第63話 アムニージアック

文字数 2,233文字

ボクはダメな神様だ。この世界を不完全に作り上げてしまったから。ひとはボクを〈デミウルゴス〉って呼ぶ。果たして、ボクのつくった世界をあの救世主が完璧に作り替えることになるのか、それはボクにはわからない。わからないのはボクが不完全な神様であるが故、だ。

ボクが渾沌の国である日本を訪れて、茨の名を冠した地方を旅していたときのことである。それは蒸し暑い盛りだった。
強い通り雨が、地面から弾けるように雨粒が降ってきて、土を濡らした。
傘を持っていなかったボクは、空を見て、それから正面を見据えた。
すると、近くに、男性らしい、肩幅ががっしりした若者が、目を閉じて、最前のボクと同じように、空を見上げていた。
雨に打たれ、その男性のシャツがべっとりと肌に張り付く。美しい、屈強な身体だった。
羨ましかった。屈強な、健全な身体と、おそらくは健全な身体に宿るであろう、健全な精神に。

知らず知らず、ボクは若者に声をかけた。
「君、濡れちゃうよ。雨宿りしようよ」
ボクの方を振り向くその若者を見て、彼が盲目であることに気付く。
若者は、唇を歪ませてから、ボクに言った。
「欲しい物、見つかる……ほしいもの神社……干しいも神社に、行きたいのです」
「干しいも? 欲しい物の、神社、か。ぷぷぷ。そうだね、そんなのあったね。でも、ここは干しいも神社のある〈ひたちなか〉じゃなくて、〈ひたち〉だよ」
「そう……なのですか。間違えて来てしまったのですね。お恥ずかしい」
「ううん。いいんだ。それよりも君、神様だろ。ボクにはわかるよ」
「ええ。わたしはオイディプス。罪の子です」
ボクは胸が痛くなった。ボクもまた、罪を背負っているからだ。世界を不完全につくってしまったという罪を。
「君はなにを欲っしているんだい?」
「安住の地。放浪を終わりにしたいのです」
僕らは雨に濡れながら話す。オイディプスの声には、よどむところがひとつもなかった。
「あなたは?」
「ボクはデミウルゴス。不完全な神様さ」
「わたしと同じだ。わたしも不完全故にこの境遇になってしまいました」
「……うん」
ボクらはそれから黙り合った。
今は、2020年代。世界が渾沌としているならば、この渾沌の果てにある国のこの地で茨の冠を被るしかない、と思っていた。茨の伝説を内包した、この地、茨城で。
「茨を武器にされて、この土地の異人は壊滅した。そして、この土地は異国との最前基地になったんだよ」
「お詳しいですね。わたしは、コロノスという国がなくなってから、放浪を続けました。妹も放浪にはついてきていましたが、やれやれ、オンナという奴は、好きなオトコが出来ると、ついていって尽くしてしまうクセがあるようです。わたしの妹に限っての話かもしれませんが。ここから遠く離れた土地で、今もその夫と暮らしています」
「ボクも、独り者なんだよ」
「そうですか」
「服がびしょぬれだよ。着替えを探しに行こう」
「お構いなく。わたしは、慣れています。干しいも神社がないなら、わたしはそこへ向かうのみです」
ボクは、「その目で?」と言いそうになったが、それは言えなかった。彼には、〈見えている〉のだ、この世界が。ボクが不完全につくってしまった、この世界を、〈見ている〉のだ。
「ボクが、君の目になってもいいよ」
つい、口に出してしまっていた。
「どういうことですか」
「わからないかなぁ」
 ボクはくすくす笑みをかみ殺して、
「君に、一目ぼれしてしまったみたいなんだ」
 と、告げた。
「ボクは男性神。君もまた、男性。でも、この土地でなら、パートナーシップの制度がある。どうかな?」
 オイディプスは、口元を緩め、こう言った。
「わたしは罪の子です。あなたと釣り合わない」
「それって、褒めてる?」
「褒めています」
 ボクは、雨で濡れた身体で、同じく濡れているオイディプスを抱きしめた。
「罪なら、ボクも持っている。欲しい物なら、見つかるよ」
 雨がボクらを冷たく濡らし、抱きしめる身体のぬくもりが強調されるように感じた。
「欲しい物が、見つかる?」
「うん。君はボクを、拒否しないからだよ」
 一世一代の賭けに出た。
 オイディプスは逡巡してから、
「夏……ですね」
 と、抱きしめられながら言う。
「夏の暑さでおかしくなったことにすればいいよ。ボクのところに来なよ。君がタブー破りを悔いているのを、ボクは知っている。だったら、また〈ほかのタブー〉で、タブーではなくなったこの恋を背負って、二人で罪を償おう」
「初めて合って、数分ですよ?」
「じゃあ、ひと夏の恋、にしちゃう?」
「…………いえ。わたしからしてみれば、全てが一瞬の出来事のようで」
「あはは。時間感覚なんて、ボクらには必要ないだろう? 一目ぼれって言ったじゃん」
オイディプスもボクと同じように、あはは、と大きく笑ってから、
「いいでしょう。なんらエピソードもなく、それが悲劇でないのなら、なおよし。悲劇の題材にならない暮らしを、試してみましょう。あなたと、です。デミウルゴス」
「交渉成立!」
「この雨と暑さが、涙を洗い流し、乾かす、のですね」
「そうだよ! よろしく、オイディプス!」

そうして、ボクとオイディプス、二人の生活がいきなりで始まった。このひと夏の恋が、永遠に変われば、きっといい。
ボクはオイディプスの頬に軽くキスをして、それからボクが不完全にしてしまったこの世界のことを考えた。二人なら、変えるために、動き出せそうな気がして。夏の熱に浮かされながら、ボクはこれからを夢想した。



  (了)
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