第4話 グロンダイルの娘
文字数 3,106文字
ヴィルの声に私は心の奥で不安と怒りが一緒に湧き上がるのを感じていた。
「そうよ」
私の答えは予想以上にあっさりとしたものだったけれど、心の中では動揺が激しく渦巻いていた。それでも、ヴィルの目が驚きに見開かれた瞬間を見逃さず、さらに踏み込んでみる。
「今『あいつ』って言ったわね。あなた、私の父さまのことを何か知っているの?」
鋭い視線をヴィルに向けながら、私の心の中にはある種の怖れと好奇心が交錯していた。彼の眉がわずかに動き、目を細めるのを見て、私は胸の鼓動が激しくなるのを感じた。
「まあな。あいつは俺の旧い友人だ」
「友人ね……」
私は彼の言葉を頭の中で反芻しながら、その裏に潜む意図を探ろうとする。
もし本当に友人だというのなら、父さまの過去を何か知っているかもしれない。それに、もしかしたら母さまのことも……。胸の奥では、希望と不安が同時に波打っていた。
「で? もしかして、あなたは友人の名を騙る不届き者を懲らしめに来たというの?」
少し挑戦的な口調で問いかけてみると、ヴィルは口元に薄い笑みを浮かべ、私の視線をしっかりと受け止めた。
「まあ、そう言ってもいいかもしれんがな」
その言葉にはどこか曖昧さが残り、彼の態度からは、本当に父さまの友人なのか、それとも敵なのかを見極めるのは難しかった。
しかし、少なくともこれは私が予想していた展開だ。グロンダイルの名を掲げて活動していれば、いつか父さまのことを知っている人間が現れるとわかっていた。だからこそ、私はあえてさらに探りを入れる。
「聞いて。私は正真正銘、『ユベル・グロンダイル』の娘よ。この名前で魔獣を狩ることが、一体何が悪いというの?」
私の言葉が静かに響く中、ヴィルの目が再び鋭く光を帯びた。その一瞬、彼の瞳に映る自分の姿が揺らいだ気がした。
私は真っ直ぐヴィルの瞳を見つめ続けた。彼が私をどう見ているのか、その答えを知りたいという一心で、自分の心を揺るがぬよう保ちながら、次の言葉を待つ。
「お前がユベルの娘だと……?」
その声に、私は体の奥底から冷たいものが這い上がるのを感じた。父さまは普段は偽名を使っていたから、その名を知る者は限られている。ヴィルの反応を見る限り、彼が何らかの因縁を持つ人物であることは確かなようだ。
「教えてもらおうか、あいつは今どうしている? どこにいるんだ?」
その追及に、私の心臓は強く握りつぶされたかのような感覚に襲われた。胸の奥に封じ込めていた忌まわしい記憶が、激しい波となって押し寄せ、一瞬息が止まる。言葉が喉元に引っかかり、思い出したくない過去が、私の意識をかき乱す。
彼の問いに答えなければならないと頭ではわかっていた。だけど、あの記憶が呼び起こす苦痛が、私を無力にする。それでも、私は負けたくなかった。父さまの名を語る以上、私には答える責任があるのだ。
私は今にも溢れ出しそうな感情を必死に堪えていた。心の奥底から押し寄せる感情の波を、ただ静かに飲み込むしかなかった。
「どこにいるかなんて……。父さまは……もうこの世にはいないわ」
震える手をぎゅっと握りしめながら、やっとの思いでその言葉を口にする。
父さまの死を語るたびに、胸の奥に鋭い刃物が深々と突き立てられるような痛みが走る。
「あいつが、死んだ……? 嘘だろう? 口からでまかせを言うんじゃない」
ヴィルの声に込められた強い動揺が、まるで重い石のように私の胸を押しつぶす。彼の瞳がまっすぐに私を見据え、痛みが一層深くなる。だけど、私は彼の目を避けず、事実から目を背けてはいけないと自分に言い聞かせ続けた。
「本当よ……」
胸の奥に突き刺さる痛みは、私がまだ父さまの死を完全に受け入れられていないことを示していた。
