第46話 恋なんて絶対にしない
文字数 6,862文字
私の声は震えていた。話し始めた途端、茉凜の目に浮かぶ光が微かに揺れたのを見逃すことはなかった。彼女はじっと私を見つめ、その視線に触れるたびに、私の胸に痛みが走った。それは、私が告げる残酷に真実が、彼女にどれだけの重荷を与えているかの証だった。
◇ ◇
私は茉凜に、自分の目的と深淵の血族の成り立ち、その元凶となった力の根源デルワーズの存在を明かした。
私は過去の傷を引き裂くような痛みを伴いながらも、冷静に語ろうと必死だった。
茉凜はじっと俯いたまま、私の言葉を静かに受け止めていた。彼女の視線はじっと私に向けられたままで、肩がわずかに震えているのが見えた。その姿は、突き付けられた真実に対して成すがままに圧倒されていて、私の胸を締めつけた。
「私の両親は血族全体を呪いから救うために解呪を願い、極秘裏にその準備を進めていた。だが、現在の上帳の支配体制は、解呪を望む勢力と、力に固執し失いたくないとする勢力に二分されている。後者にとって、解呪は権力と影響力の喪失に直結する。だから両親を抹殺した……」
私の声は、力を込めようとするたびに震え、痛みを伴っていた。茉凜の目に浮かぶ涙が、私の胸を締めつけ、心を引き裂くような感覚を引き起こす。
「それで、ご両親が……」
茉凜の声は震えていて、心にさらなる重荷を加える。私は短く頷くだけで、言葉を返すことができなかった。その沈黙が、私たちの間に深い溝を作り、言葉では表せない痛みと理解が交錯した。
「そんな、ひどい……」
茉凜の声が震える中、彼女の涙が頬を伝っていく様子を見ながら、私は自分がいかに彼女を傷つけているのかを痛感した。心臓が潰されるような感覚した。それでも、私は続けるしかなかった。
「それから俺は姉と共に叔父上に助けられ、すべてを知った。両親が何を願い、何故殺されなければならなかったのかをな……」
言葉を続けるたびに、声が詰まりそうになった。弓鶴との別れの記憶が、脳裏に鮮明に浮かび上がっていた。
「“姉”は、その遺志を継ぐことを決意した。あえて自からを差し出して柚羽家の後継者となり、始まりの回廊で言霊を伝える巫女になった。禁忌対象で処分される運命が待っているだろう、この俺を守るためにな……」
私は弓鶴を守りたかった。そのためにすべてを捨てる覚悟だった。その時のことを思い出しながら、言葉が自然と口からこぼれ落ちていたのだ。
茉凜の涙が頬を伝うのを見て、私の心は言葉では表せないほどの痛みと後悔で満ちていた。
「でも、その姉も突然失踪した……。解呪に失敗したのか、解呪反対派の強硬勢力に察知されて処分されたのか、それは定かではないが……」
沈黙が再び二人の間に広がり、その間に流れる感情の深さを感じる。茉凜の目に映る涙の一粒一粒が、私の胸を締めつけ、その痛みがどこまでも深く広がった。
私の胸の中に渦巻く不安がますます膨れ上がっていった。
結局のところ、私は真実を改ざんし、彼女に嘘をついている。その罪悪感が、私の心臓を締め付け、私の身体を支配し、思考を鈍らせる。
それは彼女を守るための嘘。でも、そんな言い訳はただの方便に過ぎない。実際には、それは私自身を守ろうとする卑怯な手段であり、茉凜の優しさに依存していたいという私の傲慢さと狡さの表れに過ぎない。私の心の奥底には、彼女の純粋な愛情と信頼を裏切っているという現実が、重くのしかかっていた。
彼女に対して本当の自分を見せることはできない。私が何を言おうとも、何をしようとも、彼女に対して嘘をつき続ける限り、その信頼は裏切りに変わってしまう。私の心がどれほど切なく、どれほど痛んでいても、その現実から逃れる術はない。私が彼女に与えるべきだったのは、真実であり、誠実さであったはずなのに。
黙り込むしかなかった私に茉凜が、優しく語りかけた。
「弓鶴くんは、そんなにも辛い思いをしてきたんだね……」
彼女の声は柔らかく、まるで壊れものを扱うかのように優しい。私の痛みを感じ取り、私の悲しみを分かち合おうとしてくれている。彼女のその優しさが、私の心に刺さり、深い痛みとなって迫ってくる。
