第35話 明ふたたび
文字数 3,156文字
「そのもどかしさで、息が詰まる。毎日、願いを実現しようと必死に努力しているのに、心の中で自分の感情を偽っているようで、心が苦しくなる。真凜の優しさにただ依存しているだけなんじゃないかっていう恐怖に囚われて、夜も眠れないほど辛い」
「彼女の優しさに応えられるだけの強さや真心を持てていない自分が、ますます自分を責める。どれだけ努力しても、どうすれば彼女に対して本当の自分でいられるのか分からず、ただ立ちすくんでいる自分が情けない。心の中で渦巻く感情が、ますます彼女への深い想いとともに私を押しつぶしていく。一体、私はどうしたらいいっていうの?」
◇ ◇
そんな私が招いた危機の前に現れたのは真坂明だった。彼女の言葉が、その迷いに冷徹に切り込んできた。
「弓鶴くん、場裏を使え。戦うんだ!」
その一言が、現実の厳しさを容赦なく突きつけてきた。場裏を使い、術者として成り立つためには途方もない修練と経験が必要だ。お飾りの巫女に過ぎなかった私には、そのための時間も経験もなく、しかも、弓鶴が持つ黒の力は強すぎるため、暴走のリスクが伴う。自分の限界を痛感しながらも、それに立ち向かう覚悟ができなかったのだ。
「俺に場裏は使えない」と、ただその事実を口にするしかなかった。その言葉に、明は静かに頷いた。
「そうだね。あれに踏み込んでものにするには、何年もの修練が必要だし、死んでもいいって覚悟で深淵の闇に手を突っ込まなきゃいけない。でも、今ここでやらなきゃあんた死んじゃうんだよ?」
その切実さが、私の心にさらに圧し掛かってきた。戦う力を得るために、真凜を危険にさらすべきか、その選択が正しいのかどうか、迷いが心の奥深くに巣食って離れなかった。
「でも、もし暴走して抑えられなかったら……俺だけじゃない、真凜だってどうなるかわからないだ」
私の弱音に対する明の反応は冷たかった。
「またぁ? こいつのこと?」
明の鋭い視線が、真凜の心を直撃した。
「こ、こいつって?」
真凜が当惑した反応をする中、明は彼女に冷酷に言い放った。
「あんたのことに決まってんでしょ。何の力もないくせに、一人じゃ何もできないくせに。セーフティだかなんだか理由つけて、弓鶴くんのそばにいて、いい気なもんだ。ほんとうなら、その場所にはあたしがいるべきだったんだ……。あんたは戦ってない。彼の足を引っ張ってるお荷物でしかない。そんなあんたのせいで弓鶴くんが死んだら、あたしは絶対に許さないからね」
その言葉が、私の心に深い痛みをもたらした。明の冷酷な言葉には、私の心の奥底にある深い葛藤を炙り出す力があった。彼女が指摘するように、真凜が単なる「安全装置」であったとしても、私にとってそれ以上の意味を持っている。
「茉凜はただの安全装置なんかじゃない。私にとって、彼女はそれ以上の存在なのよ」、と反論したい気持ちがこみ上げるも、その想いを言葉で表現する術が見つからなかった。ただその場の切迫した状況の中で、心の中の痛みと向き合い続けるしかなかった。
呆然とする真凜を前に、明は容赦なく続けた。
「何か言いたいことがあるなら言ってみなよ。もしほんとうにあんたがセーフティだっていうなら、深淵の闇の底だろうが地獄だろうが、彼のことを引っ張ってでも連れていけ。一緒に居るってんなら、それくらいできるだろ?」
その言葉は鋭く、私の心に深く突き刺さった。戦う力を得るためには、彼女に危険を背負わせることが本当に最善なのか。その選択が正しいのか、心の中で迷いが揺れ動いていた。
明は私に向き直り、瞳に込めた強い決意をもって告げた。その言葉には、彼女自身の葛藤と切なる願いが込められていた。
「あたしの知ってる弓鶴くんなら、あんなものに負けたりなんかしない。悔しいけど、あたしにできないことがこいつにはできる……。だから一緒に行って!!」
明の声は力強くも、どこか悲しみを帯びていた。彼女の瞳には、一瞬だけ涙が浮かんでいるのが見えて、私の心をさらに激しく揺さぶった。
「もう迷ってる暇なんてないよ? 生きるか死ぬか、今選ぶんだ!」
明はそう告げると、背を向けて駆け出していった。彼女の姿が遠ざかる中、私はその言葉と彼女の背中に込められた重みを感じながら、自分の決断を迫られていた。
◇ ◇
私たちは取り残されたまま、無言で向き合っていた。どう言葉をかけるべきか、私はその答えを見つけられず、俯いて拳をぎゅっと握りしめていた。
その時、真凜が先に口を開いた。
「弓鶴くん、やろう……」
その一言に、私ははっとして顔を上げた。目の前にいる真凜が、追い詰められた状況にもかかわらず、微笑んでいた。その笑顔には、どこか決意と覚悟が感じられた。
「わたしさ、あなたの前でかっこつけて“相棒”になろうだなんて言ったけど、結局傍にいるだけで、守られてるだけなんだなって思ってた。だから、わたしにできることで弓鶴くんのためになることをしようって必死だったのかも……」
その言葉に、私の心は深く揺さぶられた。あれほど強いと感じていた真凜が、実は心の奥底で悩んでいたことを初めて知った。
「そんなことはない。真凜は強くて、かっこよくて、眩しいくらいで、一緒にいてくれるだけで気持ちが落ち着いて、それだけで十分なんだ」
私は自分の素の気持ちを無意識に曝け出していたが、その言葉に対して真凜は首を横に振った。
「ううん、それだけじゃだめなんだよ。わたし、アキラちゃんにああ言ってもらえてよかった。わたしにもできることがあるんだってわかったから」
その言葉は私の心に深く響いた。真凜が何を求めているのかが、私には一層明確になった。
「だから、わたしにもあなたの苦しみを分けて? 二人ではんぶんこにしようよ」
その声は柔らかく、私を包み込むようだった。真凜の手が私の手に触れ、その温もりが心に染み込んできた。私はただ呆然と立ち尽くしていた。
「まりん……」
感情がこもりすぎてか、私の声は震えていた。彼女の笑顔の裏に隠された苦しみを知ってしまった今、どうしていいのかわからなかった。
「一緒に分け合うだなんて……そんなこと……」と、言葉を続けようとしたが、言葉が喉に詰まってしまった。
真凜は小さく頷いた。
「弓鶴くん、あなたがいるから、わたしは頑張れるんだよ? 私にできることがあるんだったら、全力で支えるのみっ。それがわたしのしたいことなんだ。それと、迷惑かもしれないけど、わたしはあなたとちゃんと友だちになりたいなって、一緒にいたいなって思ってる。あなたはどうかな?」
その言葉に、私はドキッとしながらも心の奥深くで温かさを感じていた。ようやく私は言葉を取り戻し、彼女に感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとう、真凜……。俺も、そう思っている。今まで俺には踏み込む勇気がなかったんだ。すまないが、一緒に来てくれるか?」
「もちろん。うれしいな、弓鶴くん」
真凜の笑顔に私は安堵し、新たな決意を抱いた。そして、私たちは前を見据えた。その前方では、明と曽良木が激しく剣を交えていた。
「やるぞ、真凜……」
「うん、やろう!」
私たちの気持ちが一つになった瞬間、流れる空気が変わったように感じた。心の中で、今までの不安や悩みが少しずつ解けていき、代わりに新たな希望と共に歩む決意が生まれていた。