ふたりの夢と運命の織り交ぜ
文字数 6,606文字
日々の繰り返しの中で、私はその可能性について深く考えることを避け、自分の気持ちをごまかしてきた。しかし、もはやそんな余裕はない。弓鶴の体は限界を迎え、茉凜もまた、導き手由来の予知の視界を鮮明に発動させてきた。私の心に芽生えた疑念は、現実の厳しさに直面することで、ますます鮮明になってきた。迷っている暇など、もう残されていないのだ。
そして、最も悲しい別れが、確実に現実味を帯びてきた。そんな結末を迎えるしかないとわかっていても、私の心はそれに対してどうしようもないほど怯えていた。考えることさえも耐え難く、息を呑むような苦痛が私を襲った。
学園祭の一瞬の夢のような舞台は、現実とのギャップを際立たせるだけで、何の解決にもならなかった。美しくも儚い夢の中での出来事は、私に現実の冷酷さを突きつけるだけで、心の奥に深く根を張る絶望を明らかにするばかりだった。
◇ ◇
茉凜の前にそっと膝をつくと、彼女の小さな顔がはっきりと見える位置に、私は自然と目線を合わせた。彼女の横にあるベッドの端に腰を下ろし、静かに目を閉じる。心の奥深くにしまい込んでいた言葉たちが、ようやく自分の中でまとまり始めて、思い切って唇を開いた。
「茉凜、今はすごく混乱しているかもしれないが、どうか、これから話すことをちゃんと聞いてほしい」
私の声はなるべく優しく、けれど揺るぎない決意がそこに宿っているのを感じた。まるで、その言葉が彼女の小さな心に触れてしまうことを恐れるかのように。
「お前は、俺がずっと……本当にずっと探し続けていた存在だったんだ。導き手と呼ばれるもの……それが、お前だ」
「わたしが?」
茉凜の瞳が大きく揺れ、驚きと困惑が一瞬にしてその中に溢れた。彼女のその姿に、私は胸が締めつけられる。こんなにも優しく、儚い存在が、私にとってこれほど大切だなんて。
「ああ……そうだ」
静かに頷いた私の声は、どこか遠くから響いているような感覚だった。自分自身の感情が、言葉に込められていることがわかるけど、どうしても伝えきれない切なさが胸を蝕んでいく。
「俺は、姉の日記と、さっきのメモを読んで……解呪に向けて心を決めた。だが、導き手を探すにも何の手がかりも見つからなくて……途方に暮れるばかりだった」
その言葉には、私が感じてきた絶望と孤独が、かすかに滲んでいた。何も見えない暗闇の中で一人、手を伸ばしても誰にも届かない。そんな時間を、ずっと過ごしてきた。
「しかし、ある時から、俺は不思議な夢を見るようになった」
茉凜の瞳に、私の言葉が静かに映り込み、彼女がその一つ一つをじっと受け止めようとする姿に、胸がさらに苦しくなった。
「夢?」
茉凜は興味深そうに少し首をかしげながら耳を傾けた。
「ああ」
私は軽く頷き、夢の内容を静かに思い返す。
「その夢は、毎晩のように繰り返されて、現実と夢との境界が、次第に曖昧になっていくくらい鮮やかな光景だった。今でも、あの景色が心に深く刻まれている」
「どんな景色だったの?」
茉凜の問いかけに、彼女の真剣さが滲んでいる。その瞳が不安に揺れながらも、私の言葉を待っているのが伝わってくる。
「高台から見下ろす海沿いの町が、まるで俺を抱きしめるかのように、静かに広がっていた。その先には、果てしなく広がる海があって、左手には白い灯台がそびえ立ってた。ちょうど夕暮れ時で、空と海が紅と紫に染まっていて……まるで魔法にかかったかのような、美しい景色だった」
私の言葉に合わせて、茉凜の表情が少しずつ変わっていく。驚き、そして困惑。彼女の目が瞬くたび、私の描写した夢の風景が、彼女の心の中で形を作り始めたようだった。まるで、現実のどこかに繋がっているのではないか、そんな予感さえ感じた。
「ちょっと待って……それって……」
茉凜は言葉を飲み込み、私をじっと見つめる。その夢の風景が、彼女にとっても何か特別な意味を持っていることが、彼女の瞳に刻まれていた。
