16年前
文字数 2,857文字
十六年前。
夜の森を、少年が一人走っていた。
白銀の鎧を着用し、腰には刀。髪は黒色、年は十四。
鎧には、剣帝国国章『夜刀』が描かれていた。
金色の目をしたミミズクが、青年を見下ろしている。
ミミズクは一声も鳴いていない。まるで、森が死んだように、虫の鳴き声すら聞こえない。
森を抜けでた少年は、丘の上で立ち止まる。
目の前に赤い炎が、広がっていた。気温は寒いはずなのに、体中から汗が流れる。
喉が乾き、唾を飲み込む。
風に乗って、死臭が漂ってくる。
――火が踊っているようだ。
それは一つの町だった。町に火が放たれ、家を、動物を、人間を、燃やしているのだ。
餓鬼が叫んでいるかのように、火が踊り、宴を上げている。
――黒陽騎士の奴等め、コウタロウさんを置いて撤退するなんてっ!
黒陽騎士団。剣帝国の暗部を担当する、黒い鎧、兜、剣を持つ、少数精鋭の騎士団。
少年が所属する白陽騎士団とは、対照的な集団だ。
今回の任務を担当し、町に火を放ったのは、その騎士団だった。
少年はコウタロウを探すため、危険をかえりみず、燃えさかる町へとかける。すると、何者かが、こちらへと歩いてくるのが見えた。
少年に緊張感が増していく。
「ようっ! ランマルじゃないか」
「コウタロウさん!」
黒い鎧を着た男は、少年に気づくと手を振った。
男は兜を外すと、ひょうひょうとした笑顔があらわれた。黒髪に黒目。顎にそり残した、髭が見える。
「どうして来たんだ? 俺達に出動要請はでてないだろ?」
コウタロウの腕には、赤ん坊が抱かれていた。
「その子は?」
「ああ。あの町で拾った。こんな状況なのに、静かに寝ている。肝の太い奴だ」
赤ん坊は、柔らかい布に包まれている。スヤスヤと眠っており、泣き声すら上げていない。時折、小さな手が動く。
「はあ……。まあ無事で良かったですよ。それにしても、なんで黒陽騎士団に入ったんです?」
不安気にコウタロウに問う、ランマル。
コウタロウはそれを一蹴するかのように、笑った。
「ははっ、王の命令だ。黒陽騎士団に入って、その仕事を見てこいってな。まっ、団長はやりずらそうだったが、とりあえず一般兵として入り込んでいたよ。でっ、アイツ等は?」
「あなたを置いて撤退しました。私はそれを聞いて、ここに来たんです」
「そうかそうか。まあ、俺が悪いから仕方ないか。この子が見えたんでな。助けたかったから、あの炎の中に入っちゃったんだ」
申し訳なさそうに、頭をかくコウタロウ。
――無茶な人だ……でも。
ランマルは赤子を見下ろす。
「それにしても、ひどいもんだ。夜中に吸収式神脈装置を破壊し、王族を殺し、油をしいて魔法で火を放つ。怪物か、エコーズの仕業に見せたいんだろうが……」
「コウタロウさん。王は……皆殺しにせよと」
ランマルは、言いにくそうに、視線を落とす。
コウタロウは言葉をつまらせたが、静かに赤ん坊を見下ろした。
「わかってる。だがこの子は生まれたばかりだ。まだ罪や善すら知らない。まだ人間じゃない。だから、生かす」
覚悟のある意志。王の命令に逆らってでも、この赤ん坊を生かすという決意。コウタロウに、迷いはない。
「しかし……それでは……」
「だから、内緒にしてくれないか? 俺とお前だけの秘密だ。頼む」
コウタロウは深く、ランマルに頭を下げた。
「いっ、いえっ、わかりました。だから頭を上げてください」
自分より身分は上。白陽騎士団団長に頭を下げられては、もう何も言えない。
「そうか。すまん」
頭を上げると、コウタロウはすべてを灰に変えようとしている、炎に目をむける。
「なあ――ランマル」
「はい」
「王は、カストラルはなぜこんなことをしているんだろうな?」
ランマルは黙ってしまった。コウタロウと王は、小さい頃からの親友だ。
身分は違えど、二人は兄弟のように仲が良く、国を支えてきた。
そうだというのに、王はコウタロウに酷な任務を与えた。それは、何よりもコウタロウが嫌う仕事だ。
これがどういう意味なのか、もっと残酷に人を殺せという意味なのか、まだ真意がわからない。
「エコーズとの戦争もようやく終わり。平定の世になろうとしているのに、今度は人間同士で戦争している。アイツは、何を考えているんだろうな?」
「それは……それは、あの国が我らの国に攻め込むという情報が……」
ランマルは、苦しそうに、言葉を選ぶ。
「それ、本当に信じているか?」
「……私には、わかりません」
曖昧な情報。どこから入ってきたのか、まったくわからない噂。それを王は、疑うことなく信じている。
