第16話 お昼のためにならない魔術講座
文字数 5,402文字
その場所は広大な狩り場を巡るハンターたちの中継ポイントとして知られていて、一応の水場があることで休憩に最適な場所だった。
辿り着いてみると、目印になる程度の粗末な小屋と小さな井戸があるだけだった。
「うん、ここならちょっと一息つけるな」
スレイドから降りながら、ヴィルほっとしたように言った。
「うん、水もあるし、ちょうどいい場所ね」
私も同じように降りると、井戸の前に立ってその水を眺めた。井戸の中には、汚れた水がたまっているだけで、私は「やっぱりね」、とため息をついた。
「水の方はどうだ? 使えそうか?」
ヴィルは眉をひそめながら、無造作にロープが結ばれただけの井戸のバケツを見つめていた。
「水質は馬には問題ないと思うけど、人が飲むにはちょっとね……」
私は肩をすくめた。
「まあ、いいだろう。あいつにはしっかり飲ませてやらないとな」
ヴィルは井戸から水を汲み上げると、スレイドにそれを与え始めた。
私はその間に薄い毛布を広げ、腰を下ろして昼食の準備を始めた。空腹でお腹がぐーっと鳴っているのを感じながら、ほっと一息ついた。そして、私は腰のベルトに下げたマウザーグレイルに触れて、茉凜に呼びかけた。
「茉凜、お昼ご飯だよ。今日はちょっと奮発したんだ」
うん、お昼お昼。お腹空いてるから楽しみっ!
いつも通りの元気な声がして、私はそれだけで心が弾む。
私たちが持参したのは、ライ麦に似た「グリム麦」で作られた少し癖のある硬いパンと、「ヴァルド」と呼ばれる動物の干し肉、それに「ドレイク」という単角の家畜牛の乳から作られたチーズだった。日本の料理に比べれば質素そのものだけれど、物資を輸送に頼っているエレダンではなかなかの贅沢品だ。
そこにヴィルがやってきて、少し距離を置いた横に座り込んだ。
おっと、ヴィルが来たみたいだから静かにするね
それを察して、茉凜は引っ込んでしまった。
「もう腹ペコだ。早く食べよう」
「はい、どうぞ」
私はヴィルの分を薄い布に包んで差し出した。
「おう。ありがとうな」
「いただきます!」
そう言って私は目を閉じて合掌した。するとヴィルが不思議そうに私を見て、首をかしげた。
「イタダキマス? それって何の呪文だ?」
それを聞いて私はおかしくて、思わず吹き出しそうになった。日本ではごく当たり前の作法でも、この世界では奇妙に映るのかもしれない。
「これはね、ご飯がおいしくなる呪文だよ。作ってくれた人たちや、食材になってくれた生き物たちに感謝するためのものなの」
私が説明すると、ヴィルは顎に手を当ててしばらく考え込んだ。
「へえ……その考え方は面白いな。うん、ありかもしれん。俺も真似してみよう」
そう言って、ヴィルも同じように手を合わせた。
「イタダキマス」
その様子を見て、私はなんだか嬉しくなってしまった。堅物かと思ったら、結構柔軟で面白い人なのかもしれない。
私はパンをナイフでスライスし、干し肉とチーズを乗せて口に運んだ。
干し肉は味わいも薄くて塩味しか感じないけれど、パンの独特の風味とチーズの豊かな香りがして、素朴ながらも美味しい。こんな荒れ地では新鮮な肉や野菜は望むべくもないけれど、これはこれでとても満足。
食べ進めていると、ヴィルが腰に下げた皮の水筒を取り出して、私に差し出してきた。
「お前も一杯どうだ? 酒は好きなんだろ?」
水筒の中身はどうやらお酒らしい。さすがに茉凜だって、私のことを考えて昼から飲めとは言ってこないものなのに。冗談じゃないと思いながら、私は少し呆れてじーっと見つめながら答えた。
「あら、この前は私のことを子供扱いしてたくせに、どういうつもり?」
そんな私にヴィルは笑った。
「実際の歳がどうあれ、俺はお前を一人前の人間として扱うつもりだ」
そう言われて私はどきっとした。
たしかに私は立派な大人……のつもりではいるのだけれど、前世の二十一歳の私と、この世界で生まれて生きてきた十二歳の私との間には感情のギャップがあって、どうしても困惑してしまう。肉体の年齢なりに振る舞うのは嫌だし、かといって背伸びするのもどこかギクシャクしてしまう。
