第34話 密談

文字数 1,414文字

「なれど‥‥ 」 
 
 定之助は引き下がらなかった。

「これを田沼意次へ手渡すのじゃ」

  家斉は、定之助に書状を手渡した。

「上様。意次殿に、書状とはいったい、

どういう風の吹き回しでござるか? 」
 
 定之助は、書状を受け取ると訊ねた。

「人づてではなく、当人に手渡すのだ。良いな? 」
 
 家斉は、定之助の顔を見つめると念を押した。

「承知仕りました」
 
 定之助は渋々、引き下がった。

 それから数日後。家斉は御忍で妙法寺へ行った。

「上様。客人が、先に御着きになり、中でお待ちです」
 
 住職が出迎えた。

「待たせたな」
 
 家斉は、着座し平伏す客に声をかけると着座した。

「上様より、謁見を賜り恐悦至極に存じます」
 
 意次が緊張した面持ちであいさつした。

「堅苦しい挨拶は抜きにして、楽にせよ」
 
 家斉が穏やかに告げた。

「いたみいります」
 
 意次は背を正した。

「そちに対する風当たりは、相当強い。

嵐の目に身をおいておるようじゃ」
 
 家斉が神妙な面持ちで告げた。

「お恥ずかしい限りでござる」
 
 意次が神妙な面持ちで告げた。

「12月27日をもって、謹慎を解く故、

そのつもりで、来年の年賀の席に出席するが良い」
 
 家斉は、言う事だけ言い終えると立ち上がった。

 意次は、一瞬、驚いた表情で、家斉を仰ぎ見たが、

すぐに、その場に平伏した。境内で待たされていた定之助は、

家斉が入ったと思ったら、

すぐに出て来たため、何事かと駆け寄った。

「上様。何方と会っておられたのですか? 」

「参るぞ」
 
 家斉は、定之助の問いに答える事なく颯爽と馬にまたがった。

「上様は、誰と会っておった? 」
 
 定之助は、家斉を見送る為、外に出て来た住職を捉まえて訊ねた。

「さあ、存じ上げませぬ」
 
 住職は、口止めされているらしく白を切った。

「何をしておる」
 
 家斉は、ついて来ない定之助を急かした。

「ただいま、参ります」
 
 定之助は、住職を横目でにらむと、

馬にまたがり家斉のあとを追いかけた。

 年が明けて、江戸城で催された年賀の席において、

謹慎の身の意次が老中に準ずる席次に参列した事に、

参加した者たちは驚きを隠せなかった。

意次は、普段と変わりない様子で堂々と振舞った。

家斉は、年賀の席の後、意次を御座之間に呼んだ。

「そちを呼んだのは、言うまでもない。

老中復帰に相応しい役儀を沙汰する為じゃ。

奥向の費が、幕府の財政を圧迫しておる事は、そちも知っておろう? 

奥向に、無用な費を控える様に申し伝えよ」
 
 家斉は、意次の出世の後押しをしてきた大奥に対して

出費を抑えるように苦言を呈する事が、

はたして、出来るかと意次を試した。

「奥向には、綱吉公の御台所付の常盤井が

上臈御年寄として権勢を振るった時代から、

京風の華美な風習が根強く残っていまして、

今までも、華美な風習や無駄遣いを改めさせようと

倹約断行に乗り出した者らがことごとく、

左遷や罷免に追いやられている始末でござる。

奥向に、無用な費を控えるように申し伝える事は、

はなはだ難しい事と存じます」

  意次は予想通り断って来た。

「大奥の支援を得て、出世したそちにとって、

大奥を敵に回す事は、容易い事ではなかろう。

しかれども、そちが、幕閣に生き残る道は、

大奥に、質素倹約を強いる道しか他にないのじゃ」
 
 家斉は、印籠を意次に渡すつもりで言い放った。

「上様。恐れながら、お願いしたい儀がござる」
 
 意次が頭を下げた。

「何じゃ? 」
 
 家斉が咳払いして言った。
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