「俺もだ。まるで雲をつかむような、そんな話だった。実際あの国に攻めてみると、抵抗らしい抵抗はしてこない。諦めたのか、それとも、予想外だったのか……」
ランマルの顔が曇る。何か嫌なことが起こる、前触れのような気がする。それを察したのか、コウタロウは乱暴に、ランマルの頭をクシャクシャとなでた。
「行こう。ランマル。ここにいても、仕方がない。家に帰ろう。ヒナゲシが待ってるしな」
「はっ! あの、その子はどうします?」
「施設に預けよう。今後、この子の人生は厳しいものになるが、生きていれば良いことあるさ」
「はいっ!」
コウタロウが、ランマルの前を歩いて行く。すると、何かを思い出したのか、赤ん坊の頭を優しくなでた。
「そういえばヒナゲシも、もうすぐだったな」
ヒナゲシは、二年前に妻となった女性だった。年は二十近くも離れている。お腹には、コウタロウの子供を宿していた。
「お友達になれるとよいですね。その子と」
「ははっ、そうだな。そのときは、俺の子をよろしく頼むぞ」
白い歯をだして、幸せそうにコウタロウは微笑んだ。
*
燃えさかる炎の中を、一人の男が奥御殿へと急いでいた。
城の内部は逃げ場がないほど燃え尽くされ、使用人達は皆、黒い炭になっている。廊下はすでに火で包まれ、チリチリと男を追いつめていく。
「くっ!」
男が廊下につまずき、その場に倒れた。
男の両手は敵を切ったのか、真っ赤に染まっている。
「おのれっ……剣帝国め……なぜ我が国を攻撃した? ともにエコーズと戦った、同盟国じゃないのか?」
男の名前はツネミツ。
この城の兵士だ。まだ若く、荒々しい気性の持ち主だったが、顔立ちは整っていた。
黒い瞳に、両手の赤い血が映る。
拳を握ると立ち上がり、再び奥へと走った。
豪華な山の装飾がされた襖を開けていき、ようやく主君の姫の元にたどりついた。
姫は後ろをむいており、物静かに座っている。鮮やかな女房装束が、ツネミツに安堵をもたらした。
「ツツジ姫! ここはもう、もたない! 城から脱出を……」
ツネミツの言葉が止まった。
ツツジの隣に、何者かが立っていた。
白いマリアベールを頭にかぶり、聖職者のような格好をした、女だ。
「何者だ貴様! 剣帝国の者か!」
ツネミツが腰から刀を取り、構える。
マリアベールの女は、表情をツネミツに見せなかった。
ただ、聖母のように、紫の唇が優しく微笑んだ。
夜の森を、少年が一人走っていた。
白銀の鎧を着用し、腰には刀。髪は黒色、年は十四。
鎧には、剣帝国国章『夜刀』が描かれていた。
金色の目をしたミミズクが、青年を見下ろしている。
ミミズクは一声も鳴いていない。まるで、森が死んだように、虫の鳴き声すら聞こえない。
森を抜けでた少年は、丘の上で立ち止まる。
目の前に赤い炎が、広がっていた。気温は寒いはずなのに、体中から汗が流れる。
喉が乾き、唾を飲み込む。
風に乗って、死臭が漂ってくる。
――火が踊っているようだ。
それは一つの町だった。町に火が放たれ、家を、動物を、人間を、燃やしているのだ。
餓鬼が叫んでいるかのように、火が踊り、宴を上げている。
――黒陽騎士の奴等め、コウタロウさんを置いて撤退するなんてっ!
黒陽騎士団。剣帝国の暗部を担当する、黒い鎧、兜、剣を持つ、少数精鋭の騎士団。
少年が所属する白陽騎士団とは、対照的な集団だ。
今回の任務を担当し、町に火を放ったのは、その騎士団だった。
少年はコウタロウを探すため、危険をかえりみず、燃えさかる町へとかける。すると、何者かが、こちらへと歩いてくるのが見えた。
少年に緊張感が増していく。
「ようっ! ランマルじゃないか」
「コウタロウさん!」
黒い鎧を着た男は、少年に気づくと手を振った。
男は兜を外すと、ひょうひょうとした笑顔があらわれた。黒髪に黒目。顎にそり残した、髭が見える。
「どうして来たんだ? 俺達に出動要請はでてないだろ?」
コウタロウの腕には、赤ん坊が抱かれていた。
「その子は?」
「ああ。あの町で拾った。こんな状況なのに、静かに寝ている。肝の太い奴だ」
赤ん坊は、柔らかい布に包まれている。スヤスヤと眠っており、泣き声すら上げていない。時折、小さな手が動く。
「はあ……。まあ無事で良かったですよ。それにしても、なんで黒陽騎士団に入ったんです?」
不安気にコウタロウに問う、ランマル。
コウタロウはそれを一蹴するかのように、笑った。
「ははっ、王の命令だ。黒陽騎士団に入って、その仕事を見てこいってな。まっ、団長はやりずらそうだったが、とりあえず一般兵として入り込んでいたよ。でっ、アイツ等は?」
「あなたを置いて撤退しました。私はそれを聞いて、ここに来たんです」
