第22話 運命の出会い
文字数 4,550文字
高台から見下ろす海沿いの町並みが、まるで私を優しく包み込むように広がっている。その向こうには果てしなく広がる海が、穏やかな青から深い群青へと変わり、左手には白く静かな灯台がそびえていた。夕暮れ時、沈みゆく太陽が空と海を紅と紫で染め上げる様子は、現実のものとは思えないほど美しく、まるで夢の中の魔法にかけられたような錯覚を覚えた。
私はベンチに一人座り、長い髪が海風に揺れるたびに、かつてここにいた自分が懐かしく思い起こされてきた。どうしてここにいるのか、その理由はわからなかった。ただ、夕日に照らされながら、心の奥底に静かな感情がじわりと湧き上がってくるのを感じた。
自然に昔のことが思い出され、無意識に涙が頬を伝った。「ごめんね、ごめんね……」と呟く私の声は、風に乗って消えていくように響いた。自分の声が、まるで私自身の内なる切なさを反映するように感じられた。
その時、背後から誰かが近づいてくる気配を感じた。振り返るべきかどうか決断がつかず、ためらいが胸に広がった。そんな中、耳に届いた声は、まるで温かい手で心を包み込むように触れてきた。その声は、男女の区別がつかない不思議な響きを持ち、胸の奥がほんのりと温かくなった。
恐る恐る振り返ろうとした瞬間、夢は突然途切れ、現実へと引き戻された。その度に、胸の奥に残る余韻が、静かに広がっていった。私の心に残ったその感触は、夢と現実の境界が曖昧になった一瞬の余韻だった。
◇ ◇
その夢が私に何を伝えようとしていたのか、全くわからなかった。夢はただ記憶の断片が再構成されたもので、未来を予見するものではないと理解していた。しかし、心の奥底で、どうしてもその夢に特別な意味が込められているのではないかという期待を抱かずにはいられなかった。
もしかすると、これはデルワーズが言っていた「導き手」を示しているのかもしれない――そんな考えが私の心をよぎった。デルワーズは、異界に移動するための場所と時間の座標を指し示す羅針盤が、この世界に降臨し、誰かの中に存在すると語っていた。そして、その人物を探し出すようにと、私に命じてきたのだった。
しかし、その人物をどうやって見つけ出せばいいのか、何の手がかりもなく、私は途方に暮れるばかりだった。何度も頭の中で考えを巡らせたけれど、答えは見つからなかった。
それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。夢の中で感じたあの温かな感情が、私を突き動かしていた。その感情は、どこかで希望を見つけるようにと私に囁いているようだった。
どこかに手がかりがあるはずだと信じ、私は決意を固めた。少しでも可能性があるなら、どんな小さな手がかりでも見逃さないようにしようと、心に誓ったのだった。
私は虎洞寺氏に夢の話を伝え、その夢に登場した場所を探してもらうことにした。すると、それが私が住む屋敷のある石寄瀬の街に存在する「石御台公園」であることが判明した。
夕暮れ時、その公園を初めて訪れたとき、一目見てこの場所だと確信した。夢で見た景色が、現実に存在しているのだと実感した瞬間、胸の中で静かな感動が広がった。公園のベンチに腰を下ろし、目の前に広がる光景が夢の中のそれと重なることで、私は深い安堵感とともに、少しだけ希望を感じた。
それからというもの、私は連日のように夕暮れ時に石御台公園へ足を運ぶようになった。ベンチに一人静かに座り、あの夢の中で現れた人物が現れるのをひたすら待ち続けた。しかし、どれほど待っても、あの夢に出てきたような雰囲気を持つ人は一向に現れなかった。
それでも、私は諦めたくなかった。この場所が私にとって特別な意味を持つように感じられたからだ。夢の中でのあの感情が、私をここに留め続けていた。天候が悪くない限り、毎日通い続けることを決意した。毎日のように公園に足を運び、その場所が持つ不思議な魅力に引かれ続けた。公園の静けさと夕暮れの光が、私の心に希望と安らぎを与えてくれるように感じられた。
しばらくして、虎洞寺氏から連絡があった。深淵の上層部、上帳で動きがあると報告された。それは、後継者を失った柚羽家の今後の扱いについてのもので、私を失った以上、次の後継者としてこの弓鶴を求めるのは自然な流れだろう。
私は行動に慎重さを求められ、虎洞寺氏も深淵を警戒し、監視と警護を行う部隊、通称【天】を編成して、私を守る手配をしてくれた。このようにして、私は運命の日を迎えた。
◇ ◇
それは年が明けて、三月に入った時のことだった。まだこの辺りには春の訪れが感じられず、海風は冷たく肌に染みるようだった。私はいつものように夕暮れ時に石御台公園にやってきた。海を臨む展望台で、海と沈みゆく夕日を見つめながら、その冷たい風に頬を撫でられていた。
その時、突然、一人の少女が現れた。彼女の登場は、まるで周囲の空気を一変させるような存在感を持っていた。短い明るい色の髪が風に揺れ、その姿はすらっとしていて、ひと目でモデルのように美しいと感じられた。
彼女は静かに景色を見つめながら、涙を浮かべていた。その涙は夕日の光を受けて、まるで宝石のように輝いていた。その光景は、私の心に深い印象を残し、まるで時間が一瞬止まったかのような感覚を覚えた。彼女の涙が放つ光と、沈みゆく夕日が織り成す美しさは、言葉では言い表せないほどの神秘的な雰囲気を醸し出していた。