私は静かに頷き、深く息を吸い込んでから言葉を続けた。
「その場所とは、あの石御台の公園の展望台のことなんだ」
茉凜の口元がわずかに開き、彼女の目が驚愕に大きく見開かれた。私の言葉が彼女の心の奥深くに触れたのが、明らかにわかった。
「弓鶴くん、もしかして……わたしと同じ夢を見ていたの?」
彼女の声はかすかに震え、興奮と戸惑いが混ざり合っていた。その夢の風景が、彼女にとっても何か重要な意味を持っていることは一目瞭然だった。
「そういうことになる」
私は彼女の真剣な目を見つめながら、静かに答えた。私の心の奥底にある切なさが、胸にじんわりと広がっていった。
「だから、毎日のようにあそこで夕日を眺めていたんだ。それが、導き手につながる何かだと、一縷の望みを抱いて……」
茉凜の反応を待つ間、彼女の沈黙が私の心に重く響く。
「でも……」
彼女の小さな声が聞こえた。
「わたしと最初に会った時、“夢なんてくだらない理由で”って言ってたし、そんなこと全然気づかなかったよ……」
その瞬間、私は彼女と初めて会った時のことを思い出した。心が鋭く締めつけられる。あの時、私は彼女を突き放すような言葉を口にしてしまった。それがどれほど彼女を傷つけたか、その重さが今でも痛いほどわかる。
「茉凜……本当にすまない」
言葉を絞り出すように謝ったが、その悔恨の感情は、いくら言葉を尽くしても、あの時の痛みを和らげるには足りなかった。
私は思わず深く頭を下げて詫びた。
「俺が悪かった。それがどれだけお前を傷つけたか……」
私の言葉は、深い後悔と誠実さを込めたものだった。茉凜の反応を待ちながら、いまさらながらに自分の過ちを悔いる気持ちが強くなっていった。
「茉凜が夢で見た場所を探していると言った時、俺は驚いた。それがあの公園を指していると知って、どう答えるべきか分からなくなってしまった。偶然にしては、あまりにできすぎていて、同じような理由だなんて、とても信じられなかったんだ。それで、俺は急に恐くなってあんなことを口走ってしまった。本当にすまなかった」
私は頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返していたが、茉凜の笑い声が不意に響いた。その明るい音色は、まるで凍てついた心に春風が舞い込むかのように感じられ、胸の中で何かがふっと解けたような気がした。
驚いて顔を上げると、茉凜は口元に手を当て、瞳を少し潤ませながら、くすくすと笑い続けていた。その光景に、私は一瞬、何が起こっているのか理解できず、眉を寄せて彼女を見つめた。
「茉凜……なぜ笑う?」
自分の言葉に込めた後悔と誠実さが届いていないのかと、心の奥で不安が膨らんでいた。彼女が私の謝罪をどう受け取っているのかがわからず、戸惑いが増していくばかりだった。
しかし、茉凜は手をそっと下ろし、微笑みながら私を見つめた。その目には、どこか優しさと愛しさが混じっていて、彼女の笑顔に胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
「ごめんね、ただ、弓鶴くんがそんなに気に病んでいたなんて思わなくて……」
茉凜は目を細め、優しく微笑んだ。その笑顔は、まるで全てを理解して包み込むような温かさに満ちていた。彼女のその優しさに、胸がじんわりと熱くなる。
「たしかに、あの時は“なんてひどいこと言うんだろう”って、正直思ったけどね。でも、後になって私の話をちゃんと聞いてくれたし、今こうして謝ってくれて、それが本当に嬉しいの。だから、もうそんなに気にしなくていいよ」
彼女の言葉がまっすぐに心に届き、今まで抱えていた後悔が少しずつ溶けていくような気がした。茉凜の笑顔を前にすると、どんなに重かった気持ちも、不思議と軽くなっていく。彼女がこうして自分の思いを言葉にしてくれることが、どれだけ自分にとって救いであるかを痛感した。
「すまない……」
