第63話 扉を開けて 6
文字数 10,880文字
その音が、冷たい冬の風に乗って耳元に届くと、胸の奥が不穏に揺れた。私たちが築いたささやかな希望の壁を、簡単に崩し去るような、冷徹で楽しげな笑い声だった。
泉を囲む淡い光のカーテンの向こうに、再びヴィルギレスの姿が浮かび上がった。
その登場は、それまでの穏やかな空気を一変させ、まるで夜明け前の静けさを引き裂くように、凍てついた悪寒をもたらした。私の心臓が、一瞬だけ躊躇い、重く脈打つのを感じた。
彼の唇に浮かぶ笑みは優美だった。けれど、その笑顔の裏に潜むどす黒い悪意が透けて見える。まるで冷たい水が徐々に染み渡るように、その目は私を捉え、逃げられない恐怖がじわじわと心の奥まで広がっていく。
「素晴らしい……」
低く響いた彼の声に、ぞわっと肌が粟立つ。
「予想外の展開だ。巫女とその騎士が、このような選択を導き出すとは……だが、これでいい」
彼の言葉には、どこか歪んだ歓喜がにじみ出ていた。まるで私たちの選んだ道が、彼にとって待ち望んだものであったかのように。どうして? 私たちは、魔族に対抗する力を得たはずなのに。なのに、どうして彼は……こんなにも嬉しそうなんだろうか?
ウォルターが、聖剣を手に前に出た。私の鼓動が早まり、息が詰まる。
「そんな余裕で構えていていいのか? 俺たちは、お前を倒す力を得たんだぞ」
ウォルターの声には、自信と苛立ちが滲んでいた。だが、ヴィルギレスはその微笑みを崩さない。むしろ、興味深そうに口元を緩める。
「まあ、待ちたまえ。その剣はまだ生まれたばかりの赤子も同然だ。今の君たちでは、到底私には及ばないよ」
その瞬間、全身に冷たい血が流れ込むような感覚が走った。彼の言葉は、真実味を帯びていて、嘘ではないと感じさせる何かがあった。
「じゃあ、試してみるか?」
ウォルターの声はあまりにも挑発的で、私は思わず彼の背にすがりたくなる衝動を抑えた。
「ウォルター、冷静になって……彼の言ってることは本当かもしれない」
私は必死に声を抑え、震える気持ちを押し殺した。ヴィルギレスは何か隠している。私たちが知らない何かを。
ヴィルギレスは私に冷たい視線を向け、まるで心の奥底まで見透かされるような感覚が私を襲った。息が詰まる。彼はどこまでも残酷で、その微笑みには一片の感情もなかった。
「実はな、お前たちが導き出した結果こそ、私が望んでいたものだ」
その言葉が、私の理性を吹き飛ばす。理解できない。理解したくない。でも、彼が嘘をついているようには思えなかった。恐怖が理性を蝕み、心の中に黒い霧が広がっていく。
「悲嘆に暮れる瞳、絶望に染まる心、その一瞬の輝きこそが至高の歓びだ。だが、精霊の結界が我々の進軍を妨げ、せっかくの宴を無粋に遮る。実に忌々しいことだ。長き時を生きる我々にとって、百年など取るに足らぬが、ただ繰り返される儀式には飽き飽きしていたのさ。だが、お前たちが新たな道を選び、結界が崩れる時が訪れたことで、ついに待ち望んだ狂乱が始まる。さあ、苦しめ、嘆け、叫び声を上げよ! 我が心を満たす血の宴が、今ここに開かれるのだ!それでは、また会おう。あっはっはっはっ……!」
ヴィルギレスの狂気じみた笑い声は、冷たく、鋭く、私の心臓を鋭く貫いた。それはただの音ではなく、まるで私の感情の奥底を掻き乱し、底知れぬ闇の中へ引きずり込むような響きだった。
暗い夜空にこだまするその声は、無慈悲に私たちの希望を嘲笑しているかのようで、全身が震え、指先から温もりが逃げていくのを感じた。
私はとっさに目を閉じた。だが、目を閉じたところで、あの笑い声は消えなかった。むしろ瞼の裏にまでこびりつき、心の奥深くにまで染み込んでいく。まるで私自身の中に、その狂気が棲みついてしまったように。
