アゲハ誕生

文字数 4,656文字

 二十八年前。

 エコーズが支配する大陸、エトピリカ。

 コスタリア大陸を支配しようとした、一代目コウダが死亡し、二代目コウダがエコーズの王となっていた時代。

 賢帝国の技術者が開発した吸収式神脈装置により、エコーズの軍は敗戦が続き、ついには自国のある大陸にまで追いつめられていた。

 さすがの帝国連盟も、海を挟んだエトピリカまでの進軍は危険と判断し、海側にある大帝国で、エコーズの様子を見守っていた。

 現在、エコーズの軍は、リンドブルムで籠城状態にあった。





 逢魔が時。

 エコーズ達はとても大人しく、誰もが騒ごうとしなかった。

 町では、活気あふれる光景は見られない。

 そう、今日は特別な日なのだ。

 エトピリカ大陸の中央に位置するある場所で、リンドブルムの兵士達が、母大樹の前でずらりと並んでいた。

 兵士達の中を、二人のエコーズが歩いている。

 一人は和装した朧。もう一人は、咎人というエコーズで、体中に化粧をし、獣の皮を材料とした、独特な衣装を着た、細身で手足の長い男だった。

 母大樹では、エコーズの医者が樹の中に手を入れ、何かを取りだそうとしていた。

 朧と咎人は、その様子を真剣な表情で見つめる。

 大樹の周りには、何本も打たれた杭があり、巻き付いている赤い布が、激しく風に揺らいでいた。

 その中で、異様な銅像があった。

 それは、首のない女神の像だった。

 元は首があったのか、無惨にも引き千切られた跡がある。

 体格は小さく、柔らかな曲線に、胸が少しだけあった。

 服装からして、少女の女神だったのだろう。

 背中には片方だけ折れた、翼があった。

「……どうだ?」

 朧が心配そうに、医者に声をかける。灰色で長髪の髪が、風で勢いよくなびいている。

 医者は一気に、母大樹から何かを引き抜いた。

 それは赤ん坊だった。小さな手や足を動かし、生命の躍動を感じる。

 医者の隣にいた女のエコーズが、赤ん坊を大切に布でくるんだ。

「うむ。元気な子だ。女の子だな」

 医者は白い髭を手で触り、赤子の性別を特定した。

 医者の年齢はすでに百を超えており、身体に老化現象があらわれていた。顔にはしわやシミが見え、体力も衰えていた。筋肉が緩み、垂れた瞼から、生命の薄い赤い両目が見える。

