5 穏やかな雨

文字数 1,604文字

「人ってさ、自分を救ってくれた誰かのためなら時として無情にもなれるんだよな」 
 翌朝。
 デート日和とは言えない生憎(あいにく)の雨。
「そうだねえ」
 生返事をする優人の隣で和宏はスマホを眺めていた。車内に静かにゆったりと流れるCan't Leave You Alone。雨音に馴染んでロマンチックな気分にさせる。
「なに、むくれてる?」
 十字路でブレーキを踏んだ彼が、こちらを見て肩を竦めた。
「なんでむくれるんだよ」
「なんでって」
 困ったように笑うと再び正面に目を向け、信号機が変わるのを確認した優人。
「兄さんは何読んでるの」
「恋愛ものの漫画」
「なるほど」
 何に納得したのかわからないが、そのような返事を受けて道路に視線を移す。
 正直、乗り物は得意な方ではない。車にしても電車にしても運転している相手を信頼できないと乗れないと思う。

「もうすぐ着くから」
 デートの行き先は図書館。和宏が希望したものだ。
 雨の図書館はきっと情緒にあふれているに違いない。
 これから行く図書館は家から割と近くにある。K学園大学部にも一般開放されている大きな図書館はあった。もちろんそちらの方が広く設備も充実しているが、わざわざ休みの日にまでキャンパスに行きたくないと彼が言う。
 和宏は学園を卒業し、数年経つ。久々に行ってみたいと思ったが、デートという意味合いでは向かないだろうとも思う。

「やっぱりいいね、ここ」
 森林に囲まれた涼し気な二階建ての白い建物。それが今回の目的地。
「図書館って役所とは違ってアートな建物もあるよね」
 優人の言葉に頷く和宏。
「確かにな。文献っていうのは学術寄りだけれど、小説なんかは芸術寄りなのかもしれないな」
「それがこういうアートな建物に繋がる、と」
「そそ」
 優人が駐車場で車を停めると、和宏は足元の傘に目をやった。
 入り口までならさして濡れそうにはない。
「そう言えば、欧米ってあまり傘をさすイメージないよね」
 傘を持つか迷っている和宏に彼の視線が止まる。
「確かに。ロンドン子は多少の雨では傘は差さないと言っていたのを何かで聞いたことがある」
「日本人は傘を差さない人の方が少ないよね」
 それは濡れるからというのが理由ではないような気がした。
 日本人は傘を手に入れやすい環境にある。それも手ごろに。そして携帯できるコンパクトなものも溢れている。便利を追及した結果の文化なのかもしれない。
「で、差さないの?」
 傘を持たずに車外に出た和宏にクスっと笑う彼。
「ロンドン子だからな」
「何言ってんの」
 冗談を言いながら屋内へ向かう。
 その後、二時間ほど図書館で過ごし近くの喫茶店に移動した。

「いいね、ここ」
 最近流行のレトロアンティークな喫茶店だ。
 ダークブラウンの木の内装が心地よい。間接照明が各テーブルの上に設置されており、素敵な空間を演出している。格子状のガラス戸の外は雨。
 静かに流れる音楽が忙しない日常を忘れさせてくれる。
「そうだな。前から一度来てみたかったんだよ」
 カウンター席がメインのようで、二人席は六セットほど。カウンターの内部から店内を一望できるため、軽く手を上げれば注文を取りに来てくれた。
「ランチも美味しいらしいよ」
 便利な世の中だと思う。誰もが簡単に店の評価を載せることが出来る時代だ。その代わり、利用者の良心が必要な時代ともいえる。
 もちろん利用者の評価を鵜呑みにするかどうかもまた、個人に委ねられるだろう。
 ランチの時間まではまだ少し()がある。
 その時間になってから再注文をしたいと告げると、先にメニューをもって来てくれた。
「融通が利くのもありがたいね」
「そうだな」
 和宏にとっては彼の笑顔が見られるのが何よりも嬉しい。
「お昼の後の予定は?」
「そうだな……ホームセンターにでも行こうか」
 二人暮らしを始めたばかりだ。必要なものを買いに行こうと提案すると、
「デートで?」
と彼に笑われたのだった。
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