カンタロウの受難
文字数 5,787文字
*
皆が就寝する夜の時刻。
マリアはカンタロウの布団を口元までかぶり、悶々と寝付けないでいた。
枕や敷き布団も、カンタロウが普段から使用しているものだ。
一応、ヒナゲシが洗っているが、カンタロウの匂いが残っており、それはより一層近かった。
――どうしよ。すごくドキドキして、眠れない。もし本当に、カンタロウ様が入ってきたらどうしよ。私、下着だし。
ヒナゲシに言われたとおり、マリアは部屋の鍵を閉めなかった。
カンタロウが極度のマザコンであることは知っているので、恐らく来ないだろうとは思っていた。
何かが変わるかもしれない。
カンタロウとの関係が、もう一歩進むかもしれない。
そんな期待があり、あえて部屋の鍵を閉めなかったのだ。
カンタロウの部屋はとても簡素で、小さな机に、刀を手入れする道具。
服をかけるハンガーなど、最低限の物しかない。
部屋はやはり狭く、木造のためか、夜風がよく聞こえた。
窓から微弱な星の光が、入り込んでくる。
部屋に入る前から心臓が高鳴っていたが、旅仕様の服を脱ぎ、下着姿になるとさらに高ぶってくる。
この家に男はカンタロウだけだし、ツバメはスズの監視があるため、危険はないと思う。
それでも旅で汚れた服で寝るのは、申し訳ないと思い、脱いでしまった。
布団が自分の地肌に絡んでくると、温もりと仄かな冷たさに気持ちの安らぎを感じる。
マリアは眠るために、何となく、枕を胸に抱いてみた。
こうすると、すごく落ち着くのだ。
妹とすごしていたときは、よくシオンを抱きしめていたことを思い出す。
枕に鼻を押しつけてみると、カンタロウの香りが鼻孔にたくさん入ってきた。
――カンタロウ様の匂い。いい香り。すごく落ち着く。なんでだろ?
男性経験のないマリアは、これがどういう反応なのかわからなかった。
ただ、カンタロウの想いだけは強くなる。
ずっと一緒にいたいと、体が体温の温もりを求めている。
「カンタロウ様……私……わた」
マリアは目の前に、何かいることに気づいた。
突然闇にあらわれた二つの目。
猫のように鋭い瞳。それがパチパチと動き、マリアの様子を眺めている。
「ニャ。ヤッホー、マリア。元気?」
金髪と声からして、ようやくそれがアゲハだと、マリアは気づいた。
アゲハは添い寝するような形で、床に寝そべっているのだ。
マリアとアゲハの目線の距離は、数センチ程度しかない。
「…………」
マリアのすべてが固まった。
「ねえ。どうして、カンタロウ君の枕を抱きしめてるの?」
アゲハの言葉に、マリアの思考が異常な速度で回転し始める。
今までの行為や言動を、すべてアゲハに見られ、そして聞かれていた。
そう思うと、マリアの体温は急上昇していく。
「……いっ」
「ニャ」
アゲハはマリアの返事に、猫の鳴き声で答える。
「ひっ」
「ニャ!」
「きっ」
「ニャア?」
「きゃああああああああ!」
マリアの中で、何かが壊れた。
理性が飛び、抑制もきかない。
恐怖よりも、消え入りたいぐらいの恥ずかしさが勝り、無意識に悲鳴を上げていた。
「どうした? 何かあったのか?」
カンタロウが部屋の扉を開けた。
木製の扉を、横にスライドさせる形式なので、音ですぐ開いたことがわかる。
マリアは下着姿を見られると思い、さらに平静さを失い、
「はっ、入ってこないでっ!」
近くにあった物を手に取ると、カンタロウにむかって投げつけた。
「ぐわっ!」
それは見事命中し、カンタロウは、その場に倒れる。
「あらら、大丈夫? カンタロウ君?」
アゲハが扉までむかう。
「早く! 早く閉めてください!」
マリアは大振りで、扉を閉めろと手で身振りを繰り返す。体は布団で隠していた。
「……俺は大丈夫だ」
「あっそう。じゃ、お休み」
アゲハはカンタロウの無事を確認すると、扉をピシャリと閉めた。
「これでいいでしょ?」
アゲハはマリアの要求に応え、再び布団の元へと帰ってくる。
「どうしてアゲハさんがいるんですかっ!」
興奮が冷めないマリアは、大きな声でアゲハを追求する。
