なんと別口で狙われているようですっ!・11
文字数 2,157文字
一瞬、なにが起こったのか理解できなかった。
わたしの顔へと飛んだ生温かい液体は粘り気を持っているらしく、ゆっくりと頬を伝い落ちる。
その液体をぬぐうことも忘れ、わたしは呆然と目の前の出来事を見つめた。
こちらに背を向けた留城也先輩。
その前に立っている二十代前半の若い男性は、たしか保健室の先生のはずだ。
いままで一度もわたしは保健室を利用していなかったために、入学式のときの教員挨拶で遠目から見ただけ。
けれど、白衣を着ているし間違いない。
少し長めの黒髪で縁取られた物憂げな表情の保健医は、雰囲気が明らかに従来の教師とは違っていた。
ノンフレームの眼鏡をかけた、その艶やかな色気を持つ知性的な容貌は、さっそく新入生の女子を喜ばせていると晴香から聞いたことがある。
その先生が、なぜか右手に持った小さくて細いナイフをひらりと掲げた。
――あれは、手術や解剖に使われるというメスではなかろうか。
それから先生は、言葉なく棒立ちのまま見つめるわたしへちらりと目を走らせたあと、ふたたび留城也先輩のほうへ視線を戻した。
その動作で、わたしは気がつく。
右手で左肩を押さえている留城也先輩の、下へと向けた左手の先。
その指先から床へ、真っ赤な血が滴り落ちていて……。
無意識に両手で口を覆いながら、わたしは悲鳴をあげていた。
「ぼやぼやするな! さっさと逃げろ!」
振り返った留城也先輩が、わたしへ向かって怒鳴る。
それでようやく身体の緊張が解けたわたしだけれど、今度はその場へ腰が抜けたようにへたりこんでしまった。
舌打ちをした留城也先輩は右手を伸ばし、わたしの二の腕を痛いほどに引っ張りあげる。
そのとき、留城也先輩の向こう側で、ゆらりと先生が動いた。
気配に気がついたらしい留城也先輩は、わたしを後ろへ突き飛ばしながら、先生のほうへ向きなおったけれど。
さっきまで寝かされていたベットのそばまで突き飛ばされたわたしは、勢いよく床へしりもちをつく。
けれど、その痛みに声をあげる間もなく、わたしの見ている前で一筋の閃光が走った。
足音もなく軽やかな身のこなしで近づいた先生が、留城也先輩へ向かってナイフを薙いだのだ。
ぎりぎりのところで攻撃をかわした留城也先輩だったけれど、わずかに避けきれなかったらしく、切り裂かれた頬から新たな鮮血が宙に舞う。
そのナイフに怯む様子を見せずに、留城也先輩は片足をあげて先生のお腹へ蹴りこんだ。
けれど、先生はあっさりとかわしながら逆にその足を抱えこむように絡め落とすと、留城也先輩を床へと転がし押さえこむ。
その直後、聞いたことのない音がした。留城也先輩の表情が歪み、声なく床を右手で叩く。
その顔から一気に血の気が失せた。
その様子から気づいたわたしは背筋に冷たいものが流れ、いいようのない恐怖が身体を貫いた。
――留城也先輩、足を折られたんだ!
保健室に漂う血の匂いが、目の前の出来事を現実だと伝えてくる。
床に座りこんだまま、それでもようやく頭が回りだしたわたしは、もっと自分の意識をはっきりさせるために声をだした。
「――もしかして、脅迫文をロッカーに入れたのって、先生だったんですか……?」
わたしの声は空気に溶けて消えいりそうなくらい、小さくて震えてしまっていたけれど。
聞きとれたらしい先生は、留城也先輩を押さえこんだまま顔をあげ、わたしへ優美な笑みを向ける。
そして、こんなときなのに魅惑的と感じてしまうような低音の声で返してきた。
「それは、きみが試験をやめなければ、この彼を襲うって脅迫状のことかい?」
――やっぱり。
一時間目に出会った紘一先輩に読まれてしまったのは、凪先輩に怒られたという事実だけで、理由などの詳細は伝わっていないはず。
だとすると、凪先輩だけしか詳しい内容を知らない脅迫状。
ほかに脅迫状のことを知っている人物がいるとすれば、送ってきた脅迫者だけ……。
床に座りこんだまま、わたしは先生の位置から見えないようにと、両手を背後へそろりと回す。
「! そんな話、聞いてねぇ……」
先生の下から抜け出そうともがいている留城也先輩が、苦痛を押さえこんだようなくぐもった声を振り絞る。
すると、先生は右手で持っていたナイフを器用にくるりと向きを変え、鋭利な刃を留城也先輩の首もとへと近づけた。
「べつにきみは知らなくていいことだ。きみを人質にして、いまから彼女と話をするのは私だから」
先生がしゃべり終わる前に、わたしは床に両手をついて勢いよく立ちあがっていた。
そして先生が驚いたようにわたしへ顔を向けると同時に、わたしはどすこいとばかりに、両手で先生を留城也先輩の上から横へ押し飛ばしてやった。
わたしに力いっぱい押された先生は、見事なくらいに吹っ飛んだ。
けれど、突き当たりの壁にぶつかる寸前、受け身をとるように身体をひねる。
残念。
どうやらダメージを最小限に抑えた気配。
「あっぶねぇ!」
