アゲハ誕生
文字数 4,656文字
二十八年前。
エコーズが支配する大陸、エトピリカ。
コスタリア大陸を支配しようとした、一代目コウダが死亡し、二代目コウダがエコーズの王となっていた時代。
賢帝国の技術者が開発した吸収式神脈装置により、エコーズの軍は敗戦が続き、ついには自国のある大陸にまで追いつめられていた。
さすがの帝国連盟も、海を挟んだエトピリカまでの進軍は危険と判断し、海側にある大帝国で、エコーズの様子を見守っていた。
現在、エコーズの軍は、リンドブルムで籠城状態にあった。
*
逢魔が時。
エコーズ達はとても大人しく、誰もが騒ごうとしなかった。
町では、活気あふれる光景は見られない。
そう、今日は特別な日なのだ。
エトピリカ大陸の中央に位置するある場所で、リンドブルムの兵士達が、母大樹の前でずらりと並んでいた。
兵士達の中を、二人のエコーズが歩いている。
一人は和装した朧。もう一人は、咎人というエコーズで、体中に化粧をし、獣の皮を材料とした、独特な衣装を着た、細身で手足の長い男だった。
母大樹では、エコーズの医者が樹の中に手を入れ、何かを取りだそうとしていた。
朧と咎人は、その様子を真剣な表情で見つめる。
大樹の周りには、何本も打たれた杭があり、巻き付いている赤い布が、激しく風に揺らいでいた。
その中で、異様な銅像があった。
それは、首のない女神の像だった。
元は首があったのか、無惨にも引き千切られた跡がある。
体格は小さく、柔らかな曲線に、胸が少しだけあった。
服装からして、少女の女神だったのだろう。
背中には片方だけ折れた、翼があった。
「……どうだ?」
朧が心配そうに、医者に声をかける。灰色で長髪の髪が、風で勢いよくなびいている。
医者は一気に、母大樹から何かを引き抜いた。
それは赤ん坊だった。小さな手や足を動かし、生命の躍動を感じる。
医者の隣にいた女のエコーズが、赤ん坊を大切に布でくるんだ。
「うむ。元気な子だ。女の子だな」
医者は白い髭を手で触り、赤子の性別を特定した。
医者の年齢はすでに百を超えており、身体に老化現象があらわれていた。顔にはしわやシミが見え、体力も衰えていた。筋肉が緩み、垂れた瞼から、生命の薄い赤い両目が見える。
女の赤子は両目を閉じ、叫び声を上げることなく、静かに眠っていた。
母大樹の中から外界にでてきたことに、気づいていないかのようだった。
医者の見習いである女のエコーズの指を、口に入れ、ちゅうちゅうと吸っている。
「そいつだけかよ?」
咎人がもう何もしない医者に、不審がって聞いてみる。
「そのようだ。母樹様の妊娠の光も、消えてしまったしな」
医者は首を横に振った。
母大樹は妊娠の兆候を、赤い光で知らせる。
樹の幹や枝、葉から、光は発せられるのだ。
エコーズ達は新たなる仲間の誕生に喜び、出産日は大人しくすごすのが決まりだった。
「今年はこれで四人か……年々少なくなっていくものだ」
朧が母大樹の現状に嘆いた。
全盛期では、百人以上子を生んだ母大樹も、今では年に五人から十人しか生まなくなった。
原因を調査してみても、母大樹を傷つけることを恐れ、まったく進展はなかった。
なによりも、どうしてエコーズを生めるのか、その理由すらわかっていないのだ。
「母樹様もご高齢なのだ。このままでは種族の維持が難しくなる。戦争などしとる暇はないというのに……おっと失礼。今のは聞かなかったことにしてくれ」
長年母大樹と関わってきた老齢の医者は、寂しそうに大樹の樹皮を優しくさする。
「キヒッ。結界ができちまってから、俺達はどんどん数を減らしている。もし、人間や亜人がこの大陸まで攻めてきたら、終わりだぜ」
「咎人、よけいなことは言わないことだ」
「だってよぉ朧……」
朧に睨まれ、咎人は口を閉じざるおえなかった。
