第19話 二人の思い出と私の前世
文字数 9,067文字
この世界では、現代の日本のようにお風呂に入ることは叶わない。それでも私は能力のお陰で恵まれていると思う。
身体を清めた後は、能力の赤と白を組み合わせて、適度な温風を送りながら髪を梳かした。
埃だらけで乾燥したエレダンでは、長い髪は邪魔に感じることもある。それでも、私は母さまの長い髪が大好きだったから、こうして伸ばし続けている。
髪を乾かし終えると、私はベッドの上に置かれていたマウザークレイルを抱きしめる。
手の届く範囲なら茉凜の声は届くのだけれど、それでもこうして彼女に触れたくなる。人目がつくところでは恥ずかしいし、変な人と思われそうでとてもできない。
茉凜の声が私の心に響く。
今日もお疲れ様
「うん、ありがとう、茉凜」
いつものように言葉を交わすことが、私にはとても大切なことだ。
外ではなかなか会話をする機会がなくて、せめて心の中で私の声を伝えられたらいいのにと思う。でも、言葉に出さなくても、茉凜にはちゃんと伝わっていると思う。
さっきは大変だったね……
「うん……。でも、少し心の整理がついたかな。私ってついつい考え込んで、うじうじしちゃうんだよね。だから、ヴィルみたいな人にはっきり言ってもらえて、よかったと思う」
だよね。そこがあなたのいけないところだよ。思えば私もほんと苦労したわ
茉凜がちょっと呆れたように言うと、私は少し笑った。
「そんな年寄りのお母さんみたいなこと言わないでよ。悪かったわね」
あはは、ごめんごめん
私はずっとこれからどうするべきか迷っていた。
父さまのこと、母さまのこと、魔獣に対する憎しみ、この世界では強すぎる力、そして私は本当に人間なのだろうか、ということも。
それでも、私は前に進まなければならない。ヴィルはそのきっかけを届けてくれた。
「茉凜?」
ん?
「私、頑張ってみるよ……」
うん、わたしもあなたの力になる。一緒に行こう
「ありがとう、茉凜」
私は感謝の気持ちを込めて、マウザーグレイルにそっと口づけした。
美鶴!?
冷たい刀身の感触が、茉凜にも伝わったようだった。
不意打ちはひどいなー
その反応に私はくすくすと笑った。
「よく言うわ、あなたみたいな予測不能な人に言われたくない」
あら、そんなのお互い様じゃない? 学園祭のときなんか、わたしほんとにびっくりしたんだから。あれって、わたしの初めてだったんだよ?
私は前世の学園祭での演劇を思い出す。
そこで私は泉の巫女の役で、真凜は私を守る騎士様だった。クライマックスで感極まった私は、とんでもないことをしでかしてしまった……。
「あれは、役に入り込みすぎちゃって、つい……。もうっ、恥ずかしいことを思い出させないでよ。あの後、大変でどうしたらいかわからなかったんだから」
ふふふ、でもほんとにかわいかったよ、あの時の美鶴
その時の事を思い出して、一気に顔がかーっと熱くなる。
「からかわないでよ……」
だってわたし、もうどきどきして、ほんとに王子様の気分になっちゃったもん
「あれは……一時でもいいから、美しい夢を見たかったんだと思う。それで、あなたにあんなひどいことをしちゃった……」
そんなことないよ、わたしも内心ではうれしかったんだ。それに今はあなたのその気持がよくわかる
「ありがとう。でも、懐かしいな……。ちょっと前のことのはずなのに、とても昔のように感じる」
そうだね。いろいろあったね……。でもね、わたしはあなたと出会えて、新しく生まれ変われた気がするんだ。大変なことばっかりだったけど、今はいい思い出だって思える
「私もそうだよ。でも……今の私はもう以前の私じゃないって思ってる……」
どうして? そんなことはないと思うけど
「時々、十二歳の私の感情が溢れてきて、それが私には制御不能になることが多いの。そのせいで、いつもとまどってしまう……。でも、そんな瑞々しい感情が、とても愛おしいと思えるんだ。だから私は自分を不幸せなままでいさせたくないって思う。不器用だから、そんなにうまくはいかないけれど、少しずつでも前に進みたい」
うん、それでいい。美鶴はそのままの素直な気持ちで進めばいいんだよ。望むままに飛べばいいの
「ありがとう、茉凜」
そして、私は一年前の父さまが亡くなった時を思い出す。
