第8話 ヴィルとの対決
文字数 6,067文字
エレダンの魔獣ハンターギルドは、冒険者ギルドのように多種多様な依頼を受けるのではなく、魔獣の体内から採取される魔石を手に入れることに特化している。この魔石は高い有用性を持ち、サイズや純度の高いものは含有する魔力量の高さから高値で売れる。ギルドはハンターたちから魔石を買い上げ、その収益で運営されている。
ハンターの活動は基本的に自由だ。ソロで活動するもよし、パーティーを組むもよし。私はいつもソロだ。人付き合いは苦手だし、自分の力をあまり人に見せたくないという理由もある。
ギルドのマップには、毎日更新される魔獣の出没情報が掲載されている。このマップはギルドハウス内に掲示されており、全てのハンターが自由に閲覧できる。
狩り場の選択も自由で、ハンターたちはマップと出現した魔獣のタイプを見て、自分の力量に合った狩り場を選ぶ。難易度もマップ上で判別でき、各々が自己裁量と自己責任で行動する。
また、ギルド内にハンターの階級は存在せず、評価基準は稼ぎが全て。成果を上げた者が報酬を得るというシンプルな仕組みだ。
「さてと……」
私はギルドハウス内を見回した。ヴィルとの約束の時間までまだ少しあったけれど、彼は必ず来るという確信があった。
受付カウンターに向かおうとすると、何人かの同業者とすれ違う。その中の一人が私に声を掛けてきた。それは馴染みのある顔だった。
「よお、ミツル。調子はどうだい?」
「まあまあ、といったところね。マティウス、あなた怪我はもういいの?」
右腕に痛々しい包帯を巻いた中肉中背の彼は、ハンターたちの中では一風変わったスキルの持ち主で、専門は
「こんなのはかすり傷さ。ところで酒場で耳にしたんだが、なんでも果たし合いをするとか?」
私は激しく疑問に感じて、マティウスをじっと睨んだ。
「なによ、その物騒な話。どうしてそんな変な噂になってるの?私がこれからするのは、単なる手合わせよ。練習試合みたいなもの」
「そうか? けど昨夜からみんなで賭けになってるみたいだぜ。黒髪のグロンダイル対素性の知れない謎の剣士ってな」
私は悪態をつきたくなった。
「呆れた……。私を賭けの対象にするなんて、なんて暇人なの?」
その言葉とともに、他の連中もやってきて、私を取り囲んだ。
髭をたくわえた巨漢の斧使い、ボッツーリが笑いながら言った。
「よお、もちろん俺はお前に賭けたぞ。なにせ向かうところ敵なしの黒髪のグロンダイルだからな」
彼の笑顔には期待がこもっていたが、私の内心はその逆だった。
少しキザに決めた長身の槍使い、マークは「ふふん」と格好をつけて言った。
「そうさ、君は最強なんだ。負けるはずがないよ」
その「最強」という言葉が、私の耳に重く響いた。強いといっても私が相手にしてきたのは魔獣で、それも雑魚ばかりだ。それに対人経験はまるで無いと言っていい。ましてや、これから待ち受けている相手というのは……。
ヴィルから放たれた独特の雰囲気。そして、父さまの友人であったという過去。それらを考えれば、父さまと同格の力量の持ち主であろうことは、容易に想像がつく。そして、私は彼に剣で立ち向かわなければならない。
内心の不安と期待が交錯する中、私はその言葉を聞き流そうとした。プレッシャーが私を包み込むが、それでも前に進むしかない。
「そう簡単に済むような相手じゃないだろうけどね……」
そう呟くと、私は受付カウンターに座るギルドマスターのベルデンさんに話しかけた。
「こんにちは」
細身で清潔な身なりの彼は、この荒くれ者ばかりのハンターたちの中にあって、唯一の常識人ともいえた。
「こんにちは、グロンダイルさん。昨日はご苦労さまでした。カイルくんたちから聞きましたよ。よく彼らを救けてくれましたね」
「それは、まあ……。たまたま通りがかっただけだし」
少し顔を赤らめながら、私はそう答えた。そして、要件を伝えるために話題を切り替えた。
「マスター、これから修練場の方を使わせてもらいたいんだけど、いいかしら?」
「今はみんな狩りに出払っていますし、どうぞご自由にお使いください」
「ありがとう」
そう言って奥に向かおうとした私に、ベルデンさんが一言、冷静に告げた。
「ご存知かとは思いますが、損害が生じた場合は実費での現状回復が求められますので、お忘れなきように」
さすが勘定にはシビアだ。私がこれかをしようとしている事も耳にしているのだろう。
「わかったわ。ちょっと危険かもしれないから、誰も立ち入らないようにして」
「わかりました。ではご武運を」
◇ ◇
奥へと進み、修練場の扉を開けた瞬間、私はびっくりした。
そこにはすでにヴィルの姿があったのだ。彼は腕組みして、無言で私を待っていた。まさか先に来ているとは思いもしなかった。
「よう、来たか」
