マリアの嫉妬

文字数 8,225文字




 旅立ちが始まって、四日後。

 剣帝国南東、結界都市コラーダ。

 数千規模の人口が住む都市に、朝方、カンタロウ達が到着した。

 この都市は、夜中は月の都レベル5を発動させるなど、安全性の向上に努めていた。

 町の中では多民族国家らしく、亜人や妖精が普通に通りを歩いており、どちらかというと人間が多い。

 武器や防具、珍しい食料など、商業も活性化し、宿場も連なっている。

 カンタロウが普段着ている和装の格好をした武人がいるのも、剣帝国ならではの光景だ。

 カンタロウ、アゲハ、マリア、ツバメは、料理店の外でお昼ご飯を食べていた。

 卵を使ったサラダに、野菜のスープ、パンと久しぶりのごちそうだ。

 他にも食事に来たお客でいっぱいで、すでにテーブルに空きはなかった。

 マリアは丁寧に、パンにスープを乗せ、食事を進めている。

 アゲハも意外にマナーが良く、マリアと同じ食べ方をしていた。

 ツバメだけはガツガツ食事を口に運び、すでに食べ物はなかった。

 カンタロウは食事が進んでおらず、まだ何も手をつけていない。

「ふぅ。さすが都市だね。結界も、最新式の月の都レベル5を発動できるみたいだし。上流階層のお嬢様もいっぱいいるじゃないかい。うへへへへっ」

 暇になったツバメは、道を歩く女性達を、いやらしい目つきで眺めていた。

 旅など無縁そうな、綺麗な洋服を着た女性が多い。

 口紅や化粧もきちんとされている。日傘をさし、優雅に整備された道を歩く。

「ツバメさん。ヨダレ、でてますよ」

 マリアは清潔な布で口を拭い、ツバメに注意する。

「おっと、失礼。お嬢様」

 ツバメは手にコップを取ると、お茶をぐびっと飲み込んだ。

「このお茶腐ってるね。マリア、そっちのお茶くれよ」

「嫌ですよ。これ、私が飲んでいるんです」

「いいからおくれよ」

「間接キス狙いでしょ? 絶対に無理です」

 ツバメの意図がわかるのか、マリアは決して妥協しなかった。

 「ちぇ」ツバメは口を尖らした。

「カンタロウ君。大丈夫? 調子悪そうだけど?」

 食事を終えたアゲハが、まだ少ししか食べていない、カンタロウのことを気にし始めた。

 顔を見る限りは普段通りで、調子が悪そうには見えない。

 しかし、どこか気迫がない。

 後ろでカンタロウを見た女性達が、手で口を隠しながら噂し合っているのを、気にもしていない所はいつもどおりだ。

「ああ、大丈夫だ。母さんと別れて、もう十四日だが――まだ耐えられる」

「カンタロウ君。まだ四日」

 アゲハがカンタロウにツッコむ。

 ホームシックの兆候が出始めているのか、すでに日付の感覚がおかしくなりつつあった。

「ツバメさん。あと何日で着きますか?」

 マリアが食事を終え、ツバメに今後の予定を聞いてみる。

「そうだねぇ……。あと七日で着くかね。まっ、ちょっと剣帝国から離れるだけさね」

 ツバメはそう答えた。

「そうか。あと一年か……」

「カンタロウ君。七日」

 アゲハのカンタロウツッコみ二回目。

 すでに耳までおかしくなっていた。

 カンタロウが椅子から立ち上がり、

「トイレに行ってくる」

 都市の公園にある、公衆トイレにむかう。

 店のトイレは人が多く、列を作っているからだ。

 カンタロウは歩く途中、足同士がぶつかったり、壁に手をついたりと、調子の悪さは表情ではなく体にでていた。

「ふらついてる、ふらついてる」