私はもう一度、不器用に頭を下げた。言葉では言い表せない感情が胸の中を満たしていた。それでも、茉凜は変わらず優しく微笑んでいた。その笑顔に、心がほっと安らいだ。
「大丈夫、ぜんぜん大丈夫だよ。というか、同じような夢を見てあの場所に導かれたなんて、まるで“運命”みたいだね」
茉凜の“運命”いう言葉に、私は黙って耳を傾けながらも心の奥底で重い感情に囚われていた。彼女の嬉しそうな笑顔が、私にはどうしてこんなにも切なく、苦しいものに映るのか、その理由ははっきりとしていた。
自分の無力さと、その無力が彼女に及ぼす影響に対する痛みが、胸の中でぐるぐると渦巻いていた。茉凜が感じている運命の重みは、私とは違う。どうしてこんなにも、自分が彼女の幸福を支えることができないのか、心の中で問い続けていた。
そのとき、明の小さなため息が耳に入った。彼女のため息には、何か心の中で引っかかるものがあったのだろうか。眉をわずかに寄せた彼女の横顔に、何かを言いたげな思いが見えた。私は自分を責めるばかりでなく、彼女の気持ちにも気づかなければならないという意識が、ふと湧き上がった。
私は再び茉凜の方に目を向けながら、冷静さを取り戻そうとした。今は感情が揺れ動いている場合ではない。目の前の問題に集中し、前進するための決意を固めなければならなかった。彼女に対して、そして明に対して、今できる最善を尽くさなければならない。
「話は変わるが、茉凜。今確認しておきたいことがある。お前が雷の事故に遭った日付と時間を教えてくれるないか?」
私はあくまで冷静な声で言った。茉凜の目に真剣な決意を込めて、彼女が私の言葉を受け止める姿を見守りながら、心の中で深く息を吐いた。
「なに、いきなり。どうして、そんな話?」
茉凜は驚きと困惑が入り混じった表情で私を見つめた。その反応には、不安と痛みが滲んでおり、彼女の最も触れられたくない過去を掘り返すことが、さらなる傷を与えることになるのはわかっていた。しかし、解呪の進展には避けて通れない重要な情報だった。
「解呪に関連があるかもしれないんだ」
必死の思いで私は口にした。彼女の心を痛めるかもしれないとわかっていながら、どうしてもこの情報が必要だと伝えた。
「辛いことかもしれないが、頼む。どうしても知っておかなければならないんだ」
私の切実な頼みに、茉凜は一瞬ためらい、沈黙が静かに広がった。彼女の目が揺れ動く中で、私の心は痛みと悔恨でいっぱいだった。どうか、彼女が私の頼みを受け入れてくれるようにと、胸の奥で祈りながら、息を呑んで待った。
やがて、茉凜はゆっくりと口を開き、小さく、しかし決意を込めて答えた。
「わかった……あなたがそこまで言うなら……。あれは三月の、二日……。時間はたぶん、夕方の三時半くらいだったと思う……」
茉凜の言葉が静かに響いた瞬間、私の心に冷たい確信が走った。彼女の説明と私の記憶が交錯し、運命の糸が無意識に絡み合っているのを感じた。その日、その時間、私は絶望的な状況に直面していた。
私の無謀な賭けが、彼女にこのような影響を及ぼしてしまったのかもしれない。自分の行動が引き起こした結果に対する責任の重さが、胸の奥で重くのしかかっていた。私たちの出会いがこんなふうに絡み合うとは思ってもみなかった。
茉凜の瞳の中に映る混乱と不安が、私の心にさらなる痛みをもたらした。彼女の言葉が、私にとっての過去の影を深く掘り起こした。
「三月二日、午後三時半……」
私は呟くように繰り返し、彼女の答えを心の中で整理しながら、ゆっくりと顔を上げた。
「その時間帯は……」
私はただただ震えるしかなかった。茉凜の運命に影を落としたかもしれない過去の出来事を、今度こそは真摯に向き合わなければならなかった。
その時の光景が脳裏に蘇ると、冷たい悪寒が全身を駆け巡った。
壮絶な痛みが私を切り裂き、意識が朦朧とし、心と体が引き裂かれるような苦痛に襲われながらも、ただひたすらに祈り続けた。命を賭けて、ただひたすらに。必死に希望だけを抱きながら、その瞬間が無駄にならないようにと、心の中で何度も繰り返し祈っていた。
