第13話 交易

文字数 1,816文字

宝暦4年、松前藩家臣の知行地として、

国後島だけでなく、択捉島や得撫島を含む国後場所が開かれ、

国後島の泊には、交易の拠点と共に

藩の出先機関にあたる【運上屋】が置かれていた。

安永2年になると、商人の「飛騨屋」が、

国後場所での交易を請け負うようになった。

 【赤蝦夷風説考】を献上した後、

外国との抜荷の弊害とその防止策について論じた【報国以言】を提出した。

意次は、評定所の政策会議の場で、

蝦夷地を長崎の様な交易地として開発し、

赤蝦夷との交易で得た利益を幕府の財政の補填にあてる事と

蝦夷地を天領とし北方警備を行う事を主張した。

 しかし、莫大な予算がかかる上に、

蝦夷地を治める藩主の松前道広の行状が問題となった。

松前は、家督を継いだ後、遊女を妾にするなど

遊興費を多くかけ過ぎたため、商人からの借金がかさんで

藩政を貧窮させて、幕府から、何度も注意を受けていた。

 幕府からは嫌われていたが、御三卿の一橋家当主の治済、

仙台藩主の伊達重村、薩摩藩主の島津重豪等と交友関係にあった。

松前は以前、赤蝦夷人の来航を幕府に報告せず、

独断で蝦夷地での交易を拒否した事があった為、

蝦夷地の開発と赤蝦夷人との交易を実現するためには、

松前の協力が必要となった。

 意次は、家斉の父にあたる治済が、

松前と親しい事を思い出し治済に協力を頼むため、

まずは家斉を取り込む作戦に出た。

意次の策略に乗ったとは夢にも思わず、

家斉は、意次の熱心な勧めにより、

医師で蘭学者の桂川甫周と対面した。

 対面場所に指定されたのは、城内ではなく、

日本橋室町にある版元【須佐屋】の主人、市兵衛所有の店舗兼町家だった。

意次は、家斉に、対面場所を商家に指定した理由について

蘭学を良く思わない者たちに気づかれないようにするためだとし、

須佐屋は、これまで、蘭方医学や異国に関する書物を

多く手掛けた実績があり市兵衛本人も是非にと

乗る気であるとの理由を挙げた。

 意次を伴い、市中を検分するという

大義名分により御忍に出ることとなった。

意次は、市中を検分することは、家斉の役に立つと力説すると同時に、

家斉が、羽目を外さないように監視する

約束を取り付け家治から許しを得た。

 意次の監視はあるが、久しぶりに、

城の外に出ることが出来るそれだけで嬉しかった。

「表からでは、人目につきます故、裏手から入ります」
 
 意次は、【須佐屋】の辺りまで来ると家斉を裏口へ案内した。

 表の賑わいぶりに比べて、裏通りは、人通りも少なく空き地が目立った。

「お待ちしておりました。ささ、中へどうぞ」
 
 女中が出て来るとは思いきや、

店主の須佐屋市兵衛が自ら家斉と意次を出迎えた。

 案内された客間に入ると、医者で蘭学者の桂川甫周が待っていた。

「御意を得ます。町医の桂川甫周と申します。

本日は、大納言様より拝謁賜り恐悦至極に奉ります」
 
 桂川が、家斉の御前に平伏した。

「苦しゅうない。面を上げぃ」
 
 家斉が咳払いして言った。

「大納言様は、そちが、翻訳に参加し、そちの父が、

公方様に献じた解体新書を御覧になり、謁見をお許し下さったのじゃぞ」
 
 意次が、桂川に言った。
 
「いたみいります」
 
 桂川が頭を下げた。
「そちは、中川と共に、カピタンの江戸参府に随行した医学者から、

外科術を学んそうだが、その医学者について、大納言様にお話し致すが良い」
 
 意次が咳払いして言った。

 桂川は、息つく間もなく語り出した。

安永5年、身共は、江戸参府に随伴して来た

阿蘭陀商館医のツンベルクから、外科手術を学びました。

ツンベルクは、安永4年に、長崎出島に赴任して以来、

商館医としてだけでなく日本における

植物学・蘭学・西洋における東洋学の発展に貢献しました。

 我々は、先生が、江戸在住に宿を訪ね、

先生から、蘭方医学だけでなく蘭学や西洋文化などを学びました。

先生は、梅毒に対して、昇汞を処方する水銀療法を行い

多くの患者の命を救った名医とたいそう評判となりました。

この療治は、驚くべき効果があるとして、

通詞の吉雄耕牛たちに伝授されました。

「せっかく、商館医から、蘭方医学の知識を得ても、

役立てる場がなければ、宝の持ち腐れになるのではないか? 」
 
 家斉が言った。

「しかり、その通りにござる。医学を志す者は、

各々で師匠の元に寄宿して医術を学ぶのが通例ですが、漢方医学に限ります。

鎖国下において、蘭方医学を進んで学ぼうとする者はいないに等しいでしょう」
 
 意次が厳しい面持ちで告げた。
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