 アゲハは両手に顎を乗せ、カンタロウの様子を見守っている。

「かなりきてますね。お食事も進んでいませんし……」

 マリアは心配そうに、残された食事を見つめた。

「なあ、カンタロウっちって、いつもああなのかい?」

「まあ母、ヒナゲシと離れるといつもああだね。そろそろ、幻聴とか幻覚とかが見えだすよ」

「それ、ひどすぎでないかい? 病院行ったらどうなんだい?」

 アゲハからカンタロウの病状を聞き、ツバメも、心配になってきていた。

「私が代わりになって、あげられればいいんですけど……」

「何マリア? 何言っちゃってんの?」

 アゲハがマリアに細い視線をむける。

「そうだよマリア。恋しまくってんじゃないか」

 ツバメもマリアに、アゲハと同じ視線をむけた。

「マリアがぁ。ヒナゲシママの代わりにぃ。カンタロウ君に甘えられたいってことねぇ」

「ママになりたいだなんて、やだよほんとに。夜たっぷり、甘えられたらいいじゃないさ。ザ・お母さんプレイだよぉ」

 二人の冷やかしに、マリアの頬が赤く染まり、

「やめてください二人とも。お母さんプレイってなんですか?」

「そうだよ。なんなの? お母さんプレイって?」

 アゲハが意味のわからない単語に、反応した。

「やれやれ。まだお子ちゃまには早いけど、ヒントをあげようかね。――哺乳瓶を……」

 槍の刃が、ツバメの前で踊った。

「ツバメさん。地獄へ行きますか?」

 マリアが笑いながら、ツバメにむかって槍をむけている。

「やだよマリア。ちょっとしたジョークじゃないかい」

 ツバメは必死で、マリアの怒りを静めていた。

 二十分が経過した。

 カンタロウはまだ帰って来ない。

 食事はすでに下げられている。支払いも終わった。

 アゲハは暇なので、長い金髪を、指でグルグルこね、

「遅いね。カンタロウ君」

「本当だよ。もう十分以上たってるね。大の方にしても遅いよ」

 ツバメは貧乏ゆすりをしている。

 マリアは白い髪を、櫛で綺麗にとかしていた。そして、櫛を花柄の小物にしまうと、顔を上げる。

「まさか、道の途中で、幻覚を追いかけてるんじゃ」

「ありうるな。それ」

 マリアに言われ、アゲハは椅子から立ち上がる。

 ツバメも立ち上がり、

「ちょっと公衆トイレに行ってみるかい?」

「はい。行ってみましょう」

 マリアは深くうなずく。

 三人は料理店を後にし、公園にむかった。

 公園は料理店のすぐ近くにあった。

 透き通った水の上にある、石でできた橋を渡ると、森のような木が植えられている公園につく。

 緑の絨毯で、市民がお弁当を食べたり、日向ぼっこをしている。

 雲はなく、晴天で、しかも風も穏やかなのだから、今日は人がかなり多かった。

 すぐに公衆トイレを見つけると、ツバメは遠慮なく男子トイレに入っていった。

 アゲハも入ろうとしたが、マリアに慌てて止められる。

 男の悲鳴が聞こえた後で、ツバメがトイレからでてきて、

「トイレにはいなかったよ」

「大の方にも?」

「大の方にも。おっさんしかいなかった」

 アゲハの問いに答える。

 「まさか、覗いたんですか?」マリアはツバメのデリカシーのなさに、貧血を起こしそうになった。

 アゲハは両手を腰にやり、天を見上げて、

「やっぱ幻覚追いかけてんじゃん。もう、めんどくさいなぁ」

「とっ、とにかく、探しましょ」

 立ち直ったマリアに言われ、三人はカンタロウを探すことにした。

 しばらく公園内を歩いていると、石の道から外れた所に、お花畑が続いていた。