「だって、ドア開いてたから」
「そうですけど! ヒナゲシさんと寝てたんじゃないんですか?」
「今日はマリアと寝ようと思ったの。いいでしょ?」
邪気も、悪気もないような顔を、アゲハはマリアに近づける。
マリアはそれを見て、高ぶった神経が、静まっていくのを感じ、
「いいですけど……むぅ」
アゲハに目で訴える。
アゲハはそれを察し、片手を上げて誓い、
「わかったわかった。さっきのことは、カンタロウ君には内緒にするから」
「本当ですね?」
「神に誓って」
「私にも誓ってください」
「はいはい。誓う誓う」
「じゃあ……いいですよ」
「ふふん」
アゲハはすぐに、マリアの布団にすべり込んできた。
アゲハが今着ている寝間着は、ヒナゲシが用意したものだ。
前にカンタロウの実家に泊まったときに、またいつでも帰って来れるようにと、ヒナゲシがアゲハの体を計り作ったのである。
アゲハはさっそくマリアの半球型の胸に、顔を埋めた。フルカップ型の下着から、マリアの匂いがよくわかる。
「もう……」
すでにマリアから、怒りは失せてしまっていた。
それぐらい、アゲハには人に甘えられる魅力があった。
マリアの匂いや体温を味わうと、アゲハはひょっこり顔を上げ、
「マリア、柔らかい」
「アゲハさんも」
二人は仲の良い親友のように、笑い合う。
「ねえ、さっきの続き。どうしてカンタロウ君の名前、呼んでたの?」
「それは……わかるじゃないですか」
マリアは頬をリンゴのように赤くすると、視線をアゲハからそらした。
「ええ~。わかんない」
アゲハは話題を変えようとしない。
本当にマリアの気持ちがわからないのだ。
マリアはこのまま逃げ続けても、アゲハがしつこく追いかけてきそうなので、諦めて自分の気持ちを言うことにした。
「私はその……カンタロウ様が……すっ、好き……だから……」
再びマリアの心臓が高鳴ってくる。
こんなにはっきりと、他人に自分の気持ちを言ったのは初めてだった。
アゲハは顔を上げ、
「好き? カンタロウ君が? どうして?」
「それは……私に、私なんかに、優しくしてくれたから」
「ふぅん、そっか。だから料理作ってあげたんだ」
「はい。おいしいって言ってくれて、すごく嬉しかった」
マリアは思い返すだけでも、嬉しくなる。
何度も味見して、一生懸命作ったかいがあった。
カンタロウの笑顔を見るだけでも、マリアの心は落ち着きを取り戻せる。
「他に何をするの?」
「他にですか?」
「うん、相手が好きなら、何をするの?」
「それは、お話したり、手を繋いだり、そっ、その……キスしたり……」
マリアはアゲハから隠れるように、モジモジし始めた。
「へぇ。やっぱり好きな人にはキスするんだ。マリアはカンタロウ君と、キスしたい?」
「……はい」
アゲハにそう答えて、マリアは布団の中に潜りかけた。
「そっか。私の義父も、いろんな女とキスして、喜んでたしな」
「義父? アゲハさんの実のお父さんは……」
唐突にアゲハの親がでてきたので、マリアは伏し目がちに聞いてみた。
「いない。お母さんもいない。私は生まれたときから、一人ぼっちだ」
「そう……だったんですか」
どう答えていいかわからない。マリアがそう考えていると、アゲハの方から口を開いた。
「でも、別に寂しくはないよ。みんなに言われるけど。きっと、最初からいないから、孤独感を感じないんだと思う」
「……そうですか」
アゲハの明るい答えに、マリアは少し微笑む。
「ねえ。もしカンタロウ君にキスしたら、喜んでくれると思う?」
「それは……わかりません。でも、喜んでくれるのなら。してみたいです」
「したら。喜ぶよ。きっと」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
アゲハの無邪気な笑顔を見ていると、マリアの心の中で、何か黒いものが、ざわざわとざわめいた。
それは前々から疑問に思っていたこと。
アゲハがカンタロウに、どんな気持ちを抱いているのかという疑問。
――あなたは。私とカンタロウ様がキスをして、平気なんですか?
