5 あの日の記憶

文字数 1,682文字

「優人、ここじゃダメ……」
「カギ閉めれば大丈夫でしょ?」
 優人がドアにカギをかけると和宏をベッドに押し倒す。

「あッ……」
「こんなで感じちゃうの?」
 彼の手は和宏のスラックスのジッパーに伸びる。
「好きだから……」
と小さな声で答えれば優人は小さく笑った。

 思えば、昔から和宏は優人の甘えた声には弱かったのだ。
 可愛い弟。何もよりも大事にしていた。
 過保護になってしまったのには、二つの事件が関係している。


 優人は覚えているだろうか?
 あの夏祭りの夜のことを。

「やっぱり、あの水風船欲しかったなあ」
 父と手を繋いでいた和宏の二つしたの妹がそう言ったことがきっかけだった。
 兄弟三人とも秋から冬生まれ。したがって、同級生よりはまだ年が一つ下。その年十歳になる長子の和宏は、お兄ちゃんであることを常に意識していたように思う。
 妹、佳奈は出店の水風船を買うか買わないか凄く迷っていた。
 三兄弟の中で唯一の女の子であり、一番慎重派。気遣いが上手く、無駄を好まない性格でもある。今年浴衣を新調もらい、それを着て行ける今夜の祭りを一番楽しみにしていたのも彼女だ。

 水風船はしぼんでしまうから、楽しめる時間は少ないよと言われたことで、とても迷っていたようなのだ。
 だが今夜の出店での水風船は彼女の大好きな紫陽花模様。まるで花が咲いているかのように綺麗なものだった。

「だから買おうって言ったのに」
と父。
「さっきのとこだろ? 俺が買ってきてやるよ。ここで待ってて」
 和宏は、可愛い妹がしょんぼりしているのを見るのが嫌だったのだ。
 せっかくのお祭り。家族みんなで来ているのだから、良い思い出にしたと思っていた。
 なぜなら、普段は父も母も忙しくなかなか全員そろって出かけることが出来なかったからである。

 水風船は百円程度。手持ちにもあるし、すぐに行って戻ってくればいい。
 思えば、周りが見えていなかったのだ。
「おにいちゃん! ぼくもいく」
 その頃の優人は、兄や姉のすることを真似して背伸びしたい年ごろ。
 母が止めてくれるという安心感も相まって、和宏はそのまま人ごみの中へ。

 お目当ての水風船を買い、元の場所へ戻った時に愕然となった。
「お兄ちゃん! 優人がいなくなっちゃったの」
「え?」
 優人は母が止めるのも聞かず、和宏を追いかけて行ったというのだ。
「お母さんは?」
「優人を探してる」
と、父。
 妹と父は和宏が戻ってくるかもしれないというので、ここで待機。
 母はスマホを持ってるため、父と連絡が取れる。

「わたしのせいだ。どうしよう」
 泣きじゃくる妹の頭を撫でる父。

──優人がいなくなった?

「お父さん、これ」
 和宏は水風船を父に押し付けると、近くの案内板を見つめる。
「和宏?」
「案内所はどこ? 迷子のお知らせはあった? 優人はまだ四つなんだよ!」
 必死で案内所を探す。
 出店の明かりでは小さな文字が分かり辛い。
「和宏、落ち着きなさい」
 父はいつでも沈着冷静だった。穏やかな優しい声が、余計に不安を(あお)る。

「優人、一人で泣いてるかもしれない」
 幾分(いくぶん)か落ち着いた和宏の後ろから、一点を指す父。
「ここだ。和宏、行けるかい?」
「うん」
「母さんをそっちに向かわせるから、いなくてもそこに居るんだぞ?」
「分かった」

 父と妹を交互に見やり、互いに頷くと再び人ごみの中へ向かう和宏。
 ずっと兄弟の面倒を見てきたため、同年代よりも大人だとは言われてきた。しかし、人ごみの中で思う。まだ自分は子供なのだと。

 永遠とも思える人ごみを進み、なんとか案内所へ辿り着く。
「すみません! 四歳から五歳くらいの甚平を着た男の子を探しているんですけど!」
 案内所のカウンターに駆け寄り、大きな声で係の人に声をかけた。
 その時、
「おにいちゃん!」
 カウンターの向こう側。和宏に気づいた男の子が駆け寄ってくる。
「優人」
 慌ててカウンターの向こう側へ行き弟を抱きしめるのと、母が案内所へ辿り着いたのが同時だった。
 泣きじゃくる弟。安心して座り込む母。
 騒然となる案内所。

 和宏が自制をするようになったのは、このことがきっかけだったのである。
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