彼の鋭い視線が私を捉えた瞬間、その威圧感に圧倒されそうになった。それでも私は一歩前に出て、毅然とした態度で彼に向き合った。
「ええ、約束どおりにね」
私の答えに、ヴィルは満足そうに微笑んだ。そして、彼は距離を置いて向き合うとゆっくりと剣を抜いた。余計な言葉などいらない。そういう意味なのだろう。
私もまた、彼と同じように剣を鞘から抜いた。刃のない刀身が差し込む日の光を反射して煌めき、修練場の空気が一層引き締まった。
私は彼の剣をじっと観察した。その剣は、彼の大柄な体格に比べて不釣り合いなほど短かった。体格とリーチの利を生かす戦い方をするのがセオリーと思っていた私は、完全に予想を外されてしまった。きっと何か深い理由があるに違いないと直感した。
ヴィルは己の剣を確かめながら私に言った。
「始める前に、ルールを決めよう」
「ルール?」
「こうしよう。俺の打ち込みに二回耐えられたら、それでも立っていられたなら、お前の勝ちだ。あと魔術は自由に使っていい。ただし、ここをぶっ壊さない程度にしとけ」
彼の申し出に、私は少し戸惑っていた。
手練れの相手に剣を当てることなど、私には困難だとわかっている。でもたった二回の鍔迫り合いでいいのだろうか。それで何がわかるというのだろう。だけど、決めた以上は素直に受け入れるしかない。
私は頷いた。
「それでいいわ」
「では、いくぞ……」
ヴィルの低く静かな声が修練場全体に響き渡り、その瞬間、私たちは互いに臨戦態勢に入った。張り詰めた緊張感が空気を支配し、私の心もそれに応じて高まっていく。
そんな時、茉凜の声が私の心の奥底に静かに降りてきて、その柔らかな響きが全身を包み込んだ。
美鶴、私の力を、あなたに貸すわ
その言葉は、私の心に確かな安堵をもたらした。彼女の力――それがどれほどの助けになるのか、私にはもう分かっている。彼女はいつも、私にとっての光なのだから。
「うん、力を貸して。あなたの『導き手』の力、マザーグレイルの予知の視界を使ってみる」
一瞬の沈黙があり、茉凜はためらうように、小さな声で応えた。
でもね……予知視は絶対じゃないの。全てが見通せるわけじゃない、だからそれだけは……覚えていて
「もちろん、わかってるよ」
茉凜の未来視は、単なる異能ではない。それは彼女が私に示してくれる、道しるべ――無数の並行する世界の中から、最も現実に近い未来の断片を見せてくれる光。それでも、決して確定されたものではなく、予測に過ぎないのだ。彼女が見る未来は、揺らぎ、かすかに異なることもあるけれど、それでもその力には計り知れない価値がある。
前世の彼女は、この力を任意に制御することができなかった。しかし今は違う。今の茉凜は、まるで剣の中に宿る静かな管理者のように、未来の糸を織り上げ、運命を静かに見守っている。
だが、その力には大きなリスクがある。予知視を使うたびに、彼女の現実の視界は並行世界を覗き見る視界に切り替わる。背景は暗闇に包まれ、ただ見るべきものだけが白くかすんだ像として浮かび上がる。そして、その視界に従って行動しようとすると、認識と現実の動作とでずれが生じしまうのだ。わずかなタイムラグが生まれ、思ったよりも身体が遅れて反応してしまう。
それでも、私はためらわなかった。茉凜に対する信頼が、私の中には揺るぎなく存在していたからだ。
「ありがとう、茉凜。あなたを信じて、全力でやってみる」
私は茉凜の力に、何度も救われてきた。そのことを思えば、これ以上の支えはない。彼女が導いてくれるからこそ、私はここまで歩んでこれたのだ。
茉凜はいつも、不確実な未来の中から、私に進むべき道を照らしてくれる。彼女の力がなければ、数々の試練を乗り越えることなどできなかっただろう。前世から受け継がれたその力――バルファの異世界から来たマウザーグレイルが、彼女に与えたものなのだと、私は深く理解している。
茉凜が、私の心にそっと微笑んだ気がした。
大丈夫、私たちならできるよ
その柔らかな言葉は、まるで小さな光が心の中に灯ったようだった。彼女がいる限り、私はどんな困難も乗り越えられる。
ヴィルは剣を上段に構えた。その構えは一風変わっていて、まるで時代劇に出てくる示現流の蜻蛉の構えにも似ていた。下半身をどっしりと落ち着け、その威圧感は一層の緊張感を生み出していた。
私は心を冷静さを保ちながら、戦略を練る。そう、私は決して無策でここに来たわけではない。数々の経験と準備を重ね、今ここに立っているのだ。これからの戦いには、私のすべてをかけるつもりだ。
この狭い修練場を破壊しない程度に、深淵の黒鶴(※1)の場裏(※2)と現象の具現化を使う。使うとすれば、流儀白の
時々、気合いをいれるために、技の名前を叫ぶこともあるけれど、本当はそんなものは必要ないし、格好をつけていられる相手ではない。