「そうかそうか。まあ、俺が悪いから仕方ないか。この子が見えたんでな。助けたかったから、あの炎の中に入っちゃったんだ」
申し訳なさそうに、頭をかくコウタロウ。
――無茶な人だ……でも。
ランマルは赤子を見下ろす。
「それにしても、ひどいもんだ。夜中に吸収式神脈装置を破壊し、王族を殺し、油をしいて魔法で火を放つ。怪物か、エコーズの仕業に見せたいんだろうが……」
「コウタロウさん。王は……皆殺しにせよと」
ランマルは、言いにくそうに、視線を落とす。
コウタロウは言葉をつまらせたが、静かに赤ん坊を見下ろした。
「わかってる。だがこの子は生まれたばかりだ。まだ罪や善すら知らない。まだ人間じゃない。だから、生かす」
覚悟のある意志。王の命令に逆らってでも、この赤ん坊を生かすという決意。コウタロウに、迷いはない。
「しかし……それでは……」
「だから、内緒にしてくれないか? 俺とお前だけの秘密だ。頼む」
コウタロウは深く、ランマルに頭を下げた。
「いっ、いえっ、わかりました。だから頭を上げてください」
自分より身分は上。白陽騎士団団長に頭を下げられては、もう何も言えない。
「そうか。すまん」
頭を上げると、コウタロウはすべてを灰に変えようとしている、炎に目をむける。
「なあ――ランマル」
「はい」
「王は、カストラルはなぜこんなことをしているんだろうな?」
ランマルは黙ってしまった。コウタロウと王は、小さい頃からの親友だ。
身分は違えど、二人は兄弟のように仲が良く、国を支えてきた。
そうだというのに、王はコウタロウに酷な任務を与えた。それは、何よりもコウタロウが嫌う仕事だ。
これがどういう意味なのか、もっと残酷に人を殺せという意味なのか、まだ真意がわからない。
「エコーズとの戦争もようやく終わり。平定の世になろうとしているのに、今度は人間同士で戦争している。アイツは、何を考えているんだろうな?」
「それは……それは、あの国が我らの国に攻め込むという情報が……」
ランマルは、苦しそうに、言葉を選ぶ。
「それ、本当に信じているか?」
「……私には、わかりません」
曖昧な情報。どこから入ってきたのか、まったくわからない噂。それを王は、疑うことなく信じている。
「俺もだ。まるで雲をつかむような、そんな話だった。実際あの国に攻めてみると、抵抗らしい抵抗はしてこない。諦めたのか、それとも、予想外だったのか……」
ランマルの顔が曇る。何か嫌なことが起こる、前触れのような気がする。それを察したのか、コウタロウは乱暴に、ランマルの頭をクシャクシャとなでた。
「行こう。ランマル。ここにいても、仕方がない。家に帰ろう。ヒナゲシが待ってるしな」
「はっ! あの、その子はどうします?」
「施設に預けよう。今後、この子の人生は厳しいものになるが、生きていれば良いことあるさ」
「はいっ!」
コウタロウが、ランマルの前を歩いて行く。すると、何かを思い出したのか、赤ん坊の頭を優しくなでた。
「そういえばヒナゲシも、もうすぐだったな」
ヒナゲシは、二年前に妻となった女性だった。年は二十近くも離れている。お腹には、コウタロウの子供を宿していた。
「お友達になれるとよいですね。その子と」
「ははっ、そうだな。そのときは、俺の子をよろしく頼むぞ」
白い歯をだして、幸せそうにコウタロウは微笑んだ。
*
燃えさかる炎の中を、一人の男が奥御殿へと急いでいた。
城の内部は逃げ場がないほど燃え尽くされ、使用人達は皆、黒い炭になっている。廊下はすでに火で包まれ、チリチリと男を追いつめていく。
「くっ!」
男が廊下につまずき、その場に倒れた。
男の両手は敵を切ったのか、真っ赤に染まっている。
「おのれっ……剣帝国め……なぜ我が国を攻撃した? ともにエコーズと戦った、同盟国じゃないのか?」
男の名前はツネミツ。
この城の兵士だ。まだ若く、荒々しい気性の持ち主だったが、顔立ちは整っていた。
黒い瞳に、両手の赤い血が映る。
拳を握ると立ち上がり、再び奥へと走った。
豪華な山の装飾がされた襖を開けていき、ようやく主君の姫の元にたどりついた。
姫は後ろをむいており、物静かに座っている。鮮やかな女房装束が、ツネミツに安堵をもたらした。
「ツツジ姫! ここはもう、もたない! 城から脱出を……」
ツネミツの言葉が止まった。
ツツジの隣に、何者かが立っていた。
白いマリアベールを頭にかぶり、聖職者のような格好をした、女だ。
「何者だ貴様! 剣帝国の者か!」
ツネミツが腰から刀を取り、構える。
マリアベールの女は、表情をツネミツに見せなかった。
ただ、聖母のように、紫の唇が優しく微笑んだ。