのアイヌも、

和人商人を襲う第二の事件も起きた。

 松前藩から派遣された新井田正寿や松井広次ら他ツキノエが、

アイヌの説得に当たった結果、蜂起したアイヌ達は投降した。

その後、蜂起の中心となったアイヌは処刑された。

一部の和人は、蜂起に消極的なアイヌにかくまわれて助かったが、

この騒動で、和人71人が犠牲となった。

松前藩は、【飛騨屋】の責任を問い場所請負人の権利を剥奪し、

後の交易を新たな場所請負人の【阿部屋】の村山伝兵衛に請け負わせた。

家斉は、騒動の報告を受けた時、田沼が、

蝦夷地開発を再開して欲しいと願い出た事を思い出した。

意次が、この事態を予測していたとしたら、

蝦夷地の開発を中止した定信は判断を見誤った事になる。

幕府は、元蝦夷地探検隊員の青島俊蔵を蝦夷地へ赴かせた。

青島は、最上を伴い蝦夷地へ赴いたが、

2人が、蝦夷地に着いた頃には騒動は収まっていた。

青島から、騒動についての報告を受け取った家斉は考え込んだ。

「公方様。帰国を延ばし、東西蝦夷の調査を2人にご命じくだされ」
 
 定之助が、家斉に進言した。

「何故じゃ? 」
 
 家斉は驚いた表情で訊ねた。

まるで、自分の心を見透かされた様で気味が悪かった。

 定之助は以下のように訴えた。

これを機に、蝦夷地の開発を再開させるべきだ。

蝦夷地の開発に着手するきっかけはもとより、

北方から、赤蝦夷が北千島まで南下してきたからです。

主殿頭主導の幕府は、天明4年から蝦夷地の調査を行い、

天明6年に、得撫島までの千島列島を最上徳内に探検させました。

赤蝦夷人は、北千島において、抵抗するアイヌを武力制圧し

毛皮税等の重税を課したため、

アイヌは経済的に苦しめられたとの報告があり、

一部のアイヌは、赤蝦夷から逃れる為に南下したと聞いています。

「青島には、江戸には戻らず蝦夷地に留まり、

最上と共に東西蝦夷地を調査する旨伝えよ」
 
 家斉は、幕府を通している余裕はないと考え独断で調査を命じた。

 しかし、幕府を通さなかった事で、

青島俊蔵と最上徳内は、幕府から事実無根の疑いをかけられる。

青島俊蔵の帰国が遅れている事に気づいた定信は、

松前藩へ、青島の消息を訊ねる書状を送った。

その後、松前藩から、青島が、最上と共に、

調査を装い東西蝦夷地を廻りアイヌと

交流しているとの報告が届いた。

定信は、以前、家斉が、

蝦夷地の開発を再開させたがっていた事を思い出し、

家斉が、独断で調査を行わせているに違いないと考えたが、

他の者たちは御上意だったとは夢にも思わず、

青島たちは、騒動の真相調査を終えたにもかかわらず、

幕府の帰国命令を無視し、独断で東西蝦夷地の調査を行い

アイヌとの交流をはかったと疑った。

青木と最上は、弁解も許されず、捕えられた後、入牢した。

家斉は、青島と最上が入牢した報告を受けるとすぐ、定信を呼んだ。

「おぬしは、何故、青島と最上を捕えた? 」
 
 家斉は、定信を見るなり烈火のごとく怒鳴りつけた。

「背任の疑いがあり、捕えました」

  定信は平然と答えた。

「何をもって、背任を疑う? 」
 
 家斉は鼻息荒くした。

「帰国命令に従わず、独断で、蝦夷地に留まり、

東西蝦夷地の調査やアイヌとの交流をはかった。

これは、まぎれもない背任行為ではござらんか? 」
 
 定信が神妙な面持ちで答えた。

「余が、蝦夷地に留まり、東西蝦夷地を調査するよう命じた。

何も問題なかろう。早く、釈放せぃ」
 
 家斉が、定信の耳元で怒鳴った。

「その話は、初耳でござる。

何故、命を出す前に、相談してくださらなかったのか伺いたい」
 
 定信は耳をさすりながら言った。

「蝦夷地開発は、交易のためだけに計画されたのではない。

赤蝦夷の南下に備えるため、蝦夷地を天領とし

海防を強化するための調査を行う目的もあったのじゃ。

そちは、アイヌが蜂起した理由を考えた事があるか? 

青島が送って来た調査書を読んだが、

アイヌが、どんな不当な扱いを受けていたのかよくわかった。

そちも、読んでみるが良い」

 家斉は、調査書を定信に向かって投げつけた。

定信は、調査書を拾うと読みはじめた。

「確かに、青島の調査書には、

松前藩から届いた報告書とは異なる箇所が幾つかござる」 
 
 定信は目を見開いた。

「これでわかったか? 即刻、2人を釈放し調査を続けさせよ」
 
 家斉がドスの利いた声で言った。

「恐れながら、手おくれかと存じます」
 
 定信が厳しい面持ちで言い放った。
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