第12話 もっと強くなりたい
文字数 3,485文字
「おいおい……そんなに泣くようなことか?」
そう言われて、私は必死に涙を拭おうとするも、どうしても止められず、涙はただ次々と溢れ出るばかりだった。手の甲で何度も涙をぬぐったが、むなしい努力だった。涙は止まらず、むしろ悲しみと安堵が入り混じった感情が胸の奥から込み上げてきて、私をさらに強く揺さぶった。
ヴィルは私の様子に戸惑いながらも、少しずつ表情が柔らかく変わっていった。その目には、温かさと優しさが宿り、私はそのまなざしに少しだけ安心感を覚えた。
「まいったな、こりゃあ……」
彼は困り果てたように言った。私の涙の源を理解しようとするかのように、静かに一歩ずつ近づいてきた。そして、彼の声が、思わず私の心に優しく染み込んでいった。
「勝負は俺の負けだ。安心しろ、お前は間違いなくユベル・グロンダイルの娘だ。この俺が保証する」
その言葉が耳に届くと、驚きとともに温かさが心に広がった。
しかし、涙は止まらなかった。心の中で複雑な感情が渦巻いていたからだ。喜びと安心、そして父への思い出が重なり、涙はむしろ一層溢れてくるのだった。
「ほ、本当……? 本当に私のことを、認めてくれるの?」
「ああ、もちろんだ」
震える声でそう尋ねると、ヴィルは優しく微笑み、深く頷いた。その微笑みが、まるで父さまの微笑みと重なるように見え、私の胸に暖かい光が灯るのを感じた。
すると彼は、無言でそっと手を伸ばし、私の頬に触れて涙を拭い始めた。彼の指先が私の肌に触れた瞬間、少し驚いたけれど、 その手の温もりは、父の手の感触とどこか似ているように思え、懐かしさと安心感が胸を満たしていく。私の中にあった不安や迷いが少しずつ溶けていくような気がした。
「ありがとう……」
私はぎこちなく微笑んでみせたが、まだ不安が完全に消え去ったわけではなかった。それでも、ヴィルの目に映る優しさと確信に、少しだけ勇気が湧いてきた。
彼は優しく私の顔を覗き込みながら、さらに頷いた。
「お前は凄いことをやってのけたんだぞ。自信を持て」
その言葉は、まるで父さまがそばで私を励ましてくれているような錯覚を起こさせるほど、私の心に深く響いた。
「そう、かな……?」
私の心に残っていた不安が、彼の優しい微笑みとともに消えかけていることに気づいた。しかし、まだ完全にその不安を手放すことができず、再び問いかけるようにヴィルを見上げた。
不安の残る私に、ヴィルは少し真剣な顔で応えた。
「ああ、そうだ。こんな化け物じみた強さはこれまで見たことがない」
急に変なことを言われて、私はどきっとした。
「そんな、ば、化け物って。あなたの方こそ、とんでもない化け物じゃない。とても人間技とは思えなかったし、あんなことされたら父さまだって大変だと思う」
私は反射的に強く反論していた。確かに私の持っている黒鶴の力は、この世界にあっては、異質な存在でしかないのかもしれない。そんな怖れが頭を過ってしまっていた。
でも、ヴィルが言いたいことはそうではなかった。
「そりゃあ当然だろが、俺はかれこれ四十年以上剣を振るってきたんだ。強くなきゃ嘘になるだろう? それに比べてお前ってやつは、その歳で剣を握ってまだ間もないというのに、ユベルの動きのほんの一部分かもしれんが、ほぼそっくりに再現してみせたんだ。そりゃあ、びっくりもするさ」
「えっ!? 本当?」
彼が言う「そっくり」という言葉に、心の奥でぽんっと温かい光が灯ったような気がした。それが本当だとしたら、何よりも嬉しいことなのだけれど。
「ああ、まるで生き写しだった。お前の中で、あいつの命が繋がれているんだって思うと嬉しかった。おっと……」
ヴィルの目が少し光って見えた。彼は本当に父さまのことを大切に思ってくれていた人だ。心の中の暗い雲が少しずつ晴れていく感じがした。
私は確かめるように繰り返し尋ねた。
「そんな風に見えたの?」
「お前の動きは、まさにユベルのものだった。スタイルが間逆の俺が言うのも変かもしれないが、これでもずっと近くであいつの戦いぶりを見てきたんだ。その俺が言うんだから間違いない」
