第1話 浄玻璃八景亡者戯(じょうはりばっけいもうじゃのたわむれ)

文字数 4,023文字

【浄玻璃鏡】(読み:じょうはりのかがみ)
 閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡である。





「う。うーん、あー。どこよ、ここ? 川が流れてる……」
 丸い小石がごろごろ転がっている川辺にわたしは倒れていた。
 そうだった、確かわたし、サバの刺身を食べてあたって倒れて……そう、医学が進歩したこの現代であっても助からず、死んじゃったのね。
漁業権がないのに魚釣ってるひとに釣ったその場で捌いてもらって刺身にして食べたから。医者に見せられずくたばったってわけ。
「あっちゃー。やっちゃったわー。お酒で失敗してお持ち帰りされるより酷いわよ、これ」
「ふゆぅ。バカねぇ、夢野(ゆめの)壊色(えじき)
 上半身を起こし、声の方を振り向く。その声は。
「あちしに決まっているでしょ、壊色。あちしの顔を死んだ拍子に忘れたなんて言わないでしょうね」
「盛夏!」
「覚えていたようで良かったわ、壊色。あちしの名前は鏑木(かぶらぎ)盛夏(せいか)。あなたのお友達よ」
「なぁにがお友達よ、盛夏。……ここどこ?」
「お察しの通り、三途の川よ」
「イージーねぇ。テレビゲームのやり過ぎじゃないかしらねぇ?」
「あちしはあんたほどサブカルに詳しくないわよ、壊色」
「盛夏。あんたはなにをして地獄へ?」
「フグ毒よ。フグを食べてね、あたっちゃったみたい」
「あんたも同じ理由で死んだのかいッ!」
 ビシッとツッコミを入れるのを忘れないわたし。
「はてさて。六道(りくどう)輪廻(りんね)とは簡単にはいかないのよね。〈十王信仰〉的には、死出の山を登って下って三途の川へ行くわけだけど、どうやら山登りはスキップして七七日(なななのか)、つまり四十九日。出会うべくして出会う地蔵菩薩さんと対面するのも、もうすぐってとこ」
「ああ、もう、専門用語(ジャーゴン)だらけでなに言っているかさっぱりだわ。一言で説明してよ、盛夏! この読書中毒のバカ! 読書中毒がフグの中毒で死ぬとか、あんたバカでしょ。いや、ほんとに! 本だけに!」
 ふゆぅ、と息を吐いて、鏑木盛夏は言う。
「要するにこれから焔魔堂ってところで閻魔大王とご対面なのよ、あちしたち」
「は? なんでそのなんとか大王ってのに会わないとならないわけ?」
「閻魔があちしや壊色に裁きを与えるためよ?」
「さらっと言っているけどねぇ、盛夏。わたしはなにも悪いことは」
「漁業権なしで魚釣っちゃダメよ?」
「うっ……」
「死んだから口を閉ざすしかないようね」
「死人に口なしってそういう意味じゃないし、口封じに殺されたようなものでしょうが、わたしは!」
「まあいいわ。此岸は向こう岸よ。こっちは彼岸。彼岸花が咲き乱れているでしょう?」
「この、フグ毒オンナ! ふぐり!」
「聞かなかったことにしてあげるから、先へ進むわよ?」
「あんたはそういう()よね、わたし、知ってる」

 起き上がったわたしは、進む方向がわかっているらしい鏑木盛夏についてのこのこ歩いて行く。
 業火の中で絢爛豪華に建っている焔魔堂に着く。なぜわかったかというと、門柱のプレートに焔魔堂って書いてあったからだ。
 もっと言えば、獄卒がいた。鬼って奴。めっちゃ怖い。こんなのに喰われたら嫌だ。こんなのじゃなくても喰われたくないが。
 美人なお姉さんに喰われたいわたしは百合の花びら。鬼にも男にも喰われたくない。それはわたしの一歩前を歩いている鏑木盛夏も同じ。
 盛夏には、小さく可愛い恋人の少女がいる。
 雛見風花。盛夏と風花は〈百合ップル〉だ。女性同士が異端だなんて言わせないわよ。
 いや待て。待て待て。
 盛夏と風花ちゃんは一心同体も同じもの。フグを食べたとき、風花ちゃんはどこにいた?

 わたしが首を捻っていると、地獄の建造物の扉が開いた。プログレッシヴロックバンドのキングクリムゾンだったら『肉体の門』って形容するでしょうね。
 なんか、そんな感じのエグい、ぶよぶよした有機物で出来ていそうな扉が開いた。

