最終話 初恋

文字数 3,747文字

 雨はまだ、涙のようにしとしとと降っていた。

 灰色の雲の間から、赤い太陽が見える。

 もうすぐ雨はやみそうだ。

 森から、鳥が鳴く声が響く。


 カンタロウとアゲハは、物置の部屋からでず、壁を背に座っていた。
 
 二人とも何も話さず、沈黙の時が流れる。ただ、小さな呼吸音だけが聞こえていた。

 アゲハは冷たくなったシオンを、腕に抱いていた。我が子を抱きしめているようだった。


 シオンは両目を閉じられ、両手は胸に合わせてあった。


 安らかに眠っているようで、時折風で揺れるシオンに、アゲハは小さく反応する。

 ビネビネはその隣で、体を丸くして目を閉じていた。


「…………」

「…………」


 時間が流れていく。

 沈黙が続いていく。

 雨がやんだ。


 太陽の光が、森の枝の隙間から射した。

 水溜まりに光が入り、美しい輝きを見せている。

 紅色の名も知らない小鳥が、その池で遊び始めた。

 細かく動く羽で、水溜まりの水滴が弾かれ、宝石のように引き立つ。


 カンタロウはその、幻想的な光景を眺めていた。自然と立ち上がっていた。


 自分が何をすべきか、わかったからだ。


「アゲハ。その子のために、お墓を作るよ」


「…………」

 アゲハは顔すら上げず、何も答えない。

 カンタロウはかまわず、話し続け、


「俺は、人間についてはよくわからない。賢者じゃないからな。だけど、うまく言えないけど。人は――死者を祝ってやれる」


 アゲハが小さく反応した。落ち込んでいた顔が、少しだけ浮き上がる。


「死者のために、墓を作ってやれる。祭りを開いてやれる。いつまでも忘れないように、何かの形を作ってやれる。人間は確かに残酷だけど、死を弔ってやれるのも、人間だ。前にも言ったと思うけど、この世にはいろいろな人間がいるんだ。だから――人を、あまり恨まないでやってくれ」

「…………」

「俺は人間の代表じゃないし、偽善的な言い訳かもしれないけどな」


 カンタロウはアゲハの方に振りむかず、綺麗な場所を見つけると、穴を掘り始めた。

 アゲハは、その様子を眺めていた。

 何かを思いつき、シオンをその場に寝かせ、マントをかけた。

 心配そうに見上げるビネビネの頭を、優しくなでてやる。


 墓穴が完成し、カンタロウがシオンとアゲハの方に振りむく。

 ビネビネと、マントをかけられ寝かされているシオンしかいなかった。


 アゲハの姿はない。


「アゲハ?」

 カンタロウは森や部屋の奥に行って、名前を呼んでみるが、アゲハはいなかった。


 カンタロウは探すことを諦め、シオンを穴の中に入れるため、折れていない右腕に抱いた。


 シオンの体重は、魂が入っていない分、とても軽く感じた。


 墓の前にまで運んでいると、後ろからビネビネがついてきていた。

 ビネビネの赤い両目は、泣いているように濡れている。

 カンタロウは、気が重くなるのを我慢しながら、穴の前に立った。



「ごめんな。守ってやれなくて」



 カンタロウはシオンに最後の言葉をかけてやる。

 シオンは、赤子のように、スヤスヤ眠っているように見えた。

 ワンピースが風に揺れ、白い髪が花のように美しく広がる。

「ミィ」

 カンタロウの足下で、ビネビネが一声、寂しそうに鳴いた。

「お別れだな」

 カンタロウはシオンの亡骸を、穴に入れようとした。



「待って!」



 アゲハの声が聞こえた。


 カンタロウが振りむくと、アゲハは花飾りを持って立っている。

 花飾りは丸い輪になっており、白い花が重なり合っていた。


「アゲハ」

「はあ、はあ……近くにお花畑を見つけたから、花飾り、作った。シオンにあげたい」

「……ああ」


 カンタロウは微笑んだ。

 アゲハはシオンの頭に、純白の花飾りを飾ってやる。小さな天使のようで、とても可愛いらしかった。


 カンタロウはそっと、シオンを土の中へと下ろす。


「シオン、綺麗だね」

「うん。綺麗だ」


 アゲハとカンタロウは、シオンを見下ろしていた。

 ビネビネも、穴を覗いていた。

 カンタロウは静かに、土を体にかけていった。


 最後にカンタロウは、太い木の枝から作った、墓標を立て、

「これでよしっと」

 柔らかい和風が、墓を優しくさする。

 明るい太陽が、ちょうど墓標を照らした。

 水溜まりで遊んでいた紅色の小鳥が、シオンを祝福するかのように、墓の周りを旋回している。

 アゲハは手で目をこすりながら、


「シオン。天国に行けるかな?」

「行けるさ。俺が保証する」


 カンタロウがポケットから、種のようなものを取りだした。

 アゲハはそれを見つめ、


「何それ?」

「コクリコの花の種だ。恐らく、ここには赤い花が咲くだろうけど、この種は黄色や青、緑なんかの花を咲かせるんだ。赤い花にも負けないような、強い力を持った植物だ。ルウの墓にも埋めておいた」


