死闘前の約束

文字数 4,176文字

 砂煙が収まりつつある。

 鉄人が、アゲハの頭を潰した手を上げた。


「うん?」


 手には何もついていない。土と石が、黒い鎧から落ちていくだけだ。

 ――血がついていない? どういうことだ?

 砂煙が、完全に晴れた。

 鉄人は赤い目を見張った。


「はあ、はあ……」


 男が、アゲハを抱えている。

 頭を潰す寸前の所で、戦いの場に飛び込み、アゲハを腕に抱え、逃げだしたようだ。

 性急さに、鉄人との距離をとれていない。

「なるほど。小僧。お前、その女の仲間か?」

 予想外の出来事だったが、鉄人は心からそれを楽しんでいた。

「カンタロウ……君」

 アゲハが男に気づいた。

 カンタロウは、アゲハの無惨な姿に、顔を歪ませ、

「どうしてだ? なんで逃げなかった? こんなになるまで戦うなんて……遅いから、心配したんだぞ!」

 カンタロウの声が、震えている。

 恐怖と不安、怒りと興奮を入り交じったような感情が、渦巻いていた。

 ――私のこと、心配してくれたんだ……。

 アゲハは妙な安堵感を感じ、少しだけ微笑んでみせ、

「……ごめん……私」

「いい。しゃべらなくていい。後は俺に任せろ」

 カンタロウはアゲハを、自分の胸に寄せた。

 アゲハは近くなった懐かしい匂いに、顔を埋める。

 ――どうする? どうやって鉄人から逃げる?

 カンタロウは、必死で考えていた。

 鉄人との距離は近い。

 重傷を負ったアゲハを抱えたまま、戦闘に突入すると、自分達が不利なのは明らか。

 アゲハを安全な場所に移動させ、自分一人での戦いに持ち込みたい。

 鉄人の目線が、カンタロウ達から離れ、

「ほう? あれが女神か?」

「なっ!」

 カンタロウが後ろをむくと、シオンが草むらからひょっこりでてきていた。

 骨の翼が、草や枝に引っかかり、ガサガサと音をたてている。

 ビネビネもシオンについてきており、猫の鳴き声を上げていた。

 シオンがカンタロウ達に気づき、

「あっ、お兄たん」

「シオン! どうしてここに来た! 隠れてろって言ったのに……」

「えっ? お姉ちゃんわかんない……あっ」

 シオンが鉄人の方を見る。

 緊迫した状況だということを理解した。赤い瞳が、恐怖で震え始める。

「ふん。アレが女神だと? ただの失敗作ではないか。まあいい。アレでも一応役には立つ」

 シオンは急いでビネビネを腕に抱えると、鉄人を鋭い目つきで睨んだ。

 自分に危害を加える、敵だと認識しているのだ。

 逃げださないのは、自分を守ってくれるカンタロウとアゲハがいるからだろう。

 カンタロウは察した。チャンスを得るために、鉄人がなぜシオンを狙うのか、聞いてみることにし、

「お前の目的は、シオンか?」

「そうだ。我の目的はアレだ」

「どうするつもりだ?」

「殺すのだ」

 カンタロウは目を丸くした。

 鉄人の目的は、シオンの殺害。

 理由はわからないが、その赤い瞳の殺意は、本物だった。

「やめろ! シオンは人間だ! 合成獣化してるだけなんだ!」

「だからなんなのだ? それにあれが、『人間』なのか?」

 カンタロウの言い分を、鉄人は一蹴した。聞く耳すら持たない。

 ――駄目か。鉄人からシオンを逃がさないと。それにアゲハも手当しないと。

 難解な問題に、カンタロウの頭がフル回転し、熱くなっていく。

 軽くパニックを起こしかけていた。

「小僧。あの女神を差しだすのなら、お前達は助けてやるぞ?」

「ふざけるな! そんなこと、できるか!」

 鉄人の交渉を、大声で拒否するカンタロウ。

「ほう。ならばお前一人で、我と戦うというのか?」

「……ああっ、そうだ!」

「ふふ、よかろう。我はここで待っててやる。その女を、あの失敗作の元へ連れていくがいい」

 カンタロウは鉄人に疑いの視線をむける。

 自分達を殺すチャンスだというのに、わざわざ放棄するというのだ。信用できるわけがない。

「……それは、手をださないってことか?」

「そうだ。我は指一つださん。さあ、さっさとするがいい」

 鉄人は腕を組んだまま、その場に立ち尽くす。

 カンタロウは慎重に鉄人に目をむけながら、その場を離れた。

 一歩、また一歩と、アゲハを腕に抱え、シオンの元へむかう。

 鉄人は本当に何もしてこなかった。

 ――手をだしてこない。信用していいのか?