やがて、私の器は精霊子で満たされ、根源の欠片と溶け合い、深淵の根源が再生された。その力で異界への門が開かれたが、期待と希望に満ちたその瞬間、それは失敗に終わった。門は確かに開かれたが、根源はそれを潜ることができなかった。私の努力は虚しく、計画は破綻し、すべてが無に帰した。
その痛みを思い出すと、胸が締めつけられるような感覚が戻ってきた。苦しみの中で、自分がどれほど無力だったのか、そしてその結果として茉凜にどれほどの影響を及ぼしたのかを考えると、心が潰されそうだった。
私は必死に自分を奮い立たせ、ゆっくりと声を絞り出すように話を続けた。
「そうか……これではっきりしてきた」
「なにが?」と茉凜が尋ねた。
「茉凜の落雷事故には、姉上の解呪の失敗が関わっている可能性が高い」
「意味がよくわからないんだけど」
「姉上は導き手を探していたが見つからず、上帳の手が及ぶに至り、仕方なく解呪の儀式を実行したんだ。叔父様の話によると、三月二日のその時刻あたりで、柚羽の家が燃えた……」
「ええっ!?」
「それって、本当のことなの!?」と明も声を上げた。
彼女にとっても、あの人里離れた一軒家は思い出の場所だった。二人の驚きと疑念が、部屋の緊張感を一層深めた。
「すべて事実だ。そして、その日のその時刻に、ほぼ同時に起きた二つの出来事が、ただの偶然では済まされない気がするんだ。姉上の失敗の結果が、茉凜に影響を及ぼしたのかもしれない」
「え……」
茉凜は唖然として声を漏らしていた。彼女の瞳が大きく見開かれ、混乱の色が濃くなっていく。
「そして、茉凜を襲った雷は、普通の雷ではない」
私は言葉を紡ぎながら、冷たいものが背筋を走るのを感じた。茉凜が抱える過去の傷の話を続けるたびに、その異常性が一層際立ってくる。
「普通じゃない?」
明がその言葉に反応し、再び問いかけた。
「そうだ」と私は頷いた。
「裏付けるものならある。新城先生も言っていたが、茉凜が受けた外的なダメージの少なさは、雷の直撃を受けた人間としては異常すぎるんだ。通常、落雷を受けた体には、電流が走った痕跡、例えば火傷や電紋が残るものだ。しかし、茉凜の体には、左額に小さな傷痕が残っているだけだった。新城先生はこうも言っていた。“この雷は茉凜の身体を駆け抜けていない”と」
茉凜は自分の額に手をやり、そこに触れながら静かにうなずいた。その手のひらが傷痕に触れると、彼女の表情が複雑に歪んだ。
「それは、どうして……」と茉凜は声を震わせながら続けた。
「どうして私にはその痕跡がないの?」
「それが問題だ」と私は答えた。
「もしかすると、その雷は単なる自然現象ではなく、何らかの意図を持った力の存在だったのかもしれない」
茉凜の顔が青ざめ、明もまた深刻な表情でうなずいた。
「だけど、わたしはあの瞬間のこと、ほとんど覚えてないんだ。それと……雷に打たれたって分かった瞬間、何かが私を包み込んだような……気がして……」
「包み込んだ?」
明が困惑した表情を浮かべる中、私は重々しく言った。
「通常の落雷の受傷者に、そんなイメージが湧くものだろうか?」
私の発言に、明は腕を組み難しい表情をした。
「つまり、美鶴さんの解呪の失敗が、茉凜の不可思議な落雷事故に関係しているってこと?」
「そうだ。そして、茉凜に直撃した雷そのものが普通のものではなかった可能性が極めて高い。何か別の異質なものが、茉凜の中に入り込んだんだとしか考えられない」
茉凜がうつむく。彼女の表情には、不安と恐れが混じり合っていた。言葉の中に潜む深刻さが、彼女の心に重くのしかかっていた。
「でも、わたしは……普通の人間だよ。どうしてそんなことが……」
その言葉は、彼女が信じたくない現実を前にしたような響きだった。茉凜の目には、過去の痛みと現在の不安が入り混じり、彼女の心の奥底に潜む恐怖が浮かび上がっていた。