ウォルターの歯ぎしりが隣で聞こえる。彼も同じように、あの声の残響に苛まれているに違いなかった。
それでも、私は一歩も動けなかった。ただ、冷たく暗い恐怖に飲み込まれ、凍りついたまま、その場に立ち尽くしていた。ヴィルギレスの姿が闇に溶けて消えるのを感じた時、私はようやく微かな息を吐いたが、その高笑いの残響がまだ胸の奥で響いていた。
◇ ◇
ヴィルギレスが去った後、辺りにはまだ彼の影が残るかのように、空気はどこか重たく、陰鬱な余韻が漂っていた。私の心臓の鼓動が、やっと通常のリズムに戻っていくのを感じるが、全身にはまだ冷たい汗が残っている。ウォルターが肩を落とし、長く息を吐き出す音が耳に届き、私もその瞬間、緊張で張り詰めていた身体がふっと緩むのを感じた。
だが、安堵の息を吐いたのも束の間、心の奥に潜んでいた不安が静かに目を覚ました。ヴィルギレスの言葉が、まるで呪いのように私の頭の中で繰り返される。それは、逃げ場のない重苦しい鎖のように、私の心を締めつけていく。
私たちが選んだ道、それは精霊たちが示した希望への道であるはずだった。だが、その選択が魔族の望む戦乱と混乱を引き寄せてしまったという現実が、少しずつ胸に重くのしかかってくる。もしかしたら、これこそが精霊の試練の本当の意味なのかもしれない、と私は恐ろしい予感に包まれる。
光の差し込む先には確かに希望がある。しかし、その光はあまりに儚く、行く手にはどれほど厳しい試練が待ち受けているのか、考えるだけで心が冷たく蝕まれていくのを感じる。それでも、私たちは進むしかない――そう自分に言い聞かせながらも、不安の種が心の中でじわじわと広がっていくのを止められなかった。
ウォルターの言葉が私の耳に優しく響いた瞬間、心臓が一度、大きく跳ねた。彼の声には深い優しさと確信が込められていて、私はその響きに身を委ねるしかなかった。私の中で渦巻いていた不安が、まるで水面に浮かんでいた薄氷のように、じわりと溶けていくようだった。
彼の視線を感じ、思わず目を伏せる。顔が熱くなるのを止められなかった。ウォルターは何も言わずに私の顔を覗き込むと、微笑んでくれた。まるで「大丈夫だ」と言っているかのように。私の胸の奥に、温かいものが広がるのを感じた。
「不安か?」
その優しい声が、再び私の耳を包み込む。
「……はい」
私の声は驚くほど小さく、まるで自分の言葉ではないようだった。心の中で揺れ動くものが、そのまま言葉になってこぼれ落ちた。
ウォルターは、そのまま静かに頷いた。彼の瞳には、理解と共感が宿っているように見えた。
「当然だ。奴の思惑は最初からこれだったんだからな。まったく魔族の狡猾さには虫唾が走る」
私たちが歩む道が果たして正しかったのかという疑念が、どうしても拭えなかった。戦乱の火種となるのは私たちの選択だったのではないか、と。心の奥で、絶え間ない葛藤が繰り返されていた。
「メイヴィス……」
ウォルターの声が、いつもよりも一層低く、穏やかだった。名前を呼ばれた瞬間、胸の中が温かく満たされていくような感覚がした。
彼の瞳を見上げると、その奥には一片の迷いもなく、ただひたむきな決意が映っていた。その強さに触れるたび、私の心の中に静かな震えが広がっていく。
「これから先にはきっと厳しい戦いが待ち受けているだろう」
「はい……」
「だが、君がいる限り、俺はどんな試練にも立ち向かうことができる。だから、これからも一緒に……どんな困難も乗り越えていこう」
彼の言葉が、私の胸に深く響いた。まるで温かい光が差し込んでくるようで、思わず目頭が熱くなるのを感じた。そして、私の中にある不安が、少しずつ溶け出していくような気がした。
「ウォルター……」