父さまのことを思い出しながら、彼が私を認めてくれたことが嬉しくて、胸が熱くなった。
「そう言ってもらえると、とても嬉しい……。でもね、私にはまだまだ足りないことがたくさんあるんだと思う」
「ああ、人は常に成長し続けるものだ。俺だって、今の力を手に入れるまでには長い年月がかかっている。お前はまだ若い。だからもっと強くなれるはずだ。俺やユベルなんかよりも、ずっと先に辿り着けるかもしれんぞ」
その言葉が私の中に新たな希望を芽生えさせてくれた。涙は完全に収まり、心が少しずつ軽くなっていくのを感じた。
「ヴィル……私、もっと頑張るわ」
「おう、その意気だ」
そこでヴィルは少し考え込んでから私に訊いた。
「ところで、一つ確認しておきたいんだが、さっきのお前、とんでもない数の術を同時に使っていなかったか? 何やら身体中に丸いものが浮かんで、そこから風が吹き出していたように見えたんだが?」
鋭い指摘だった。
「あら? やっぱりあなたには見えていたの?」
「俺の目は節穴じゃない。一体あれはなんなんだ?」
興味深げに尋ねてくるヴィルに、私はどう答えていいか戸惑う。
「まあ、あなたの言う通りなんだけど、風の魔術をいくつか同時に使ってみただけよ」
適当にぼかしておく。するとヴィルは感心した声で答えた。
「剣を持ちながら、あんなに複雑な魔術を複数同時に制御するなんて、お前は一体どういう頭をしてるんだ? それに、一瞬何か黒い、その、翼のようものが見えた気がするんだが……」
やはりそうかと私は納得していた。
ヴィルの強さの源は、その人間離れした身体能力だけじゃない。
それは動体視力の良さと冷静な観察力だ。ほんの一瞬の情報から、相手の手の内を丸裸にしてしまう。その上、蓄積された戦闘経験は私の想像を遥かに超えている。本当に凄い。
でも、黒鶴が発動する時に出てしまう、あの黒い翼のようなものについては触れたくなかった。どうしてあれが出てくるのか、いまだに自分でもよく分かっていない。ただ、物性のない幻影のようなものであることは確かで、それは私の願望が形になったものなのかもしれない、と常々思っていた。
「私に翼なんてものはないわ。それってただの目の錯覚だと思う」
「そうか? うーん……」
ヴィルは必死に考え込んでいるようだった。あまり詮索されたくないので、私は話を続けた。
「私はただ無我夢中で、何も考えてなかった。あなたの剣を避けなきゃって、ただ本能から願っていただけよ」
「おいおい……」
ヴィルの度肝を抜かれたといった表情が少しおかしくて、私はくすっと笑ってしまった。
「それから苦し紛れに宙に浮いて下を取られた時、急に父さまの戦い方が頭に浮かんできて、それで身体が、魔術が勝手に私に応えてくれたの」
私は素直にありのままを喋ったけれど、ヴィルは呆れたように笑った。
「はっはっはっ、こりゃたまげたな。
「面白い?」
「ああ、ますますお前が気に入った」
彼の子供みたいな無邪気な笑顔に、私は戸惑ったけれど、心には少し期待感があった。
「そんな風に言われると、なんだか複雑なんだけど……」
「お前の成長が楽しみだってことさ。俺が教えてやれる、まだお前の知らないことだってたくさんあるだろうからな。これから先が楽しみで仕方ない」
「……それは心強いかも。ありがとう。あなたのおかげで少しだけど自信が持てた気がするわ」
ヴィルが持っている知識と膨大な経験は、きっと私にとって大きな力になるはず。ただ、私の理解が追いつくかどうかはわからないけれど。それくらい彼の戦い方は、私からすると常識外れだった。
なにはともあれ、私は素直に彼の助力求めたいと思った。
「それじゃ、これからもよろしくね……ヴィル」
「もちろんだ。じゃあ、今日はゆっくり休め。明日は狩りにでも行こう。お前の手並みを実際に拝見したいしな」
そう言ってヴィルは手を差し伸べた。私は躊躇いがちにそれに応えた。彼の傷だらけの大きな手が私の小さな手をしっかり握ってくれた。
「うん」
私は彼の言葉に感謝し、微笑みながらうなずいた。