アゲハの戦い

文字数 2,647文字

「それで、あいつは何なんだ?」

 カンタロウがソフィヤを抱きかかえる、カインを見さだめる。そこでは白髪の男が、優しく微笑んでいた。

「見てのとおりじゃん。ただ、正規のエコーズじゃないよ。たぶん」

「どういうことだ?」

「恐らく――ゴーストエコーズ。名前はカイン」

「カイン? 人間じゃなかったのか?」

「そこなんだよねぇ。謎は」

 アゲハとカンタロウが不思議がるのも当然だった。

 カインは町の人間に姿を見せている。ヨドやエルガも知っている人物だ。

 彼がエコーズであれば、町に入れないはず。あの真っ赤な両目も、人に警戒心を抱かせるはずだ。

「おい、どうしてお前は、この結界の中に入れる?」

 響くような大声で、カンタロウはカインに話しかける。

「理由は簡単さ。僕は元、『人間』だから」

 カインはカンタロウに興味がないのか、目を合わせようとしない。

「後は任せたよ」

 カインの背中から、白い翼があらわれた。その白鳥のような美しさに、カンタロウは寸刻、目を奪われる。

 カインはソフィヤを抱えたまま、開いた窓から外へと飛び去っていった。

 残された神獣は、アゲハとカンタロウを囲い始めた。

「カンタロウ君。ここ、任せていい?」

 アゲハの背に、水の翼がはえてきた。魔力が背に集中しているのだ。羽のような水の飛沫が、舞うように大きく伸びあがる。

「ああ、行ってきてくれ」

 カンタロウは刀を構え、神獣達を睨む。

「アゲハ、死ぬなよ」

「お前もな」

 アゲハは親指をだすと、カインがでていった窓から飛び去っていった。月の光が水の翼に反射して、宝石箱のようにきらめいた。

 カンタロウは灯台の光に希望を託すように、それをしばらく眺めていた。

「さて、後始末するか。来いよ。手加減しなくていいぜ」

 神獣は獣のように叫び、カンタロウに一斉攻撃をしかけた。





 城の外にでたアゲハは、カインにぴったりとついていく。吠えるような風を、切り込むように飛ぶ。

 スピードはアゲハの方が、カインより速い。

 カインの赤い目が、アゲハを睨む。ソフィヤを抱いていない手を、上にあげた。

 離れた地上から煙が上がり、イカロスが三体、恐ろしいほどの速さで飛んでくる。

「水神の名において命じる! 三本の刃で敵を貫け!」

 アゲハはスピードをあげたまま、一桁詠唱を唱えた。

 一桁詠唱とは、その名のとおり、一言で魔法を発動させる技だ。赤眼化が必須条件であるこの詠唱方法は、時間短縮に大幅に貢献した。

 アゲハの手から魔力に変換された神脈が放出され、水の槍となり、イカロスの胸を貫く。

 一瞬にして、アゲハは三体の神獣を倒してしまった。

 カインは飛ぶスピードを緩めると、アゲハにむきあった。

「どうしたの? 観念した?」

 アゲハも空中で止まる。

「違うよ。この子を、傷つけたくないだけだ」

 カインはソフィヤの頬にそっと触れる。その表情は母親のように、温かい。

「ソフィヤを持ってちゃ、戦いづらいんじゃない?」

「それはお互い様さ。君もこの子を傷つけたくはないだろう?」

 腰から細長い剣を抜くカイン。

 鋭い目が、白い月に反射している。 

「冗談、私にとっては――どうでもいいことなんだよね」

 薄ら笑いするアゲハ。

 まるで獲物を見つけ、舌なめずりするかのような表情。

 ――気味の悪い顔だ。何を狙っている?

 カインの顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。

「水神の名において命じる。水流の渦で敵を巻き込め!」

 片手を上げると、アゲハは一桁詠唱を唱えた。

 手から水の渦があらわれ、詠唱者をつつんでいく。そして、カインにむかって水の渦が放たれた。

 ――水の竜巻を。本気でこの子を巻き込む気か。

 カインは渦から素早く逃げだした。

「逃がさないよ!」

 アゲハは魔法を操作し、カインの逃げ道を追いかける。激しい水音が、耳をそばだてた。

 カインは開いている手を動かした。すると、アゲハの左右に、イカロスが飛び上がってきた。

 神獣はアゲハにむかって、左右同時攻撃をしかける。

「攻撃が見え見え!」

 アゲハは左手で魔法をコントロールし、右手で剣を持ち、

「はっ!」

 突進してきた右のイカロスを、たやすく切り裂く。

「もう一体!」

 アゲハは横に剣をなぎ払う。

 左のイカロスはわき腹に刺さった剣を、片腕で押さえつけた。

 ――まさか、わざと体で剣を……。

 アゲハがそう思った刹那、鋭い剣が、胸に突き刺さった。

「ぐっ!」

 剣はイカロスの体を、貫いてきたのだ。

 イカロスの後ろには、カインがいた。

「僕のことは、見えなかったようだね」

「がっ、はっ」

 アゲハは吐血した。

 胸から血が流れ、剣を赤く染める。

「さようなら。美しい獣人の娘」

 カインが剣を引き抜こうとしたとき、アゲハの体が透明に透けていった。目の錯覚かと思ったが、間違いなく空気に溶けていっている。おぞけが背筋を這っていく。

 ――体が、消えていく。まさか。神魔法か?

 突然、カインの肩に激痛が走った。鉄の塊を受けたような衝撃だ。

「ぐはっ!」

 カインの鎖骨が折れ、翼の力を失った。重力に逆らえず、地上へまっさかさまに落ちていく。痛みで一瞬、意識がとんだ。

「はい、おしまい」

 カインの肩に剣の鞘を打ち込んだ、アゲハが冷ややかに見下ろしている。

 カインはソフィヤを両腕で守ると、城の傾斜のある屋根に、背中から落ちる。

「ぐうっ!」

 カインの体が跳ね上がり、今度は傾斜のない、広い屋根に激突した。その反動で、ソフィヤをつい手放してしまう。固い石の地面に、肩をすりつけ、ようやく止まった。

「くっ……。ソフィヤ……」

 ソフィヤは仰向けに倒れていた。小さな口から、呼吸音が聞こえる。口からでる息で、髪がさらりと頬をなでた。

「よかった……息はある……君は死んじゃいけない」

 カインの腕から赤い血が流れる。顔からも血が、ドクドク出血していた。

 カインは震える右手を、ソフィヤにむかって上げる。

「ぐっ!」

 手を靴で踏まれた。

 アゲハが、カインの手を足で押さえつけたのだ。

「はいはい。ソフィヤは無事みたいだね。まっ、あなたが盾になってくれると思ってたけど」

「結果が……見えていたということかい? もし僕がソフィヤを見捨てていたら?」

「そのときはそのとき。さて、話を聞かせてもらおうかな。せっかく生かしてあげたんだから」

「ぐうっ!」

 腹に蹴りを入れられ、カインは仰向けに寝かされる。

 アゲハは剣を、カインの喉元に打ち立てた。

「あなたを作ったのは――誰?」

 赤眼化されたアゲハの右目が、血が滴るように、深い赤みをおびていた。
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