その痛みを感じながらも、私は前に進まなければならない。それだけは絶対に曲げられないのだと、自分に言い聞かせる。しかし、その決意が、彼女の言葉と優しさによって揺らいでしまいそうになる。
「だから、俺はなんとしても、この力で解呪を達成させなければならない。それが残された者の義務なんだ」
「弓鶴くん……無理をしたらだめだよ。思い詰め過ぎたら、いいことなんてない」
彼女の声は震えていた。その震えが、私の心に深く届き、彼女の心配が私の中に響く。しかし、私にはその願いを受け入れる余裕がなかった。
「大丈夫だ。俺はやらなきゃいけない。これだけは絶対に譲れないんだ……」
私はそう言いながらも、彼女の顔を見ることができなかった。見てしまえば、きっと心が揺らいでしまうから。彼女の優しさに触れれば、決意が揺らいでしまうから。彼女のために、強くあろうとする自分と、それでも彼女の優しさに甘えたい自分が、心の中でせめぎ合っていた。
茉凜は黙ったまま、私の手を握りしめた。その手の温もりが、私の心に温かい感情をもたらし、しかしそれと同時に、私の決意を試すような力が込められていた。
茉凜の視線に秘められた思いが、私の心を深く揺さぶり、静かに流れる時間の中で、私たちの間に流れる感情の深さを感じさせた。
それでも、私は自分の使命を忘れることはできなかった。そして、もう一度強い意志を持って前を向いた。
「これは俺にしか出来ないことだ。俺がやらなければ、みんなは救われない……」
そう呟いた私の言葉は、風のように茉凜の耳をかすめた。彼女の瞳に浮かぶ涙が、私の胸を締めつけていた。
それでも私は前に進むしかなかった。それが、私が選んだ道であり、彼女を守るための唯一の方法だと思っていたから。
「そうしなければ、血族の悲劇の連鎖は断ち切れない。あの鳴海沢洸人も、真坂明も、みんな力に生き方を捻じ曲げられてしまった犠牲者なんだ」
彼らは、それぞれの事情で力と呪いに捕らわれ、犠牲になった。それと同じ運命を弟には辿らせたくない──その思いが、私の行動の原動力だった。
「俺が憎むべきは上帳ではない。この呪いにも等しい力そのものだ。こんなものは、この世から消し去らねばならない」
そう言いながらも、私は耐えがたい罪悪感を覚えていた。彼女のそっと触れた手が、私の腕を優しく包み込む感触が、心に重くのしかかっていた。
「もし、呪いが解けたなら、弓鶴くんも自由になれるんだよね?」
茉凜の声には、これまでとは違う明確な期待が込められていた。その期待が私の心を揺さぶり、応えたいという強い欲望と、恐怖が交錯していた。自由という概念があまりにも美しすぎて、私には手が届かない遠い夢のようだったのだ。
解呪が成し遂げられ、弟を取り戻せたとしても、私にはもう一つの運命が待っている。弟を救うために、私自身がこの世界から消えるしかない。それは最初からわかっていたことだった。自分の存在がこの世界から消えるという現実を、茉凜には絶対に話せなかった。彼女の純粋な希望を壊すわけにはいかないからだ。それに、知らなくてもいいことだし、これは私だけの問題でしかないのだから。
私が消え、弓鶴として戻れば、茉凜との大切な思い出は消え去る。医学的には単なる記憶喪失として片付けられるだろう。その一抹の卑怯さが私の胸を締めつける。でも、正体を知られるよりは、その方がずっとましだと思う。
茉凜なら、記憶のない弓鶴を前にしても、大丈夫なはず。その先で二人の関係がどうなるかはわからないけれど、彼女なら安心して弓鶴のことを託せる。そう信じていた。
「ああ、自由になれるかもしれない」
できるだけ穏やかに、そして優しくその言葉を返す。心の奥深くで私がどれほどの覚悟を決めているかを、茉凜には伝えたくなかった。彼女の前で強くあり続けようと決意していたからだ。
茉凜の目に映る私が、希望を持ち続けられるように、彼女の期待に応えられるように、私はその決意を守り続けるつもりだった。彼女の心が私に寄り添い、私の痛みを分かち合ってくれるその瞬間を、大切にしながら、私の覚悟を貫こうと心に誓っていた。