喉まででかかって、マリアはその言葉を飲み込んだ。
それを言ってしまったら、必ず何かが壊れてしまう。
だけど、正直な自分に、耐え続けるということもできない。
直接アゲハに、疑問を聞いてみる決意を、マリアはここで決めた。
「あの、アゲハさん。アゲハさんは……カンタロウ様のこと……好き……ですか?」
マリアは勇気をだして、聞いてみる。
どんな反応をしてくるのか、マリアは少しだけ恐怖を感じた。
しかし、アゲハからの反応はまったくない。
「クー、クー」
小さな寝息が聞こえるだけだ。アゲハはすでに、夢の中へと旅立っていた。
「……寝ちゃった」
マリアは安心して、つい息を吐いてしまった。
アゲハの口元に落ちた一本の髪を、そっと手で元に戻してやる。湿った寝息を、肌で感じる。
「可愛い人。明るくて、強くて、人懐っこくて――カンタロウ様に一番近くて……」
安心すると、マリアは、急速に眠気がやってきた。思考がぼんやりと、霞がかかったようになる。
「私は、あなたが羨ましい……」
マリアはそうつぶやくと、静かに両目を閉じていった。
*
夜が終わり、朝となった。
窓から太陽が見え始めた時刻。
マリアとアゲハは、まだ布団の中で眠っていた。
太陽の光が瞼に当たったとき、マリアは体に違和感を感じていた。
意識が次第に覚醒しだす。
――何? 胸に、変な感触がする。
マリアの胸に痛みが走る。それは強く、優しくを繰り返し、形の変化が肌でわかった。
マリアは小さく息を吐き、
――誰かに触れられてる? まさか……。
体温の温もり、細かく動く仕草、それから想像するに、これは人の手だ。しかも男のように大きい。
マリアは目を閉じたまま、気持ちを落ち着かせた。
もし、意中の人であれば、大声をだしたり、動揺したりしては恥ずかしい。
落ち着いて、冷静に対処しなければならない。
ただ、やはりそうは思っていても、論理的な思考をするには限界があった。
勇気をだして、そろっと目を開けてみる。
人の影が見えた。確実に誰かいる。
背が高く、自分を上から見下ろしている。
マリアの血圧が、急上昇していく。そして両目で、影の人物を確認した。
そこにいたのは、ツバメだった。
「うんうん。柔らかさじゃ、マリアが上だねぇ」
ツバメがアゲハとマリアの胸を、両手を使って揉んでいた。
マリアはそれに気づいたが、アゲハはまだ爆睡している。仰向けで胸をだし、どうどうとセクハラを受けていた。
「……ひっ」
マリアの両目が見開いた。
「あっ? マリア、起きたのかい? いやぁ、起こそうと思って、部屋をノックしたんだけどね。開いてたから、つい入っちゃったよ」
ツバメは、悪気がなさそうに、頭をポリポリかく。
「きっ」
「うん? なんだい?」
「いっ!」
「おは乳首」
「いやあああああああっ!」
生娘のように、悲鳴を上げるマリア。
「なんだ? どうした?」
その悲鳴を聞いて、部屋のドアを開けるカンタロウ。
「でてってくださいっ! あと見ないでっ!」
カンタロウの目の前で、ツバメが空を飛んでいた。
マリアは赤眼化し、火事場の馬鹿力でツバメを放り投げたのだ。
「ぎゃあ!」
「おわっ!」
ツバメとカンタロウがぶつかり、廊下に二人とも倒れた。
「あたた……マリアの奴。朝からすごい力だね。おやカンタロウ? おは乳首」
ツバメが起き上がると、ちょうど下にカンタロウがいた。
ツバメの黒い髪が、カンタロウの胸に流れる。豊満な胸の谷間が、すぐ近くでせまっていた。
ただ、カンタロウの表情は青く、体が子犬のように震えている。
「貴様、早く、俺から離れろ……」
「離れろ? 普通なら、綺麗なお姉さんに、ドキドキする所じゃないか。ほらカンタロウ。あたしはいい匂いがするだろう?」
ツバメはわざと、カンタロウの顔に、自分の顔を近づける。黒い瞳が、女性のわりに鋭い。
長年ハンターをやってきている、影響だろう。
仄かにバラの香水の香りがする。