ヴィルの目が微かに揺れ、仮面のような冷静さが一瞬崩れた。彼の動揺が、私の心の中にさらに深い波紋を広げていく。
「何があったっていうんだ……。あいつはどうして死んだ?」
その問いかけに、私はさらに胸が締め付けられるような苦しさを感じた。心の奥で、父さまの姿が鮮明に蘇り、その瞬間を追体験しているかのようだった。
「父さまは、魔獣との戦いで命を落とした……。私を守ろうとして……」
言葉を発するたびに、父さまの笑顔が頭の中に浮かび、優しい言葉や厳しさの中に込められた深い愛情が、今は手の届かない遠くに行ってしまったと感じる。涙が自然に目に浮かぶが、私はそれを必死に堪えた。自分の弱さを見せたくなくて、どうしても涙を流すことができなかった。
「ばかな……。あいつが魔獣ごときに遅れを取るなどありえん。俺は信じないぞ……」
ヴィルの言葉には、彼自身の苦悩と混乱が滲んでいた。
その気持ちは私も同じだった。信じたくない、父さまが負けるなんて、どうしても受け入れたくない。けれど、現実は否応なく私にその厳しい事実を突きつけてくる。
「そうよ、父さまは強い。どんな魔獣がやってきたって絶対に負けない。私だってそう信じていた……。でも、あの時の魔獣はとても大きくて、見たこともない形をしていて、倒しても倒しても尽きることなく湧き出てきて、いくら父さまでも、一人でさばき続けるのは無理だった……」
凄惨な光景を思い出すだけで、息をするのも苦しくなる。目の前に広がったのは、父さまが血に染まりながら必死に戦う姿だった。鋭い爪と牙が彼の身体を貫き、血しぶきが飛び散るその場面に、私は心が引き裂かれるような思いを感じた。
その時の私は、ただ立ち尽くし、泣き叫ぶしかなかった。
「それでも……父さまは最後の最後まで諦めなかったわ。ただ、私のことを守るために、最後の一瞬まで戦い続けた……」
言ったところで、単に私自身を慰めるためのものでしかなかった。後悔と無力感が私を支配し。何もできなかった自分を許せずにいた。
「なぜ……」
心の中で、何度もその問いを繰り返していた。
なぜもっと早く気づかなかったのか。死にゆく父さまを目の前にして、ようやく眠っていた私の中の【前世】が覚醒したのだった。怒りと悲しみが渦巻く中で、私は前世で獲得した異能【深淵の黒鶴(※)】を発動させて、無限に湧き続ける魔獣を次々と屠っていった。しかし、その行為もすべて無駄だった。
「父さま……」
喪失の痛みが涙となって頬を伝う。どんなに努力しても、父さまはもう帰ってこない。その現実の重みとやるせなさに、私はひたすら苛まれていた。
ヴィルは私の言葉をじっと聞きながら、深い息を吐き出した。
「そうか……。あいつは最後まで戦ったんだな」
彼の声には、はっきりとした哀しみが滲んでいた。その目には、父さまの死に対する彼自身の痛みが浮かんでいると感じられて、友人であるという彼もまた、父さまのことを深く尊敬していたのだろうと思った。
※深淵の黒鶴
ミツルが前世で用いていた深淵と呼称される異能で、その中でも特異な個体【黒】を指す。バルファ世界から転移してきた【精霊器デルワーズ】が、世界の修正力によって変質崩壊してしまった際に生じた精霊子を、脳内の受容器官で収集して動力源とする。その力で場裏と呼ばれる限定領域を形成して、その中でイメージ通りの現象を具現化させる。基本的に術者は四大元素のうちの一種類しか操作しかできないが、ミツルは四大元素すべてを制御可能で、複数の術式を組み合わせて複雑な現象も実現可能。その圧倒的力と危険性と彼女の名前を組み合わせて、『黒鶴』という呼び名がつけられた。背中に現れる翼には物質としての特性はなく、彼女の願望が投影されたもの。