5 遠江の日常

文字数 1,606文字

 和宏が顔色を変えなかった理由に遠江が気づいたのは、それから少ししてからだった。
 ちらちらとスマホに視線を向ける和宏。
 遠江は、視線は向けるもののスマホに触れない彼の様子が気になっていた。
「どうかしたの?」
 遠江の視線に気づいたのか片織が問う。
「いや」
と和宏。
 だが、片織の位置からは画面が見えたのであろう。
「ずいぶんと送って寄越すのね、優人くん」
と一言。
「そうだな」
「見なくていいの?」
「既読付けたら返信しないといけないだろ」
「でも急用かもしれないし」
 彼は『問題ないよ』と言うとスマホを彼女の方に押しやる。
 遠江はそんな二人のやり取りを見て、彼らの信頼関係や付き合いの長さを羨ましく思った。
 スマホとは個人情報の塊。それを見せても良いと思うのは、彼女が和宏だけでなく優人とも懇意な仲ということだから。

「さて、仕事の話でもしましょうか」
 彼女は和宏のスマホの画面に視線を向けたのち、彼に視線を戻して。
「僕は席を外そうか?」
 差し支えるだろうかと思い、遠江はそう口にするが彼女は大丈夫というジェスチャーをした。
「居てくれて構わないわ。エッセイの方向性について話し合うだけだから。むしろ何か案があれば意見を伺いたいものね」

 三十分ほど二人の話につき合ったのち、片織の車で社のほうに送ってもらった遠江。
「おかえりなさいませ」
 社長室に戻ると秘書にそう声をかけられた。
「うん、ただいま」
 椅子に腰かけ、デスクの上に置かれた書類に手を伸ばす。特におかしなことをしているわけでもないのに、秘書から”どうかなされたのですか?”と問われ眉を寄せた。
「珈琲をお持ちしますね」
「ん」
 書類に目を通しながら和宏のことを思う。

『わたしが言うのもなんだけれど、こんな結末で良かったの?』
 車の中で片織に聞かれ、
『そんなこと言われましてもね』
とのんびりと返答した。
 今ここで何を言おうが過去も未来も変わりはしない。
 自ら手放したチャンスなのだ。

 デスクに置いてあった書類にすべてサインを書き込むと、遠江は立ち上がり窓の外を眺める。三年前のあの頃と大して変わらない景色。そう感じるだけであって世界は随分変わったのかもしれない。

「社長」
 珈琲をトレイにのせて戻ってきた第一秘書はデスクにカップを置くと礼をし、出ていこうとする。
「君」
「なんでしょう?」
「たまには呑みにでも行かないかい?」
 彼が入社したばかりの頃は、何度かバーに連れて行ったことがあった。だが最近では忙しく、その機会も減っている。
 彼は少し考えたのち、
「喜んでお供します」
と返事をくれたのだった。

「あら、ずいぶんご無沙汰じゃない?」
 行きつけのbarに向かうと顔なじみの客に入り口で声をかけられた。遠江の後ろにいた秘書が腰を折ると、彼女はやめてよというように手をかざす。
「今日はお一人ですか? ご一緒しても?」
 彼女が以前から秘書に気があることを知っている遠江は、気を利かせそう問う。遠江は、嬉しそうに彼女が笑ったのを見逃さなかった。
「嬉しいお誘いだわ」
 それを同意と取った遠江は自らドアを開け、彼女を中に促す。
 店内には遠江好みのお洒落な曲が流れていた。

「人の考え方というのは環境で決まると思うのよ。そしてその環境を作るのは閉鎖的か開放的かで変わってくる」
 彼女を真ん中にカウンターに腰かけた三人は文化について花を咲かせていた。
「つまり、村の中しか知らなかった昔、世界を知った今は考え方が違う。そうやって影響され、いろんなことを考えた結果がここにある」
と彼女。
「だから日本は至れり尽くせりだと?」
「そう。用途に合わせた接客や内装、細やかな配慮。これは日本独特なんじゃないかしら?」
「海外のことについては勉強不足ですが、【お一人様】に関して日本では配慮がなされているとは思いますね」
と秘書。
 日本は用途によっての接客スタイルに関しては凄いということについて盛り上がったのだった。
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