 女の赤子は両目を閉じ、叫び声を上げることなく、静かに眠っていた。

 母大樹の中から外界にでてきたことに、気づいていないかのようだった。

 医者の見習いである女のエコーズの指を、口に入れ、ちゅうちゅうと吸っている。

「そいつだけかよ?」

 咎人がもう何もしない医者に、不審がって聞いてみる。

「そのようだ。母樹様の妊娠の光も、消えてしまったしな」

 医者は首を横に振った。

 母大樹は妊娠の兆候を、赤い光で知らせる。

 樹の幹や枝、葉から、光は発せられるのだ。

 エコーズ達は新たなる仲間の誕生に喜び、出産日は大人しくすごすのが決まりだった。

「今年はこれで四人か……年々少なくなっていくものだ」

 朧が母大樹の現状に嘆いた。

 全盛期では、百人以上子を生んだ母大樹も、今では年に五人から十人しか生まなくなった。

 原因を調査してみても、母大樹を傷つけることを恐れ、まったく進展はなかった。

 なによりも、どうしてエコーズを生めるのか、その理由すらわかっていないのだ。

「母樹様もご高齢なのだ。このままでは種族の維持が難しくなる。戦争などしとる暇はないというのに……おっと失礼。今のは聞かなかったことにしてくれ」

 長年母大樹と関わってきた老齢の医者は、寂しそうに大樹の樹皮を優しくさする。

「キヒッ。結界ができちまってから、俺達はどんどん数を減らしている。もし、人間や亜人がこの大陸まで攻めてきたら、終わりだぜ」

「咎人、よけいなことは言わないことだ」

「だってよぉ朧……」

 朧に睨まれ、咎人は口を閉じざるおえなかった。

 不安は伝染する。

 咎人が不安がれば、周りの兵士達にも影響を及ぼしかねない。

 ――咎人の言うとおりだ。戦争で我ら種族はさらに減少の一途をたどっている。このままでは、絶滅してしまう。

 朧が嘆く。

 エコーズは人間や亜人のように、生殖能力を持っていない。

 種族の維持には、この母大樹の存在が必須だった。

 この樹が倒れてしまったら、エコーズという種族自体なくなってしまう。

「……なんということだ」

 突然、医者が小さく叫んだ。赤い両目が、驚きで見開いている。

 その先には、赤子があった。

 咎人が頭上を手でかき、

「どうしたよ?」

「コイツは……エコーズではない」

 医者の呼吸が一瞬止まった。

 赤子を抱えていた女のエコーズも、目をパチクリさせている。

「なんだと?」

 朧は何事かと、赤子に近づいた。

「見ろ。両目が赤ではない。空のように、澄んだ青だ。我らエコーズでは有り得ぬこと。つまり、この赤子は――神脈を持っておる」

 医者の両目が輝いていた。

 赤ん坊は碧い瞳を大樹にむけ、きゃっきゃと喜んでいた。

 エコーズにとって、歴史に残るほどの大事件だった。





 その後、赤ん坊は、王コウダが保有する研究施設に送られた。

 ベッドに寝かされ、エコーズが開発したスキャン装置で、赤子の内部を画像として取りだす。

 口の中に綿棒を入れ、遺伝子情報も調べられていた。

 研究施設の扉が開き、着物を着た女が入ってきた。

 ツユクサのような濃い青の髪に、肌は雪のように透明な白。ロングヘアから見えるその顔立ちは、一見しただけでも美少女だと認識させられる。

 体格や姿は人間でいうと十五、六の少女のようだが、顔つきは大人のような魅惑があった。

「キヒヒッ。雪姫ちゃんじゃないかよ」

「いつも城にいない者が、突然何の用だ?」

 透明なガラスから赤子を見守っていた朧と咎人が、雪姫に気づいた。

「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。ちょっと見物に来ただけ。町では、すごい噂が流れてるし」