 ツバメが何となく、花を眺めていると、見覚えのある後ろ姿が立っている。

 気になり、道から土の地面に乗りだし、近づいていくと、刀を持った男の剣士が、三人の女に囲まれていた。

「あっ! いたいた! いたよ! カンタロウっちが!」

 ツバメは二人を呼ぶために、叫んだ。あの後ろ姿は間違いなく、カンタロウだ。

 アゲハが反応し、

「えっ? どこに?」

「ほらっ、あそこ」

 ツバメが指さす方向に、確かにカンタロウがいた。しかし、カンタロウを囲む女達には見覚えがない。

 三人はとりあえず、木の影に隠れて様子を見ることにした。

「本当ですね。でも……」

「女に囲まれてるね」

 マリアとアゲハも、カンタロウの状況に気づいた。

 カンタロウを囲む三人の女達は、フリフリなドレスに、丸くリボンのついた靴、手には日傘を持っている。

 どの品物も高級品で、綺麗な色が輝いている。

 どう見ても、庶民や旅人ではない服装だ。

 三人とも若く、カンタロウと同年齢ぐらいだった。

「綺麗なお洋服……」

 マリアが羨ましそうに、女達を眺めた。

「ありゃ上流階級のお嬢様方だねぇ。世間知らずが。見た目がちょっといい男に盛っちゃってさ。羨ましいじゃないか! カンタロウっち!」

 ツバメが嫉妬を遠慮なく、口にだした。

 様子を見てみると、カンタロウは女達を避けようと、必死で首を振っている。しかし、金色の髪をした女は、毅然とした態度で、カンタロウに話しかけていた。

 他の二人は、その様子を見守っている。

 カンタロウの困惑した表情が見える。

「助けなきゃ。カンタロウ様を」

 マリアは背に持っている、槍に手をやった。目がギラついている。

「マリア。槍に手をかけるの、とりあえずやめよう」

 アゲハは冷静に、マリアの凶行を止める。

「なんでカンタロウっち。あんな所にいるんだい?」

 ツバメはふと、疑問に思った。

 公衆トイレから、お花畑まで、だいぶ距離がある。それに、料理店はここから反対側だ。

「母親の幻覚、追いかけてたんじゃないの?」

 アゲハは正解をすぐに答えた。

「すごいねその幻覚。すさまじい力だよ。あっ! やばいよ! 女がカンタロウの手を引っ張ってる! このままじゃ、お持ち帰りされちまうよ! カンタロウっちの純血が汚されちまう!」

 ツバメが興奮して叫ぶ。

 金髪の女が、カンタロウの腕をつかんでいる。

 驚いたカンタロウは、もう一方の腕で拒否しているが、今度は黒髪の女がその腕をつかんだ。

 最後には、茶色の髪の女が、カンタロウを誘導すべく腰に手を置いている。

 三人とも見知らぬ男に、触れることに抵抗はなく、むしろ嬉しそうな笑顔だ。

「やっぱり、やるしか……」

 マリアは槍の柄を、ギュッと握りしめた。体全体から、どす黒いオーラが流れる。

 不気味な風が、マリアの体から流れた。

「マリア、だから槍に手をかけないでってば」

 アゲハはマリアの暴走を、必死でなだめる。

「ああっ! カンタロウっちが!」

 ツバメが絶望的な声を上げた。

 カンタロウは三人の女達に、どこかに連れ去られようとしている。

 女より力の強い男だが、持病のためか、抵抗する力が弱い。

 ズルズルとどこかへ、カンタロウは運ばれていく。

「やばいね、これは。カンタロウ君。持病でまるで力が入ってない。あれ? でもこのパターンて、普通女の子なんじゃないの? 女の子が凶悪な男共に、囲まれるアレなんじゃないの? なんか逆じゃね?」

