第7話 あなたがいてくれるから
文字数 1,752文字
ヴィルと別れた後、私は一人、静まり返った夜の街を歩きながら宿に向かっていた。石畳の道を踏みしめるごとに、彼との会話が鮮明に脳裏に蘇り、その重さがじわりと胸に染み渡る。
去り際に、私はヴィルにこう告げた。
『こんな夜更けだし、表で騒ぎを起こすわけにはいかないわ。明日の昼過ぎにハンターギルドに来て。奥の修練場なら、誰にも迷惑を掛けないで済むと思うから』
ヴィルは迷いなく答えた。
『いいだろう。楽しみにしているぞ』
彼の快諾が、逆に私の心にさらなる不安を呼び起こす。それがどれほどの挑戦になるかを知っているからこそ、私は余計に自分の弱さを感じていた。
宿に辿り着いたとき、疲労が一気に押し寄せてきた。木の扉を開けると、冷たい空気がひんやりと肌に触れ、私はその冷たさに身を委ねた。
部屋に入るなり、革の鎧を無造作に脱ぎ捨て、白い剣を抱きしめながら硬いベッドに身を投げ出した。古びたマットレスの硬さが体に響き、心の奥から沸き上がる心細さが私を包み込む。
「茉凜、いる?」
目を閉じながら、剣に向かって静かに呼びかける。暗闇が優しく私を包み込む中、茉凜の姿がふわりと浮かび上がった。
彼女のミルクティーブラウンのショートカットが、まるで春風にそよぐ花びらのように柔らかく揺れ、大きな瞳が私をじっと見つめている。
それは私の記憶の中に刻まれた、あの時と変わらぬ茉凜の姿。翠創学園での学生服が、彼女の純粋さを象徴するように、私の心を懐かしさで満たした。
茉凜が浮かべる微笑みには、静かな優しさを宿っていた。
おつかれさま、美鶴。大変だったね
彼女の声は、いつも通りの優しさに満ちていて、その微笑みを目にするだけで、私の心は不思議と落ち着きを取り戻した。
「ごめんね、急に黙ってろだなんて言って……。あなただって、言いたいこともあったでしょ?」
茉凜は穏やかに首を横に振る。
ううん、気にしないで。とても大切な話だったし、わたしが口を挟むことなんてないって思ったから
「ありがとう……」
幻想の中で、私は静かに頷き、彼女の隣に座った。
すると茉凜は私の手を優しく包み込んでくれた。でも、その手からは何の感触も温もりも感じられない。まるで淡い霧に触れるような、儚い感覚だけが残る。
ヴィルとのこと、やっぱり気にしているのね?
茉凜の問いかけに、私は小さく頷いた。
「うん……。ああは言ったけど、正直なところ、私には自信なんて全然ない……」
茉凜は私の手を優しく握り締め、温かく励ますような笑顔を浮かべた。その笑顔は、まるで心に降り積もった雪を溶かす春の陽光のように、私の心に温もりをもたらしてくれる。
美鶴なら、大丈夫だよ
「そうかな……?」
あなたがこの世界で過ごしてきた時間、そしてお父さんとお母さんとの絆、それら全てが今のあなたを支えているの。だから、信じて。大丈夫だよ。それに、この私がいるんだから絶対無敵、間違いなしっ!
茉凜の明るい声に、私の心に掛かっていた重い雲が少しずつ晴れていく。彼女の言葉が、まるで心の中に広がる光のように、私の不安を消し去っていく。
「うん……。あなたがいてくれると、本当に心強い……」
彼女の大きな瞳を見つめるうちに、私の胸の奥で何かが熱くなるのを感じた。瞳が涙に潤み、息が自然と浅く、早くなっていく。なぜ私はこんなにも彼女の言葉に救われるのだろうか……。
それはよくわかっている。これは、きっとお酒のせいだけじゃないってことも。
今の茉凜は身体を持たない存在だから、私たちは触れ合うことすらできない。それでも、彼女の温もりが確かに私の中に伝わってくるような気がする。彼女の存在や言葉が私の胸を熱くさせるのだ。その存在がどれほど私にとって大切で、どれほど力強いものか、不安でしかたない私は、いまさらながらに痛感していた。
「茉凜、いつも本当にありがとう……」
こちらこそ、どういたしまして。わたしはいつでもあなたのそばにいるから、安心して
「うん、おやすみ、茉凜……」
おやすみ、美鶴……
私は心からの安堵と共に微笑んだ。茉凜がいてくれるから、私はどんな困難だって乗り越えられる――そう確信しながら、私は静かに瞳を閉じた。