「お昼からお酒なんて……。そういうのは夜に心をゆったりと落ち着かせて楽しむものよ」
「かもしれんが、でも水だって高いだろ? だったら、俺は酒の方がいいかな」
この辺りで飲用に適する水はとても貴重だった。あまりに高価なので、比較的安価なワインやビールに似たお酒を水で薄めて飲んだりしているのが一般的だった。
私はといえば、隠れて自分の能力の【流儀青(※1)】の場裏の中で水を精製していた。一切の混じり気のないほぼ完全な純水で、それでだいぶ助かっている。
「喉を潤すなら新鮮な水が一番よ。それに私はそんなにお酒が強くないし、感覚が鈍ったらそれこそ命取りじゃない」
「そうか? 俺はちょっと酒が入ったくらいが調子がいいけどな。飲めば飲むほど強くなるとも言うぜ。ははは!」
「はぁ……」
なんて人だ、と私はため息をついた。
やっぱり前言撤回。ちょっとだらしがない人かもしれない。私は呆れて自分の食事に集中する。
しばらくして、不意にヴィルが興味津々で尋ねてきた。
「ところでさっきの戦いでのお前の魔術、複数属性の同時並行の行使って言ってたが、一体どういった仕組みなんだ? よかったら少し説明してくれないか?」
私は考え込みながら、ヴィルに向き直った。
私の能力は特殊すぎて、魔術とは根本的に仕組みが異なっている。説明するのはとても難しい。
「別にいいけど、私の魔術はちょっと特殊なの。うまく説明できるかどうかわからない。それでもいい?」
「ああ、俺も魔術の仕組みなんてよくわからん。簡単にでいい」
「わかったわ」
私は彼には隠し事をしたり嘘はつきたくないと思い、できるだけわかりやすく説明をすることにした。もちろん。半分は作り話になってしまう。魔術と私の能力は、放出される現象は同じとしても、構造が根本からして違うのだから。
「まず、魔術が発動する
「ふむ」
「まず使ったのは、風の魔術で、
「もちろん」
「それを相手を包むくらいの大きさの領域の中に閉じ込めて、強く作り出すの。巻き込まれた魔獣はまず動けなくなるわ。相手の動きを先に封じるのは魔術師の基本ね」
「ほう……。限定領域に凝縮させた竜巻なんて、高位の魔術師でも難しいかもしれん」
「ほんとう? それから次は
「そいつは凄いな……」
「とどめが
本当のところ、例えばメテオストライクの元はファイアーボールじゃない。【流儀赤(※2)】で空間そのものを耐火金属が真っ赤になるくらい超高熱にして、直撃する前に場裏を解放して空気と反応させる。それはまさに爆熱と爆風の嵐と化して対象を襲う。もたらされる破壊力は、並みの魔術とは比較にならない。
具現化させた現象が、イメージした以上の破壊をもたらすこともある。深淵の黒鶴と場裏の関係は、魔石を動力源とするこの世の魔術の範疇から完全に逸脱している。
ヴィルは私の話を聞くたびに、目を大きく開き、口元に驚きの笑みを浮かべていた。
「それだけの数の高度な術をあの一瞬で同時に発動させて、しかも正確に制御するなんて、これはぶったまげたな」
「そうかな? 私にとってはこれが当たり前だから……」
私は少し照れくさそうに微笑んだ。
ヴィルの驚きは本物だったけれど、自分にとってそれは特別なことではなかった。だけど、彼の言葉が心に引っかかり、どう返せばいいのか迷ってしまう。
「そうあっさりと言われると困るんだが、まったくお前はとんでもない奴だ。間違いなく当代随一の天才魔術師と言えるだろう」
ヴィルの視線は真剣で、少し戸惑いを感じる。
「それは大げさじゃないの?」
私は軽い調子で応じた。
私はこの世界で目覚めてからまだ一年ほどしか経っていない。魔術師の基準というものがよく分かっていないのだ。ただ、私の力がその範疇に収まらないものだということは理解していた。
「そんなことはないぞ。俺はいろいろな戦いで魔術師を見てきたんだから、間違いない。だがな、一つだけ気になる事があるんだ」
ヴィルの目が鋭く光ったのを感じた。
「無詠唱の複数属性、複雑かつ強力な同時並行の魔術の行使。たしかに凄い。じゃあ、それを可能にする魔力源はどこにあるんだ?」