気づけば、彼の手を強く握り返していた。私の心に触れてくれた彼の言葉に、何かを伝えたくて仕方がなかった。自分の中にあった恐れや迷いが、彼の存在によって静かに消えていく。それは、まるで闇の中に射し込む一筋の光のようだった。
「あなたと一緒なら……どんな道だろうと歩いていけます」
自分自身の決意の言葉が温もりとなって私の心に深く染み渡り、見通しの聞かない深い霧が解けていくような感覚に包まれた。
そして、ウォルターの手のぬくもりは、ただの物理的な感触ではなく、私の中にあった不安や迷いを溶かしていくようだった。まるで彼の優しさに全てを預けてしまいたくなるような、そんな感覚が私の心をそっと包んでいた。
私はただその安心感に身を委ね、心の中に広がる静かな温かさを感じていた。それは、これまで背負ってきた重荷が少しずつ軽くなっていくような、そんな感覚だった。
ウォルターの存在が、私の支えとなり、私自身を強くしてくれる。それに気づいた瞬間、心の奥底に潜んでいた恐れが薄れていくのを感じた。自分ひとりではとても耐えられなかったであろうその重圧も、彼と共になら――乗り越えられるはずだと。
そう、どんな苦境に満ちようとも、彼のそばにいる限り、私は立ち向かっていける。彼の優しさと強さが、私にその力を与えてくれるのだと、私は深く理解した。
◇ ◇
しばらくして、敵の気配が完全に消え去ると、私たちはようやく安堵の息をついた。夜の静寂が広がる中、私の心にはある思いがふと浮かんだ。それはずっと心の奥に隠していたことで、打ち明けるには少し恥ずかしい話かもしれない。けれど、今がその時だという確信があった。
「ふふっ」
思わず漏れた笑みが、ウォルターの視線を引き寄せた。彼の目が驚きで見開かれ、その表情が変わる瞬間、私の胸に小さな高鳴りが生じた。彼の反応が思いがけず可愛くて、心の奥に秘めていた緊張がほどけていくのを感じる。
「どうして笑う?」
彼の声にはまだ、戦いの名残が残る緊張とわずかな戸惑いが混じっていた。そんな彼の不安を感じ取ると、私の心臓が少し早く鼓動し始めた。彼の瞳に映る私の笑顔が、彼を揺さぶっているのが伝わってくる。胸の奥が熱くなり、言葉を出すのにはもっと勇気が必要だった。
「なんだか、ね……こうして一緒にいられるということが、嬉しくて、安心してしまって……ふと笑いたくってしまったの」
「そうだな。俺もそんな気持ちだ」
ウォルターはやがて微かに微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、私の心はますます高鳴り、頬が熱くなっていくのを感じた。
私はそのまま彼の目を見つめた。少しだけ伏せたまつげが揺れ、私の気持ちがどう伝わるのか、わからない不安と期待が入り混じり、胸の奥で甘くじんわりとした感覚が広がっていった。
勇気を振り絞って、私はずっと胸の中で温めていた想いを口にした。
「前から考えていたのですが……あなたは私を守る騎士だった……」
ウォルターが少し驚いたように私を見つめた。
「そうだが?」
「でも、もしかしたらそれだけじゃなかったのかもしれません」
彼の眉がわずかに動き、一瞬、混乱が顔に広がったのを見て、私は胸の奥でこみ上げてくる感情が抑えられなくなった。ずっと感じていたことを、今こそ伝えたいと強く思ったのだ。
「それって?」
「あなたは……私のことを助けに来てくれた王子様だったのです」
その瞬間、彼の顔が驚きで真っ赤に染まり、目を大きく開いたまま、言葉を失った。私も彼の反応を見て、心の中で思わず微笑み、頬が少し熱くなるのを感じた。
「お、王子だって!?」
「……そんな風に呼ばれたら、困りますか?」
「いや、それは……光栄すぎて、どう答えたらいいか……困るんだが。まいったな……」
