第14話 ヴィルとの狩り 場裏展開
文字数 4,652文字
普段だったら、一人きりで決められた【湧き場】を巡って魔獣を探すのが習慣だったけれど、今日は二人だ。彼に私の実力を示したかったし、彼の魔獣戦における戦いぶりというものを見てみたかったからだ。
湧き場というのは、魔獣の体内の魔石から漂う薄紫色の霧【魔素】が漂う場所で、これがはっきりと見えるような場所には魔獣がいる確率が高い。彼らには互いに引き寄せられて群れを作る習性があり、それに伴って魔素がどんどん濃く強くなるのだ。
冷たい風が荒れ狂い、広大な大地を吹き抜ける。
ヴィルの愛馬に乗せてもらっている私は、初めての騎乗であぶみに合わせるのもままならず、彼の背中にしがみついているのが精一杯だった。馬のたてがみが風に揺れ、蹄の音が地面に深く響き渡る。
この馬はスレイドといって、ヴィルの大切な相棒で、体が大きくて力強く、太くて逞しい脚を持っていた。黒くてふさふさしたたてがみが特徴で、性格はとてもおとなしくて、初対面の私にも優しく愛嬌を振りまいてくれた。
つぶらな瞳がほんとうに可愛らしくて、心の中で「お金が貯まったら、いつか馬を飼うのもいいな」と思ってしまうほど、その存在は魅力的だった。
ヴィルの広い背中にしがみつきながら、私は景色が流れていくのを横目で見ていた。冷たい風が吹きすさぶ中で、何故か心がふっと温かくなった。
彼の体温が感じられて守られていることに安心感を覚えた。スレイドの力強い足取りが大地を踏みしめ、私たちを前に進めていく。
「ヴィル、もう少しで着くんじゃない?」
私は彼の背中に向かって問いかけた。ヴィルは振り返らずに頷いた。
「ああ、お前がくれた地図通りだと、あともう少しで着く」
しばらくして予定していた湧き場に到着すると、私はこわごわとスレイドから降りて、周囲を慎重に見渡した。ヴィルも降りて、私の隣に立って冷静な目で辺りを見回してから尋ねた。
「何か気配を感じるか?」
私は目を閉じて、意識を集中させて周囲の魔素を感じ取ろうとした。暗いイメージの中で薄紫色の霧の中に、微かな動きを感じ取ることができた。
「うん、感じる」
ヴィルは満足そうに頷いた。
「魔獣から滲み出る魔力を探知するのは、魔術適性(※1)の高い魔術師の得意分野だからな。頼むぞ」
吹きすさぶ風と砂埃が吹き付ける中、頭の中で次第にぼんやりとしたイメージが固まっていくのがわかる。
「いる」
目を開けると、視界の遠くに渦巻く黒紫の霧が見えた。それはまるで蜃気楼のように揺らめいていた。私は白きマウザーグレイルに手を伸ばし、握りに触れた。
「やるよ、茉凜」
おう、ヴィルをびっくりさせちゃえ!
伝わってくる調子の良い茉凜のおどけた言葉に、私はくすっと笑った。これから始まる魔獣との戦いに、心はわくわくしていた。
「あれだな。いくぞ」
「うん」
ヴィルはスレイドに軽快に飛び乗り、私に手を差し伸べた。私がその大きな手をしっかりと掴むと、彼はぐいっと力強く私を馬上に引っ張り上げてくれた。その力には驚くばかりだった。
「おりゃあっ!!」
ヴィルはスレイドに気合を入れて、手綱を引いた。
馬の速度が増し、私たちは目標に向かって疾走した。風が顔を叩きつける中、私はヴィルの背中にしがみつきながら、心の中でこれからの戦いに胸が高鳴っていた。
「気を抜くなよ、ミツル」
「あたりまえよ!」
おう!
その時、遠くの霧の中から幾つもの影が現れた。
それは間違いなく魔獣の姿。こちらに気づくと、暗い霧の中から次々に姿を現し、獰猛な咆哮を上げながら一斉にこちらに迫ってきた。
彼らの気配が徐々に強くなり、戦闘の緊張感が高まっていくのがわかった。私はマウザーグレイルをしっかりと握り、戦闘の準備を整えた。
「行くよ、ヴィル!」
私たちはスレイドから飛び降り、魔獣の群れを見据えた。その数は確認できるだけで六体。タイプはここら辺りでは一般的なダイアーウルフだと分かった。
しかし、その奥から現れた一際大きな影は、それらとは一線を画する巨体を持ち、ゆっくりと身体を揺らしていた。二本の角と大きく尖った牙を持ち、鋭い眼光を放つ赤い瞳、長い黒紫の毛並みが風に揺れ、その姿は、猛烈な威圧感を放っていた。
「あれは……!?」
私が警戒の声を上げると、ヴィルがすぐさま答えた。
「あれはシャドウファングだ。ダイアーウルフのユニークタイプって奴だな。大きいだけじゃない。魔素を操り、霧に紛れて攻撃してくる、なかなか賢い奴だ」
「わかった。気を抜かないようにする」
シャドウファングは巨大な体躯を揺らしながら近づいてきた。
そして、まるで指図をするかのように首をふるって咆哮を上げた。すると、周囲のダイアーウルフが疾風のように駆け出して私たちに迫ってきた。
「ヴィル、雑魚は任せるわ。私はあいつをやる!」
「いいだろう。ミツル、お前が持っている力、存分に振るってみせろ!」
ヴィルは力強く頷き、前へと進み出た。そして、次々と襲いくるダイアーウルフを、その豪快な剣さばきで軽々と弾き飛ばしていく。その戦いぶりは、まさに鉄壁の守りといえた。私はいつも一人で戦っていたから、頼れる前衛がいることの心強さが、これほど有り難いものとは思わなかった。
その間に、私はマウザーグレイルを構えて精神を集中させた。
ここからは私の独壇場。剣で戦うにはまだまだだけけれど、魔術であれば絶対の自信がある。今持てる力を惜しみなく引き出す時だ。
「黒鶴っ!
