第46話 丸の内莉桜は失わない【第二話】

文字数 1,727文字

☆☆☆


フラッシュバックする。いろんなこと。
それはもう昔の話。
わたしのつくる作品を、誰も気に入らなかったこと。
「つまらねぇ!」
同じ部活の男子が、わたしがパソコンで文章を打っているそのさなかに、そう言う。
「おつむの足りないおまえが書いた文章なんてくそ以下だ。つまらねぇ。書き上がるのを見たくもねぇ。てめぇの不細工な面も見たくねぇ。消えろ」他の男子がそこに付け加える。
「おいおい。本当のこと言っちゃかわいそうだろ。こいつ才能ないくせに、小学生の頃から小説モドキを書いて一人で悦に入ってたんだぜ。キモいって陰で言われてんのに駄文重ねてよぉ。おれもこいつと同じ高校に入っちゃってそれだけでゲロいのに、文芸部に入ってきたんだぜ。ホントうんざりだよ」さっきの男子が頷く。
「ってことだ。おまえ、文芸部やめろ」
これが高校生になってからの、わたしのスタートのお話。
ここから、わたしの学校での処遇は決まっちゃったようなものかな。
声がでなくなるまで、あと少しって頃の記憶だけど、いろんなことを思い出す中で、これは最初の一撃だった。
わたし、確かに才能なんてないけど、それでもがんばってきたんだけどなぁ。
結果が残せないんだから、仕方なかったのかな。
作文かなにかのコンクールに入選したことすらないし。
でも、才能がないひとは文章書いちゃだめだったのかなぁ。
わたし、悦に入ってた?
やだなぁ。そう思われてたんだ。
わたしは、そこからだんだんと自信を失っていく。


☆☆☆


気づけばリストカットをしていた。
深夜。悪夢を見て、起きて、洗面所に行き、カミソリで手首を切っていた。
痛い。けど、息が漏れるだけで、「痛い」なんて、声に出せない。声が出ない。
やっぱりわたしはしゃべれないのだ。
わたしは静かに泣く。
一時間くらい、洗面所の中、一人で泣いていた。
詩乃ちゃんは起きてこない。期待なんてしてない。起きてこなくていい。わたしは一人で泣いていたい。
今は。
こんな夜には。
アパートの外から、下品な女の笑い声が聞こえる。その声がひどく高慢で、虚飾を帯びた声に聞こえる。まるで、そうでもしないと生きていけないかのような、見栄で塗り固めた声。うんざりする。
だけど、わたしには、その『声』さえ出せないのだ。
詩乃ちゃん。わたし、どうしたらいいのかなぁ。「丸の内莉桜。おまえはどうしていつも赤点なんだ! そんなに先生の授業がつまらないか? 家では勉強をしているのか?」
たたみかけるように職員室でわたしを質問攻めにしてくる担任。
ここはもう、去るべきだな、と直感した。
直感に従うように、わたしは退学届を提出する。
高校、半年しか通わないで終わっちゃった。
恋愛くらい、すればよかったなー。
そのときのわたしは、恋愛なんかには背を向けて、せっせと小説モドキとやらを書き進める毎日を送っていた。
勉強とわたしのミニマルな執筆世界では、その関連性が見いだせなかった。つまり、勉強をしなくても書けた……、少なくとも書けていた、と思い込んでいた。
洗面所でうずくまっていたら、出血は止まり、手首に沿って凝固した血で線ができあがっていた。
手首を切るほどに、わたしは生きてるのを確かめないとならなくて。
だからどうしても、切ってしまうのだ。
リストカットなんて激痛が走ることをしても声が出せないわたしは死んでいるんじゃないか。そんなことを考えてしまい、わたしはたまにぞっとする。
雀の鳴き声が聞こえてくる時間になった頃、わたしは部屋に戻り、布団に潜ってバロウズの本の続きを読んだ。
断章構成になっていて、どこからでも読める作品だ。
晩年のバロウズは猫が好きだったけど、この小説を運んできたのは、柴犬だった。
あの犬がいた通りに、古本屋があるんだ。
落ち着いたら、行ってみよう。
今は、リストカットの痛みの後で起こる虚脱でわたしの身体が支配されている。
つまらない身体だな。
平凡なわたしの、凡庸な身体。
他のみんなと、同じか、劣っているか。
まあ、劣っているんだろう。その程度の、わたし。
隣の布団の詩乃ちゃんを見る。
詩乃ちゃんの寝顔には、安らぎしか見受けられなかった。でも、不思議と怒りはこみ上げない。他人の安らぎはときにわたしをいらつかせるけど、詩乃ちゃんの寝顔は別だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み