「弓鶴くん……」
茉凜の声は、私の心に柔らかく触れた。その声が耳に届いた瞬間、全てを忘れ、ただ彼女の温もりに包まれたいという衝動が一瞬だけ湧き上がる。しかし、それは許されない。私が抱える宿命を、彼女に押し付けるわけにはいかないから。
「茉凜。お前が信じてくれるなら、俺もそのために全力を尽くせる。リスクがあろうとも、俺たちの絆があれば、きっと乗り越えていけるはずだ」
ぎこちなく微笑みながらも、心の奥底で決意を新たにした。ただただ切なさに打ちひしがれながらも、彼女のために強くあろうとする自分を誇りに思い、また一歩、前へ進もうとしていた。
茉凜は小さく頷き、その頬に温かい微笑みを浮かべた。
「うん、今は辛いかもしれないけど、呪いが解けて自由になったら、きっと楽しいことがいっぱい待ってるよ。その時は、一緒にいろんな場所に行こう。たくさん遊んで、美味しいものをたくさん食べよう!」
彼女の言葉には、茉凜らしい無邪気さと純粋さが込められていた。その未来を描く彼女の目は、まるで太陽のように輝いていたその光に照らされながら、彼女が夢見る未来がどこまでも明るく、希望に満ちているのを感じていた。
「お前ってやつは、本当に欲望に忠実だな……」
軽く息をつきながらも、茉凜の言葉に心からの感謝の気持ちを抱いていた。彼女が描く未来が、たとえ私には届かないものであっても、彼女の幸せに満ちた笑顔を思い浮かべるだけで、私の胸は少しだけ軽くなるのだ。
しかし、それと同時に、自分が彼女に背負わせる重荷の大きさを深く感じる。私の選んだ道が、彼女の未来に暗い影を落とす可能性があることを考えると、心が締め付けられる。
解呪の場所で、私が何も言わず消えてしまうのを目にする時、彼女がどれほど傷つくかを思うと、切なさが胸に広がり、まるで鋭い刃物で切り刻まれるような痛みが襲う。
「こんな俺のわがままに巻き込んでしまって、本当に申し訳ない」
その言葉が私の口から漏れると、心の奥底で深い痛みが広がった。自分の選んだ道が、彼女の幸せを壊してしまうかもしれない。その恐れと不安が、心に刻まれた傷をさらに深めていき、私はただ切なさに打ちひしがれていた。
けれど、茉凜の反応は、私の心の痛みを優しく包み込むようなものであった。彼女は驚きに目を見開き、深呼吸をしながら、静かに、しかし確固たる決意を込めて言った。
「気にしないで。わたしは、あなたが抱えている痛みや苦しみを、少しでも分けてもらいたいの。だって、私たちはふたつでひとつの翼なんだから。それが、わたしのしたいことで……ちょっとしたわがままかな。うふへへ……」
その言葉とともに放たれた彼女の小さな笑い声は、私にとってあまりにも優しく、切なさが一層深まった。彼女が示すその笑顔には、私がどれほど苦しんでいても、共にその痛みを分かち合いたいという真摯な思いが込められていた。
彼女が選んだこの道は、単なる思いつきや衝動ではなく、私との深い絆から生まれたものであることが痛いほどに伝わってきた。そのシンプルで純粋な理由が、私の心に深く刻まれ、彼女と共に歩む道がどれほど意味のあるものであるかを再認識させられた。
「ありがとう、茉凜」
私は彼女の瞳の中に映る自分の姿を見つめながら、私の胸には、彼女に対する深い感謝の気持ちと、共に進む道の険しさへの覚悟が交錯していた。
「わたしたちなら、きっとできるよ」
茉凜のその言葉が、私の心に力強く響いた。彼女の言葉と、その瞳に映る期待が、私にとっての支えとなり、全力で自分の役割を果たす決意を新たにさせた。
「自由か。それは私が決して手に入れることのできないものかもしれないけれど、彼女に残す唯一の贈り物になるのかもしれない」
心の中でそう思いながら、茉凜が涙を優しく拭ってくれるその手のひらを感じると、彼女の笑顔がまるで暗闇に輝く一筋の光のように、私の心に温かさをもたらした。彼女の優しさち微笑みがどれほど私にとって大切なものであるかを再確認させた。
「輝ける未来を信じて、頑張ろう」
茉凜の、ちょっと恥ずかしくなるようなその明るい言葉に、私は心から感謝の気持ちを込めた微笑みを返した。
