カンタロウの受難

文字数 5,787文字




 皆が就寝する夜の時刻。

 マリアはカンタロウの布団を口元までかぶり、悶々と寝付けないでいた。

 枕や敷き布団も、カンタロウが普段から使用しているものだ。

 一応、ヒナゲシが洗っているが、カンタロウの匂いが残っており、それはより一層近かった。

 ――どうしよ。すごくドキドキして、眠れない。もし本当に、カンタロウ様が入ってきたらどうしよ。私、下着だし。

 ヒナゲシに言われたとおり、マリアは部屋の鍵を閉めなかった。

 カンタロウが極度のマザコンであることは知っているので、恐らく来ないだろうとは思っていた。

 何かが変わるかもしれない。

 カンタロウとの関係が、もう一歩進むかもしれない。

 そんな期待があり、あえて部屋の鍵を閉めなかったのだ。

 カンタロウの部屋はとても簡素で、小さな机に、刀を手入れする道具。

 服をかけるハンガーなど、最低限の物しかない。

 部屋はやはり狭く、木造のためか、夜風がよく聞こえた。

 窓から微弱な星の光が、入り込んでくる。

 部屋に入る前から心臓が高鳴っていたが、旅仕様の服を脱ぎ、下着姿になるとさらに高ぶってくる。

 この家に男はカンタロウだけだし、ツバメはスズの監視があるため、危険はないと思う。

 それでも旅で汚れた服で寝るのは、申し訳ないと思い、脱いでしまった。

 布団が自分の地肌に絡んでくると、温もりと仄かな冷たさに気持ちの安らぎを感じる。

 マリアは眠るために、何となく、枕を胸に抱いてみた。

 こうすると、すごく落ち着くのだ。

 妹とすごしていたときは、よくシオンを抱きしめていたことを思い出す。

 枕に鼻を押しつけてみると、カンタロウの香りが鼻孔にたくさん入ってきた。

 ――カンタロウ様の匂い。いい香り。すごく落ち着く。なんでだろ?