「やっ、やめろ。俺は、俺は」
自分に絶対の自信があるツバメに対して、カンタロウの反応は予想以上に鈍い。そこで、さらに唇を近づけてみる。
「俺は?」
猫のような、魅惑的で、動物的な声。これでツバメは、確実に男を落としてきた。
しかし、カンタロウは顔を、明後日の方向にむき、
「母さんしか――愛していない」
カンタロウの言葉に、ツバメは目をパチクリさせ、
「……えっ? そりゃどういう、ぎゃ!」
すさまじい痛みが、ツバメの頭に振り下ろされた。
「カンタロウ様から、離れなさい! この変態!」
着替えを終えたマリアが、ツバメの後ろで仁王立ちしていた。手には自分の武器である、槍をしっかりと持っている。
「まっ、待ってマリア! 今カンタロウの奴から、拒絶されたばっかりなんだよ! なっ、カンタロウ?」
ツバメが慌てて言い訳を並べ、カンタロウに同意を求める。
「……ふしゅう」
カンタロウは魂が抜けたように、気絶していた。
「気絶してる! あたし何にもしてないのにっ! いったい何が? はっ!」
背中にチリチリと、何か痛いものを感じる。ツバメは恐る恐る、後ろを振りむいた。
そこでは鬼のような形相をしたマリアが、槍を振り上げ、
「よくもカンタロウ様を……」
「ひええっ! あたしは何もしてないってば!」
ツバメはカンタロウから離れると、すたこら逃げだした。
「待ちなさい! 私の手で、あなたを浄化します!」
ぶんぶんと、槍を振り回すマリア。
「人をばい菌みたいに、言うんじゃないよ!」
ツバメは家から飛びだし、力の限り遠くに逃げていく。
「待て!」
「やだ!」
マリアとツバメが去った後、アゲハが部屋からでてきた。寝癖で髪が跳ね上がり、目を指でこすっている。
「もう、朝からうるさいな。あれ? カンタロウ君、何してんの?」
倒れているカンタロウを見つけると、アゲハは大きくあくびした。
「……次からマリアに、部屋の鍵はきちんとかけてくれって、言っといてくれ」
「うん、わかった。さて、私は着替えるかな」
「ああ、ごゆっくり……」
アゲハは白目のカンタロウを無視して、ピシャリとドアを閉めると、服を脱ぎ、着替えを始めていた。
皆が就寝する夜の時刻。
マリアはカンタロウの布団を口元までかぶり、悶々と寝付けないでいた。
枕や敷き布団も、カンタロウが普段から使用しているものだ。
一応、ヒナゲシが洗っているが、カンタロウの匂いが残っており、それはより一層近かった。
――どうしよ。すごくドキドキして、眠れない。もし本当に、カンタロウ様が入ってきたらどうしよ。私、下着だし。
ヒナゲシに言われたとおり、マリアは部屋の鍵を閉めなかった。
カンタロウが極度のマザコンであることは知っているので、恐らく来ないだろうとは思っていた。
何かが変わるかもしれない。
カンタロウとの関係が、もう一歩進むかもしれない。
そんな期待があり、あえて部屋の鍵を閉めなかったのだ。
カンタロウの部屋はとても簡素で、小さな机に、刀を手入れする道具。
服をかけるハンガーなど、最低限の物しかない。
部屋はやはり狭く、木造のためか、夜風がよく聞こえた。
窓から微弱な星の光が、入り込んでくる。
部屋に入る前から心臓が高鳴っていたが、旅仕様の服を脱ぎ、下着姿になるとさらに高ぶってくる。
この家に男はカンタロウだけだし、ツバメはスズの監視があるため、危険はないと思う。
それでも旅で汚れた服で寝るのは、申し訳ないと思い、脱いでしまった。
布団が自分の地肌に絡んでくると、温もりと仄かな冷たさに気持ちの安らぎを感じる。
マリアは眠るために、何となく、枕を胸に抱いてみた。
こうすると、すごく落ち着くのだ。
妹とすごしていたときは、よくシオンを抱きしめていたことを思い出す。
枕に鼻を押しつけてみると、カンタロウの香りが鼻孔にたくさん入ってきた。
――カンタロウ様の匂い。いい香り。すごく落ち着く。なんでだろ?