不安は伝染する。
咎人が不安がれば、周りの兵士達にも影響を及ぼしかねない。
――咎人の言うとおりだ。戦争で我ら種族はさらに減少の一途をたどっている。このままでは、絶滅してしまう。
朧が嘆く。
エコーズは人間や亜人のように、生殖能力を持っていない。
種族の維持には、この母大樹の存在が必須だった。
この樹が倒れてしまったら、エコーズという種族自体なくなってしまう。
「……なんということだ」
突然、医者が小さく叫んだ。赤い両目が、驚きで見開いている。
その先には、赤子があった。
咎人が頭上を手でかき、
「どうしたよ?」
「コイツは……エコーズではない」
医者の呼吸が一瞬止まった。
赤子を抱えていた女のエコーズも、目をパチクリさせている。
「なんだと?」
朧は何事かと、赤子に近づいた。
「見ろ。両目が赤ではない。空のように、澄んだ青だ。我らエコーズでは有り得ぬこと。つまり、この赤子は――神脈を持っておる」
医者の両目が輝いていた。
赤ん坊は碧い瞳を大樹にむけ、きゃっきゃと喜んでいた。
エコーズにとって、歴史に残るほどの大事件だった。
*
その後、赤ん坊は、王コウダが保有する研究施設に送られた。
ベッドに寝かされ、エコーズが開発したスキャン装置で、赤子の内部を画像として取りだす。
口の中に綿棒を入れ、遺伝子情報も調べられていた。
研究施設の扉が開き、着物を着た女が入ってきた。
ツユクサのような濃い青の髪に、肌は雪のように透明な白。ロングヘアから見えるその顔立ちは、一見しただけでも美少女だと認識させられる。
体格や姿は人間でいうと十五、六の少女のようだが、顔つきは大人のような魅惑があった。
「キヒヒッ。雪姫ちゃんじゃないかよ」
「いつも城にいない者が、突然何の用だ?」
透明なガラスから赤子を見守っていた朧と咎人が、雪姫に気づいた。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。ちょっと見物に来ただけ。町では、すごい噂が流れてるし」
雪姫が二人に見向きもせず言う。
人の口に戸はたてられぬというが、それはエコーズにも当てはまるようだ。
すでに神脈を持つ赤子の誕生は、町の噂として流れていた。
「情報統制すら、うまくできないのか」
「そんなこと言うなよ。キヒッ。仕方ねぇさ。みんな珍しいんだ」
なげく朧に、笑う咎人を、雪姫は無視して、ガラスに張り付いた。
むこう側では、小さな赤子が、白い白衣を着たエコーズ達に囲まれている。
赤子の両目が碧いことに気づくと、雪姫は目を見張り、
「あれが――神脈を持ったエコーズ。可愛い赤ちゃんじゃない」
赤子を見ていると体の奥底から、何か引き締められる感じがする。
最初は猫が二本足で立って歩いているような、物珍しさ程度で来ていたが、実際赤子を見ると気持ちが大きく変化した。
物珍しい者ではなく、愛おしい者に変わってしまったようだ。
雪姫は赤子から目が離せなかった。
「母性を感じるのかよ?」
咎人が雪姫の心境の変化に気づき、からかうように言った。
「まさか。ただとても珍しいだけ」
雪姫は咎人に感情を見透かされ、それを悟られないように、あえて冷たく言った。
「ねえ、本当にエコーズなの? 人間とかじゃないの?」
「あの子は確かに、母樹様が生んだ子。人間などではない。あの目が、エコーズである証だ」
朧が雪姫に顎を向けて言う。
赤子の碧い瞳は、獣のように尖っていた。
「確かに、獣人みたいな目、してるわね」
雪姫の興味がわいたようだ。彼女が普段、こんなに何かに興味を示すことはない。
「ねえ。男? それとも女?」
「女だ」
「へぇ。ちょっと嬉しいな。友達になれるかも」
朧の返答に満足いく雪姫。
雪姫に友達は一人もいなかった。彼女自身、あまり友を作ることに、興味がなかったからだ。