何か特別な思い出がこの場所にあるのだろうか、それともただこの美しい景色に心を動かされたのか。彼女の涙の理由がわからず、私はますます彼女に興味を抱いた。彼女の涙が何を意味するのか、心の奥にどんな物語が潜んでいるのかを探りたいという衝動に駆られた。
しかし、次の瞬間、彼女は静かに涙をぬぐい、晴れやかな笑顔を浮かべた。その笑顔は、まるで先ほどの涙が嘘だったかのように自然で、心を温かくするものだった。夕日の光を受けて輝くその笑顔は、まるで新たな希望が宿るかのように美しく、私の心に深い印象を残した。
その変わりように私は驚き、彼女から目が離せなくなった。涙と笑顔の対比があまりにも鮮明で、その変化が私を魅了した。彼女の心の中に何があるのか、その笑顔の裏にどんな感情が隠されているのか、知りたくて無意識のうちに彼女を見つめ続けていた。
すると、彼女は私に気が付き、ゆっくりと近づいてきた。私は驚き、どう対応すべきか迷った。いつものように冷たい眼差しで警戒していたのだが、その目を向けると、彼女は一瞬驚いたように見えた。自分でもわかっていた。氷のように冷たい態度と人が近づくと威嚇するように睨んでしまう癖が、彼女に不安を与えたのだろう。
それでも彼女はおそるおそる、しかし確固たる意志を持って私に挨拶をしてきた。彼女の声は柔らかく、心からのものであったが、その温かさとは裏腹に、私は冷淡な言葉で返すしかできなかった。それでも、彼女とのやり取りの中で、彼女の存在が私の心に静かに響くのを感じていた。
彼女は自分が旅行者で、夢で見た場所を探し続けていると告げた。その瞬間、私は衝撃を受けた。夢で見た場所とは、まさにここ、石御台公園のことであると彼女が言うのを聞いて、私の頭は混乱し、どう反応していいかわからなかった。偶然にも、同じ理由でここにいるなんて、信じられない話だった。私は言葉を失い、彼女の言葉の意味を噛み締めながら、ただただ困惑していた。
「夢なんて理由がくだらない。ナンセンスだ」
なぜだろうか、私は恐怖心からそんな言葉を口走ってしまっていた。心の中の焦燥と不安が、無意識のうちに私を突き動かしたのだ。
一瞬の感情に流されて、彼女の夢を完全に否定してしまった。その言葉を口にした瞬間、後悔が込み上げてきた。彼女を傷つけてしまったのではないか、泣き出してしまうのではないかと心配になった。自分がどれほど無神経だったかを悔い、心が痛んだ。
ところが、彼女は私の言葉に激しく反応した。激しい口調で私に対抗してきたのだ。その様子に私は当惑し、言葉が出ずにただ立ち尽くすしかなかった。彼女の失望と怒りが、私の心に深く突き刺さった。
そして、彼女は寂しそうにその場を立ち去り、私の視界から消えた。
翌日も、私はいつものように公園に向かっていた。心の中には彼女への申し訳なさが募り、どうにかして謝りたいという気持ちが強くなっていた。しかし、彼女はもうここにはいないだろうと半ば諦めていた。でも、とせうしても彼女のことが頭から離れず、どんな言葉で謝ればいいのか心配だった。
それでも、驚くことに彼女はそこにいた。展望台のベンチに腰掛け、夕日が海を赤く染める中でひとり、じっと景色を見つめていた。その姿はどこか寂しげにも見えた。彼女の横顔は、柔らかい夕日を浴びて美しかった。
驚かせるつもりはなかったけれど、背後から静かに近づき声をかけると、彼女はびっくりして振り向いた。その瞬間、彼女の目には一瞬の驚きとともに、微妙に不機嫌な表情が浮かんでいた。私の心臓は早鐘のように打ち、彼女の反応に対する不安がさらに募った。
私はぎこちなく会話の糸口を探った。彼女の語る言葉に耳を傾けながら、どうしていいのか分からないまま、心の中で混乱が広がっていた。
そして、彼女は自分が夢の場所を探していた理由を話し始めた。
「わたしが夢の場所を探していたのは、自分の中で一つの区切りをつけるためだったんだ。実は、一年くらい前にちょっとした事故に遭ってしまって、雷が頭に落ちたの……。たまたま運が良くて助かったんだけど、いろいろとね、だめになっちゃったんだ……。それから、続けて変な夢を見るようになってしまって、それがこことよく似た景色だった。そこには一人の女の子がベンチに座っていて、とても悲しそうに泣いていたんだ」
彼女の話を聞いた瞬間、私の身体に電流が走ったような感覚が広がった。彼女が語る夢の内容が、私が感じていた夢の情景と奇妙に一致しているように思えたからだ。
彼女が見た夢の中の少女が、もしかしたら私自身であるのかもしれないという考えが、頭をかすめた。しかし、そんな運命が巧妙に絡み合うことなどあり得ないと、自分に言い聞かせた。
彼女が「導き手」と呼ばれるべき存在である可能性があると考えるには、あまりにも唐突すぎると感じていた。私はただ、彼女の話を信じられず、確かな証拠も得られないまま、言葉を紡ぐことができなかった。
「お前にはここに来るべき確かな理由があったのだと思う」と、どうにかして彼女に伝えるのが精一杯だった。その言葉が、私の心にぽっかりと開いた穴を埋めるように、静かに響いていった。
彼女の真剣な眼差しと、私の心に残る温かい言葉が、後に私にとって大切なものとなることは、この瞬間にはまだ分からなかった。
それが私にとってかけがえのない人となる、