3 赦されない罪

文字数 1,566文字

「どうした? そんなところに座り込んで」
「遠江」
 声をかけられ見上げれば遠江が不思議そうにこちらをうかがっていた。
「ちょっと二人にあてられちゃって」
 阿貴が親指で後ろを指せば、彼はドアに目をやる。
「二人と話したのかい?」
「少しね」
 一緒に暮らし始め、遠江に対してのとげとげしさも薄らいでいた。
「そっちは?」
 遠江の手を借り、立ち上がりながら問えば、
「酔われた方の介抱を」
と彼。

「阿貴、そういう顔をするのは良くない。協力関係にあるのだから、友好的でないと」
 嫌な顔をしたことを遠江に咎められ、阿貴はチラッと他所へ視線だけ向けた。それはやれやれという意。
「友好的に振舞うのは良いが、他人に厄介になるほど呑むのは大人とは言わないのでは?」
「相変わらず、君はキツイことを言いますねえ。ですが恩を売れると思えば、これはこれで」
 穏やかな人だなと常々思う。そんな人を罠に陥れ、酷いことをさせたのだ。
 彼にも謝罪しないといけないなと思っていると、
「だいぶ遅い時間だし、ひとまず戻ろう」
と遠江は歩き出す。
 阿貴はその後を追った。

「彼はどうです? 作戦の方は」
 部屋に戻ると、遠江が自ら熱いお茶を入れてくれる。
 時々、本当にこの人は大会社の社長なのだろうかと疑ってしまう。
「そっちは恐らく大丈夫だと思う。その後の手配も決まっているし」
「ところで、その後は」
 彼女を本家から連れ出すこと自体は以前から約束していたことだ。
「俺たちは腹違いではあるけれど、姉弟だから」
 それはもちろん、遠江も知っている事実。
 彼女を外へ連れ出すのは、彼女が酷い仕打ちをされたから。人間扱いされていないと感じたからだ。だがその後どうするかは決めていなかったのも事実。

「しばらくは分家の方で面倒を見ると言ってはいるけれど、それでは自由とは言わないよな。人に世話になっているうちは、肩身が狭い思いをする」
「そうだね」
 遠江は一人がけのソファーに腰かけ、じっと阿貴の方を伺っていた。
「職があって、収入を得られれば選択肢は増えるものだ」
「仕事か」
 義姉は大学は卒業したものの職にはついていない。
「義姉さんが妊娠したのは……」
「まだ高校生だった」
 暴行ということにされ、堕胎させられた。阿貴が本家から居なくなり、父のいうことを聞かざるをえなかった義姉。だが職に就くのは困難な精神状態だった。

「文学科へ進んだんだっけ?」
 遠江の質問に阿貴は静かに頷く。
「じゃあ、秘書としてうちで雇うというのはどうだい?」
「いや……でも」
「初めのうちは君がサポートしてあげればいい」
 遠江の秘書は阿貴を合わせ、現在四人いる。それぞれに仕事の分担もあるが有給を取りやすくするために余裕を持たせているともいう。残業もなく、とてもありがたい職場だとも感じていた。
「人の多いところに入るよりも、少人数のところで社会に慣れた方がいいだろう」
 遠江には酷いこともしたというにも関わらず、感謝しかない。
 そのことを告げれば、
「人生はやり直せる。人との関係だって歩み寄る気持ちさえあればね」
と彼は言った。

「でも、義兄さんは許してはくれないと思う」
 それは仕方のないことだ。
「それはきっと時が解決してくれる。申し訳ないという気持ちを持ち続ければね」
 たとえ許されることがなくても、と彼はつづけて。

 罪とは赦されるものではない。
 だから人は罪を犯さないように、罪とは何かについて学ぶ。
 法律上の償いというのは単なる循環でしかない。
 償ったからといってなかったことにはならないのだ。
 罪に刑が課せられるのは、それが罪であると認識させるためであって、赦すためではない。
 罪を赦すのは法ではない相手なのだ。

 義兄は誰よりも優しかった。その優しさも心も踏みにじった自分。
 赦されていいはずなどない。

──義兄さんの心を殺したのは、俺。
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