咎人は両手を広げ、
「年齢差ありすぎだろ。お前、俺達と同じ、百歳超えてるんだからよ。キヒッ」
朧、咎人、雪姫の三人は、すでに百を超えていた。それでも、身体能力や若さに衰えはない。
エコーズの寿命には個体差があるが、三人は特別に長い命を授かっていた。
「女に年齢のことは聞かないの。だからあんたは、馬鹿って呼ばれるのよ」
「キヒヒッ。そりゃ失礼」
咎人はわざと、雪姫におどけてみせた。
研究室から、白衣を着た男がでてきた。白い髪に、白い肌。その白さは、雪姫よりも深かった。
背は三人よりも小さく、人間の子供のような姿だ。顔も幼く、若すぎる。
「やあ。雪姫じゃないか。相変わらず白い肌だね」
「白蛇。あんたの白さには負けるわ」
白蛇と呼ばれた男は、雪姫に向かって、ニッコリと少年のように笑った。
「でっ、どうなのだ? あの子はエコーズで間違いないのか?」
朧がさっそく気になることを聞いてみた。
白蛇は、この研究施設の所長をしているからだ。つまり、最高責任者である。
「間違いないよ。遺伝子検査や体内スキャンをかけてみたけど、僕達と同じさ。生殖能力もない。ただ違うのは、神脈を持っているということ」
「すげぇや! 奇跡の子だ!」
白蛇をよそに、咎人が飛び上がった。
いまだかつて、エコーズで神脈を持った者などいないからだ。
「なぜ神脈を持っている? それはわかったのか?」
「わからない。突然変異としか思えないね」
白蛇は首を残念そうに、朧に向かって横に振った。
「そうか……」
朧は無念の表情となった。
白蛇がわからないのであれば、誰が調査しても同じだろう。
雪姫が手を額にやり、
「で? どうするのよ?」
「どうもしないさ。牙人……おっと、今は二代目コウダ様だったね。彼に報告するだけさ」
白蛇はゴム手袋をゴミ箱に捨てると、その場から立ち去ろうとする。
朧が、手を上げて止め、
「待て。白蛇。お前の推測を聞かせてくれないか? いったいあの子は何者なのか。そして、今後、何をすべきなのか」
白蛇は立ち止まると、しばらく何も言わなかった。思いついたように、天井に視線を上げ、
「……そうだね。まだ僕でもわからないけど。恐らく――彼女は僕達を導く者になるかもしれない」
「なんか、大げさね」
「そうかな? 僕は大真面目さ」
白蛇は雪姫にそれだけ言うと、奥の闇へと消えていった。
雪姫はその後ろ姿に、冷たい息を吐いた。
「キヒッ。相変わらず何を考えてるのか、わからねぇ奴だな。頭の悪い俺では、何を言ってるのか理解できねぇ」
咎人は白蛇が見えなくなったことを確認すると、長い首をグルグル回した。
「……とりあえず。名前をつけなければな。どんな名がよいか」
朧が腕を組む。
エコーズが生まれれば、上位クラスのエコーズが名前をつける決まりになっている。
三人は命名権を持っているので、自分達が考えた名前を赤子に与えることができるのだ。
そしてそれは、国民投票によって決定する。
「命名か。俺はそうだな。モエモエにしよう」
「ださっ。やめてよもう」
咎人のネームセンスの無さに、雪姫はつい呆れてしまった。
「どうしてだよ? 可愛いぜ」
「安心しろ。咎人のだす名前は、国民に受け入れられたことはない」
朧が言ったとおり、咎人が考えた名前のついた、エコーズはいなかった。
雪姫がクスクス笑い、
「それもそうね」
「マジかよ? キヒッ。ショック」
咎人は手を額に乗せ、ケタケタ笑った。
朧が視線を赤子に向け、
「お前はどうだ? どんな名前がいい?」
「そうねぇ……アゲハ。そうだ。アゲハって名前が可愛いわ」
雪姫は飽きないのか、再び赤子を眺めている。
「アゲハ……か」
朧は何となく、その名前で決定しそうな予感がしていた。
ガラスのむこうで赤ん坊は、三人にむかって小さく笑っていた。