 コクリコの種は、自然から取れるので、カンタロウはたまに、その種をもらっていた。

 右手で土を少しだけ掘ると、種を丁寧に植えていく。真上には、七色の虹ができていた。


 カンタロウは種を植え終えると、空を見上げ、



「すごく綺麗な花なんだ。あの虹のようにな。シオンはあの橋を渡って、天国へ行くんだ」



 アゲハも虹ができた、空を見上げる。

 赤、黄、紫、青と、美しい色の光が並び、円弧状に曲がっていた。天国への橋に見える。


「うん。あれならきっと、天国に行けるね」

「ああ、絶対に行ける。そして、シオンは幸せになるんだ」


 カンタロウとアゲハは、時間がたつのも忘れて、空を見上げていた。


「あっ、そうだ。もう一つ、花飾り作ってたんだ」


 白い花飾りをだすと、アゲハは自分の頭に乗せた。



「へへぇ、どうだカンタロウ君? 私は――綺麗か?」



 金色の髪に、白い花が華やぐ。

 碧い瞳が湖面のように、輝いた。

 赤い唇が弓のように曲がり、母性を感じさせるような、優しい笑みになる。

 カンタロウはしばらく、アゲハに心を奪われた。


「ああ。とても綺麗だ」

「えっ?」


 アゲハは息を飲んだ。カンタロウがまさか、自分を褒めてくれるとは思っていなかったからだ。心の鼓動が、大きくなる。


「だが――母よりかは劣る」

「……カンタロウ君。この野郎」


 アゲハの鼓動が落ち着いた。花飾りを、頭から外す。

「雰囲気が台無し。これだからマザコンは、私の魅力がわからないんだよ」

「マザコンじゃない。それに……そうでもない……」

「えっ? 何よ?」

 後半部分が聞き取れず、アゲハは耳をむける。

「いっ、いや、なんでもない!」

 カンタロウは言葉をつまらせ、逆方向に顔をむけた。

「変なの」

 アゲハは墓標に、花飾りを乗せた。その上に、紅色の鳥が乗る。

 それが天界の使者に見えて、カンタロウとアゲハはお互いを見つめ、軽く笑った。


「さっ、帰ろう。俺達の家へ」

「うん。そだね。あっ!」


 カンタロウが墓に背をむけたとき、アゲハが何かを思い出したように叫んだ。

「どうした?」


「ちょっと試したいことがあるの。カンタロウ君。とりあえず、腰を少し前に曲げろ」


「こうか?」

 アゲハの命令口調に、素直に腰を前に曲げるカンタロウ。


「うおっ?」


 アゲハはカンタロウの頬を、両手でガシッとつかんだ。


「おっ、お前。何をするつもりだ?」



「よし、いいぞ。そのまま私の目を見ろ」



 アゲハの碧い瞳が、カンタロウの黒い瞳に映る。獣のような瞳孔が、一瞬だけ、愛しく思えた。

 カンタロウは自分の気持ちの変化に驚き、すっと目をそらしてしまう。



「目をそらすな。私の目を、じっと見ろ」



 アゲハは自分の目を見るように、もう一度うながす。


「何なんだ?」

「いいから。目をそらすなよ」


 アゲハの瞳が、どんどんカンタロウに近づいていく。

 突然、アゲハは踵を上げ、爪先立ちし、背伸びした。

 急速に近づくアゲハの唇に、カンタロウは逃げられず、それを受け入れる。



 二人の唇が重なった。



「んっ」


 目を大きく開くカンタロウに対して、アゲハは目を閉じてキスをしていた。

 しびれるような感覚がする。

 唾液が混ざり合い、唇は温かく湿っていた。

 恥ずかしさが快感に変わり、そして安心感に包まれていく。


 ――ツバメ。ようやくわかったよ。これが、マリアがカンタロウ君に抱いていた感情。好きっていう感情。私の気持ち。


 アゲハはゆっくりと、カンタロウから唇を離した。頬がとても熱い。

 恥ずかしさと、嬉しさで、感情がとても高ぶってくる。

 胸がドキドキと、大きく狂喜に満たされていた。

 紅色の唇を人差し指で、優しくなぞる。


「へへぇ。どうだ? 私のキスの味は? ファーストキスだから、すごく大切にしてたんだぞ……って、カンタロウ君?」


「…………」



 カンタロウは白目を剥いて、気絶していた。



「何で気絶してるの? 失礼な奴だな。まっ、いいや。さっ、帰るぞカンタロウ君」


 アゲハはカンタロウのマザコン気質を知っているので、特に気にせず、その体を引っ張って帰路についた。


「ニャー」


 ビネビネがお座りをし、シオンの墓の前で、一声鳴いた。

 アゲハは反射的に、後ろを振りむく。


 ビネビネの隣で――シオンが笑顔で手を振っていた。


 アゲハはちょっとだけ驚いたが、すぐに何が起こったか理解し、明るく笑う。




「じゃね。ビネビネ。それに――シオン」




 シオンはビネビネを腕の中に入れると、アゲハ達がいなくなるまで――手を振っていた。




『結界都市 エトピリカのエコーズ』 完
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