4 その違いについて
文字数 1,614文字
「どうしたの、優人」
頬杖をついて考え事をしていた優人は兄に声をかけられ、”ん?”と顔を上げる。平田が手伝ってくれたので片づけはすぐに終わった。彼はこれからバイトだと言って片づけが終わると帰って行った。
そんなわけで今は兄と二人きり。
優人はソファーに近づいてくる兄の手を掴んで隣に座らせると、
「いや平田に『お兄さんのこと呼び捨てにしてんの?!』って言われたんだけど、そもそも相手を下の名前で呼ぶ意味合いってなんだろうって考えてた」
「少なくとも、海外と日本では感覚が違うような気もするね」
これはあくまでも個人の感覚に過ぎないが、海外では親しくなればあるいは友人だと思えば愛称で呼ぶのではないかと思う。
それに対し日本では親しくなろうとも苗字で呼ぶことも多い。最も会社などの場では苗字にさん付けするのが一般的であり、気軽に名前で呼ぶのはセクハラ、パワハラに当たる。公私は別と言うことだ。
「名前で呼ぶのは”俺はコイツと親しいんだぞ”という一種の意思表示のようなものかもしれないね。子供の頃は気軽に名前で呼ぶことはあっても、大人になるとそうはいかないから」
兄の言葉に”そうだねえ”と優人は頷く。
「ずっとさ」
「うん?」
「どうしたら恋人らしくなれるんだろうって考えているんだけど」
アイスティーのグラスをローテーブルの上に置いた兄の手を掴む優人。
「難しいなって思って。友人と恋人の違いって何だと思う?」
”そんなこと急に聞かれてもね”と笑う彼。
日本での一般的なおつきあいへの流れは、告白してOKを貰うところから始まるわけだが。
それが街コンや合コン、お見合いのように”恋人探し”を前提とした面識のない相手であれば他人から恋人という大きなステップを踏み出すことになる。
もちろんその流れは”好き”と意識することもあれば”この人素敵、付き合ってみたい”と言う恋にまで発展しない段階のものもあるだろう。だが明らかに他人から恋人という違いがある。
それに比べ、友人と言うのは他人よりずっと親しい関係にあるはずだ。
その相手といることがとても自然で居心地がよく、無意識にボディタッチもするような仲になっていることもあるだろう。
そんな二人が恋として相手を意識するのは些細な出来事によってかもしれないが、果たしてその一線を越えた時、何が変化するのだろう?
恋人らしくなりたいと願ったところで大した変化はないのではないだろうか?
──兄弟ならなおさらだよなあ。
その恋人らしさはきっと、周りから見てを含むものだと思う。だから仮に友人の時は仲が良かっただけの相手と恋人になって性的な関りを持つようになったところで周りには分からない。
苗字から名前に呼び方が変わる。それは大きな変化だろう。
──となると、やっぱり”恋人らしさ”って外側に向かっているものなのかな。
”俺のだから手を出すな”的な?
