第73話 フォークロアコレクト【5】

文字数 2,426文字

「赤像式レキュトス。わかるかしら、葛葉りあむ?」
「わっかんないわよ、折口のえる! このガリ勉!」
「古代ギリシアの陶芸の一種よ。赤絵式、とも呼ばれるわ。多くは水瓶」
「で? 今回の〈少女蒐集(フォークロアコレクト)〉は、その陶芸に関するのね」
「都内の動物園まで行って頂戴」
「動物園にその陶芸が?」
「いえ、違うわ。ギリシア神話のニーケーの図柄を、赤像式であしらうことが多かったの。そして、ニーケーはローマ神話のウィクトーリアと同一視される。ウィクトーリアを語源として、ヴィクトリー……勝利、という言葉が生まれたわ」
「へいへい。なんだかよくわからないけど、その陶芸だか水瓶だかと、ウィクトーリアに関するフォークロアを回収するのね」
「話が早くて助かるわ、りあむ」
「あとでラムレーズンのダッツをおごってねー」
「嫌よ」
「えー?」
「早くいきなさい。手遅れになる前に」
「手遅れ?」
「さぁさ、今回も、〈少女蒐集〉の遂行、頼んだわよ」







 わたしは葛葉りあむ。
 ゆえあって〈奈落図書館〉の司書・折口のえるのお手伝いをしている女子高生よ。
都市伝説(フォークロア)〉は〈少女〉のかたちをしている。
 そのフォークロアを蒐集するのが、わたしの役割。
 わたしは暗闇坂の〈虚数空間〉にある〈奈落図書館〉から出て、都内某所の動物園に向かう。
 なんでそれがウィクトーリアと水瓶に関係しているのか、さっぱりわからないけど、折口のえるは、
「深夜の動物園に侵入しろ」
 だなんて無茶ぶりするものだから、ちょっと困っちゃった。
 でも、わたしがこの図書館も建っている虚数空間内の〈倶楽部タルタロス〉で手に入れてしまった異能である〈イントロスコピー〉という、一種の透視能力を使うことによって、動物園の園内には、すんなりと入ることが出来たの。
 ふふん、これでもわたし、凄腕なんだから!







「〈翼のない勝利〉を、我らに!」
 飼育室の一室だけ空いていたから近づくと、おっさんの声で、上述の台詞が叫ばれていた。
 のえるからもらった資料によると、アクロポリスにあったアーテーネーニーケー神殿のニーケーには翼がなかったらしい。
 だが、一般的にルーブル美術館にあるニーケー像には翼があって、動的な姿態と、巧みな「ひだ」の表現で知られており、ギリシャ彫刻の傑作とされているそうだ。
 で、飼育室に近づいて、窓から覗いてみると、〈いた〉のである。
 なにがいたかというと、翼を今まさにもがれようとしている〈天使〉のような女性が。
「あ。こりゃぁ、都市伝説じゃなくて神話の範疇だわ……」
 天使に見えるその女性は両手首を手錠で縛られ、その手錠は鎖になっていて、天井から吊るされている。
 ゆっくりゆっくり、素手でその白く美しい翼をもぎ取ろうとする、飼育員には見えない豪奢な服装の男性が、気を失いかける〈天使〉に、水瓶で水を顔にかけて、気を失わないようにしつつ、また翼をもごうとしている。
「なにこれ……」
 わたしは、そう言うしか言葉を持たなかった。
 おっさんは言う。
「ティーターン族の末裔よ。おまえが〈死に対する勝利〉をもたらすのを、我々は知っている。また、チャリオットに乗った戦車を駆る女神だということも知っている。現在の〈疫病〉も〈侵略戦争〉も、おまえがいたら勝てるのだろう。だが、だ。そもそも〈勝利〉の女神が〈敗北〉することが、この世界に〈勝利も敗北もない〉、〈平和〉をもたらすのではないのか? もいでやる! その勝利の翼をッッッ」

 うーん。一言で表すなら、おっさん、狂ってる。
 目の前の女性がなんだかわかっているのか、というか、わかっているからやっているのか、だとしてもその主張がわからない。
 わたしは飼育室に乗り込んだ。
「おい、おっさん! あんた、なにしてるわけよ!」
「メスガキが増えたか。ハッ! 〈戦争がなくなればいい〉と思わないか? どうすれば戦争がなくなると? つまりは、勝利も敗北もない、恒久平和が訪れればいい。すべての天使の翼をもいで、〈敗北ごと勝利もなくなればいい〉のだよ! 勝利と敗北という二分律をなくすためには、そのふたつの概念が、この世から消えてなくなればいい! それが本当の〈革命〉であり、革命後訪れる〈恒久の楽園〉こそが、我々が求めるものだ!」
 いかん。ついていけないわ。
「小娘。おまえも死ね! おまえは、こころをもがれて死ぬのだ!」
 どうしよう、武力はゼロなんだわ、わたし。
 立ち止まっていると、〈天使〉がわたしの目を見て、
「地面に伏せてください、〈蒐集家(コレクター)〉さん!」
 と、叫んだ。
 一瞬、間が空いたが、この〈天使〉が言うんじゃ、従わないわけにはいかないわね!
 わたしは速攻で、その場で、身を伏せた。
 物凄い光と炸裂音が鳴ったかと思うと、飼育室の小屋が爆ぜた。
 一面が炎に包まれた。
「え? なに? どういうこと?」
 と、ずざざざざざ、と足音を鳴らして、迷彩服を着た、あきらかに特殊部隊の方々が燃え盛る小屋に十人ほど入ってきた。
 手錠をほどいて、〈天使〉を助ける特殊部隊員に、おっさんを射殺する特殊部隊員。
「状況終了!」
 と、無線で連絡する部隊員。
 あとは、その場を〈制圧〉する部隊員たち。
 部隊員のひとりが、話しかけてくる。
「お怪我はありませんか……、あ! あなたは〈倶楽部タルタロス〉の関係者の方ですね!」
「ええ、そうです、〈奈落図書館〉の」
「タルタロスも、今回は目を光らせていたのですね! 説明致しますと、当該の対象である〈ウィクトーリア〉は、戦車に乗った女神でもあるのです。つまり、部隊の〈女神〉なのです! 救助に来たのです」
 えー。なにそれ、おとぎ話みたいに現実感がないんだけど……。
 でも、まあ、いっか。
「フォークロアコレクト、今回も成功……かな」
 誰も信じてくれなさそうなこんな話が、たまにあってもいいじゃない。
 こうしてわたしは、折口のえるに文句を言うために、おっさんの骸に目を逸らしながら〈奈落図書館〉へと、帰るのであった。



(了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み