 地獄の鬼がたくさん金棒抱えてこっちガン見して、玩味したときのことを考えて舌なめずりする中を、盛夏はまっすぐすたすた歩いていく。いや、直進するしかないのだけどね。横にずれたらそれこそ鬼に金棒でぶん殴られてまんなか歩くように誘導されそう。
 通路はまっすぐ続いているのだ。お香の匂いが充満している。暑い。汗がこめかみを伝う。
 プレートに「閻魔」と書かれた部屋のドアの前にわたしたちは着いて、立ち止まった。
「行くわよ? いいかしら、壊色」
「汗で服がベタベタ。洗濯したい」
「鬼がそこら中にいるから洗濯は出来ないわね」
「黙れ、〈おねロリ〉の〈おね〉の方!」
「酷い言われようね」
 と、そこに、部屋の奥から、ドスの利いた声が響き渡る。
「その通りであるッッッ!」
 えー?
 なんかわたし、ラスボスみたいな奴にいきなり肯定されちゃったんですけど?
 このドスの利いた声、閻魔大王よね。
 観音開きのドアに手をあて、押して開けながら盛夏は言う。
「かわいいは正義! 百合も正義! 〈ジャンプを縦にしてページを開け〉ッ!」
 あー、なに言っているのでしょ、この阿呆は。盛夏。相手はラスボス感あるわよ、この小説の作者の描写力じゃ伝わらないと思うけどさ、ほら、ページ数も投稿の下限枚数が近づいているからね?
 禁断の扉が開く。
 待ち受けていたのは、パースペクティヴを無視した巨大な、〈ひとならざるもの〉だった。
 閻魔。そりゃぁ、こいつは大王だわ。デカいもの。間違いない。大王に決定!
 物怖じせず、一歩進み出て部屋に入った盛夏。一方のわたしは、部屋に入りたくない。
 オドオドと挙動不審にしていたら、盛夏に手首を捕まれて引きずり込まれた。いやん。
「冥界の十人の王。すなわち、十王。極楽でのあなたの名前は地蔵菩薩で良かったかしら、閻魔大王さん?」
「…………」
 盛夏を()め付ける閻魔大王。怖ッ! デカいし。ヤバい、ヤバいって。ちょっと待って。こういうときどうするんだっけ? えーっと、懺悔? 告解? そう、まず十字架とニンニクを用意して……って、うひー、わからないよー。とにかく怖いんだって。特にこの大王、今のところドスを利かすだけでなにもしてないのだけども! ……だけれども! ね?
 火に油を注ぐ気が満々の鏑木盛夏は挑発的な口調で、閻魔大王に語りかける。
「さて。今日は七七日。十王が一人、太山王こと薬師如来が判決を言い渡す日。そこまでスキップしてきてしまったけれども、あなた、あちしの大事な風花ちゃんをさらってきたわね? 地獄の果てまであちしは追ってきたのよ?」
 は?
 なに言っちゃってんの、盛夏?
〈地獄の果てまで追っていく〉って、そのままの意味で使う言葉なの。ギャグ? 渾身のギャグなの、盛夏? 地獄の暑さでやられちゃったの?
倶生神(くしょうじん)。……人間の個々人の生涯における善行と悪行を漏らすことなく記録し、その人が死を迎えた後、生前の罪の裁判者たる閻魔大王に報告する〈鬼録者(きろくしゃ)〉。その人材として使うために無理矢理連れてきたわね、あちしのかわいいかわいい雛見風花ちゃんを! 許さない!」
「倶生神は二柱(ふたはしら)。雛見風花と、あともう一柱(ひとはしら)は男性神をあてがう。あの雛見風花に、男の味を覚えさせ、貴様のような罰当たりの魔性と連れ添うことを辞めさせたかったのだ。鏑木盛夏。人間風情の〈欲色餓鬼(よくしきがき)〉に、〈我が娘の化生〉である雛見風花を、渡すわけにはいかぬ!」
 盛夏が、「しめた!」という顔をする。
「ふふ……。言ったわね、閻魔大王。あんたの不思議アイテム〈浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)〉を見てごらんなさいな」
「ん? なっ!」
 えーっと、わたしは展開についていけないのだけど、わたしはどうしたものか。
 とりあえず、閻魔大王が手元の鏡で映し出した鏑木盛夏の姿を見て、悲鳴を上げ出したのは、ドスの利いた悲鳴が響き渡り始めたからわかるし、うるさいのだけど、これは一体?
 そう思ったら上手い具合に閻魔大王と盛夏が説明台詞を吐き出すので、ちょっとわかった。
 具体的にはこういうことを奴らは叫んだ。
「鏑木盛夏! 貴様! 阿羅漢……つまり、聖者の属性を持つ者だったのか!」
「ふゆぅ。当たり前でしょう? 閻魔の娘の現世での姿と恋人になれるような人間が普通の人間のわけがないでしょう? そして阿羅漢を誹る者が落ちるのは〈野干吼処(やかんくしょ)〉。要するに、あんたも罪人として舌を抜かれるのよ、閻魔大王さん?」
「な! そんな! わしは! わしはぁぁぁぁ! ひいいいぃぃぃぃ」
 閻魔大王、自動的に口が開き腕も動いたようで、自分で自分の舌を引き抜いた。
 デカブツだけあって、熱い血しぶきが吹き上げられ、赤い血液が付着した天井から、だらだらと滴り落ちてくる。
 わたしは部屋から逃げ出したけど、血しぶきを上げてショックで気絶した閻魔大王を尻目に、盛夏は部屋の奥に置いてあった鳥かごみたいな形状のケージに捕まっていた雛見風花の救出に成功する。







 焔魔堂から出て川の彼岸花が咲いている〈彼岸〉から〈此岸〉へ戻ったわたしたち。
 わたしはあきれるばかりだったが、一応ツッコミどころ満載だったので、それを一言にして、言葉を放り投げた。
「今回のお話は、なに? 漫画? 漫画じゃないの、この展開?」
 それにクスクス笑うのは、雛見風花だ。
「壊色はバカなのですね。風花たちの正体を知っても、まだ漫画だなんて言っている。事実は小説より奇なり、って言うでしょ。風花たちのこと、怖くないの」
「いや、あんまり。だって、ずっと一緒に遊んでいる仲でしょ。今更だわ」
 そこに盛夏。
「小説と言うよりも、落語ね」
「落語?」
聞き返すわたし。
「『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』って知らないかしら?」
「知らないわ」
 と、わたし。
「知らない方が良いわ」
 と、盛夏。
 川を渡り終えたわたしたちは、こうして現世へと戻っていく。
 あー、もう絶対サバなんて食べない。
 それに盛夏。あんたはわざとフグ毒にあたるなんて、クレイジー過ぎるわよ。
 言っても無駄なのはわたしが一番知っているつもりだけどね。




〈了〉
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