父さまの死を目の当たりにした瞬間、眠っていた二十歳の私と、前世の異能である黒鶴の力が一斉に目覚めた。その瞬間、私は十一歳の少女の悲しみに深く呑み込まれた。絶望と悲しみに満ちたその感情は、私の全身を震わせ、心を押しつぶすほどの重さをもたらした。
私の中で暴れる黒鶴の力は、その悲しみを、怒りと憎悪という形に変えていった。迫りくる魔獣たちに対して、その力が炸裂し、一体また一体と無惨に屠った。その惨状を目にしながら、私はただその力に従い、ただ感情を放出するしかなかった。
もしも私とその力、そして剣の中に宿る真凜が目覚めなかったなら、私は今ここに存在しなかっただろう。十一歳の私のままでは、あの痛みを乗り越える力も、心の強さも持てなかった。
前世で私は異能の血族【深淵】に掛けられた呪いを解呪し、真凜ともお別れをして、もう何も思い残すことはなかった。これで消えていくのだと思っていた。なのに、強制的にこちらの世界に連れて来られてしまった。どうしてこうなったのか、答えはわからない。前世の記憶があるからといって、精霊子を受け取る素養がそのまま受け継がれるわけではないだろう。
十一歳の私が二十歳の私と同じ名前であったことから考えても、きっと【あいつ】が何かを画策しただろうことは確かだ。前世を思い出す前、私は自分の名前の由来について尋ねたことがあった。すると母さまはこう答えた。
「まだあなたがお腹の中にいる時に、そういう名前にしてって言ったような気がしたから」
その時まだ胎内にいただろう私に、そんなことができるはずがない。
この白きマウザーグレイル――その謎めいた剣がなぜ異世界転移を引き起こしたのか。それには私の前世が深く関わっているのだと、知ってしまった。私が前世の記憶を取り戻した瞬間、茉凜も同じように剣の中で目を覚ましたのだ。
時が経つにつれて、少しずつ分かってきたことがある。彼女は仮の管理者として存在しており、ある程度の情報にアクセスする権限を持っているらしい。茉凜が剣の記録を辿って探し出したのは、驚くべき真実――【あの儀式】の最中に、彼女はオリジナルから転写されたという事実だった。
さらに異世界転移の痕跡を探ると、三年前、この世界において、マウザーグレイルの一部の機能が私たちの世界へと転移してきた形跡が見つかった。そして、その時期は、私の母さまが消失した日と不気味なまでに一致していた。まさか、私たちの前世がこの世界での私たちの家族に悲劇をもたらした――そんな残酷な運命が、目の前に立ちはだかっているのだと感じた時、私は言葉を失った。
前世の大人の私が目覚めたからといって、この世界で生まれた「私」が消えてしまったわけではない。むしろ、彼女もまた、今の私の一部であり、その存在が私を支えている。彼女が見つめていた世界、その純粋な喜びや悲しみ、一つひとつが心の奥で宝石のように輝いている。その無垢な感情たちは、未熟でありながらも鮮やかで、今の私を形作る大切な欠片たちだ。彼女が感じたすべてが、私がここに生きる理由そのものと言えた。
だから私は、生き続けなければならない。「私」を不幸にしたくないから。真凜も、私の側にいてくれる。過去の痛みや、前世から受け継いだ力さえも、今の私に宿り、私を強くしてくれている。
必ず母さまを見つけ出す。それが、私に課せられた運命であり、この家族に対する私の贖罪なのだ。
私は目を閉じて、前世の記憶に向き合った。それは、決してヴィルにも話せない、私たちがこの世界に辿り着くまでの道程。長く、複雑で、悲しみに満ちたその軌跡を。
◇ ◇
深淵の力を持つ一族、柚羽の家に生まれたことが意味するものは、当時の私には理解できなかった。山奥の家で、両親と二つ違いの弟・弓鶴と過ごした日々は、まるで青空の下に広がる静かな絵のように、平穏で優しく、幸せな時間だった。けれど、その日常がどれほど儚いものだったか、私が知ることになるのは、わずか十一歳のときだった。
その日、家に響く不穏な音が私の耳に届いた。胸が不安に打たれ、体が冷たくなる。居ても立ってもいられず、私は一目散に家に戻った。心臓は激しく脈を打ち、何かが起こったという嫌な予感が頭をよぎる。
家に着いた私を待っていたのは、信じがたい光景だった。
