2 阿貴と自分

文字数 1,030文字

 スピーカーから流れるCold。
 頭を空っぽにして、音楽という海に沈んでしまいたいと願った。
『会ったら? あの男に』
 彼女はため息混じりに和宏にそう言う。
 会ってどうすると言うのだ。
 相手は十以上も年上で、大企業の社長。きっと妻もいるに違いない。何よりも、阿貴が嫌がるに違いない。

『このままじゃ、埒あかないわよ』
と、彼女。
『分かっている』
『会って確かめてくればいいわ。自分の気持ち』
 彼女の言うことは間違っていない。
 しかし相手は地位のある人間だ。そんな簡単に会ってくれるとは思えない。
『和くんが本気で逢いたいと言うのなら、こっちで手配するわよ』
 どうする? と聞かれ、チラと彼女を見上げる。
『そう、分かったわ』
 彼女は肘置きから腰をあげると、スマホを操作しながら部屋を出て行ったのだった。

 何も言わずとも、視線だけで伝わる仲。それが自分と担当。
「兄さん」
 呼ばれて、現実に引き戻される。
「僕、これから出かけるけど」
「ああ」
 阿貴が出かけるのであれば、秘密にしていても構わなかった。
 しかし、それでは後々面倒なことになると思っている。
「俺も出かけるよ」
 和宏がそう告げると、彼は一瞬驚いた顔をした。
「そっか」
 唇に触れる指先。
 彼は身を捩ると、サイドボードの引き出しを開けると何かを取り出す。
「阿貴?」

 彼は何かを摘まみだし、和宏のYシャツの胸ポケットに滑り込ませる。
「何考えて……」
「アイツに逢いに行くんでしょ?」
 阿貴の勘が良いのは今に始まったことじゃない。
「こんなことをしに行くわけじゃ……」
 胸ポケットに突っ込まれたものを指先で取り出そうとして、彼に手首を掴まれた。眉を寄せ悲し気に見つめれば、口づけられる。
「兄さん。兄さんはホントに僕のこと好き?」
「ああ」
 和宏の返事に、彼はゆっくりと瞬きをした。
「そう。でも、兄さんの心は今、あの男のものなんでしょ?」

────何を言っているんだ、阿貴まで。

「阿貴」
ゆっくりと首筋を辿る彼の指先に、和宏はぞくりとする。
「でも、アイツには渡さないから」
 わき腹を撫でる手、今度は抵抗が出来なかった。
「兄さんが何処で何をしても、許してあげる。でも、忘れないで。兄さんは僕のものだよ」
 甘い独占欲。虚無の心を満たすような。しかし、まだ全然足りない。
「じゃあ、出かけるから」
 すっと彼が離れ、欲情の熱だけが残される。
 だがその熱をどうにかしようとは思わなかった。その程度の熱ならば、理性でいくらでも抑え込むことが出来たから。
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