私が持っている異能で形成するのは、小さな『場裏』と呼ばれる白い靄に包まれた球体状の限定領域。その中で私のイメージに基づいた事象が具現化される。
そこで急速に圧縮した大気を一気に解放する。それはいわば空気の爆弾のようなもので、相手を突き飛ばすにも、盾として使うにも、自分自身を加速させる為にも使える。これを相手の目の前で発動させれば、攻撃を防御し、その勢いを減衰させることも可能なはずだ。
私は手の内を悟られないように背後に隠すように場裏を展開させ、圧縮された大気を準備する。気配を消して静かに広げるのが肝心だ。
でも、ヴィルの動きが読めない。
彼はじっと私を見つめ、微動だにせず、ただ、猛烈な威圧感だけを放っている。私の心は焦燥感に包まれる。
緊張が走る。ヴィルの威圧感は、確実に私の心を圧迫していた。その中で、私は茉凜と心を通わせながら、準備を整えようとしていた。呼吸が次第に深くなり、心を集中させていくそのプロセスは、まるで時間が遅くなるようにも感じられた。
茉凜の声が心の奥深くに静かに響き、私の焦りを和らげるように囁く。
動き出す兆しを感じ取るしかないよ
「うん……」
私は息を静かに吸い込みながら、心の中で茉凜との絆が深まっていくのを感じた。その微細な感覚を頼りに、私はヴィルの動きを待ち続けた。
ヴィルの視線は冷徹で、無言のまま私を見つめている。彼の呼吸は均等で、体の動きには無駄がなく、剣はしっかりと構えられている。
その圧倒的な気迫と力の溜まりを前に、私は深い集中力を持ってその瞬間を待った。
「来る!」
その一言が私の心を引き締めた瞬間、ヴィルの体がわずかに動き、彼の気配が一変するのを感じた。私はその変化に即座に反応し、茉凜との深い絆を武器に、全身全霊で戦いに挑む準備を整えた。
そして、スイッチが切り替わるように瞬時にして視界が真っ暗になる。そして、茉凜の存在が私の中に流れ込み、未来の断片が白い像として浮かび上がっていった。
ヴィルの動きが次第に明らかになっていくのを感じる。心の中で急かされるように、私は遅れを取らないよう必死に反応した。
エアバーストの準備が整い、場裏の中で圧縮された大気がじわじわと膨張を始めた。
ヴィルの爆発的な加速が、視界の端で鋭く光り、その剣が一瞬で振り下ろされる気配が迫ってくる。その瞬間の速さに、私の身体がついていけるかどうか、不安が心をよぎった。
背中に隠していた場裏が、私の前に瞬間移動し、その表面の一部が解除されて、圧縮された空気が一気に解放されて、私の前へと飛び出す。心の中で希望と不安が交錯しながら、剣を振り下ろすヴィルに向かってエアバーストが発動した。
だが、その圧倒的な力は私の計算を超えていた。
ヴィルの剣が空気の塊を引き裂き、爆風が修練場の壁に亀裂を入れる。その剣の勢いは私の予想をはるかに超え、圧縮解放された大気をものともせずに引き裂いた。
ありえない。その光景に私は驚愕し、心が支配される。
ヴィルの剣から放たれる力には、私が想像していた以上の威力と技巧が込められていた。圧倒的な力が心と身体を圧迫し、視界が暗転する中で、止まることなく未来の断片が、白い像として次々と浮かび上がる。
私は瞬時に反応し、刃のないマウザーグレイルの刀身をもう片手で支え、両腕の力で正面に掲げる準備を整えた。しかし、予知視界に対する身体の動きが遅れ、間に合うかどうかわからない。
体がその衝撃を受け止める準備が整う前に、ヴィルの剣が一瞬で刀身に直撃した。刃のない刀身が、猛烈な剣撃を受け止めようと必死に耐え、全身に走る凄まじい衝撃が私を打ちのめす。
堪えろ。言葉にならない叫びが頭の中で弾ける。受け止めきれない力に身体が後ろに押しやられそうになるが、背後に残しておいたもう一個の場裏の中で急速に圧縮された大気が、ほんの少しだけ衝撃緩衝として寄与した。
それでも、その衝撃の重みに私の身体は耐えられず、心は押し潰されるような感覚に包まれていた。
「これほどとは……」
一撃の鋭さと重さ。それはとても人間技とは思えなかった。その圧倒的な力の前に、私はただ圧倒されるばかりだった。
※1 深淵の黒鶴
この世界の魔術は魔石から魔力を抽出するが、彼女の異能はそれとはアプローチが根本的に異なる、この世界に見えない形で漂う、精霊の残滓である精霊子を集めて変換することで実現する。
深淵は私たちの世界で魔術を再現させた異能で、四大属性に基づくスキルは四種類の色で分類されている。
この他に定義されない番外規格がミツルの黒であり、全属性を使いこなし、規格外の精霊子に対する感受性と器の容量を誇る。ただし、常に暴走の危険性と背中合わせであり、心をつなぎとめる安全装置が不可欠。
※2 場裏は深淵の術者が、異能の力を実現させるために作る限定領域。