第65話 血縁主義と地縁主義

文字数 992文字

【お題「見るな/The Taboo of Don't Look ! 」】

日本には、血縁主義であった氏神信仰と、地縁主義であった産土神への信仰がある。
両者はくっついてしまったし、現在は引っ越しなどにより、産土神と鎮守神が別、というのも一般的になっている。

さて。話は逸れて。
日本の哲学者・吉本隆明(作家の吉本ばななの父親)が『共同幻想論』で論じた、共同幻想とはなにか。自己幻想、対幻想、共同幻想の3つの幻想があり、ウィキからペーストすると、
「人間同士の公的な関係。国家・法律・企業・経済・株式・組合 などがこれに当たる。また、宗教は、個人の内面に収まる限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる」
と、ある。
ひとりの人間はこれらの領域ひとつひとつで、違った顔を見せる。
まあ、共同幻想って、マルクス主義の言葉であり、「上部構造」と同義の言葉なのだれども。

知っての通り日本では核家族化が進んで、ニュータウンと呼ばれる、「おじいちゃんおばあちゃんがいない」世代が生まれて、育ってきた。
で、現在は、かなりの数の「ニュータウン」という「団地」は、高齢化が進んだ。子供たちがその地を去るからだ。核家族の、親だけ残ったり、子供がいても介護したり、逆に子供がひきこもりだったりなど、する。もちろん、今は終身雇用制なんて、ほぼないのだ。〈共同体は幻想になった〉のだ。

話が逸れたが、血縁主義は、ある意味では難しい。こうなってくると、伝統、トラディショナルなものは、地縁主義が担うことになる。氏神が自分の祖先神でなくても、「産土神と化した氏神」の、氏子に入って、地元のコミュニティに加入する、などが増えるだろう。
ただ、産土神と言った場合、「生まれた場所」のことと、その神を指すのだから、生誕地を、生まれ育った町のことを、考えながら過ごすことになるのだ。都会のひとは特に、望郷の念がありつつ、田舎には住みたくない、となるひとが多いので、住んでる町の〈地縁〉と、〈産土〉の両方を考えるだろう。田舎に住むにしても、地元コミュニティに所属することが必要だし。

文学は、血縁や因襲を描くことが多いが、これからは地縁について書かれていくのじゃないかな、と僕は思う。それは、血縁ていう日本が(島国でもあるし)大事にしてきたもので、その崩壊こそは、〈見るな!〉と言いたくなるものだからだ。
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