狼狽えた彼の言葉には、戸惑いと照れくささがあふれていて、目が私を真剣に見つめながらも、頬を赤く染めていた。その姿があまりに可愛らしくて、私の心はますます温かくなり、自然と微笑みがこぼれた。
「そ、そんなに照れなくてもいいじゃないですか。私だって、こんなことを言うのは恥ずかしくて、ずっと言えなかったのに」
私自身も恥ずかしさで、顔どころか耳まで熱くなっているのを感じた。じわじわと広がっていく喜びは、彼の微笑みとともに、私の心に優しい幸福感をもたらし、まるで暖かな光に包まれるような感覚が広がった。
「……そうか。ありがとう。そう、思ってくれてるなんて、俺も、その、すごく嬉しいな……」
彼の言葉が途切れ途切れで、照れくさそうに紡がれる様子に、私の心はまた少しドキドキと高鳴った。彼の誠実さと優しさが、私の内面に深く響き渡り、心の奥底がじんわりと温まっていくのを感じた。
「ふふっ……ありがとうございます。やっぱり、あなたは私の素敵な王子様ですね」
私がその言葉を口にすると、彼の顔に優しい微笑みが広がり、その笑顔がさらに温かさを増していった。彼の笑顔に包まれることで、私の心もふわっと柔らかくなり、心からの幸福感が広がっていくのがわかった。
「仕方ない。じゃあ、俺の方からも言わせてもらう」
ウォルターの意外な切り返しに、私は一瞬戸惑いを覚えた。何を言われるのか、心が少しだけ緊張する。しかし、彼は小さく咳払いをして、まるで重要なことを伝える準備を整えているかのようだった。その姿に、私は自然と身構えてしまう。
「ではお姫様、俺からの真剣な気持ちを受け取ってもらえるかな?」
彼の言葉は静かで、しかし確かな響きを持って私の心に届いた。その真摯な声に、私の心は自然と彼の気持ちを受け入れる準備が整っていくのを感じた。心の中で彼と共に歩んでいく未来を静かに描きながら、その温かさに包まれていた。
「はい……」
私の答えに、彼の表情が少し柔らかくなるのを見て、心の奥底が安堵と幸福でいっぱいになっていった。
「俺はただの騎士でなく、共に歩む伴侶として君とずっと寄り添っていたい」
彼の言葉が私の心に深く染み込み、瞬間、言葉を失った。驚きと幸福が入り混じった感情が心を満たし、心臓が激しく鼓動する。彼の姿がまるで夢のように感じられ、彼の真摯な言葉が私の心に温かな光を灯していた。
「……ええっ!? それって……」
驚きの声を上げたが、感情が溢れて震えていた。彼の真剣な眼差しと優しい微笑みが、私の心に温かさをもたらし、幸福感が一層深まっていくのを感じた。
もう迷うことはなかった。心の中で答えは決まっていた。
「はい、あなたの気持ち、しっかりと受け止めます。幾久しくお願いしますね」
私はそう言って微笑むと、彼の顔にも優しい喜びが広がり、私たちの間に温かな空気が流れた。心が溢れる幸福に包まれながら、その瞬間が永遠に続いてほしいと願うような気持ちが私を包み込んでいた。
その瞬間、私たちの間に流れる深い感情が、言葉を超えて強く感じられ、私たちの心が確かに一つになった。彼の真摯なプロポーズと、私の応えが、静かに結びつき、未来に向けた約束のように感じられた。私の心は、彼との絆が一層深まることで、確かな幸福に包まれていった。
彼の眼差しが私の心の奥深くに触れ、私の温かい感情が彼に届いていることを確信しながら、その幸せが私の全身を優しく包み込んでいくのを感じていた。心の奥底から湧き上がる感謝と愛情が、私の内面を輝かせ、彼との未来に対する希望が静かに広がっていった。
その瞬間、私の心の中に温かい感情が溢れ、自然とウォルターの胸に顔を埋めた。彼の鼓動が穏やかでリズミカルに響き、私の心を包み込むように感じられた。その鼓動が、私にとって何よりも大切なものだと思った。