 男性経験のないマリアは、これがどういう反応なのかわからなかった。

 ただ、カンタロウの想いだけは強くなる。

 ずっと一緒にいたいと、体が体温の温もりを求めている。

「カンタロウ様……私……わた」

 マリアは目の前に、何かいることに気づいた。

 突然闇にあらわれた二つの目。

 猫のように鋭い瞳。それがパチパチと動き、マリアの様子を眺めている。

「ニャ。ヤッホー、マリア。元気?」

 金髪と声からして、ようやくそれがアゲハだと、マリアは気づいた。

 アゲハは添い寝するような形で、床に寝そべっているのだ。

 マリアとアゲハの目線の距離は、数センチ程度しかない。

「…………」

 マリアのすべてが固まった。

「ねえ。どうして、カンタロウ君の枕を抱きしめてるの?」

 アゲハの言葉に、マリアの思考が異常な速度で回転し始める。

 今までの行為や言動を、すべてアゲハに見られ、そして聞かれていた。

 そう思うと、マリアの体温は急上昇していく。

「……いっ」

「ニャ」

 アゲハはマリアの返事に、猫の鳴き声で答える。

「ひっ」

「ニャ!」

「きっ」

「ニャア?」

「きゃああああああああ!」

 マリアの中で、何かが壊れた。

 理性が飛び、抑制もきかない。

 恐怖よりも、消え入りたいぐらいの恥ずかしさが勝り、無意識に悲鳴を上げていた。

「どうした? 何かあったのか?」

 カンタロウが部屋の扉を開けた。

 木製の扉を、横にスライドさせる形式なので、音ですぐ開いたことがわかる。

 マリアは下着姿を見られると思い、さらに平静さを失い、

「はっ、入ってこないでっ!」

 近くにあった物を手に取ると、カンタロウにむかって投げつけた。

「ぐわっ!」

 それは見事命中し、カンタロウは、その場に倒れる。

「あらら、大丈夫? カンタロウ君?」

 アゲハが扉までむかう。

「早く! 早く閉めてください!」

 マリアは大振りで、扉を閉めろと手で身振りを繰り返す。体は布団で隠していた。

「……俺は大丈夫だ」

「あっそう。じゃ、お休み」

 アゲハはカンタロウの無事を確認すると、扉をピシャリと閉めた。

「これでいいでしょ?」

 アゲハはマリアの要求に応え、再び布団の元へと帰ってくる。

「どうしてアゲハさんがいるんですかっ!」

 興奮が冷めないマリアは、大きな声でアゲハを追求する。

「だって、ドア開いてたから」

「そうですけど! ヒナゲシさんと寝てたんじゃないんですか?」

「今日はマリアと寝ようと思ったの。いいでしょ?」

 邪気も、悪気もないような顔を、アゲハはマリアに近づける。

 マリアはそれを見て、高ぶった神経が、静まっていくのを感じ、

「いいですけど……むぅ」

 アゲハに目で訴える。

 アゲハはそれを察し、片手を上げて誓い、

「わかったわかった。さっきのことは、カンタロウ君には内緒にするから」

「本当ですね?」

「神に誓って」

「私にも誓ってください」

「はいはい。誓う誓う」

「じゃあ……いいですよ」

「ふふん」

 アゲハはすぐに、マリアの布団にすべり込んできた。

 アゲハが今着ている寝間着は、ヒナゲシが用意したものだ。

