第27話 御内書

文字数 1,574文字

「刀傷だと? 何奴の所業でござるか? 」
 
 意次が驚きの声を上げた。

「火之番が1人、行方不明になっております。

恐らく、その者が何か知っているものと思われます」
 
 障子の前に控えていた定之助が告げた。

「幸い、傷は浅く大事に至りませぬが、

何より、御心地の方が弱っておられます。

しばしの間、お傍に、人をつけて

見守らせた方がよろしいかと存じます」
 
 伝庵が渋い表情で告げた。

「しからば、於知保の方が倒れているのを見つけたという

あの奥女中に引き続き、世話をさせてはどうじゃ? 」
 
 家斉が、意次に言った。

「仰せの通りに致します」
 
 意次は、一礼すると足早に退席した。

 その後、家斉は、喪服に着替えるため、

一旦、【宇治之間】へ戻った。身支度を整え、

一息ついている所に、鳥居が【宇治之間】を訪ねた。

「大納言様。公方様から、お預かりした

御内書をお届けに罷り出ましてござる」
 
 鳥居は神妙な面持ちで、家斉に【御内書】と

達筆な文字で書かれた懐紙にくるまれた品を手渡した。

「これが、公方様がわしに遺して下さったという御内書なのだな」
 
 家斉は、懐紙を外して現れた古めかしい書物を注意深く見つめた。

「公方様は、上様に御内書の件について、

御内密にせよとの遺言を残されました」
 
 鳥居は、神妙な面持ちで告げた。

「大義であった。下がるが良い」
 
 家斉は目頭を押さえながら告げた。

鳥居が退席した後、家斉は、書物の表紙を改めて眺めた。

その書物の題名は、【愚官抄】鎌倉時代の初期、

天台宗の僧侶、慈円和尚が書いた第七巻あるという史論書の一冊だ。

聞いた事はあったが、実物を見たのは初めてだった。

 家斉は、所々、シミや小さな破損が見られる

その書物のページを慎重にめくった。

書物を閉じようとした時だった。

書物の間にはさまっていた絵が、畳の上に舞い落ちた。

その時、ちょうど、家斉の様子を見に、

【宇治之間】へやって来た本丸小納戸の中野定之助が、

畳の上に落ちた絵を拾い上げた。

「これは、上様の落としものでござるか? 」
 
 定之助が拾った絵を差し出した。

「その様じゃのう」
 
 家斉はとっさに、書物を後ろに隠した。

「この絵は、坂上田村麿の清水寺能の光景を描いたようでござる」
 
 定之助が、家斉に絵を返すと告げた。

「何故、この絵が清水寺能を描いた絵だとわかるのじゃ? 

もしや、観た事があるのか? 」
 
 家斉が身を乗り出すと訊ねた。

「幼少の頃、養母と共に京師にいる縁者を訪ねた折、

清水寺にて行われた能を観ました。

その時、演じられていたのが清水寺能でござった」
 
 定之助が遠い目で言った。

「これが、かの有名な清水の舞台か。

ここから、飛び降りて願掛けする者もいると聞く」
 
 家斉は、絵を眺めながらつぶやいた。

「清水寺能は、勝ち戦の武将を主人公とする修羅能にござる。

大和国の僧、賢心が、京師の清水寺を訪れた折、

箒を持った少年と出会い、聞けば、

地主権現に仕える者であると少年が応える。

宗賀、清水の来歴を訊ねると、

少年は田村麿が建立した謂れを語る。

僧は、少年と清水の桜を楽しむ。

その後、少年は、田村堂へ1人で入る。

残された僧の前に、清水寺門前が現れ、

清水寺縁起を語り、少年は、田村麿の化身だと告げる。

僧が法華経を読経すると、

武者姿の田村麿が現れるという筋書きでござる」
 
 定之助が語った。

「この絵に、そのようないわれがあったとはのう」
 
 家斉が絵に見入った。

「観音の霊力により、敵を蹴散らす田村麿の舞は、

実に、素晴らしく、心震える程、感服した次第でござる」

  定之助は、家斉の言葉が耳に入っていない様子で感動を熱く語った。

「良い話を聞いた。この絵は、しまっておくにはちと、惜しい」
 
 家斉は腕を組んで思案した。

いつでも、眺められるようにするにはどうすれば良いか考えた結果、

思いついたのが、掛け軸に仕立て直す事だった。




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