「ウォルター、私たちは決して離れない。どんな運命が待ち受けていようとも……」
私の言葉が、泉の優しい光に包まれながら、私たちの未来を強く、そして明るく照らし出していた。泉の水面がゆらめく中、その光が私たちの手を取り合う姿に反射し、まるで運命の糸が確かに繋がれているような感覚が広がった。
ウォルターの温かな抱擁に包まれ、私の心は穏やかに包まれた。彼の抱擁は、まるで優しい温もりに包まれているようで、その温かさが私たちの未来をさらに確かなものにしていた。彼の鼓動は私の心臓のリズムと重なり合い、深い安心感と共に、私たちの絆が確かに結ばれていることを感じさせてくれる。
泉の輝きが私たちの間に広がる静かな約束を一層際立たせていた。私たちは、未来のすべてを共に受け入れることを誓い合い、その絆が泉の光のように永遠に輝き続けることを心の底から願いながら、静かに、しかし確固たる決意をもって誓い合った。その誓いの中には、今後のすべての瞬間に対する深い愛と信頼が込められていた。
◇ ◇
その瞬間、まるで夢から覚めたように、私の心に美鶴が戻ってきた。
目の前に広がる光景が現実であることを再確認しつつ、心の奥底ではまるで遠くから見守っているかのような感覚に包まれていた。
メイヴィスの喜びが波のように押し寄せ、私の心を満たしていたが、その感動はどこか他人事のように感じられた。まるで私がその感情を外から眺めているような、奇妙な感覚だった。
心の中で巻き起こる感情の波は、私を温かく包み込むと同時に、どうしようもない寂しさを伴っていた。それは、現実に引き戻されたという安堵と、同時に、決して叶わない夢を見続けているような絶望感が混じり合って、私の胸に影を落としていた。
そして、私の視線の先には、ウォルターを演じる茉凜がいた。彼女のその繊細な動きや表情のすべてが、私を自身の記憶へと引き戻した。茉凜の強さと優しさが溢れんばかりに滲み出ていて、彼女の存在そのものが私を包み込んでくれているように感じた。
その温もりは確かに喜びをもたらしてくれるはずだったが、同時に、どこか心を締め付けるような切なさを伴っていた。
彼女の瞳に宿る深い感情が、私の心にまっすぐに届き、その響きは私の内面を激しく揺さぶった。彼女の演技に込められた思いが、私の中でさまざまな感情と共鳴し、感動と共に複雑な思いが交差する。
私には彼女がウォルターを演じているだけではなく、茉凜自身の心の奥底に潜む、私への本当の気持ちが投影されているかのように感じられてしまった。
その錯覚が私の心を深く掴み、彼女の内面に引き込まれるような感覚が胸いっぱいに広がった。その情感が、優しくも激しく、私の内側を揺さぶり、心の奥底に温かな感覚を残していった。彼女の存在と、彼女が抱える感情のすべてが私の中で渦巻き、私の心は彼女の深淵に飲み込まれるような感覚を覚えた。
そして突然、メイヴィスの熱情が心の奥深くで燃え上がり、その激しい感情が私の内面を強烈に揺さぶった。胸の奥で押さえ込んでいたはずの私の感情が一気に解き放たれ、私の中で美鶴という存在がさらに鮮明に、そして切実に蘇ってきた。
メイヴィスの喜びと決意が、自分の秘めた想いと重なり合い、私の中に強い衝動が生まれてしまったのだ。
胸の奥で交錯する感情が、私の全てを揺さぶり、茉凜を手放したくないという欲望が膨れ上がっていく。彼女への想いは深く、切実で、抑えがたいものとなり、私の心を焼き尽くさんばかりに激しく燃えていた。
その瞬間、気づけば私の手が自然と動き、茉凜の頬にそっと触れていた。彼女の肌は柔らかく、指先を通じてじんわりとした温かさが伝わり、その感触に私は引き込まれた。彼女との距離がますます近づき、彼女こそが私の世界の全てのように感じられた。