広間は完全に破壊され、家の柱は無惨にも折れ曲がり、まるで家そのものが壊れてしまったかのようだった。床には黒ずくめの男たちが倒れ、彼らの手足は無残に切り裂かれ、血がどこまでも広がっていた。その異様な匂いが私の鼻を刺し、その光景はまるで悪夢のようで、私の目の前に広がる現実が信じられなかった。
弟の弓鶴は、その真ん中でひざまずいていた。そして、彼が見つめる先には、両親が無惨に倒れた姿が広がっていた。その光景は私の心を引き裂き、感情の奔流が私を飲み込んでいった。涙が溢れ出し、怒りと無力感が入り混じった気持ちが心の奥深くで渦巻いた。
そして、私は弓鶴の背中に不気味な黒い塊が存在することに気がついた。その正体不明の黒い塊は、まるで悪意そのものが具現化されたかのようだった。その異様な存在感が、恐怖の波を呼び起こし、私の心を貫いた。
「弓鶴……?」
震える声で彼の名を呼んだが、返事はなかった。彼は、何かに取り憑かれたように、無表情でただ前を見つめていた。
その瞬間、私の胸に湧き上がったのは、恐怖ではなかった。
――この子を守らなければ。
私は無意識に弟のそばへ駆け寄り、彼を抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だから……」
私は震える声でそう呟いた。私に何ができるわけでもなかった。ただ、弟を守りたい、彼を助けたいという思いだけが私を突き動かしていた。
そのとき、私たちの生活を支えてくれていた、お手伝いの佐藤さんが帰ってきた。彼女は私たちの様子を見てすぐに察し、素早く行動してくれた。私たちは彼女の助けを借りて家を後にし、意識を失った弓鶴を背負いながら、逃げるように森の奥へと向かった。
たどり着いたのは、暗くて冷たい洞窟。そこに足を踏み入れたとき、どこからともなく聞こえるかすかな声が耳に届いた。
あなたたちには力がある。あなたたちには私の願いをかなえる可能性がある。だから生きなさい
その声は、何か不思議なものだった。恐ろしいはずなのに、どこか温かく、私たちを守ろうとしているような、そんな感覚を覚えた。
偶然たどり着いたこの洞窟が何であるか、私たちがどんな運命に導かれているのかを知るのは後のことで、その場所こそが、【始まりの回廊】と呼ばれる場所だった。
その後、私たちは母方の叔父、
◇ ◇
虎洞寺氏とは、それまで一度も顔を合わせたことはなかった。母から話を聞くこともほとんどなく、正直、どんな人なのかすら想像できなかった。初めて彼と向き合ったとき、私は無意識に彼を警戒していた。どこか冷たい印象を受けたし、母とも顔立ちがあまり似ていないように思えたからだ。
けれども、彼の不器用ながらも必死な態度は、少しずつ私の警戒心を解いていった。大きな手で何度も髪をかき上げながら、ぎこちない言葉で私たちの世話を焼いてくれる彼には、裏があるようにはとても思えなかった。むしろ、彼もまた困っているのではないかと感じることさえあった。
私たちが匿われた場所は、石与瀬という海沿いの街の郊外に建つ、広大な屋敷だった。山奥の小さな家での生活しか知らなかった私にとって、その屋敷の豪華さと広さは、まるで別世界のようだった。
弓鶴は、あの日の惨劇以来、言葉をほとんど交わさなかった。弟はまだ幼く、あの恐ろしい出来事に耐えられるはずもない。何か話しかけようとするたびに、彼は虚ろな目で遠くを見つめるだけだった。あの背中に現れた黒い塊が、いったい何だったのか、その答えを私は探し求めた。
私はどうしても、あの日の惨劇の理由を知りたかった。なぜ家族が襲われたのか、何が起きたのか。その答えを知るためには、「深淵」と呼ばれるものについて、もっと理解しなければならなかった。けれど、当時の私はその名しか知らず、その意味を全く理解していなかった。
だからこそ、私は虎洞寺氏に真実を問いただした。
彼は最初、私の問いに躊躇した。私がまだ子供であること、そして彼自身が何かを守ろうとしていることが、その表情から伝わってきた。けれど、私の執拗な問いかけに、ついに彼は深く息をつき、真実を語り始めた。
「……話すべきではないかもしれないが、紫鶴の娘である君には、知る権利があるだろう……」
紫鶴とは母の名前だった。そのときの、彼の声にはどこか重々しい響きがあった。それは、私が知りたかった真実ではあったが、同時に聞くべきではなかったかもしれないことを、彼の表情から感じ取った瞬間でもあった。