 前にカンタロウの実家に泊まったときに、またいつでも帰って来れるようにと、ヒナゲシがアゲハの体を計り作ったのである。

 アゲハはさっそくマリアの半球型の胸に、顔を埋めた。フルカップ型の下着から、マリアの匂いがよくわかる。

「もう……」

 すでにマリアから、怒りは失せてしまっていた。

 それぐらい、アゲハには人に甘えられる魅力があった。

 マリアの匂いや体温を味わうと、アゲハはひょっこり顔を上げ、

「マリア、柔らかい」

「アゲハさんも」

 二人は仲の良い親友のように、笑い合う。

「ねえ、さっきの続き。どうしてカンタロウ君の名前、呼んでたの?」

「それは……わかるじゃないですか」

 マリアは頬をリンゴのように赤くすると、視線をアゲハからそらした。

「ええ~。わかんない」

 アゲハは話題を変えようとしない。

 本当にマリアの気持ちがわからないのだ。

 マリアはこのまま逃げ続けても、アゲハがしつこく追いかけてきそうなので、諦めて自分の気持ちを言うことにした。

「私はその……カンタロウ様が……すっ、好き……だから……」

 再びマリアの心臓が高鳴ってくる。

 こんなにはっきりと、他人に自分の気持ちを言ったのは初めてだった。

 アゲハは顔を上げ、

「好き? カンタロウ君が? どうして?」

「それは……私に、私なんかに、優しくしてくれたから」

「ふぅん、そっか。だから料理作ってあげたんだ」

「はい。おいしいって言ってくれて、すごく嬉しかった」

 マリアは思い返すだけでも、嬉しくなる。

 何度も味見して、一生懸命作ったかいがあった。

 カンタロウの笑顔を見るだけでも、マリアの心は落ち着きを取り戻せる。

「他に何をするの?」

「他にですか?」

「うん、相手が好きなら、何をするの?」

「それは、お話したり、手を繋いだり、そっ、その……キスしたり……」

 マリアはアゲハから隠れるように、モジモジし始めた。

「へぇ。やっぱり好きな人にはキスするんだ。マリアはカンタロウ君と、キスしたい?」

「……はい」

 アゲハにそう答えて、マリアは布団の中に潜りかけた。

「そっか。私の義父も、いろんな女とキスして、喜んでたしな」

「義父? アゲハさんの実のお父さんは……」

 唐突にアゲハの親がでてきたので、マリアは伏し目がちに聞いてみた。

「いない。お母さんもいない。私は生まれたときから、一人ぼっちだ」

「そう……だったんですか」

 どう答えていいかわからない。マリアがそう考えていると、アゲハの方から口を開いた。

「でも、別に寂しくはないよ。みんなに言われるけど。きっと、最初からいないから、孤独感を感じないんだと思う」

「……そうですか」

 アゲハの明るい答えに、マリアは少し微笑む。

「ねえ。もしカンタロウ君にキスしたら、喜んでくれると思う?」

「それは……わかりません。でも、喜んでくれるのなら。してみたいです」

「したら。喜ぶよ。きっと」

「そうでしょうか?」

「そうだよ」

 アゲハの無邪気な笑顔を見ていると、マリアの心の中で、何か黒いものが、ざわざわとざわめいた。

 それは前々から疑問に思っていたこと。

 アゲハがカンタロウに、どんな気持ちを抱いているのかという疑問。

 ――あなたは。私とカンタロウ様がキスをして、平気なんですか?