頬杖をつき”うーん”と唸る優人に兄がふふっと笑う。
「ん? 両方つけたの」
ふと兄の手に目がいく。その左手の薬指には二つのリング。
「うん。初めてくれたリングと先日貰ったリング」
横幅が違うため、二個付けしてもお洒落に見えた。
「キーボード打つのに邪魔にならない?」
兄はもともと装飾品を身につける人ではない。好きな人は好きだが、どんな軽量でも邪魔に思う人はいる。
自分であげておいてなんだが、人間とは不思議な生き物だと思う。何も身につけないことが一番楽であり、動きやすいのに耳やら首やら指に何かをつけたがるのだから。
──人というのはその人の代わりはいなくても、会社と言う場所では代わりは利く。絶対的に必要な人なんて存在しない。
亡くなってしばらくはその人がいないことに困っても、社会は動く。そういうものだから。
個を主張するという意味合いでも、他人と違うものを身につけたいと思うのだろう。
そんなことを思いながら、優人はちゅっと兄の手の甲に口づけたのだった。
頬杖をついて考え事をしていた優人は兄に声をかけられ、”ん?”と顔を上げる。平田が手伝ってくれたので片づけはすぐに終わった。彼はこれからバイトだと言って片づけが終わると帰って行った。
そんなわけで今は兄と二人きり。
優人はソファーに近づいてくる兄の手を掴んで隣に座らせると、
「いや平田に『お兄さんのこと呼び捨てにしてんの?!』って言われたんだけど、そもそも相手を下の名前で呼ぶ意味合いってなんだろうって考えてた」
「少なくとも、海外と日本では感覚が違うような気もするね」
これはあくまでも個人の感覚に過ぎないが、海外では親しくなればあるいは友人だと思えば愛称で呼ぶのではないかと思う。
それに対し日本では親しくなろうとも苗字で呼ぶことも多い。最も会社などの場では苗字にさん付けするのが一般的であり、気軽に名前で呼ぶのはセクハラ、パワハラに当たる。公私は別と言うことだ。
「名前で呼ぶのは”俺はコイツと親しいんだぞ”という一種の意思表示のようなものかもしれないね。子供の頃は気軽に名前で呼ぶことはあっても、大人になるとそうはいかないから」
兄の言葉に”そうだねえ”と優人は頷く。
「ずっとさ」
「うん?」
「どうしたら恋人らしくなれるんだろうって考えているんだけど」
アイスティーのグラスをローテーブルの上に置いた兄の手を掴む優人。
「難しいなって思って。友人と恋人の違いって何だと思う?」
”そんなこと急に聞かれてもね”と笑う彼。
日本での一般的なおつきあいへの流れは、告白してOKを貰うところから始まるわけだが。
それが街コンや合コン、お見合いのように”恋人探し”を前提とした面識のない相手であれば他人から恋人という大きなステップを踏み出すことになる。
もちろんその流れは”好き”と意識することもあれば”この人素敵、付き合ってみたい”と言う恋にまで発展しない段階のものもあるだろう。だが明らかに他人から恋人という違いがある。
それに比べ、友人と言うのは他人よりずっと親しい関係にあるはずだ。
その相手といることがとても自然で居心地がよく、無意識にボディタッチもするような仲になっていることもあるだろう。
そんな二人が恋として相手を意識するのは些細な出来事によってかもしれないが、果たしてその一線を越えた時、何が変化するのだろう?
恋人らしくなりたいと願ったところで大した変化はないのではないだろうか?
──兄弟ならなおさらだよなあ。
その恋人らしさはきっと、周りから見てを含むものだと思う。だから仮に友人の時は仲が良かっただけの相手と恋人になって性的な関りを持つようになったところで周りには分からない。
苗字から名前に呼び方が変わる。それは大きな変化だろう。
──となると、やっぱり”恋人らしさ”って外側に向かっているものなのかな。
”俺のだから手を出すな”的な?
頬杖をつき”うーん”と唸る優人に兄がふふっと笑う。
「ん? 両方つけたの」
ふと兄の手に目がいく。その左手の薬指には二つのリング。
「うん。初めてくれたリングと先日貰ったリング」
横幅が違うため、二個付けしてもお洒落に見えた。
「キーボード打つのに邪魔にならない?」
兄はもともと装飾品を身につける人ではない。好きな人は好きだが、どんな軽量でも邪魔に思う人はいる。
自分であげておいてなんだが、人間とは不思議な生き物だと思う。何も身につけないことが一番楽であり、動きやすいのに耳やら首やら指に何かをつけたがるのだから。
──人というのはその人の代わりはいなくても、会社と言う場所では代わりは利く。絶対的に必要な人なんて存在しない。
亡くなってしばらくはその人がいないことに困っても、社会は動く。そういうものだから。
個を主張するという意味合いでも、他人と違うものを身につけたいと思うのだろう。
そんなことを思いながら、優人はちゅっと兄の手の甲に口づけたのだった。
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