第38話 筆持て立て。剣を取る者は皆、剣で滅ぶ【第四話】

文字数 1,665文字





 自室で僕は目覚める。
 向かい側では、同じように破魔矢式猫魔が眠っていて、起きない。
 壁掛け時計を見ると深夜二時半だ。
 丑三つ時って呼ばれる時間帯。
 心躍るね。
 部屋を明るいままにして、二人で眠ってしまっていたらしい。
 僕はボサボサになっているであろう寝癖の髪の毛をかいてから、あくびをした。
 目をこすると、少し冴えたような錯覚に陥る。
「変な夢を見たもんだ。僕、疲れてるのかな。まあいいや。コンビニにでも行くか……」
 財布を持った僕は猫魔を起こさないように、そっと自室を出て、階段で下り、探偵結社のビルの外に出た。

 街灯が点々と灯っている町の中を、歩く。
 近所のセイコフマートに着くと、店の前の、コンクリートの地面に座ってアイスキャンディをぺろぺろ舐めている蛇の着ぐるみパジャマの女の子が、僕の方を向いた。
「おお、人間。生きてやがったでごぜえますね」
 夜刀神うわばみ姫、という名前の、女の子だった。
 所属は〈横浜招魂社〉。
 裏政府のエージェントで、正義の味方で、僕らの商売敵で、そして小鳥遊ふぐりのライバルだ。
 仕方ないなぁ、と思った僕は、上手い具合に灰皿もあるし、夜刀神の横に腰を下ろして、セブンスターにジッポで火を付けた。
 紫煙を吐く。
 その動作を見た夜刀神はアイスキャンディをかじる。
 駐車場の方を見ながら、横にいる少女に、僕は尋ねる。
「ここでなにをしているんだい、夜刀神。〈仕事〉かい?」
 着ぐるみパジャマの彼女はクスクス笑う。
「違ぇでごぜえますよ、人間。わたしはただ、憂えていたのでごぜぇます」
「憂う? なにを?」
「この、常陸国を、でごぜぇます」
「ふぅん……」
 自分で吐いた紫煙が夜空に吸い込まれているのを見上げてから、僕は正面に向き直り、また煙草のフィルタに口づけた。
 夜刀神も、駐車場の方を見ている。
「あの〈探偵〉の呪力がこびりついてるでごぜぇますよ、人間」
 一口吸ったセブンスターを人差し指と中指で持って、
「さっき同じ部屋で雑魚寝してたけど、それでかな。……それがどうしたんだい?」
 と、僕は訊く。
「強力な術者の近くで眠ると、意識が流れてくることがあるのでごぜぇます。例えば、術者が夢で見た、忘れられない過去などが呪力として、近くで眠る者の脳内に流れ込んでくるのでごぜぇます」
「なるほど……。心当たり、あるな」
「心当たりが? ……あの〈探偵〉と、その、あの、…………寝た……のでごぜぇますか」
 夜刀神の頬が赤く染まる。
「って、うぉい! なに顔を赤らめちゃってんの! 違う! そういう意味じゃないからね!」
「なぁんだ、でごぜぇます」
 夜刀神の方を向く。
 向こうもこっちを向いた。
 目と目が合う。
「僕は女の子が大好きなんだ。誤解しないでくれるとありがたい」
「わたしの〈乙女の夢〉が崩れて、がっかりでごぜぇますよ?」
「なーにが、乙女の夢なんだ、夜刀神」
「てへっ」
 舌を出してウィンクする夜刀神である。
 そのリアクション。
 昭和か?
 昭和なのか?

「ふぅ。憂いている風にも見えないけどな」
 アイスキャンディを少しずつ囓る夜刀神は、僕が吐き出した煙草の紫煙を一緒になって見上げた。
「現代になって、いつの間にか、『魂への配慮』がなくなったでごぜぇますよ。〈徳〉、すなわち〈アレテー〉。魂の優れた在り方であるところの〈(アレテー)〉こそが人類にとってもっとも重要だ、とソクラテスは言ったのでごぜぇますが、それは忘却の彼方でやがるのが現代でごぜぇます。〈感情の劣化〉が、加速度的になっているのを横目で見遣って過ごせるほど、わたしはニヒリストではねぇのでごぜぇました」
「はぁ……」
 僕は夜空を眺める。紫煙がかき消えて、星々に取り込まれていったような不思議な感じがした。
 このヘビ柄着ぐるみパジャマの少女は、この世界に、なにを見ているのだろうか。
 僕は少し、この子が見ている世界を、覗けるものなら見てみたい……言い換えれば、話を聞いてみたいな、と思ったのだった。
 夜刀神は話を続けた。
 僕は耳を傾ける。
 蒸した夜だった。
 それも……良いだろう。



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