小さく叫んだ留城也先輩の声を聞いて、はっとしたわたしは、慌てて倒れたままの先輩のもとへと駆け寄った。
わたしの顔へと飛んだ生温かい液体は粘り気を持っているらしく、ゆっくりと頬を伝い落ちる。
その液体をぬぐうことも忘れ、わたしは呆然と目の前の出来事を見つめた。
こちらに背を向けた留城也先輩。
その前に立っている二十代前半の若い男性は、たしか保健室の先生のはずだ。
いままで一度もわたしは保健室を利用していなかったために、入学式のときの教員挨拶で遠目から見ただけ。
けれど、白衣を着ているし間違いない。
少し長めの黒髪で縁取られた物憂げな表情の保健医は、雰囲気が明らかに従来の教師とは違っていた。
ノンフレームの眼鏡をかけた、その艶やかな色気を持つ知性的な容貌は、さっそく新入生の女子を喜ばせていると晴香から聞いたことがある。
その先生が、なぜか右手に持った小さくて細いナイフをひらりと掲げた。
――あれは、手術や解剖に使われるというメスではなかろうか。
それから先生は、言葉なく棒立ちのまま見つめるわたしへちらりと目を走らせたあと、ふたたび留城也先輩のほうへ視線を戻した。
その動作で、わたしは気がつく。
右手で左肩を押さえている留城也先輩の、下へと向けた左手の先。
その指先から床へ、真っ赤な血が滴り落ちていて……。
無意識に両手で口を覆いながら、わたしは悲鳴をあげていた。
「ぼやぼやするな! さっさと逃げろ!」
振り返った留城也先輩が、わたしへ向かって怒鳴る。
それでようやく身体の緊張が解けたわたしだけれど、今度はその場へ腰が抜けたようにへたりこんでしまった。
舌打ちをした留城也先輩は右手を伸ばし、わたしの二の腕を痛いほどに引っ張りあげる。
そのとき、留城也先輩の向こう側で、ゆらりと先生が動いた。
気配に気がついたらしい留城也先輩は、わたしを後ろへ突き飛ばしながら、先生のほうへ向きなおったけれど。
さっきまで寝かされていたベットのそばまで突き飛ばされたわたしは、勢いよく床へしりもちをつく。
けれど、その痛みに声をあげる間もなく、わたしの見ている前で一筋の閃光が走った。
足音もなく軽やかな身のこなしで近づいた先生が、留城也先輩へ向かってナイフを薙いだのだ。
ぎりぎりのところで攻撃をかわした留城也先輩だったけれど、わずかに避けきれなかったらしく、切り裂かれた頬から新たな鮮血が宙に舞う。
そのナイフに怯む様子を見せずに、留城也先輩は片足をあげて先生のお腹へ蹴りこんだ。
けれど、先生はあっさりとかわしながら逆にその足を抱えこむように絡め落とすと、留城也先輩を床へと転がし押さえこむ。
その直後、聞いたことのない音がした。留城也先輩の表情が歪み、声なく床を右手で叩く。
その顔から一気に血の気が失せた。
その様子から気づいたわたしは背筋に冷たいものが流れ、いいようのない恐怖が身体を貫いた。
――留城也先輩、足を折られたんだ!
保健室に漂う血の匂いが、目の前の出来事を現実だと伝えてくる。
床に座りこんだまま、それでもようやく頭が回りだしたわたしは、もっと自分の意識をはっきりさせるために声をだした。
「――もしかして、脅迫文をロッカーに入れたのって、先生だったんですか……?」
わたしの声は空気に溶けて消えいりそうなくらい、小さくて震えてしまっていたけれど。
聞きとれたらしい先生は、留城也先輩を押さえこんだまま顔をあげ、わたしへ優美な笑みを向ける。
そして、こんなときなのに魅惑的と感じてしまうような低音の声で返してきた。
「それは、きみが試験をやめなければ、この彼を襲うって脅迫状のことかい?」
――やっぱり。
一時間目に出会った紘一先輩に読まれてしまったのは、凪先輩に怒られたという事実だけで、理由などの詳細は伝わっていないはず。
だとすると、凪先輩だけしか詳しい内容を知らない脅迫状。
ほかに脅迫状のことを知っている人物がいるとすれば、送ってきた脅迫者だけ……。
床に座りこんだまま、わたしは先生の位置から見えないようにと、両手を背後へそろりと回す。
「! そんな話、聞いてねぇ……」
先生の下から抜け出そうともがいている留城也先輩が、苦痛を押さえこんだようなくぐもった声を振り絞る。
すると、先生は右手で持っていたナイフを器用にくるりと向きを変え、鋭利な刃を留城也先輩の首もとへと近づけた。
「べつにきみは知らなくていいことだ。きみを人質にして、いまから彼女と話をするのは私だから」
先生がしゃべり終わる前に、わたしは床に両手をついて勢いよく立ちあがっていた。
そして先生が驚いたようにわたしへ顔を向けると同時に、わたしはどすこいとばかりに、両手で先生を留城也先輩の上から横へ押し飛ばしてやった。
わたしに力いっぱい押された先生は、見事なくらいに吹っ飛んだ。
けれど、突き当たりの壁にぶつかる寸前、受け身をとるように身体をひねる。
残念。
どうやらダメージを最小限に抑えた気配。
「あっぶねぇ!」
小さく叫んだ留城也先輩の声を聞いて、はっとしたわたしは、慌てて倒れたままの先輩のもとへと駆け寄った。