 喉まででかかって、マリアはその言葉を飲み込んだ。

 それを言ってしまったら、必ず何かが壊れてしまう。

 だけど、正直な自分に、耐え続けるということもできない。

 直接アゲハに、疑問を聞いてみる決意を、マリアはここで決めた。

「あの、アゲハさん。アゲハさんは……カンタロウ様のこと……好き……ですか?」

 マリアは勇気をだして、聞いてみる。

 どんな反応をしてくるのか、マリアは少しだけ恐怖を感じた。

 しかし、アゲハからの反応はまったくない。

「クー、クー」

 小さな寝息が聞こえるだけだ。アゲハはすでに、夢の中へと旅立っていた。

「……寝ちゃった」

 マリアは安心して、つい息を吐いてしまった。

 アゲハの口元に落ちた一本の髪を、そっと手で元に戻してやる。湿った寝息を、肌で感じる。

「可愛い人。明るくて、強くて、人懐っこくて――カンタロウ様に一番近くて……」

 安心すると、マリアは、急速に眠気がやってきた。思考がぼんやりと、霞がかかったようになる。

「私は、あなたが羨ましい……」

 マリアはそうつぶやくと、静かに両目を閉じていった。





 夜が終わり、朝となった。

 窓から太陽が見え始めた時刻。

 マリアとアゲハは、まだ布団の中で眠っていた。

 太陽の光が瞼に当たったとき、マリアは体に違和感を感じていた。

 意識が次第に覚醒しだす。

 ――何? 胸に、変な感触がする。

 マリアの胸に痛みが走る。それは強く、優しくを繰り返し、形の変化が肌でわかった。

 マリアは小さく息を吐き、

 ――誰かに触れられてる? まさか……。

 体温の温もり、細かく動く仕草、それから想像するに、これは人の手だ。しかも男のように大きい。

 マリアは目を閉じたまま、気持ちを落ち着かせた。

 もし、意中の人であれば、大声をだしたり、動揺したりしては恥ずかしい。

 落ち着いて、冷静に対処しなければならない。

 ただ、やはりそうは思っていても、論理的な思考をするには限界があった。

 勇気をだして、そろっと目を開けてみる。

 人の影が見えた。確実に誰かいる。

 背が高く、自分を上から見下ろしている。

 マリアの血圧が、急上昇していく。そして両目で、影の人物を確認した。


 そこにいたのは、ツバメだった。


「うんうん。柔らかさじゃ、マリアが上だねぇ」

 ツバメがアゲハとマリアの胸を、両手を使って揉んでいた。

 マリアはそれに気づいたが、アゲハはまだ爆睡している。仰向けで胸をだし、どうどうとセクハラを受けていた。

「……ひっ」

 マリアの両目が見開いた。

「あっ? マリア、起きたのかい? いやぁ、起こそうと思って、部屋をノックしたんだけどね。開いてたから、つい入っちゃったよ」

 ツバメは、悪気がなさそうに、頭をポリポリかく。

「きっ」

「うん? なんだい?」

「いっ!」

「おは乳首」

「いやあああああああっ!」

 生娘のように、悲鳴を上げるマリア。

「なんだ? どうした?」

 その悲鳴を聞いて、部屋のドアを開けるカンタロウ。

「でてってくださいっ! あと見ないでっ!」

 カンタロウの目の前で、ツバメが空を飛んでいた。

 マリアは赤眼化し、火事場の馬鹿力でツバメを放り投げたのだ。

「ぎゃあ!」

「おわっ!」

 ツバメとカンタロウがぶつかり、廊下に二人とも倒れた。

「あたた……マリアの奴。朝からすごい力だね。おやカンタロウ? おは乳首」

 ツバメが起き上がると、ちょうど下にカンタロウがいた。

 ツバメの黒い髪が、カンタロウの胸に流れる。豊満な胸の谷間が、すぐ近くでせまっていた。

 ただ、カンタロウの表情は青く、体が子犬のように震えている。

「貴様、早く、俺から離れろ……」

「離れろ? 普通なら、綺麗なお姉さんに、ドキドキする所じゃないか。ほらカンタロウ。あたしはいい匂いがするだろう?」

 ツバメはわざと、カンタロウの顔に、自分の顔を近づける。黒い瞳が、女性のわりに鋭い。

 長年ハンターをやってきている、影響だろう。

 仄かにバラの香水の香りがする。

「やっ、やめろ。俺は、俺は」

 自分に絶対の自信があるツバメに対して、カンタロウの反応は予想以上に鈍い。そこで、さらに唇を近づけてみる。

「俺は?」

 猫のような、魅惑的で、動物的な声。これでツバメは、確実に男を落としてきた。

 しかし、カンタロウは顔を、明後日の方向にむき、

「母さんしか――愛していない」

 カンタロウの言葉に、ツバメは目をパチクリさせ、

「……えっ? そりゃどういう、ぎゃ!」

 すさまじい痛みが、ツバメの頭に振り下ろされた。

「カンタロウ様から、離れなさい! この変態!」

 着替えを終えたマリアが、ツバメの後ろで仁王立ちしていた。手には自分の武器である、槍をしっかりと持っている。

「まっ、待ってマリア! 今カンタロウの奴から、拒絶されたばっかりなんだよ! なっ、カンタロウ?」

 ツバメが慌てて言い訳を並べ、カンタロウに同意を求める。

「……ふしゅう」

 カンタロウは魂が抜けたように、気絶していた。

「気絶してる! あたし何にもしてないのにっ! いったい何が? はっ!」

 背中にチリチリと、何か痛いものを感じる。ツバメは恐る恐る、後ろを振りむいた。

 そこでは鬼のような形相をしたマリアが、槍を振り上げ、

「よくもカンタロウ様を……」

「ひええっ! あたしは何もしてないってば!」

 ツバメはカンタロウから離れると、すたこら逃げだした。

「待ちなさい! 私の手で、あなたを浄化します!」

 ぶんぶんと、槍を振り回すマリア。

「人をばい菌みたいに、言うんじゃないよ!」

 ツバメは家から飛びだし、力の限り遠くに逃げていく。

「待て!」

「やだ!」

 マリアとツバメが去った後、アゲハが部屋からでてきた。寝癖で髪が跳ね上がり、目を指でこすっている。

「もう、朝からうるさいな。あれ? カンタロウ君、何してんの?」

 倒れているカンタロウを見つけると、アゲハは大きくあくびした。

「……次からマリアに、部屋の鍵はきちんとかけてくれって、言っといてくれ」

「うん、わかった。さて、私は着替えるかな」

「ああ、ごゆっくり……」

 アゲハは白目のカンタロウを無視して、ピシャリとドアを閉めると、服を脱ぎ、着替えを始めていた。
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