やはり核心をついて来たか、と私は思った。彼の鋭い問いかけに、どう答えるべきか迷った。心の奥では不安と焦りが渦巻いていた。
どうしようか、このままじゃ隠し通せそうもない。
「それは……」
しばらく沈黙が続いた。ヴィルの視線が刺さるように感じた。
「その剣がそうなんじゃないのか?」
マウザーグレイルを魔導兵装と言い当てた彼なら、常識的に考えてそう言ってくると分かっていた。
「だとしたら少なくとも超弩級の、それも国宝級に匹敵する高純度の魔石が、最低でも四種類は収められているんじゃないのか?」
違う。でも、この場を言い逃れできる上手い言い訳が見つからない。私はしばらく沈黙するしかなかった。嘘をつきたくはない。でも、真実を話すのも怖い。
「……はずれね。そんなものなんて無いわ」
「だとしたら、どこにあるっていうんだ? ええ?」
ヴィルは眉間に皺を寄せて、さらに詰め寄るように問いかけてきた。
もう、どうすればいいかわからない。何を言っても信じてもらえないだろう。でも、どうすればいいんだろう……。
「ねえ、ヴィル。もし動力源っていうのが私で、この剣はその変換器だとしたら、どう思う?」
ヴィルの表情が固まり、明らかな動揺の色を浮かべていた。
「それはありえないだろう。そんな膨大な魔力を賄うなんて……。それじゃお前が魔石そのものってことにならないか? そんな人間が存在するわけがないだろう。だいたい魔力が尽きたら、そこで終わっちまうだろうが」
力の正体を明かしたとして、きっと彼には理解してもらえないだろう。だめだ、これ以上言うのは危険だ。
「だよね……。でも、こう考えてみて? 私が魔石の魔力とは別の理の、力の源みたいなものを集めて蓄える、人の形をした器だとしたらどうかしら? それも底なしの、どこまでいってもいっぱいにならないくらいの……」
何を恐ろしいことを口走っているのだろうか。それじゃ私は……。
ヴィルの目が大きく見開かれた。
「な、なんだと!? お前は何を言っているんだ。そんなもの、ますますありえないだろ……」
私は自分でも制御できない感情が渦巻く中で、じっと上目遣いで彼を睨んでいた。
ヴィルはただ黙って私のことを見つめていた。その表情には理解できないものに対する怖れと動揺が感じられて、私は今にも胸が張り裂けそうだった。いずれヴィルがそこに辿り着くことなんて分かりきっていたのに……。だから私は苦し紛れの嘘を付いてしまう。
「なーんてね、ちょっとした冗談よ。本気にしないで。だったらいいよね、って話だから」
彼は大きなため息をついた。
「冗談だと? まったく、そういうのはやめてくれ。心臓に悪い」
「ごめんなさい。ちょっとびっくりさせちゃったね。実のところ、この剣の仕組みって私にもまだよくわかっていないの。私が
ここ
でこの力を使える理由もね……」ヴィルはさらに困惑の色を深めていた。その目は、私の瞳を探るように見つめていた。私はその視線に対して、微笑みながらも怖くなって、彼に背を向けた。
「父さまも母さまも、何も教えてくれなかったし、私もこれが大切なものだってことくらいしか知らない。でもこれだけは言える。私はこの剣と共にあることで力を使えているの……」
私の目には涙が浮かんでいた。
自分の中にいる怪物とこの未知の力を秘めた剣。その組み合わせが、どれだけ強力で危険なものか。その不安が私を蝕んでいた。
前世の二十一歳の私とこの世界で生まれ育った十二歳の私。その間で揺れている私には、重すぎる運命がのしかかっているように感じられた。
※1 場裏青 深淵の流儀の一つで、この世界で言うところの水魔法に相当する。水を集め、必要な成分を集めて作り、水の有り様をイメージのままに自在に操る。場裏という特殊な領域内で、精霊子を利用して具現化され、魔術師が模倣することはできない。
※2 場裏赤 深淵の流儀の一つで、この世界で言うところの火の魔法に相当する。ただし、本質は熱操作であり、熱を加えることも奪うこともできる。場裏という特殊な領域内で、精霊子を利用して具現化され、魔術師が模倣することはできない。