第8話 期待の星

文字数 2,079文字

「我国は、長崎を介して清やオランダと交易を行っていますが、

輸入よりも輸出が多いのが現状です。

オランダとの取引は、金銀で支払います故、

輸入により、金銀が国外へ流出することが考えられます」
 
 勘定奉行の赤井忠昌が意見を述べながら、

近年の輸入高を記した調査票を提出した。

「享保の時代、清からの輸入に頼っていた朝鮮人参が、

国内で生産出来るようになり、

近年、各地で生産されている特産物が見直されています。

株仲間の結成を奨励したことにより

専売制を実施する藩が増えた事ですし、

俵物の生産を奨励してはどうかと? 」
 
 北町奉行の曲淵景漸が告げた。

「それは、名案じゃ。清との交易では、

銅で支払うようにして、阿蘭陀との交易では、

金銀で支払う事にしてもらえば、

おのずと、輸出が増えて金銀の増収が見込めます」
 
 寺社奉行の阿部正倫が言った。

「なれど、俵物の生産が増えれば、

密交易を増やすことにもなりかねませんか? 」
 
 赤井が異論を唱えた。

「しからば、幕府が、俵物の輸出を主導すれば良いのではないか? 

幕府が、輸出の独占権を持つと共に、

密交易を取り締まることにより抑止力ともなろう」
 
 意次がすかさず対案を出した。

「長崎俵物と総称する昆布や鮑といった俵物の主な産地は奥州でござる。

奥州の物資は、利根川を遡り、

下総の印旛沼から江戸湾にぬけて江戸へ運ばれます。

利根川の周辺の村々は、昔から、

水害による利根川の氾濫に悩まされています。

それがしは、物資の円滑な輸送はもちろん、

水害から、江戸を守るためにも、印旛沼の千拓は必須と存じます」
 
 勘定奉行の松本秀持が神妙な面持ちで言った。

「印旛沼の千拓は、享保9年にも、

平戸村の染谷源右衛門が着手しましたが、失敗しておる。

千拓を行うには、莫大な費用がかかる。

幕府の財政を立て直すどころか、

破綻に追い込むことにはなりませぬか? 」
 
 赤井が、松本を横目でにらむと言った。

「利根川や印旛沼近隣の豪農や豪商に

出資を呼びかけてみてはどうかと? 

印旛沼の千拓は、水害による利根川の氾濫に、

長年、悩まされて来た村々の悲願でもある。

出資を打診されて拒む者も少なかろう」
 
 曲淵が告げた。

「越前守。町人資本の出資でござれば、問題なかろう。

伊豆守。おぬしが出した案じゃ。責任を持って進めるがよろしい」
 
 意次が告げた。

「印旛沼と並行して手賀沼の千拓も行う事に

同意して頂ければと存じ奉ります」
 
 松本が、一同に対して同意を求めた。

「異議なし」

  一同の同意を得て、松本を中心に、

幕府は、印旛沼及び手賀沼の千拓事業に着手することとなった。

「して、長崎交易の拡大の件であるが、

それがしに、任せてもらえないか? 」
 
 意次が言った。一同は、

政治的手腕を持つ意次ならば、安心だと快諾した。

しかし、意次は、自らが、主導するのではなく

嫡子の意知に任せてみようと考えていた。

 意知は、奏者番から、若年寄になったばかりだが、

老中になる為には、実績が足りない。

国の一大事業ともなる長崎交易の拡大を成功させれば、

意知の出世は、約束されたようなものだ。

意知は、意次から、長崎へ赴き長崎奉行と協議するよう命ぜられた。

 別の日。松本は、御用部屋へ出向いて、

意次に、仙台藩医で蘭学者の工藤平助が

著したという【赤蝦夷風説考】を手渡した。

「北方の商人と赤蝦夷が密交易をしていると書いてあります。

密交易の取り締まりに、役に立つのではないかとお持ちした次第」
 
 松本が、書物に見入る意次に口添えした。

「実に興味深い。実は、家中の者が、築地にある

工藤の屋敷に出入りしておってな。

工藤の評判は聞き及んでおったわけじゃ」
 
 意次が穏やかに言った。

「工藤殿の話によれば、しばしば、赤蝦夷が、

蝦夷地に上陸して、食糧や薪炭を求めているようでござる。

殆どの蘭学者らは、工藤殿と同じく交易を認めた方が

国益になると考えているように思えます」
 
 松本が緊張した面持ちで告げた。

「我国が、鎖国政策を行っていること忘れたか? 

今の言葉は聞かなかったことに致す。

さもなければ、そちを処罰せねばならなくなるでのう」
 
 意次が咳払いして言った。

「蝦夷地の開発を視野に入れてはどうかと」
 
 松本が意次に耳打ちした。

「蝦夷地の開発とな? 」
 
 意次が訊き返した。

「蝦夷地は、海産物が、豊富に採れるそうな。

蝦夷地の海産物を長崎に集めて、長崎を交易の中継地としてはどうかと」
 
 松本が上目遣いで言った。

「僻地に目を向けるとは、そちには、先見の明があるようじゃのう」
 
 意次が苦笑いした。

 このころ、赤蝦夷が、度々、蝦夷地に上陸して

蝦夷地在住の日本人の商人相手に密交易を行っていた。

安永7年。、国後島のアイヌの長、ツキノエの案内で、

厚岸に上陸したラストチキンの部下のドミトリー・シャバリンと

シベリア貴族のイワン・アンチーピン率いる赤蝦夷の遠征隊が、

松前藩士に、松前藩主宛ての贈り物を渡して交易を求めた事件があった。

松前藩側は、赤蝦夷側の願い出に、松前藩の一存では、

交易を許すことが出来ないとして、

幕府に相談するから、来年、出直すよう返答した。

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