茉凜の瞳を見つめると、そこに溢れる優しさと強さが私の心を撃ち抜いた。その視線は深い思いを秘め、私の内側に残された余韻すらも打ち砕き、心の奥底に小さな火花を散らすかのようだった。彼女の視線に映し出される全ての感情が、私の深淵をも打ち抜いていくのを感じた。
止めどない熱い衝動が私を支配し、心の中に膨れ上がる切実な思いが、全身に響き渡るような鼓動となって掻き乱していた。茉凜の存在が、私の全てを包み込み、彼女の温もりが私の心をさらに深く掴み、どうあっても離さない。
「茉凜……」
私の口からその名前が小さく、震える声で漏れた瞬間、彼女の瞳が驚きと困惑で満たされた。その反応に、私の中で抑えきれなかった感情が一気に膨れ上がり、心臓が狂ったように激しく打ち始め、全身を熱が駆け巡る。
まるで理性が溶けるように、私は彼女に引き寄せられていった。その瞬間を、ずっと待ち続けていたかのように感じられ、心の奥深くから湧き上がる切なさと焦がれるような想いが私を支配していた。
彼女の頬にそっと指を伸ばした時、思わず息を呑んだ。その柔らかく温かい感触は、まるで儚い夢を触れたかのように繊細で、私を一瞬で包み込んだ。彼女の肌の温もりが指先から伝わり、心臓へと流れ込むように感じられ、胸の高鳴りを抑えられなかった。
彼女の香りがかすかに漂い、私の心と体の隅々まで浸透していく感覚が広がっていく。彼女の存在そのものが、私を圧倒し、他の何も考えられなくなっていた。
そして、私はその抑えきれない熱情に突き動かされるように、茉凜へと顔を近づけた。理性などとうに消え去り、ただ彼女の存在を求めて体が動いていた。
唇が彼女に触れたその瞬間、私の世界が止まった。ほんの一瞬の触れ合いに過ぎなかったが、胸の中で何かが弾け、全身に衝撃の波が押し寄せる。それは全てを飲み込み、私を彼女へと深く引き込んでいくようだった。
次第に、そのキスは貪欲さを帯び、彼女の柔らかさと温もりが私の魂の奥深くまで浸透し、二人の間に流れる時間が永遠に続くかのように感じられた。
彼女の呼吸が、まるで私の体に刻まれるかのように感じられ、その感覚に全身が震え、完全に一体になっていく錯覚に飲み込まれていく。
再び唇が重なるたび、私の心臓は狂ったように鼓動し、彼女への溢れんばかりの想いが止まらない。彼女の温もりが私の内側に広がり、熱と切なさが混じり合って渦巻くその感覚が、喜びと苦しみを同時に与えていた。
その瞬間、私の全てが彼女に囚われ、茉凜を手放したくないという強い衝動が、ますます私を支配していった。
静かにキスが終わると、私の心臓は激しく鼓動し続け、全身が震える感覚が残った。彼女の唇に触れていた感触が鮮明に残り、茉凜の温もりが私を強く揺さぶるたびに、心の中で渦巻く深い欲望と切実な想いがさらに膨れ上がっていった。
茉凜の瞳には、驚きと戸惑いがはっきりと浮かんでいた。彼女は瞬きを繰り返し、頬がほのかに紅潮している。微かに開かれた唇から漏れる息が乱れているのが、彼女の動揺を如実に物語っていた。細い呼吸が私の顔にかかるたび、その微かな風が心をかき乱し、胸が締め付けられるような痛みが広がった。
沈黙の中で、私の一方的な行動が彼女に与えた衝撃が、重く押し寄せてきた。
私の手はまだ彼女の頬に触れていたが、茉凜の体は緊張で硬くなり、かすかな震えが伝わってくる。その震えが、私に強い罪悪感を押し付け、心の中で「ごめんなさい」と何度も繰り返し呟くしかなかった。
必死に感情を抑えつけながらも、彼女の反応をじっと見つめてしまう。茉凜の瞳の奥に混乱と戸惑い、そしてほんの少しの傷心が映り、その姿が私の心に深く突き刺さった。