場裏展開!!
気合を込めた私たち二人の声がぴったりと重なったその瞬間、周囲に力の源のようなものが集い、私という器にどっと注がれてくるのをイメージとして感じる。同時に心が高揚し、まるで身体の隅々まで熱い血が流れ込んでいくように、一瞬のうちに力が満ちていく。
次いで、私の背後で黒く大きな翼が音もなく広がった。茉凜が言うには物質としての特性はなくて、触ろうとしても素通りしてしまうのだそうだ。
そして、周りに急速展開されていくバレーボール大くらいの大きさの領域が、私の周囲に無数に展開され、互いに連携し合いながら精緻なパターンを描いていく。それは白い膜に包まれ、陽光を反射して幻想的な光を放っていた。
これが私の持つ異能、【
事象を操作するための限定された領域で、この中でのみ私の思い描いた現象が具現化される。そして、場裏は私の意思に従って自在に位置を変える事が出来る。
一般的なこの世界の魔術は魔石を
けれど、私の能力は根本からして違う。動力源になるのはこの世界に認識できない形で漂っている精霊の残滓、精霊子(※2)。私はそれを脳内にある受容器官で集め、蓄積することで場裏に変換する。
私のイメージは、ただの願いに過ぎない。精神の中で描かれるビジョン、私の心の投影に過ぎない。しかし、この技術の真の強みは、そのイメージを瞬時に現実へと具現化できる点にある。成果を頭の中で鮮明に描き、ただ集中するだけで、無詠唱、無遅延の魔術が発動する。
その現象は、集積された精霊子が一時的に生み出す疑似精霊体との交感、そしてイメージの共有によって成り立っている。私の内なる願いを精霊たちが感じ取り、それを具現化することで、私の思考が現実となる。精霊たちとの交感は、目に見えない力を私に与え、限られた時間の中で私の願いを形にするのだ。
場裏で扱える術は五つの色の流儀に分類される。それぞれが異なる要素を操り、『白』は大気に関連し、『赤』は熱操作、『青』は水操作、『黄』は地質操作といった具合だ。私はその中に当てはまらない、番外の『黒』という禁忌の流儀を持っていた。
それはすべての流儀を兼ね備え、組み合わせる能力。
例えば私なら、青の水操作で作った水を、赤の熱操作で急速冷却させて凍結させ、白の大気操作で打ち出すといったことも可能になる。この世界での氷魔術は二つの属性を用いるから、かなり特殊な部類だし、それを打ち出せるような人はまずいない。
そして、私は規格外の精霊子に対する感受性を持ち、その底無しの容量で全ての精霊子を呑み尽くす怪物と恐れられていた。それだけにとどまらず、私は敵対する術者からも蓄積された精霊子と流儀を奪い取ることが出来、すべての流儀を兼ね備えるに至り、それらを同時に並列起動させて、複合的に行使する力を獲得した。
もちろん、無敵にも見える力には代償が伴う。精霊子の過剰な集中と蓄積は、脳に対して多大な負担をかける。それは大脳辺縁系に強い影響を与え、感情が激しく揺れ動く。その結果、負の感情が私を蝕み、忘れ去りたい忌まわしい記憶までもが蘇ってしまう。
強い力を使えば使えほど、それに伴う負荷が大きいほど、精神崩壊による暴走と自滅のリスクも高まる。まさに呪いにも等しい、扱い方を誤れば命を落とすかもしれない危険を伴う術なのだ。
私は常に暴走の危険と隣合わせで、いつ死んでも不思議ではなかった。そして、深淵の血族の上層部【
私は、精霊子の根源である、『とある存在との約定』に従って、この危険極まりない黒の力をより強く成長させていく必要があった。でも、こんな不安定な力をどう制御すればいいというのか。一度使えば、待っているのは暴走と自滅しかないのだから。
絶望の淵にあったそんな私の前に、突然現れたのが茉凜だった。彼女は私の
けれど、私はすぐにその事実を受け入れられなかった。何も知らない普通の子を、そんな過酷な運命に巻き込みたくはなかったから。
それから、私と彼女は相棒としての関係になり、同じお屋敷で一緒に生活し、一緒に学校に通い、常に行動を共にするようになった。
彼女は私にとっての精神的な支えとなり、身体的接触と心を通わせる呼びかけが、何度も私の暴走を防いでくれた。彼女の差し伸べる手が、私を救けたいという純粋な気持ちが、私を力の狂気から救ってくれたのだ。そして、今は……彼女は剣の中から私のことを護ってくれている。
「いつもありがとう、茉凜」
心の中で彼女に感謝の気持ちを伝えると、茉凜はいつものように明るく返事をした。
どういたしまして。さあ、やろう、美鶴!
私はその言葉に励まされ、心を落ち着けて、前方に立ち向かう準備を整えた。この瞬間、私の心は高揚し、戦いの興奮とともに力がみなぎっていくのを感じていた。
※1魔術適性 魔石から魔力を感じ取り引き出せる適性。この世界の人間であれば、強弱はあれど誰もが持っている。適性が高ければ、より強く効率よく魔力を引き出せる。ただし、術として行使できるのは通常一属性か二属性。発明された属性転換術式によって、一般魔道具レベルであれば誰でも属性縛り無しに使うことができるようになった。
※2精霊子 この世界における純粋精霊はすでに姿を消しており、それが分解した残滓である精霊子が漂っている。伝承ではそれを集める器が存在するといわれている。ミツルはそれに類似した能力を持っていることになる。