エコーズが支配する大陸、エトピリカ。
コスタリア大陸を支配しようとした、一代目コウダが死亡し、二代目コウダがエコーズの王となっていた時代。
賢帝国の技術者が開発した吸収式神脈装置により、エコーズの軍は敗戦が続き、ついには自国のある大陸にまで追いつめられていた。
さすがの帝国連盟も、海を挟んだエトピリカまでの進軍は危険と判断し、海側にある大帝国で、エコーズの様子を見守っていた。
現在、エコーズの軍は、リンドブルムで籠城状態にあった。
*
逢魔が時。
エコーズ達はとても大人しく、誰もが騒ごうとしなかった。
町では、活気あふれる光景は見られない。
そう、今日は特別な日なのだ。
エトピリカ大陸の中央に位置するある場所で、リンドブルムの兵士達が、母大樹の前でずらりと並んでいた。
兵士達の中を、二人のエコーズが歩いている。
一人は和装した朧。もう一人は、咎人というエコーズで、体中に化粧をし、獣の皮を材料とした、独特な衣装を着た、細身で手足の長い男だった。
母大樹では、エコーズの医者が樹の中に手を入れ、何かを取りだそうとしていた。
朧と咎人は、その様子を真剣な表情で見つめる。
大樹の周りには、何本も打たれた杭があり、巻き付いている赤い布が、激しく風に揺らいでいた。
その中で、異様な銅像があった。
それは、首のない女神の像だった。
元は首があったのか、無惨にも引き千切られた跡がある。
体格は小さく、柔らかな曲線に、胸が少しだけあった。
服装からして、少女の女神だったのだろう。
背中には片方だけ折れた、翼があった。
「……どうだ?」
朧が心配そうに、医者に声をかける。灰色で長髪の髪が、風で勢いよくなびいている。
医者は一気に、母大樹から何かを引き抜いた。
それは赤ん坊だった。小さな手や足を動かし、生命の躍動を感じる。
医者の隣にいた女のエコーズが、赤ん坊を大切に布でくるんだ。
「うむ。元気な子だ。女の子だな」
医者は白い髭を手で触り、赤子の性別を特定した。
医者の年齢はすでに百を超えており、身体に老化現象があらわれていた。顔にはしわやシミが見え、体力も衰えていた。筋肉が緩み、垂れた瞼から、生命の薄い赤い両目が見える。
女の赤子は両目を閉じ、叫び声を上げることなく、静かに眠っていた。
母大樹の中から外界にでてきたことに、気づいていないかのようだった。
医者の見習いである女のエコーズの指を、口に入れ、ちゅうちゅうと吸っている。
「そいつだけかよ?」
咎人がもう何もしない医者に、不審がって聞いてみる。
「そのようだ。母樹様の妊娠の光も、消えてしまったしな」
医者は首を横に振った。
母大樹は妊娠の兆候を、赤い光で知らせる。
樹の幹や枝、葉から、光は発せられるのだ。
エコーズ達は新たなる仲間の誕生に喜び、出産日は大人しくすごすのが決まりだった。
「今年はこれで四人か……年々少なくなっていくものだ」
朧が母大樹の現状に嘆いた。
全盛期では、百人以上子を生んだ母大樹も、今では年に五人から十人しか生まなくなった。
原因を調査してみても、母大樹を傷つけることを恐れ、まったく進展はなかった。
なによりも、どうしてエコーズを生めるのか、その理由すらわかっていないのだ。
「母樹様もご高齢なのだ。このままでは種族の維持が難しくなる。戦争などしとる暇はないというのに……おっと失礼。今のは聞かなかったことにしてくれ」
長年母大樹と関わってきた老齢の医者は、寂しそうに大樹の樹皮を優しくさする。
「キヒッ。結界ができちまってから、俺達はどんどん数を減らしている。もし、人間や亜人がこの大陸まで攻めてきたら、終わりだぜ」
「咎人、よけいなことは言わないことだ」
「だってよぉ朧……」
朧に睨まれ、咎人は口を閉じざるおえなかった。
不安は伝染する。