男性経験のないマリアは、これがどういう反応なのかわからなかった。
ただ、カンタロウの想いだけは強くなる。
ずっと一緒にいたいと、体が体温の温もりを求めている。
「カンタロウ様……私……わた」
マリアは目の前に、何かいることに気づいた。
突然闇にあらわれた二つの目。
猫のように鋭い瞳。それがパチパチと動き、マリアの様子を眺めている。
「ニャ。ヤッホー、マリア。元気?」
金髪と声からして、ようやくそれがアゲハだと、マリアは気づいた。
アゲハは添い寝するような形で、床に寝そべっているのだ。
マリアとアゲハの目線の距離は、数センチ程度しかない。
「…………」
マリアのすべてが固まった。
「ねえ。どうして、カンタロウ君の枕を抱きしめてるの?」
アゲハの言葉に、マリアの思考が異常な速度で回転し始める。
今までの行為や言動を、すべてアゲハに見られ、そして聞かれていた。
そう思うと、マリアの体温は急上昇していく。
「……いっ」
「ニャ」
アゲハはマリアの返事に、猫の鳴き声で答える。
「ひっ」
「ニャ!」
「きっ」
「ニャア?」
「きゃああああああああ!」
マリアの中で、何かが壊れた。
理性が飛び、抑制もきかない。
恐怖よりも、消え入りたいぐらいの恥ずかしさが勝り、無意識に悲鳴を上げていた。
「どうした? 何かあったのか?」
カンタロウが部屋の扉を開けた。
木製の扉を、横にスライドさせる形式なので、音ですぐ開いたことがわかる。
マリアは下着姿を見られると思い、さらに平静さを失い、
「はっ、入ってこないでっ!」
近くにあった物を手に取ると、カンタロウにむかって投げつけた。
「ぐわっ!」
それは見事命中し、カンタロウは、その場に倒れる。
「あらら、大丈夫? カンタロウ君?」
アゲハが扉までむかう。
「早く! 早く閉めてください!」
マリアは大振りで、扉を閉めろと手で身振りを繰り返す。体は布団で隠していた。
「……俺は大丈夫だ」
「あっそう。じゃ、お休み」
アゲハはカンタロウの無事を確認すると、扉をピシャリと閉めた。
「これでいいでしょ?」
アゲハはマリアの要求に応え、再び布団の元へと帰ってくる。
「どうしてアゲハさんがいるんですかっ!」
興奮が冷めないマリアは、大きな声でアゲハを追求する。
「だって、ドア開いてたから」
「そうですけど! ヒナゲシさんと寝てたんじゃないんですか?」
「今日はマリアと寝ようと思ったの。いいでしょ?」
邪気も、悪気もないような顔を、アゲハはマリアに近づける。
マリアはそれを見て、高ぶった神経が、静まっていくのを感じ、
「いいですけど……むぅ」
アゲハに目で訴える。
アゲハはそれを察し、片手を上げて誓い、
「わかったわかった。さっきのことは、カンタロウ君には内緒にするから」
「本当ですね?」
「神に誓って」
「私にも誓ってください」
「はいはい。誓う誓う」
「じゃあ……いいですよ」
「ふふん」
アゲハはすぐに、マリアの布団にすべり込んできた。
アゲハが今着ている寝間着は、ヒナゲシが用意したものだ。
前にカンタロウの実家に泊まったときに、またいつでも帰って来れるようにと、ヒナゲシがアゲハの体を計り作ったのである。
アゲハはさっそくマリアの半球型の胸に、顔を埋めた。フルカップ型の下着から、マリアの匂いがよくわかる。
「もう……」
すでにマリアから、怒りは失せてしまっていた。
それぐらい、アゲハには人に甘えられる魅力があった。
マリアの匂いや体温を味わうと、アゲハはひょっこり顔を上げ、
「マリア、柔らかい」
「アゲハさんも」
二人は仲の良い親友のように、笑い合う。
「ねえ、さっきの続き。どうしてカンタロウ君の名前、呼んでたの?」
「それは……わかるじゃないですか」
マリアは頬をリンゴのように赤くすると、視線をアゲハからそらした。
「ええ~。わかんない」
アゲハは話題を変えようとしない。
本当にマリアの気持ちがわからないのだ。
マリアはこのまま逃げ続けても、アゲハがしつこく追いかけてきそうなので、諦めて自分の気持ちを言うことにした。
「私はその……カンタロウ様が……すっ、好き……だから……」