彼女の存在が、どれほど私にとって大切で、支えとなっているかを深く感じながら、私は全てを捧げる覚悟を新たにした。
この先に待っているだろう終着点で、彼女が感じるであろう失望や悲しみが、私にはどうしようもないものであると知りつつも、彼女の幸せを願う気持ちが、私の中でますます強くなる。茉凜がどんなに辛い思いをすることになっても、その笑顔を守りたい、そして彼女にとっての輝ける未来を信じて、私自身の苦しみを超えて進む覚悟を決めるのだった。
「ありがとう、茉凜」
私が茉凜に感謝の言葉を述べると、その言葉が心の奥深くに響いた。彼女が涙を拭いながら微笑む姿は、私にとっての光であり、同時に私が背負うべき重荷の象徴でもあった。彼女の笑顔には、私がこの道を進む上での支えとなる希望と共に、私が抱える痛みと苦しみも含まれていた。だから、私はこれ以上の苦しみから逃れたくて、誓いを立てた。
「だから、私は恋なんてしない……。彼女を好きになるなんてこは絶対にしない。それだけは心に刻んでおく。そして、私は黙ったまま彼女を裏切って、惨めに消えていく。憎まれっていい。私のことなんて、すぐに忘れてほしいから。私の存在が彼女の未来に影を落とさないように、そっとこの世界からいなくなりたい」
この決意を心の奥底で呟くたびに、私の胸は苦しさでいっぱいになった。その辛さと痛みは、彼女のために何をしても決して和らぐことはない。彼女の幸せを願う気持ちと、自分が背負うべき重荷の現実との間で揺れ動く自分を感じながら、私はただ打ちひしがれていた。
「茉凜、本当にありがとう」
その一言に込めた感謝の気持ちは、涙と共に溢れ出ていた。彼女が私にくれた希望と温かさは、言葉では表しきれないほど深かった。
茉凜が私の手を優しく握り返し、その瞳に揺るがぬ決意と優しさを映し出しているのを見つめると、私の心は切なさでいっぱいになる。
「わたしも覚悟を決めたからね。こうなったら、もう一蓮托生さ」
彼女の勇猛なその言葉は、単なる激励ではなく、彼女の覚悟がどれほど深いものであるかを示すもので、私の胸を圧倒的な感動で満たした。そして、同時に深い切なさも込められていた。
「茉凜……」
その名前が私の口から漏れると、私の声は震え、言葉が途切れてしまった。感情があふれ出し、思考が混乱して言葉が詰まる。
彼女の姿が目の前に浮かび、心の奥深くに響き渡る。茉凜の強さと優しさは、私の心の中で一層鮮明に輝き、感謝と切なさが交錯する。
「どんなに辛くたって、どんなに厳しくたって、いっしょなら、きっと大丈夫だよ」
彼女のその言葉が、私にとって最高の慰めであり、勇気づけられるものであると同時に、私の心に痛みをもたらす。
「お前がいてくれるから、俺は前に進むことができるんだ」
その言葉を最後に、私たちは微笑み合った。心の奥底で抱えていた痛みや苦しみが、ほんの少しだけ和らぐ瞬間だった。
茉凜の涙を拭い、再びその明るい笑顔を見せてくれるその姿が、私の心に温かさと切なさをもたらす。彼女の笑顔は、私にとって唯一の光であり、同時に私が背負うべき重荷の象徴でもあった。
「これからも、ずっといっしょだよ」
茉凜の言葉が、私の胸に深く響く。その一言には、彼女が私と共に歩む未来への願いと希望が込められいて、どうしても痛みは避けられなかった。
茉凜の目に映る私の姿は、彼女が想い描く明るい未来の一部であり、同時にその未来には私が存在しないことを私自身が知っている。彼女の言葉には、彼女の期待と願いが詰まっていて、その期待に応えることができない自分に対する切なさと悔しさが、私の心を圧迫する。
小さく頷きながら、その言葉に込められた深い意味を感じ取るたびに、心の奥底で切なさが募る。茉凜が抱く願いと期待が、私の心を震わせ、同時に私が背負うべき宿命を思い起こさせる。
私の決意は、新たに固められる。しかし、その決意がどれほど辛いものであるかを思うと、胸の奥で悲しみが渦巻く。茉凜の期待と願いが、私の心に深い痛みをもたらし、私がその期待に応えられないことへの切なさが、胸に広がっていくばかりだった。