第27話 冷酷王子と町娘と監視役
文字数 2,455文字
お昼になると、私たちは校庭の隅にある大きな木の下で、彼女が作ったお弁当を並んで食べるのが日課となった。
私は無愛想に振る舞おうと努めていたけれど、真凜にはそれがまったく通じなかった。どんなに冷淡な返事をしても、彼女は変わらぬ笑顔で、嬉しそうに私にいろいろな話をしてくれた。
彼女の話題は、日常の些細な出来事や流行りの話、そして好きなものの話といった、いわば他愛のないものだった。そんな話を聞くたびに、私の心は少しずつ温かくなり、彼女の笑顔や優しい声が、まるで柔らかな光となって私を包み込んでいくのを感じた。
「これが普通の子の感覚なんだ」と、私はしみじみと思った。
世間知らずで、人と深く関わることがほとんどなかった私にとって、彼女の存在は新鮮だった。彼女の一言一言が、私の心に小さな波紋を広げていった。彼女といることで、何もかもが少しずつ軽くなっていくような気がしていた。
ある日、私は思い切って彼女に尋ねた。
「どうして、俺なんかのために世話を焼いてくれるんだ? 得することなんて全然ないというのに」
彼女は少し考え込んだ後、にこやかに答えた。
「うーん、なんでだろう? でも、いいじゃない。相棒だし、仲良くしたいって思うのは普通だよ」
その無邪気な答えに、私は言葉を失った。本当に理由なんて考えたことがないようで、彼女の純粋さが私を驚かせた。
「何か理由があるだろう?」
「どうかな? でも、同じお屋敷に住んで、同じ学校に通ってるんだから、仲良くしたいって思うのは当たり前だと思うよ。得とか、そんなの気にしてないし」
「俺はただ仕方なく一緒にいるだけだ。それ以外に理由なんて必要ない」
彼女は首をかしげて、笑顔を崩さずに言った。
「そうかな? でも、相棒なんだから、良好な関係を築くことは大事だと思うよ。信頼関係ってやつ?」
彼女の言葉には、これまで私が感じたことのない説得力があった。彼女の純粋さと優しさが、私の心に直接響いてきた。私はただ黙って、その言葉を受け入れるしかなかった。
◇ ◇
穏やかな日々が続いていた私たちの生活が、突如として変わってしまった。転校生の
彼は私を上帳に連れて行こうとした人物であり、真凜にとっても命の危険をもたらす存在だった。その姿を見た瞬間、私の心は冷たい恐怖に包まれた。こんなところにまで刺客を送り込んでくるとは、思いもよらなかった。ようやく訪れた平穏が、一瞬で崩れ去る予感が私を襲った。
しかし、彼は穏やかな笑みを浮かべながら、こう言った。
「おいおい、僕がここに来たのは監視役としてだよ。君に叛逆の意図が無いのであれば、何もしないと約束しよう」
その言葉に、私の緊張はさらに高まった。
虎洞寺氏が水面下で上帳に掛け合っていたことを、私はほとんど把握していなかった。彼は私の暴走を止めるための安全装置を手に入れたと主張し、真坂明との対峙の映像を提示した。そこで彼は、真凜の存在が解呪への鍵になるかもしれないと語った。
しかし、深淵の異能の力を失うことを恐れる声もあった。力の喪失は深淵の組織体制の崩壊を招くかもしれない。しかし、本当に精霊子を全て集めきるだけの耐性を持つ個体が存在するのか、誰も確信を持っていなかった。放っておけばいずれ死に至るだろうという見解もあった。
だからこそ、虎洞寺氏は私を管理下に置き、慎重に動静を見守ることを提案した。そして、もし私に叛逆の意図があれば、即座に排除すると言い切った。上帳の側から学校に監視役を派遣することが決まったのもそのためだった。
心の中で、虎洞寺氏の粘り強い交渉に感謝しながらも、鳴海沢 洸人がもたらすであろう新たな脅威に対する不安が、私の胸の奥でじわじわと広がっていった。
「というわけで、僕は初めての学校生活を楽しませてもらうことにするよ。あ、そうだ。君たちの深淵の術者としての呼び名が決まった。【
彼はそう言って去っていった。振り向いて真凜を見ると、彼女は恐怖に震えているどころか、予想外にもにこやかな笑顔を浮かべていた。
「黒鶴か……なんかいいね、それって」
彼女の言葉には、どこかのんきな響きがあって、私はこの緊迫した状況でも動じない彼女に、驚きを隠せなかった。彼女の無邪気さと前向きな姿勢が、思わず私の口元を緩ませ、自分でも驚くほど笑いがこみ上げてきた。
「ほんとうにお前というやつは。変なやつだ」
笑いをこらえきれない様子の私に、真凜は不思議そうに首をかしげた。
「なに? なにかおかしい? わたしには弓鶴くんの笑いのツボがよくわからないんだけど?」
その無邪気な仕草が、さらに私の笑いを誘った。彼女の言葉は、今の状況にあまりにも適さないものだったが、その純粋さが私の心を温めていった。
「いや、なんでもない。ただ、こんな時にそんなことが言えるお前はすごいなと……」
私がそう言うと、真凜は驚いた表情を浮かべたが、すぐに私の笑顔に引き寄せられるように、一緒に笑い出した。
「だって、いまさら怖がったって仕方がないじゃない? それにここは学校なんだし、さすがにここで悪いことはしないでしょ? それに、かっこいい名前だったし、悪くないかなって思って」
彼女の言葉に、私の心はさらにほぐれていった。多分、私は真凜に対して少しずつ心を開き始めていたのかもしれない。彼女の笑顔と前向きな言葉に触れることで、私は彼女に対する壁が少しずつ崩れていくのを感じていた。