咎人が不安がれば、周りの兵士達にも影響を及ぼしかねない。
――咎人の言うとおりだ。戦争で我ら種族はさらに減少の一途をたどっている。このままでは、絶滅してしまう。
朧が嘆く。
エコーズは人間や亜人のように、生殖能力を持っていない。
種族の維持には、この母大樹の存在が必須だった。
この樹が倒れてしまったら、エコーズという種族自体なくなってしまう。
「……なんということだ」
突然、医者が小さく叫んだ。赤い両目が、驚きで見開いている。
その先には、赤子があった。
咎人が頭上を手でかき、
「どうしたよ?」
「コイツは……エコーズではない」
医者の呼吸が一瞬止まった。
赤子を抱えていた女のエコーズも、目をパチクリさせている。
「なんだと?」
朧は何事かと、赤子に近づいた。
「見ろ。両目が赤ではない。空のように、澄んだ青だ。我らエコーズでは有り得ぬこと。つまり、この赤子は――神脈を持っておる」
医者の両目が輝いていた。
赤ん坊は碧い瞳を大樹にむけ、きゃっきゃと喜んでいた。
エコーズにとって、歴史に残るほどの大事件だった。
*
その後、赤ん坊は、王コウダが保有する研究施設に送られた。
ベッドに寝かされ、エコーズが開発したスキャン装置で、赤子の内部を画像として取りだす。
口の中に綿棒を入れ、遺伝子情報も調べられていた。
研究施設の扉が開き、着物を着た女が入ってきた。
ツユクサのような濃い青の髪に、肌は雪のように透明な白。ロングヘアから見えるその顔立ちは、一見しただけでも美少女だと認識させられる。
体格や姿は人間でいうと十五、六の少女のようだが、顔つきは大人のような魅惑があった。
「キヒヒッ。雪姫ちゃんじゃないかよ」
「いつも城にいない者が、突然何の用だ?」
透明なガラスから赤子を見守っていた朧と咎人が、雪姫に気づいた。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。ちょっと見物に来ただけ。町では、すごい噂が流れてるし」
雪姫が二人に見向きもせず言う。
人の口に戸はたてられぬというが、それはエコーズにも当てはまるようだ。
すでに神脈を持つ赤子の誕生は、町の噂として流れていた。
「情報統制すら、うまくできないのか」
「そんなこと言うなよ。キヒッ。仕方ねぇさ。みんな珍しいんだ」
なげく朧に、笑う咎人を、雪姫は無視して、ガラスに張り付いた。
むこう側では、小さな赤子が、白い白衣を着たエコーズ達に囲まれている。
赤子の両目が碧いことに気づくと、雪姫は目を見張り、
「あれが――神脈を持ったエコーズ。可愛い赤ちゃんじゃない」
赤子を見ていると体の奥底から、何か引き締められる感じがする。
最初は猫が二本足で立って歩いているような、物珍しさ程度で来ていたが、実際赤子を見ると気持ちが大きく変化した。
物珍しい者ではなく、愛おしい者に変わってしまったようだ。
雪姫は赤子から目が離せなかった。
「母性を感じるのかよ?」
咎人が雪姫の心境の変化に気づき、からかうように言った。
「まさか。ただとても珍しいだけ」
雪姫は咎人に感情を見透かされ、それを悟られないように、あえて冷たく言った。
「ねえ、本当にエコーズなの? 人間とかじゃないの?」
「あの子は確かに、母樹様が生んだ子。人間などではない。あの目が、エコーズである証だ」
朧が雪姫に顎を向けて言う。
赤子の碧い瞳は、獣のように尖っていた。
「確かに、獣人みたいな目、してるわね」
雪姫の興味がわいたようだ。彼女が普段、こんなに何かに興味を示すことはない。
「ねえ。男? それとも女?」
「女だ」
「へぇ。ちょっと嬉しいな。友達になれるかも」
朧の返答に満足いく雪姫。
雪姫に友達は一人もいなかった。彼女自身、あまり友を作ることに、興味がなかったからだ。