◇ ◇
虎洞寺氏から聞いた深淵の血族の歴史は、私にとってあまりにも現実離れしていて、まるで物語の中の出来事のように感じられた。しかし、彼の一言一言が私の心に重く響き、次第にその真実に飲み込まれていくのを感じた。
「【深淵の根源(※1)】は、はるか昔に異界からこの世界にやってきた存在だとされている」と彼は静かに語り始めた。
私は息をのんだ。異界から来た存在――そんなものが本当に実在するのだろうか?だが、虎洞寺氏の眼差しは、少しも揺るがなかった。彼の言葉は、夢物語ではなく、私たちの現実に深く根付いたものだった。
その異界からの存在が、「この世界の法則や物質とは相いれず、やがて変質し、崩壊していった」という。
「根源は自身を再生させるために、この世界の生物の遺伝子を操作し、脳内に【精霊子(※2)】という自らを構成する最小単位を集めるための、いわば受容器官を作らせた」と続ける虎洞寺氏の声は、どこか感情を抑えたように冷静だったが、私はその背後に潜む深い苦悩を感じ取っていた。
しかし、それは多くの生物にとって、あまりにも過酷な試練だったのだ。精霊子がもたらす負荷に耐えきれなかった者たちは、精神を崩壊させ、その異常な力を持て余しながら狂気に陥った。彼らは『怪異』や『鬼』と呼ばれ、次々と討伐されたという。
私の心は重くなった。その異能の力は、私たちの血にも引き継がれているものなのだろうか。私は拳を握りしめ、虎洞寺氏の言葉を聞き逃さないように集中した。
「だが――」と彼は言葉を切り、私の顔を見つめた。
「人の中には、精霊子に適応できる者がいた。彼らは知性と精神の強さで発狂を免れ、精霊子の声を聞くことができた」
その言葉に、私は少しだけ光を見た気がした。すべてが狂気に染まるわけではない――。でも、同時に怖くもなった。適応できた者たちとは、私たち深淵の血族のことを指しているのだろうか?
虎洞寺氏の語りに、私は言葉を失ったまま座っていた。彼の説明が進むにつれて、私の頭の中には深い混乱が広がっていた。深淵の歴史は、私にとってただの物語ではなく、現実の一部として静かに迫ってくるものであった。
「そして、その導きに従い、人々は人里離れた山奥の洞穴に集まり、それが深淵の血族の始まりとなった」と、虎洞寺氏の声が静かに響いた。
その言葉が、私の心に冷たい風を吹き込んだ。
山奥の洞穴――それが深淵の血族の始まりの地であり、私たちが住んでいた土地の近くにあった。私はその古びた秘密の重さに圧倒された。
「深淵の血族は、始まりの地で微かに残された根源の欠片と対話し、精霊子を制御する術を学んでいった」と彼は続けた。そこには、言葉では表現しきれないほどの努力と知恵が詰まっていたのだろう。その過程で、精霊子の力を安定的に扱う術が確立されていき、四つの属性を扱うそれぞれ四種類の流儀として形を成していったという。
私はその話を聞きながら、必死に生き延びようとする者たちの姿が浮かんできた。それが一つの体系を成し、この世界の中で「魔術」を実現する力となったのだと知った。
しかし、時の流れとともに、その意義は歪められていったという。戦乱の世では、深淵の血族の力が権力者たちに取り入る手段として使われ、間諜活動や暗殺に従事するようになった。私の心はその言葉に強い衝撃を受けた。かつては純粋な知識と技術が、人々の命運を左右する力として利用されていったのだ。
「権力と影響力を追い求める中で、精霊子を扱う能力によって支配階級が形成され、組織内部の力関係が厳格に構築されていった」と、虎洞寺氏の語りは続いた。
虎洞寺氏の説明を聞いているうちに、私は心の奥深くで次第に冷たい恐怖と憤りが湧き上がってくるのを感じた。深淵の血族が持っていた本来の目的が、時間の経過と共にどれほど歪められ、失われていったのかを知ることは、私にとって非常に苦しい体験だった。
「しかし、それは血族本来の目的からは逸脱した姿だった」と虎洞寺氏は続けた。その言葉が、まるで私の心に重い石を乗せるように感じられた。
深淵の血族が本来目指していたのは、「精霊子を一つの個体に集め、根源を再生させることで、呪いのような力から解放されることだったのだ」という。それが「解呪」と呼ばれ、力の呪縛からの解放こそが、彼らの本当の宿願だった。