 雪姫が二人に見向きもせず言う。

 人の口に戸はたてられぬというが、それはエコーズにも当てはまるようだ。

 すでに神脈を持つ赤子の誕生は、町の噂として流れていた。

「情報統制すら、うまくできないのか」

「そんなこと言うなよ。キヒッ。仕方ねぇさ。みんな珍しいんだ」

 なげく朧に、笑う咎人を、雪姫は無視して、ガラスに張り付いた。

 むこう側では、小さな赤子が、白い白衣を着たエコーズ達に囲まれている。

 赤子の両目が碧いことに気づくと、雪姫は目を見張り、

「あれが――神脈を持ったエコーズ。可愛い赤ちゃんじゃない」

 赤子を見ていると体の奥底から、何か引き締められる感じがする。

 最初は猫が二本足で立って歩いているような、物珍しさ程度で来ていたが、実際赤子を見ると気持ちが大きく変化した。

 物珍しい者ではなく、愛おしい者に変わってしまったようだ。

 雪姫は赤子から目が離せなかった。

「母性を感じるのかよ?」

 咎人が雪姫の心境の変化に気づき、からかうように言った。

「まさか。ただとても珍しいだけ」

 雪姫は咎人に感情を見透かされ、それを悟られないように、あえて冷たく言った。

「ねえ、本当にエコーズなの? 人間とかじゃないの?」

「あの子は確かに、母樹様が生んだ子。人間などではない。あの目が、エコーズである証だ」

 朧が雪姫に顎を向けて言う。

 赤子の碧い瞳は、獣のように尖っていた。

「確かに、獣人みたいな目、してるわね」

 雪姫の興味がわいたようだ。彼女が普段、こんなに何かに興味を示すことはない。

「ねえ。男? それとも女?」

「女だ」

「へぇ。ちょっと嬉しいな。友達になれるかも」

 朧の返答に満足いく雪姫。

 雪姫に友達は一人もいなかった。彼女自身、あまり友を作ることに、興味がなかったからだ。

 咎人は両手を広げ、

「年齢差ありすぎだろ。お前、俺達と同じ、百歳超えてるんだからよ。キヒッ」

 朧、咎人、雪姫の三人は、すでに百を超えていた。それでも、身体能力や若さに衰えはない。

 エコーズの寿命には個体差があるが、三人は特別に長い命を授かっていた。

「女に年齢のことは聞かないの。だからあんたは、馬鹿って呼ばれるのよ」

「キヒヒッ。そりゃ失礼」

 咎人はわざと、雪姫におどけてみせた。

 研究室から、白衣を着た男がでてきた。白い髪に、白い肌。その白さは、雪姫よりも深かった。

 背は三人よりも小さく、人間の子供のような姿だ。顔も幼く、若すぎる。

「やあ。雪姫じゃないか。相変わらず白い肌だね」

「白蛇。あんたの白さには負けるわ」

 白蛇と呼ばれた男は、雪姫に向かって、ニッコリと少年のように笑った。

「でっ、どうなのだ? あの子はエコーズで間違いないのか?」

 朧がさっそく気になることを聞いてみた。

 白蛇は、この研究施設の所長をしているからだ。つまり、最高責任者である。

「間違いないよ。遺伝子検査や体内スキャンをかけてみたけど、僕達と同じさ。生殖能力もない。ただ違うのは、神脈を持っているということ」

「すげぇや! 奇跡の子だ!」

 白蛇をよそに、咎人が飛び上がった。

 いまだかつて、エコーズで神脈を持った者などいないからだ。

「なぜ神脈を持っている? それはわかったのか?」

「わからない。突然変異としか思えないね」

 白蛇は首を残念そうに、朧に向かって横に振った。

「そうか……」

 朧は無念の表情となった。

 白蛇がわからないのであれば、誰が調査しても同じだろう。

 雪姫が手を額にやり、

「で? どうするのよ?」

「どうもしないさ。牙人……おっと、今は二代目コウダ様だったね。彼に報告するだけさ」

 白蛇はゴム手袋をゴミ箱に捨てると、その場から立ち去ろうとする。

 朧が、手を上げて止め、

「待て。白蛇。お前の推測を聞かせてくれないか? いったいあの子は何者なのか。そして、今後、何をすべきなのか」

 白蛇は立ち止まると、しばらく何も言わなかった。思いついたように、天井に視線を上げ、

「……そうだね。まだ僕でもわからないけど。恐らく――彼女は僕達を導く者になるかもしれない」

「なんか、大げさね」

「そうかな? 僕は大真面目さ」

 白蛇は雪姫にそれだけ言うと、奥の闇へと消えていった。

 雪姫はその後ろ姿に、冷たい息を吐いた。

「キヒッ。相変わらず何を考えてるのか、わからねぇ奴だな。頭の悪い俺では、何を言ってるのか理解できねぇ」

 咎人は白蛇が見えなくなったことを確認すると、長い首をグルグル回した。

「……とりあえず。名前をつけなければな。どんな名がよいか」

 朧が腕を組む。

 エコーズが生まれれば、上位クラスのエコーズが名前をつける決まりになっている。

 三人は命名権を持っているので、自分達が考えた名前を赤子に与えることができるのだ。

 そしてそれは、国民投票によって決定する。

「命名か。俺はそうだな。モエモエにしよう」

「ださっ。やめてよもう」

 咎人のネームセンスの無さに、雪姫はつい呆れてしまった。

「どうしてだよ? 可愛いぜ」

「安心しろ。咎人のだす名前は、国民に受け入れられたことはない」

 朧が言ったとおり、咎人が考えた名前のついた、エコーズはいなかった。

 雪姫がクスクス笑い、

「それもそうね」

「マジかよ? キヒッ。ショック」

 咎人は手を額に乗せ、ケタケタ笑った。

 朧が視線を赤子に向け、

「お前はどうだ? どんな名前がいい?」

「そうねぇ……アゲハ。そうだ。アゲハって名前が可愛いわ」

 雪姫は飽きないのか、再び赤子を眺めている。

「アゲハ……か」

 朧は何となく、その名前で決定しそうな予感がしていた。

 ガラスのむこうで赤ん坊は、三人にむかって小さく笑っていた。
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