咎人は両手を広げ、
「年齢差ありすぎだろ。お前、俺達と同じ、百歳超えてるんだからよ。キヒッ」
朧、咎人、雪姫の三人は、すでに百を超えていた。それでも、身体能力や若さに衰えはない。
エコーズの寿命には個体差があるが、三人は特別に長い命を授かっていた。
「女に年齢のことは聞かないの。だからあんたは、馬鹿って呼ばれるのよ」
「キヒヒッ。そりゃ失礼」
咎人はわざと、雪姫におどけてみせた。
研究室から、白衣を着た男がでてきた。白い髪に、白い肌。その白さは、雪姫よりも深かった。
背は三人よりも小さく、人間の子供のような姿だ。顔も幼く、若すぎる。
「やあ。雪姫じゃないか。相変わらず白い肌だね」
「白蛇。あんたの白さには負けるわ」
白蛇と呼ばれた男は、雪姫に向かって、ニッコリと少年のように笑った。
「でっ、どうなのだ? あの子はエコーズで間違いないのか?」
朧がさっそく気になることを聞いてみた。
白蛇は、この研究施設の所長をしているからだ。つまり、最高責任者である。
「間違いないよ。遺伝子検査や体内スキャンをかけてみたけど、僕達と同じさ。生殖能力もない。ただ違うのは、神脈を持っているということ」
「すげぇや! 奇跡の子だ!」
白蛇をよそに、咎人が飛び上がった。
いまだかつて、エコーズで神脈を持った者などいないからだ。
「なぜ神脈を持っている? それはわかったのか?」
「わからない。突然変異としか思えないね」
白蛇は首を残念そうに、朧に向かって横に振った。
「そうか……」
朧は無念の表情となった。
白蛇がわからないのであれば、誰が調査しても同じだろう。
雪姫が手を額にやり、
「で? どうするのよ?」
「どうもしないさ。牙人……おっと、今は二代目コウダ様だったね。彼に報告するだけさ」
白蛇はゴム手袋をゴミ箱に捨てると、その場から立ち去ろうとする。
朧が、手を上げて止め、
「待て。白蛇。お前の推測を聞かせてくれないか? いったいあの子は何者なのか。そして、今後、何をすべきなのか」
白蛇は立ち止まると、しばらく何も言わなかった。思いついたように、天井に視線を上げ、
「……そうだね。まだ僕でもわからないけど。恐らく――彼女は僕達を導く者になるかもしれない」
「なんか、大げさね」
「そうかな? 僕は大真面目さ」
白蛇は雪姫にそれだけ言うと、奥の闇へと消えていった。
雪姫はその後ろ姿に、冷たい息を吐いた。
「キヒッ。相変わらず何を考えてるのか、わからねぇ奴だな。頭の悪い俺では、何を言ってるのか理解できねぇ」
咎人は白蛇が見えなくなったことを確認すると、長い首をグルグル回した。
「……とりあえず。名前をつけなければな。どんな名がよいか」
朧が腕を組む。
エコーズが生まれれば、上位クラスのエコーズが名前をつける決まりになっている。
三人は命名権を持っているので、自分達が考えた名前を赤子に与えることができるのだ。
そしてそれは、国民投票によって決定する。
「命名か。俺はそうだな。モエモエにしよう」
「ださっ。やめてよもう」
咎人のネームセンスの無さに、雪姫はつい呆れてしまった。
「どうしてだよ? 可愛いぜ」
「安心しろ。咎人のだす名前は、国民に受け入れられたことはない」
朧が言ったとおり、咎人が考えた名前のついた、エコーズはいなかった。
雪姫がクスクス笑い、
「それもそうね」
「マジかよ? キヒッ。ショック」
咎人は手を額に乗せ、ケタケタ笑った。
朧が視線を赤子に向け、
「お前はどうだ? どんな名前がいい?」
「そうねぇ……アゲハ。そうだ。アゲハって名前が可愛いわ」
雪姫は飽きないのか、再び赤子を眺めている。
「アゲハ……か」
朧は何となく、その名前で決定しそうな予感がしていた。
ガラスのむこうで赤ん坊は、三人にむかって小さく笑っていた。