 カンタロウは、シオンの元にたどり着いた。

 鉄人は腕を組んだまま、動かない。

 カンタロウは警戒を続けながら、アゲハを地面へと下ろし、

「よし。アゲハ、少し我慢していてくれ。すぐに終わらす」

「……カンタロウ……君」

 細く、小さな声。血で呼吸器官がつまらないように、横むけに寝かせる。

 アゲハの視線が、カンタロウを見上げた。

 シオンは植物型神獣を召還していた。

 カンタロウやアゲハを襲ったときのような、気性の激しい獣型ではない。

 草食獣のように、大人しく、つぶらな瞳をしている。

「どうするつもりだ?」

「お姉たん。これで治せる」

「本当か?」

「うん!」

 シオンはカンタロウに力強くうなずく。

 植物型神獣が、アゲハの身体を丁寧に舐め始めた。

 癒しの光が、舌からあふれだしてくる。

 優しい光に、カンタロウも落ち着きを取り戻せていた。

「あっ、ちょっと、楽になったかな?」

 アゲハの身体から、痛みがなくなり始める。気分も良くなってきた。

「そうか。よかった」

「ごめんね……カンタロウ君」

「アゲハが謝ることじゃない。俺が来るのが遅すぎたんだ」

「ううん、そんなことない……すごく、嬉しい……」

 アゲハがカンタロウに手を伸ばしてきた。

「アゲハ」

 カンタロウはその手を、しっかりと握った。

 二人の目が、お互いを見つめ合う。

 カンタロウとアゲハは、手を握り合っていた。


「……行ってくる。アイツを、倒さなきゃな」


 カンタロウの手を握る力が弱まった。

 アゲハは急に、不安になり、

「待って」

 アゲハは離れていくカンタロウの手を、両手で握り締めた。

「行かないで……アイツには、鉄人には勝てない。あんなのと戦ったら……カンタロウ君、死んじゃう。だから、行かないで……」

 アゲハは、カンタロウの手を自分の胸に、引き寄せ、

「お願い……行っちゃやだ。私と……」

「アゲハ」

 カンタロウはアゲハの頬に手をやる。

 アゲハの心音が高鳴った。

 カンタロウは自分の額を、アゲハの額にくっつけた。

 黒い瞳が、すぐ近くで輝いている。

 アゲハは驚きながらも、碧い瞳に、その黒い瞳を受け入れる。

「大丈夫。大丈夫だ。俺は必ずアゲハも、シオンも護る。必ず帰ってくる。だから――待っててくれ」

「……カンタロウ君」

 アゲハの瞳から、自然と涙が流れていた。

 カンタロウは少しだけ笑うと、アゲハから離れ、鉄人の元へむかった。

 その姿を、止めることはできなかった。

 鉄人は口を開き、

「よく帰ってきたな。小僧」

「ああ。少し、時間を取らせて悪かったな」

「ふん。口の減らない奴だ」

 カンタロウは刀をつかもうとするが、なぜか空振りしてしまう。

 緊張と恐怖から、手が震えてしまい、うまくつかめないでいるのだ。

 足もよろけてしまい、うまく歩けない。

 ――手と、足が震える。口では強がってても、体は正直だ。刀を、つかめない。

 意識が鉄人を恐れていることを、カンタロウは自覚する。いろいろ考えてみる。

 ――俺が死んだら、母さんを誰が護るんだ。スズ姉を誰が護るんだ。

 カンタロウは、母の顔、姉の顔を思い浮かべる。それでも震えが止まらない。

 ――俺が死んだら、アゲハとシオンが、アイツに殺される。死ぬわけにはいかないんだ。俺は、絶対に生きるんだ。

 カンタロウは、生きる執着心を、心の言葉にだして吐くも、今度はしびれがやってきた。

 目の前が真っ白になっていく。

 鉄人の姿が定まらない。

 汗が何滴も地面に落ちる。

 呼吸が浅く、息ができない。

 頭の中が、黒く、侵食されていく。



「カンタロウ君……」



 小さな声だった。

 誰にも聞こえなかったであろう、ただのつぶやき。

 カンタロウの耳には、アゲハの声がしっかりと聞こえていた。

 アゲハが両手を握り締め、カンタロウのために無事を祈っている。

 他人からそんなことをされたのは、これが初めてのことだった。

 カンタロウの気持ちが、急速に落ち着いていき、

 ――俺は死ねない。アゲハを、殺させはしない。

 震えが止まった。

 真っ直ぐ、鉄人を視界に捕らえられる。

 その目は、一点の曇りもなく、あまりにも穏やかだった。

 ――良い目だ。覚悟は決まったようだな。

 鉄人は黒い兜の中で、初めて笑みを見せた。

「くくくっ、いいぞ小僧。久しぶりだ。こんなに血肉踊るのは」

 鉄人は、大きく両手を広げ、高笑いし、


「わははははははっ! いいぞ! いいぞこの戦う前の緊張感! 戦争以来だ! もしここに他の人間がいるとするならば、お前の行為は自殺行為だと! 若さゆえの愚かさだと笑うだろう!」


 カンタロウは黙って、鉄人の言葉を聞いている。


「しかし、我はそうは思わん! 何かを改革し、新しきものをもたらすのは、死を覚悟した若者のみ! 年老いた中年に、蝋のついた翼を持って、空高く飛ぶことなどできはしない! あの雲の先に何があるのか? あの輝かしい太陽に近づくと、何があるのか? それを知ることができるのは、無謀な者でしかできないのだ! それが若さ!」


 鉄人はカンタロウを、いたく気に入っていた。

 知名度が上がるたびに、自分の前から戦う者がいなくなっていく。

 死にも勝る苦痛。

 それゆえに、決死の覚悟を持つ者と、戦えることに狂喜した。


「さあ、小僧。この絶望的な状況を、あらゆる手を使って打破してみせよ。この鉄人にぶつけてこい。奇跡や神など信じるなよ。――神は、祈る者など助けはしない」


 鉄人は戦闘の構えになった。

 拳を振り上げ、片足を前にだす。

 赤い瞳孔は、敵と認識した者にむかって、激しく収縮した。

「もし、お前が負ければ、お前の女も、あの失敗作も、我の手で殺す。――全力でかかってこい」

「言われなくてもやるさ。刺し違えてでも、お前は倒す」

 カンタロウは鞘から刀をだすと、鉄人にむかって構える。脅えはない。

「いい覚悟だ。最後に聞こう。お前の名は?」

「カンタロウだ」

 カンタロウの右目が真っ赤に染まり、右頬にテトの神文字が刻まれた。



「そうか。我の記憶に刻んでおこう」



 鉄人は目の前に立つ若者の、名前と姿を、しっかりと瞼に焼き付けた。
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