その瞬間、自分がしてしまったことの重大さに気づき、私の心臓は激しく鼓動し続けた。すぐにでも舞台から逃げ出したいという衝動が襲い、罪悪感と混乱に心が支配されていく。頭の中は真っ白になり、ただ「逃げたい」という思いが私を飲み込んでいたが、動くことができなかった。
しかし、予想に反して、茉凜はゆっくりと微笑みを浮かべ、その表情が穏やかさを取り戻していった。その笑顔には、安堵と微妙な距離感が含まれており、その微妙さが私の心の中でさらに深い葛藤を引き起こしていた。
「まさか、君がこんなに積極的だなんて……本当に驚かされた。でも、ちょっと卑怯じゃないか?」
その瞬間、ウォルターとしての彼女の口から飛び出したのは、台本にはないアドリブのセリフだった。私は一瞬、言葉を失い、思考が完全に停止してしまった。舞台を壊しかねない私の突飛な行動に対して、茉凜が冷静に、そして巧みにアドリブで応じてくるとは予想していなかった。
その穏やかな微笑みと即座に返された言葉に、私の心はざわめき、まるで心臓が一拍飛んだかのような感覚を覚えた。茉凜の反応が私の内面に強く影響を与え、冷静さを取り戻すために必死に考える一方で、その場の空気に飲み込まれていく感覚があった。
「え、そんな……」と、思わず口にした言葉が途切れてしまう。
私は彼女の目を見つめ続けたが、どう答えればいいのか分からず、ただその微笑みに圧倒されていた。彼女の穏やかな視線が私の心を深く揺さぶり、胸の奥にある感情を一層鮮明に感じさせた。
茉凜の強さと優しさが、まるで矢のように私の心に突き刺さっていく。その冷静さと、そしてどんな状況にも動じず柔軟に対応する姿は、私を圧倒し、胸の中に湧き上がる尊敬と憧れが混ざり合っていた。彼女の存在が、私の中にある弱さを照らし出し、その一方で強く引き寄せられている自分を感じていた。
俯きながら、私はメイヴィスの役を通じて心から謝罪の言葉を紡ぐことしかできなかった。
「ごめんなさい。驚かせちゃったね……」
自分の行動が突飛すぎたことを痛感し、顔が熱くなっていくのが分かった。心がぎゅっと締め付けられ、恥ずかしさが込み上げてくる。
その一方で、茉凜の優しい微笑みはまるで暖かい毛布のように私の心を包み込み、少しの安堵と共に、彼女が私を許してくれたのだという感覚をもたらしてくれた。その瞬間、私は彼女の懐の深さと優しさに、さらに強く引き込まれていった。
茉凜は、ふっと笑みを浮かべながら「まったく、しょうがないな君は」と優しく言い、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
その瞬間、胸の奥から驚きと共に安堵が込み上げてきた。彼女の温かい腕に包まれていると、茉凜が本当に私を受け入れてくれているのかもしれないという錯覚に陥り、心の中で嬉しさと切なさが交錯するのを感じた。
「ごめんね、茉凜。この瞬間だけは、あなたを私だけのものにさせて……」
心の中でそう静かに呟きながら、私は茉凜の抱擁に身を任せた。彼女の体温と優しさがじわじわと私の心に染み渡り、彼女の息遣いや心臓の鼓動が、私の内側で強く響いていた。彼女の存在が一層大きく感じられ、私は完全にその中に包まれていた。
永遠にこの瞬間が続けばいい、と切に願いながら、私は彼女に対する愛おしさと儚さに満たされていった。やがて別れの時が来ると知りながらも、この一瞬だけは、私たちだけのものであってほしいと心から願った。茉凜のぬくもりにすべてを委ね、心の中で静かに彼女との時間をかみしめた。
こうして、私たちの演劇は静かに幕を閉じ、舞台の静寂の中で、私の心の中には深い余韻が広がっていった。その余韻は、まるで永遠の中に一瞬を刻むかのように、消えることなく心に残り続けた。