 アゲハは妙なパターンに、疑問符が頭についた。

「あたしが行ってやるよ。任せな」

 ツバメは木から飛びだすと、三人の女達にのっしのっしとむかっていき、

「ちょっと待ちな! あんた達!」

 大きな声に、三人の女達がビクッと震える。

 カンタロウはその声が、ツバメのものだとすぐに気づいた。

「あら? どちら様ですの?」

 金髪の気の強そうな女が、ツバメをいぶかしげに見つめる。

 カンタロウの腕を、一番最初に握った人物だ。

 細く、綺麗な眉に、物怖じしない眼光、気品が表情からもあふれている。

「……ツバメ」

 カンタロウの弱々しい声が聞こえる。

 ツバメは助けにきたぞと言わんばかりのウインクをして、

「そいつをどうするつもりだい?」

「えっ? あっ、ああ。カンタロウさんのことね。この方少し調子が悪そうなので、私のお屋敷に案内しようと思っただけですわ」

 カンタロウを助けようとしていたのだ。

 好意も含まれているのだろう。

 カンタロウを見つめる目が、どこか優し気だ。

「そうかい。あたしの名前はツバメ。あんた達は?」

 ツバメが女達の名前を求めてきた。女達はお互い目を合わせたが、相手が名乗っているのに、名乗らないわけにはいかない。

「私はセルシアですわ」

 金髪の女が名乗った。

「私はセリナです」

 茶色の髪の女が、笑顔で名乗る。弓形の眉、細く大人びた目、落ち着きのある女性だ。

「私は、リリ」

 黒髪の女が、セルシアの背中に隠れ、名乗った。斜めの眉から、気の強そうな印象を受けるが、性格は臆病のようだ。警戒心を露わにしている。

「よし。お前達、よく聞きな。その男は、あたしの犬一号さ! あたしはその男の飼い主さね。さあ、離れな!」

 どうやらツバメの作戦は、犬とその飼い主路線でいくようだ。

 自分を親指でさし、強烈な自己主張をした。

 三人の女性達は、目をパチクリさせる。

「……お前」

 カンタロウの頭の血管が、あと少しで切れそうになった。

「本当ですか?」

 セリナが、カンタロウの顔色をうかがう。しかし、カンタロウは頭の中が真っ白になり、何も答えられない。

 三人のお嬢様は、ツバメの言うことを信じてしまった。

「かわいそう。助けなきゃ」

 リリがセルシアに訴える。恐らく、犬とは奴隷のことだと思われているのだろう。

「そうですわね。わかりました。私が彼を買いましょう」

 セルシアが一歩、ツバメの前にでた。

「……えっ?」

「おいくらかしら?」

「ちょ、本気かい?」

「嘘なんて、つきませんよ」

「……よし、売った!」

 ツバメは商談が成立し、グッと拳を握りしめた。

「おっ、お前な……」

 カンタロウは初めて、ペットとして売られていく、子犬の気持ちがわかった。

「うわっ、商談成立しちゃったよ」

 木の影に隠れていたアゲハは、ツバメ達の会話をすべて聞いていた。

「ツバメさんて、本物の馬鹿なんですね」

 マリアは呆れきっていた。

「じゃ、次は私だな」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫。へぇきへぇき」

 アゲハは木からでると、自信満々で三人の女性達の前に立ち、

「ちょっと待て。その女は詐欺師だ。お金を渡しちゃ駄目だよ」

「えっ? そうでしたの?」

 財布を開きかけたセルシアの手が、ピタリと止まる。

「なっ、何言いだすんだい! そういうあんたは何者なんだい?」

 ツバメは嘘がバレ、犯罪者のように慌てふためいた。

「私はアゲハ。その男の、愛人だ!」

 アゲハの予想では、これで女達は泣きながら諦めて帰るだろうと思っていた。

 自分の美貌の前に、男を差しだすと考えているのだ。これは過剰な自信がなければ、できない行為である。

「…………」

「…………」

「…………」

 女達は予想に反して、きょとんとするばかりで、何の反応もなかった。

「あっあれ? どうしたの? うわっ!」

 急にセリナとリリが、アゲハに抱きついてきた。アゲハは何が起こったのかわからず、困惑している。

「可愛い子!」

「やだ、愛人だって! そんなにお兄さんを独占したいの?」

 カンタロウの妹だと思われているようだ。

 人間の多い都市で、獣人の女の子は珍しい。

 アゲハの見た目は、この都市では可愛らしいお人形さんのように見えていた。

「可愛い妹さんね。獣人?」

「……そうだな」

 カンタロウはセルシアに、アゲハは自分の妹だと認めた。というか、すでにもうどうでもいい気持ちになっていた。

「違う! 私は妹じゃなくって、って、誰がお前の妹だっ! 助けろカンタロウ君!」

 アゲハの叫びは、カンタロウの耳には入っていなかった。

 ――アゲハさんがやられてしまった……私が何とかしなきゃ……。

 マリアは大きく深呼吸すると、木からでていき、女達の前に立ち、

「失礼します。使いの者達の、ご無礼をお許しください」

 丁寧な言葉を使い、品のある態度を見せる。

 誰もがマリアに注目した。

 マリアの白い髪が、風に揺れ、美しく光る。凛とした茶色の瞳が、女達を映した。

「あなたは?」

 セルシアはマリアに、ただならぬ雰囲気を感じ、表情を引き締めた。