しかし、その崇高な目的は次第に忘れ去られ、権力と腐敗の渦に飲み込まれていった。虎洞寺氏が語った「上帳(※3)」という指導体制が確立される中で、組織の理念や倫理は失われ、深淵の血族は権力闘争の渦中に巻き込まれていった。
「力を持つ者は組織内での地位や権力を確保し、持たない者は【郭外】と呼ばれる外部組織に追いやられていった」と虎洞寺氏は冷静に説明した。その言葉に込められた現実の厳しさは、私にとってあまりにも残酷だった。能力を持たない者たちは搾取され、組織に逆らう者や不満を抱く者は、厳しく抹殺される運命にあった。
その中で、虎洞寺氏は外部に追いやられた一人であった。彼がその体制に疑問を抱き、郭外の人々を支えるために事業を立ち上げ成功に導いたという話は、私にとって希望と同時に深い悲しみをもたらした。彼の決意と行動が、組織の歪みから逃れようとする者たちの支えとなり、またその苦しみの中で光を見出す一歩となったのだろうか。
◇ ◇
虎洞寺氏から事実を聞いた後、私は震える声で問いかけた。両親がなぜ殺されなければならなかったのか、その答えが私の心に深い痛みをもたらした。
「君のご両親は、この力の呪縛からの解放を目論んでいたんだ」と彼は冷徹に告げた。その言葉は、まるで私の心に鋭い刃のように突き刺さり、全身を震わせるほどの衝撃を与えた。
「上帳は解呪を望む勢力と解呪を望まない勢力とで二分されている。後者にとって、解呪は権力と影響力の喪失を意味し、そのために君たちを抹殺しようとしたのだ。三家の一つである柚羽家を潰しても構わないという覚悟でね」
その言葉を聞いた私は、弓鶴のことが心配でたまらなかった。あの正体不明の「黒い塊」があまりにも危険に感じられて、私たちもその危険に巻き込まれるのではないかという恐怖が心の奥底に広がっていった。弓鶴の力がどれほどの影響をもたらすのか、その全貌が知りたかった。
「弓鶴の力の素性と能力は、深淵の中でも禁忌とされる色、番外の『深淵の【黒(※4)】』だ」と虎洞寺氏は告げた。その言葉を聞いた瞬間、私の体は恐怖で凍りついた。深淵の黒――それが持つ意味が、私の心に重くのしかかってきた。
「深淵の黒は、その出現がはるか昔より根源から予言されていたものだ」と彼は続けた。
「規格外の精霊子への感受性を持ち、底なしの容量を有する。たった一人で、この世に散らばった精霊子すべてを集めきる可能性を持った個体。それは、根源が願う自身の再生と異界への帰還に必要不可欠な器そのものだ。しかし、これは理論上の話に過ぎない。実際にその道に至れる者は今まで一人もいなかった。精神と肉体が耐えられるとは、とても思えないからだ。おそらく、ご両親は弓鶴の力を理解し、その運命に対して焦っていたのだろう。そして、君にもその素養はあると考えていい……」
彼の言葉が私の心に重くのしかかり、両親の死が単なる犠牲ではなく、長い歴史と運命に深く結びついていることが理解できた。
私は涙が止まらなかった。弟に課せられた呪いの重さ、そしてその呪いが私たちにどれほどの影響を及ぼしているのかが、鮮明に浮かび上がってきた。
私の心の中で、両親の思いが募り、深淵の呪いを解き、根源の願いを叶えるための道を切り開くことを決意した。弓鶴には、辛い思いをさせたくはなかった。できることなら、彼には何も知らずに虎洞寺氏の元で平穏に過ごしてほしいと願っていた。
そして、私は決意した。たとえ命にかえてでも、解呪を目指し、両親の願いを遂げるために進むことを。深淵の呪いを解き放ち、家族が望んだ未来を取り戻すための道を切り開く覚悟を固めた。
※1 【深淵の根源】
その存在の名は現在秘匿。バルファ世界に存在した古代精霊族の遺産とされる。何らかの理由で私たちの世界に落ちてきた。この世界には適応できず、最小単位の精霊子という存在に分解してしまった。すべての元凶。
※2 【精霊子】
精霊子という概念は、深淵の血族がつけたもので、バルファ世界における純粋精霊。認識できない。
※3 【上帳】
深淵の血族の最高意思決定機関。三家と現役を引退した実力者たちで固められ、決して表には姿を見せず、その正体は一切不明。解呪を望む勢力と現体制の維持に固執する勢力に二分されている。
※4 深淵の【黒】
ミツルが持つ色。すべての精霊子を呑み尽くす器とされる、厄災の元凶とも希望の象徴ともされる存在。