第47話 若侍

文字数 1,522文字

 家基が身罷った後、自分は於知保を見限った。

しかし、於知保は、恨み言を言う事はなかった。

ただ、心なしか、寂し気だった。

御台所や側室の栄華は、移り気でもろいが大奥御年寄は違う。

よっぽどの事が起こらぬ限り、一度、座に就けば安泰だ。

大崎のように、将軍付老女まで登り詰めたのに、

一時の油断で、すべてを失ってしまうとは

哀れというより滑稽としか思えない。

年を取ってから高い地位を得たおかげで、

鼻っぱしらが強くなり面が厚くなっただけで、

大崎は、おさきだった時代から、何ら変わっていなかったのだ。

大崎は、御次に降格する前に、1週間だけ宿下がりを許された。

宿下がりの間、若い頃に世話になった元奥女中のおまつが、

養女一家と同居する御屋敷に厄介になる事にした。

一橋家に居る頃も、ほとんど、外出する事がなかったため、

お伴して来た奥女中の監視の目はあるが、

市中を自由に歩ける事は何より嬉しかった。

宿下がりを願い出たのは、

ある者の墓参りする目的もあった。

1日目は、何処にも出掛けず御屋敷で過ごし、

その後、最終日まで、江戸の名所を見て廻り買い物を楽しんだ。

最終日、大崎は、意次の眠る墓地へ足を運んだ。

あんなに、憎んでいたというのに、

死んでこの世にいないと考えると、

憎しみは、いつの間にか消えていた。

残ったのは、哀しい過去だけだった。

意次の墓の近くまで行くと、誰かが先にお参りをしていた。

「生前、お世話になった者です。お参りさせてくだされ」
 
 大崎は遠慮気に話しかけた。

「祖父とは、何処で、知り合いになられたのでございますか? 

もしや、 貴女様は、奥女中でございますか? 」

「おさきと申します。

主殿頭には生前、お世話になった故、墓参りに参った次第」
 
 その凛々しい顔立ちの若侍は、大崎に興味を持った。

大崎も、その若侍に、好感を抱いた。

大崎は、墓前に花を添えると手を合わせた。

心ゆくまで手を合わせた後、大崎は帰路に着いた。

「お待ちくだされ」
 
 大崎が、墓地を出ようとした時だった。

境内の方から、先程の若侍が駆け寄って来た。

大崎はお辞儀した。

「この後、本堂で、祖父の為に、

御経を上げて頂くのですが、よろしければ、どうぞ」
 
 その若侍は、穏やかに告げた。

大崎は、せっかくの誘いを断るのも失礼だと思い、

その若侍について本堂へ行った。読経は30分程で終わった。

「私は、これにて、失礼します」
 
 大崎は、住職が読誦を終え退席したのを見計らい、

前席に坐っていたその若侍に声をかけて去ろうとした。

「大崎局」
 
 大崎は、名を呼ばれた気がして後ろをふり返った。

大崎を呼び止めたのは、美しい武家の娘だった。

「あの。何方様でございますか? 」
 
 大崎は、けげんな表情でその美しい娘を見た。

「お忘れでございますか? 田沼意次の娘、お宇多です。

その節はお世話になりました。

本日は、父上のため、

墓参りをして頂きましてありがとう存じます」
 
 お宇多がお辞儀した。

「叔母上が、大奥御年寄とお知り合いとは驚きました」
 
 若侍が嬉しそうに言った。

「もう、御年寄ではございませぬ」
 
 大崎は決り悪そうに言った。

「龍助、そなたは先に帰りなさい」
 
 お宇多が、若侍を先に帰るよう促した。

田沼龍助は、名残惜しそうに、

何度もふり返りながら歩き去った。

大崎は、【龍助】という名を聞いてハッとした。

「生前、父上から、口止めされていたのですが、

貴女様に、ここでお会い出来たのも何かの縁かと存じます。

お伝えせねばならぬ事があります故、

しばし、お付き合い願います」
 
 お宇多は、門前町にある水茶屋の前に置かれた長椅子に、

大崎を導くと話を切り出した。

「龍助とそなたが、呼んでいたのは

主殿頭のお孫さんですか? 」
 
 大崎が穏やかに訊ねた。
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