「私の名前はマリア・ルーベンス。この者達の主人です。そしてその方は――私の婚約者です」

 マリアの声が、カンタロウの耳に入る。

「えっ?」

 カンタロウはつい、マリアに視線をむける。

「ねっ、カンタロウ様」

 優しい瞳で、マリアは笑っている。

「……ああ、そうだ」

 カンタロウはマリアの意図を読み、そう答えた。

「私達、旅をしてまして、この都市は初めて来たのです。都市を見学してましたら、どうやら私の婚約者が迷子になってしまいまして。それで、使いの者に探させていたのです」

 マリアの言うことは、すべて嘘だ。しかし、その淀みのない口調から、嘘を発見するのは難しかった。

 ツバメとアゲハも、何も言えず、動向を見守っている。

「そうでしたの……それじゃ、お誘いするわけにはいきませんわね」

「残念だね。せっかく、お気に入りの男性を見つけたのに……」

 セリナとリリが、セルシアの様子を覗き見る。

 どうやら一番カンタロウに好意的だったのは、セルシアのようだ。

 恐らくカンタロウに、最初に声をかけたのも、セルシアなのだろう。

 セルシアは静かに、日傘を下ろした。

「婚約者がいるのでしたら、仕方ありませんわね。ご無礼を失礼致しました」

 丁重にお詫びするセルシア。

「いいえ」

 マリアは静かに、それに答えた。

「カンタロウさん。また今度、一緒にお茶を飲んでくださる? もちろん、マリアさんや皆様も誘って」

「ああ、心配してくれて、ありがとう」

 カンタロウは嬉しそうに、セルシアにニコリと笑う。

 その笑顔を見たセルシアは、一瞬、悲しそうな表情をし、

「良い婚約者ですわね。お幸せになってくださいまし」

「ええ。ありがとう」

「それでは」

 セルシアは踵を返すと、カンタロウ達とは反対の方向に去っていった。

 セリナとリリも、その後ろを追いかける。

 両目を腕でこすっているセルシアに、セリナは優しく背中をなでていた。

「……あれは、本気の恋だったんだねぇ。カンタロウっち、末恐ろしい男だよ」

 ツバメはカンタロウの、女をすぐに本気にさせてしまう、鬼のようなモテ方に身震いした。

「もう! どうしてこんな所に来たの!」

 アゲハはかっかして、カンタロウに大声で問いつめた。

 自分が愛人として相手にされなかった、八つ当たりも入っている。

「気づいたら、ここにいたんだ。この花は確か、母の好きな花に似ているなと。そんな話を、あの子としてた。――好きだって言ってくれたよ、あの子も、この花が」

 カンタロウの言い分を聞き、アゲハは言葉をつまらせてしまった。

 それは中心が黄色く、小さな白い花びらを咲かせた、カモミールの花だった。

 お花畑には、カモミールが一番奥に植えられていた。

 他の花と比べると、地味な印象があるからだろう。

 どうしてセルシアが、この花を好きだと言ったのか、去ってしまった以上、理由を知ることは二度とできなかった。

「マリア」

「はい?」

「すまない。助かったよ」

 カンタロウはマリアに頭を下げた。

「いいえ。どういたしまして」

 マリアもカンタロウと同じく、頭を下げていた。

「よっ! 婚約者同士。再会のチューしたらどうだい?」

「なっ、何を言ってるんですかっ!」

 ツバメが二人をからかうと、マリアはいつもの態度に戻り、真っ赤になった。

 カンタロウは力なく笑い、

「少し。休んでいくよ。宿屋に先に帰っててくれないか?」

「大丈夫なの? また幻覚とか見ない?」

 カンタロウのそばに、アゲハがすぐに近寄る。

「大丈夫だ。さっき――本物の母を見たからな」

「それ幻覚!」

 アゲハがノリツッコミ。

 カンタロウは、重度のホームシック状態になっていた。

「もう! こんな所にいたら、またやっかいなことに巻き込まれるだろ! ほら」

「うん?」

 アゲハはカンタロウの前に、片手を差しだしている。

「ほらっ、宿屋に行くぞ。そこでもう寝てろ」

「――そうだな。すまん」

 カンタロウはアゲハのやりたいことがわかり、その手を取った。手袋をしているが、小さく細い指であることがわかる。

 アゲハはカンタロウの大きな手を握ると、嬉しそうに白い歯をだして笑った。

 マリアはその様子を、ぼんやりと見つめている。

「ふふん。じゃ、行こう」

「ああ」

「あと次からは妹じゃなく。愛人て言えよ」

「嫌だ」

「じゃ、母さん。もしくはママでもいいぞ」

「もっと嫌だ」

 二人は手を繋ぎ合い、宿屋へと歩いていった。

「おやおや。元の鞘に収まったようだね。カンタロウっちも、アゲハには気を許してるみたいだし」

「……そう……ですかね?」

 マリアの苦しそうな声に、ツバメは驚き、その表情を覗いてみた。

 マリアはツバメから顔を隠していた。

 両目は湿っており、手はお互いを握り締め合っている。

 視線は前に行く二人を、必死で見ないようにしている。

 体は小刻みに震え、歩くのも辛そうだった。それは、何かに一生懸命耐えているように見えた。

 ――やれやれ。この子。本気で嫉妬してるよ。

 ツバメは困ったように、頭をポリポリかいた。
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