4 二人暮らしの実感

文字数 1,655文字

「兄さん、どうかしたの?」
 夕飯は和やかな空気のまま終えたと思う。
 妹と平田が帰宅したのち、和宏はベランダに出て夜景を眺めていた。片手にアイスティーを持って。
 風呂から上がった優人がVネックのTシャツにハーフパンツという姿でリビングからこちらに顔を出す。
「いいや。夜景が綺麗だなと思って」
 駅を挟んでK学園の高等部と大学部のキャンパスがあるこの街は学生の街と言っても過言ではないだろう。若者向けのショップや娯楽施設などが多い。
 大通りには株原の自社ビルもあることからサラリーマンなども多く、居酒屋などのネオンも見受けられる。

「ここ、見晴らしが良いね」
「カラオケ屋のネオンが明るいな」
「まあ、前のところと違って賑やかだよね」
 ベランダ用のサンダル履いて優人が近くまでやって来るとアイスティーのグラスを差し出す。
「びしょびしょじゃない。なんで耐熱のタンブラーにしなかったの?」
「イケると思って」
 彼に問われそう答えると、
「全然いけてないよ」
と笑われる。
 開けたままの窓からは音楽が聴こえていた。揺れるレースのカーテン。
 優人を見上げると和宏の渡したグラスを傾け薄くなったアイスティーを飲んでいた。

「明日はデートでもしようか」
と彼。
 空になったグラスの中で涼し気な音を立てる氷。
「そうだな」
 地球温暖化が進み、日本もいよいよ季節感がなくなってきたなと思いながら彼の胸に額を寄せた。心音と温もりにボディソープの()
「昼間は返信しなくて悪かった」
「なに、いいよ。そんなの」
 和宏の腰に回る腕。
 ”ほんとは良いなんて思っていないくせに”と心の中で呟いて再び彼を見上げると目が合った。重なる唇。

「何処行きたい?」
 離れたその唇に名残惜しさを感じながらも、
「図書館に行きたい」
と和宏は返答した。
「図書館か。いいね」
 何処へ行きたいと言ってもきっと同じ答えが返ってくるのだろう。
 ”デートでもしようか”と彼が言った時点で行き先なんてどこだっていいのだ。目的は一緒に出掛けることだから。行きたいところがあれば、そういうはず。
「優人は行きたいところはないのか?」
「特には。デートがしたいだけ」
 ”ほらね”と和宏は思う。
「でも、二十歳になったら居酒屋に行ってみたいな。駅前のほら、赤提灯がいっぱい吊るされているとこ。焼き鳥が美味しいらしいよ」
「へえ」
 その店の噂は和宏も知っていた。担当の片織が同僚と行ったことがあると言っていたからだ。

「まだ先の話だけれどね」
「うん」
 未来の約束をするのは嫌じゃない。それはこの先も一緒に居るのが当たり前だと思っている証拠に感じるから。
「じゃあ、明日は夕飯を外で食べて帰ろう」
「いいね」
 どんな提案をしても嫌と言わない優人をじっと見つめる。
「ん? どうかした?」
「風呂行ってくる。お前も風呂上りにいつまでも夜風にあたっていると風邪を引く」
「そうだね」
 指先が絡まり、そのまま二人リビングへ戻る。

 リビングには暖色系の光が間接照明から降り注いでいた。
「いいよね、こういうの」
 チラリと間接照明を見上げた和宏に気づいて彼がそう口にする。
 続いて窓を閉めるその手。
「そうだな」
「もう少し観葉植物置く?」
「水やりが面倒そうだ」
「俺がやるよ」
 彼はカーテンを閉めながら。
 和宏は何気ない会話に、二人で暮らしていることを実感した。

──やっと欲しいものを手に入れた。

「優人?」
 不意に後ろから抱きしめられ、和宏はドキリとする。
「早く風呂行かないと襲うよ?」
「何言ってんだよ」
 首筋に這う唇。
 和宏は自分の腹に回ったその腕に指先を滑らす。
「早く行ってきてよ」
「ん……」
 彼の片手が和宏の腹を撫で、そのまま胸に伝う。優しい体温に包まれ、意識が遠のきそうになった。とは言え、こんなところで理性を失うわけにはいかない。
 だが腰に硬いものがあたり和宏は慌てた。
「行ってくる」
「そうして」
 にこやかに微笑んで離れる彼。

──”鉄壁の理性”は伊達じゃないな。

 身体の反応なんか”なんのその”といった風な彼に和宏は感心するのだった。
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