4 不意打ちのキス

文字数 1,646文字

「ねえ、兄さん」
 二人は現在、優人の運転する車にて和宏のマンションに向かっていた。
 阿貴が不在なことは確認済み。
 優人の家で一緒に暮らすために、身の回りの品を取りにいこうというのである。
「思い出したくないことも多いとは思うけれど、どんな生活をしていたのか教えてよ」
「ああ……」

 和宏は特殊な生活環境にあったと思う。
 阿貴が人質に取られたあの日、自分は彼のために自分が一番大切にしていたものを捨てた。そうするしかないと思ったから。
 それと同時に、次に魔の手が伸びる先を想像したのだ。
 妹の佳奈。弟の優人。
 絶対に守らなければならないと思った。

 金ならいくらでもあった。
 自分の書評のファンもそこそこいることは知ってる。
「一応、名ばかりの恋人が二十人ほどいる」
 彼らは信頼できる協力者でもあった。
 和宏が書評の仕事をしていた時の担当もその中の一人。
 男とも女とも言い切れないところが、自分には合うのかそれとも付き合いが長いせいか、居心地の良い相手であった。

「なんでそんなに?」
「お前を守りたかった。ほら、気は森の中に隠せというだろ?」
 優人は前を見たまま黙って話を聞いているようだ。
「まあ、厳密には違うがな。こちらに気を惹きつけるためだ」
 そこでため息をつくと、
「あまり意味はなかったみたいだね」
と彼が言う。

 確かにその通りだ。
 あの人は和宏の家族について調べ、優人を呼び出した。
 和宏の想いが優人に向かっていることをどうやって知ったというのだろうか? とても気になるところだ。

「その人たちとは……その……」
「何もないよ。一緒に暮らしているだけだ」
「そっか」
 和宏の言葉にあからさまにホッとした声をする優人。
 彼の心配が自分へ向けられるたび、心がくすぐったくなった。
 あんなことをしたにも関わらず、自分はまだ実感が湧かないのだ。それは仕方ないとも言える。ずっと好きで、絶対に叶わないと思っていた恋が実ったのだから。絶対に結ばれるはずがないと思っていた相手が、好きだと言ってくれるのだから。

「ところでその人たちは、これからどうするの?」
 こうなってしまった以上、続行しても意味はないだろう。
 しかし自己都合で追い出すのも違う気がする。
「元々あのマンションの支払いはあの男の暮れた金で賄っている。自動引き落としだし、住人がいるなら問題はないだろう」
「つまり?」
と優人。
「引き続きあそこで暮らしたい者がいれば、そのままだ」

 和宏は各人の自由意志に任せようと思った。
 自分はしばらく不在にするだろうが、もしかしたら阿貴は戻ってくるかも知れない。突然皆がいなくなったら不審にも思うはずだ。

「そっか。それぞれに事情もあるだろうしね。それが良いと思う」
 優人は穏やかな声音で同意を示した。
「着いたよ」
 車はいつの間にか和宏の自宅マンションのロータリーに停車している。
「お姉ちゃんが行ってるから大丈夫だとは思うけれど、俺も一緒に行く。万が一ということもあるだろうから」
 それは阿貴との鉢合わせのことを言っているのだろう。

──お姉ちゃんが行っている?

「佳奈が来ているのか?」
「ううん」
 佳奈は阿貴の動向を探るために、昨日向かった社の方へ行っているという。
 阿貴は朝からあの男に呼ばれ、社に向かったというのである。
 念のため、自宅にいる住民の一人に”阿貴の所在を確認”すると、不在とのことであった。
 
「行こう。兄さん」
「ああ」
 手を差し出す優人の手を、和宏は掴んだ。
 何かに追われているような恐怖を感じながら部屋に向かうが、特に何もなく拍子抜けする。

 それよりも、
「あら、かわいい子ね。新しい子?」
と住民の一人に聞かれ、
「いや、弟だ」
と答えれば、
「似てないわねー!」
と驚かれた。

「これで全部なの?」
 あまりにも少ない身の回り品に、優人が驚きの声をあげる。
「必要なものは買えばいい」
と言って彼を見上げた。
 優し気な目をしてこちらを見ていた彼と視線がぶつかる。
「そんな顔しないでよ」
と言われ、和宏は唇を塞がれたのだった。
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