再びマリアの心臓が高鳴ってくる。
こんなにはっきりと、他人に自分の気持ちを言ったのは初めてだった。
アゲハは顔を上げ、
「好き? カンタロウ君が? どうして?」
「それは……私に、私なんかに、優しくしてくれたから」
「ふぅん、そっか。だから料理作ってあげたんだ」
「はい。おいしいって言ってくれて、すごく嬉しかった」
マリアは思い返すだけでも、嬉しくなる。
何度も味見して、一生懸命作ったかいがあった。
カンタロウの笑顔を見るだけでも、マリアの心は落ち着きを取り戻せる。
「他に何をするの?」
「他にですか?」
「うん、相手が好きなら、何をするの?」
「それは、お話したり、手を繋いだり、そっ、その……キスしたり……」
マリアはアゲハから隠れるように、モジモジし始めた。
「へぇ。やっぱり好きな人にはキスするんだ。マリアはカンタロウ君と、キスしたい?」
「……はい」
アゲハにそう答えて、マリアは布団の中に潜りかけた。
「そっか。私の義父も、いろんな女とキスして、喜んでたしな」
「義父? アゲハさんの実のお父さんは……」
唐突にアゲハの親がでてきたので、マリアは伏し目がちに聞いてみた。
「いない。お母さんもいない。私は生まれたときから、一人ぼっちだ」
「そう……だったんですか」
どう答えていいかわからない。マリアがそう考えていると、アゲハの方から口を開いた。
「でも、別に寂しくはないよ。みんなに言われるけど。きっと、最初からいないから、孤独感を感じないんだと思う」
「……そうですか」
アゲハの明るい答えに、マリアは少し微笑む。
「ねえ。もしカンタロウ君にキスしたら、喜んでくれると思う?」
「それは……わかりません。でも、喜んでくれるのなら。してみたいです」
「したら。喜ぶよ。きっと」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
アゲハの無邪気な笑顔を見ていると、マリアの心の中で、何か黒いものが、ざわざわとざわめいた。
それは前々から疑問に思っていたこと。
アゲハがカンタロウに、どんな気持ちを抱いているのかという疑問。
――あなたは。私とカンタロウ様がキスをして、平気なんですか?
喉まででかかって、マリアはその言葉を飲み込んだ。
それを言ってしまったら、必ず何かが壊れてしまう。
だけど、正直な自分に、耐え続けるということもできない。
直接アゲハに、疑問を聞いてみる決意を、マリアはここで決めた。
「あの、アゲハさん。アゲハさんは……カンタロウ様のこと……好き……ですか?」
マリアは勇気をだして、聞いてみる。
どんな反応をしてくるのか、マリアは少しだけ恐怖を感じた。
しかし、アゲハからの反応はまったくない。
「クー、クー」
小さな寝息が聞こえるだけだ。アゲハはすでに、夢の中へと旅立っていた。
「……寝ちゃった」
マリアは安心して、つい息を吐いてしまった。
アゲハの口元に落ちた一本の髪を、そっと手で元に戻してやる。湿った寝息を、肌で感じる。
「可愛い人。明るくて、強くて、人懐っこくて――カンタロウ様に一番近くて……」
安心すると、マリアは、急速に眠気がやってきた。思考がぼんやりと、霞がかかったようになる。
「私は、あなたが羨ましい……」
マリアはそうつぶやくと、静かに両目を閉じていった。
*
夜が終わり、朝となった。
窓から太陽が見え始めた時刻。
マリアとアゲハは、まだ布団の中で眠っていた。
太陽の光が瞼に当たったとき、マリアは体に違和感を感じていた。
意識が次第に覚醒しだす。
――何? 胸に、変な感触がする。
マリアの胸に痛みが走る。それは強く、優しくを繰り返し、形の変化が肌でわかった。
マリアは小さく息を吐き、
――誰かに触れられてる? まさか……。
体温の温もり、細かく動く仕草、それから想像するに、これは人の手だ。しかも男のように大きい。
マリアは目を閉じたまま、気持ちを落ち着かせた。
もし、意中の人であれば、大声をだしたり、動揺したりしては恥ずかしい。
落ち着いて、冷静に対処しなければならない。
ただ、やはりそうは思っていても、論理的な思考をするには限界があった。
