第31話 デートの後と鳴海沢の過去
文字数 2,775文字
ドアを閉めると、周囲の静けさが一層際立って感じられた。部屋の中に漂う静寂は、私の心の中の混乱と対照的で、ひどく不安定な感情を引き立てていた。ベッドに腰を下ろし、頭を抱えながら深呼吸を試みるも、心の動揺は収まるどころか、ますます激しくなっていく。
茉凜の言葉と、その深い感情が頭の中でぐるぐると回っていた。「どうしても放っておけない」と言っていた彼女の言葉。その裏に潜む感情が、私の心に重くのしかかっていた。彼女が弓鶴に対して抱く「辛いことも悲しいことも半分こにできたらいい」と語った気持ちが、私にとっては無視できない事実だった。彼女が持つその感情が、ただの同情や責任感に留まらず、もっと深いものだということが私にはわかっていたからだ。
部屋の中でうろうろしながら、私は心の中の混乱を整理しようとした。彼女がどんな気持ちで、あんな言葉を口にしたのか、その理由が掴めずにいた。彼女の心の内側に潜む本当の思いが、私にはどうしても理解できなかった。
◇ ◇
翌日、私はどこか打ちひしがれていた。心の整理がつかず、どう向き合えばいいのか分からないままでいた。
真凜がいつも通りに振る舞い、昨日の出来事について話してくれたとき、その平然とした様子に驚きながらも、私は黙って耳を傾けた。
「デート勝負はおあいこだったよ」と彼女は言った。
「わたしの手札も、彼にとっては逆効果だったみたい。けど、さすがに付き合う気にはならなかったな。一応、友達になろうってことにはなったんだけどね」
その言葉に私はただ驚くしかなかった。自分を殺そうとした相手を赦し、友達になるなんて、私には到底理解できなかった。どこかで、彼女が言う「友達」という言葉の意味合いが、まるで別の世界のもののように感じられた。私の中での感情は複雑で、どうにも整理がつかなかった。
「それと、彼はもう女子を取っ替え引っ替えするようなことはしないって約束してくれたよ」と真凜は続けた。
「彼がそうしてた理由は、単純に恋人ごっこがしてみたかったんだって。もう、腹が立って、正直どつきたくなったけどね」
「そうか」と私は静かに言った。
「それにしても、真凜の勇気と行動には恐れ入った。大したものだ」
真凜はその言葉に微笑んでくれたが、その笑顔にはどこか切なさが漂っているように見えた。
「ありがとう」と彼女は言った。
私は彼女の言葉を受け入れつつも、心の整理ができないままでいる自分に対して、どうしようもないもどかしさを感じていた。
◇ ◇
昨日、真凜は彼に多くの質問を投げかけたという。殺すことの意味や、その際の感情についても深く掘り下げたという。その動機が単なる好奇心から来たものではないと私は確信していた。真凜は、彼を通じて深淵の術者という存在を知りたかったのだろう。
彼女が明かした鳴海沢の過去は、私にとって衝撃的だった。それと同時に、私自身の過去とも深く結びついていた。
鳴海沢が力に取り込まれ、冷徹な暗殺者へと変貌していった過程は、私の心に強く響いた。彼の罪と苦悩、失敗から来る自責の念が、私自身の内面にも影響を与えているように感じられた。
それは単なる驚きやショックを超えて、私自身の過去や感情と向き合う必要性を感じさせるものだった。鳴海沢の苦悩や、彼の選択の背景に、自分自身の道や選択が重なって見えるような気がしていた。
◇ ◇
鳴海沢洸人は、力の素養に恵まれたが、その力が彼の純粋な心を次第に蝕んでいった。少年時代の彼の抱いていた純粋な感情は、冷徹な暗殺者へと変貌するにつれて剥がれ落ちていった。
彼が任務に失敗し、逃がした対象の家族全員を皆殺しにした事件は、彼の人生に深い傷を残した。赤子を含むその罪の重さが、彼の心に刻まれていた。以降、彼は「殺せなく」なり、術者としての資格を失ってしまった。
その後、彼は血を残すために家に取り置かれ、ある日使いとして深淵の始まりの地へと赴くことになった。そこで、彼は始まりの回廊の巫女と出会ったという。
その話を聞いた瞬間、彼の少年時代の姿が鮮やかに蘇った。メガネを掛けた、どこかひ弱そうな少年の姿が、今の鳴海沢の顔立ちに残っていることに気づいた。私が彼の内面に抱く闇を感じ取って投げかけた言葉が、実は私自身を励ますためのものだったのかもしれないと思い出した。
「これからのことを考えようよ? あなたはまだ生きている。きっとそれには意味があるはずだから。あなたがそのことを悔やんでいるなら、その悔いを何かに変えていこう。過去の過ちがあったとしても、あなたには未来が残されている。その未来をどう使うかは、あなた自身の選択にかかっている。生きることには価値がある。それは言葉だけじゃない。これからあなたが何を成すかによって、その価値が形作られていくのよ」
私はその時の自分の言葉を思い返していた。その言葉が、鳴海沢にとっての転機となっていた。そして、彼は未来を考えるようになったのだという。
私が解呪に失敗した後、弓鶴の身柄を確保する命を受けたのも、その一環だった。大げさな術を使って真凜を脅したのも演技のようなもので、私に従わせるように命じたが、殺すつもりなど毛頭なかったのだそうだ。
振り返ると、私はもしかすると鳴海沢を誤解していたのかもしれない。彼の行動や言葉の裏に潜む深い苦悩や葛藤を、完全には理解しきれていなかったのかもしれない。
彼が背負う罪の重さは、決して簡単に贖いきれるものではない。けれども、生きている限り、その罪と向き合い続けるしかないのだろう。過去に犯した罪に押しつぶされそうになりながらも、彼はそれを背負い、前に進もうとする決意を固めた。その姿は、私にとっても強い印象を残していた。
そして、そのきっかけが私の言葉だったとは、なんとも皮肉なことだと思う。自分の言葉が他者に影響を与え、彼の未来を変えるきっかけとなったことに、私は複雑な感情を抱いていた。
この出来事を通じて、私自身もその時の気持ちを再び心に刻み直すこととなった。自分の言葉が他者に何かをもたらす可能性があることを知り、その重さを改めて感じていた。未来への希望を持ち続け、その希望を現実にするために自らの行動を変えていくことが、私自身の使命であると再確認したのだった。
彼の語った体験や過去は、私にとって単なる過去の話ではなかった。それは、自分自身と向き合い、未来を形作っていくための大切な教訓となっていた。