勇気をだして、そろっと目を開けてみる。
人の影が見えた。確実に誰かいる。
背が高く、自分を上から見下ろしている。
マリアの血圧が、急上昇していく。そして両目で、影の人物を確認した。
そこにいたのは、ツバメだった。
「うんうん。柔らかさじゃ、マリアが上だねぇ」
ツバメがアゲハとマリアの胸を、両手を使って揉んでいた。
マリアはそれに気づいたが、アゲハはまだ爆睡している。仰向けで胸をだし、どうどうとセクハラを受けていた。
「……ひっ」
マリアの両目が見開いた。
「あっ? マリア、起きたのかい? いやぁ、起こそうと思って、部屋をノックしたんだけどね。開いてたから、つい入っちゃったよ」
ツバメは、悪気がなさそうに、頭をポリポリかく。
「きっ」
「うん? なんだい?」
「いっ!」
「おは乳首」
「いやあああああああっ!」
生娘のように、悲鳴を上げるマリア。
「なんだ? どうした?」
その悲鳴を聞いて、部屋のドアを開けるカンタロウ。
「でてってくださいっ! あと見ないでっ!」
カンタロウの目の前で、ツバメが空を飛んでいた。
マリアは赤眼化し、火事場の馬鹿力でツバメを放り投げたのだ。
「ぎゃあ!」
「おわっ!」
ツバメとカンタロウがぶつかり、廊下に二人とも倒れた。
「あたた……マリアの奴。朝からすごい力だね。おやカンタロウ? おは乳首」
ツバメが起き上がると、ちょうど下にカンタロウがいた。
ツバメの黒い髪が、カンタロウの胸に流れる。豊満な胸の谷間が、すぐ近くでせまっていた。
ただ、カンタロウの表情は青く、体が子犬のように震えている。
「貴様、早く、俺から離れろ……」
「離れろ? 普通なら、綺麗なお姉さんに、ドキドキする所じゃないか。ほらカンタロウ。あたしはいい匂いがするだろう?」
ツバメはわざと、カンタロウの顔に、自分の顔を近づける。黒い瞳が、女性のわりに鋭い。
長年ハンターをやってきている、影響だろう。
仄かにバラの香水の香りがする。
「やっ、やめろ。俺は、俺は」
自分に絶対の自信があるツバメに対して、カンタロウの反応は予想以上に鈍い。そこで、さらに唇を近づけてみる。
「俺は?」
猫のような、魅惑的で、動物的な声。これでツバメは、確実に男を落としてきた。
しかし、カンタロウは顔を、明後日の方向にむき、
「母さんしか――愛していない」
カンタロウの言葉に、ツバメは目をパチクリさせ、
「……えっ? そりゃどういう、ぎゃ!」
すさまじい痛みが、ツバメの頭に振り下ろされた。
「カンタロウ様から、離れなさい! この変態!」
着替えを終えたマリアが、ツバメの後ろで仁王立ちしていた。手には自分の武器である、槍をしっかりと持っている。
「まっ、待ってマリア! 今カンタロウの奴から、拒絶されたばっかりなんだよ! なっ、カンタロウ?」
ツバメが慌てて言い訳を並べ、カンタロウに同意を求める。
「……ふしゅう」
カンタロウは魂が抜けたように、気絶していた。
「気絶してる! あたし何にもしてないのにっ! いったい何が? はっ!」
背中にチリチリと、何か痛いものを感じる。ツバメは恐る恐る、後ろを振りむいた。
そこでは鬼のような形相をしたマリアが、槍を振り上げ、
「よくもカンタロウ様を……」
「ひええっ! あたしは何もしてないってば!」
ツバメはカンタロウから離れると、すたこら逃げだした。
「待ちなさい! 私の手で、あなたを浄化します!」
ぶんぶんと、槍を振り回すマリア。
「人をばい菌みたいに、言うんじゃないよ!」
ツバメは家から飛びだし、力の限り遠くに逃げていく。
「待て!」
「やだ!」
マリアとツバメが去った後、アゲハが部屋からでてきた。寝癖で髪が跳ね上がり、目を指でこすっている。
「もう、朝からうるさいな。あれ? カンタロウ君、何してんの?」
倒れているカンタロウを見つけると、アゲハは大きくあくびした。
「……次からマリアに、部屋の鍵はきちんとかけてくれって、言っといてくれ」
「うん、わかった。さて、私は着替えるかな」
「ああ、ごゆっくり……」
アゲハは白目のカンタロウを無視して、ピシャリとドアを閉めると、服を脱ぎ、着替えを始めていた。