神様に愛されぬモノ

文字数 4,471文字

 暴走した神魔法が、高熱水の渦となって、鉄人に襲いかかった。

 結界に閉じ込められた鉄人は、逃げることができず、魔法を直接受ける。

 結界の中はマグマのような、異常な光を放ち、すべてのものを溶かし、燃やし尽くす。

 黒い焦げが、結界の外にまで広がっていった。

 異臭が辺りに漂ってくる。


「ぐわあああああああぁ!」


 鉄人の甲高い悲鳴が響いてきた。

 全身に魔力を受け、抵抗することができない。

 魔力の中に埋もれていく。

「……うっ」

 アゲハはその場に、膝を下ろした。

 呼吸が浅い。

 全身を巡る、神脈を止めた影響がきているのだ。

 ――動けない。神脈を止めちゃったから、息も苦しい……死にそう。

 アゲハは意識を保つため、鼻から酸素を深く吸い込む。

 このような状態になったのは、初めてではないため、対処方法は知っていた。

 昔、初めてこの魔法を放ったときは、その場で気絶してしまったのだ。

 朧に助けられたが、ゲンコツを一発くらってしまった。

 だいぶ落ち着き、鉄人の方を見ると、結界の外に赤い水が飛び散っている。

 ――まずい。魔法が強力すぎて、結界の外にでちゃってる。逃げないと……。

 逃げようとしたアゲハは、目を丸くした。

「おのれっ! おのれっ!」

 鉄人はまだ生きていた。

 鋼鉄の拳で結界を、何度も、何度も、殴りつけている。

 あの魔力をくらって、まだ動けることに、アゲハは本気で驚いていた。

 しかし、結界はびくともしていない。

 アゲハは少し笑い、

「無駄だよ。どんな強力なエコーズでも、絶対に結界の外にはでられない。そこがあなたの墓場……えっ?」

「おのれっ! おのれっ! おのれぇぇぇ!」

 鉄人の渾身の一撃が、結界にヒビを入れた。

 アゲハは目の前の出来事が信じられず、唖然と亀裂を見つめている。

 ――……嘘。そんなはずない。絶対にエコーズは結界を壊せない。結界に入れるのは、私しかいないはず……!

 アゲハはあることに気づいた。

 魔法が結界の外に漏れている理由。

 そこに気づけば、結界にヒビが入った原因を見つけるのは簡単だった。


「そうか。月の玉の効力が、弱ってるんだ」


 アゲハの脳裏に浮かぶ。

 カンタロウからもらったとき、月の玉は黒く変色していた。

 前に、そろそろ替えどきだと聞いたことがある。

 鉄人や魔法が原因でヒビが入っているのではなく、結界を張る能力が無くなりつつあるのだ。



「うおおおおおおおおお!」



 鉄人はさらに結界を殴りつけた。

 結界のヒビがどんどん大きくなる。

 魔法も結界の外に流れだし、土や草花を熱湯で焦がし始めた。

 熱風がアゲハの髪を、チリチリと炙り上げる。

 ――逃げないと、魔法が漏れて、大爆発を起こしちゃう。だけど、まだ鉄人を倒せていない。

 アゲハは迷う。

「小娘ぇぇぇ!」

 鉄人が大きく拳を振り上げると、結界に強力な一撃をくわえた。

 ヒビが、結界の全体を覆い始める。

 ――駄目だ。もう限界!

 アゲハは魔法の暴走を止めるため、赤眼化した。

 テファの神文字が、弱々しく右頬に光る。

 神脈が全身を巡り、魔法の効力を無くすことができる。


 神魔法の暴走が、停止した。


 同時に月の玉が壊れ、結界が消失した。

 中で暴れ回っていた魔力が、天高くまで噴きだす。火山のようだった。


「きゃあああああ!」


 アゲハは爆風で、吹き飛ばされた。

 体格が小さいため、体が宙に浮き、遠くまで投げだされる。

 木にぶつかり、背中を強打した。鎧に亀裂が入る。

 アゲハの意識が回復していく。

 鼻腔に焦げた臭いが入ってくる。

 暑い熱気が、皮膚を刺激する。

 白い煙が喉に入り、アゲハはその場でむせて咳込み、

「うっ……ごほっ、ごほっ」

 小結界を張った地面に、大きく黒い穴ができている。

 木々にはまだ、魔法の火が燃えているものもある。

 隕石でも落ちてきたかのような、凄惨な跡だった。

「森が、消し飛んでる……こんなに神魔法ってすごかったんだ」

 アゲハは立ち上がると、ふらふらと鉄人を探し始めた。

 黒い穴に近づいていくと、熱気を吐きだしている。

「熱い……。近寄れない」

 アゲハが遠くにある研究所の方を見てみると、建物は半壊していた。

 結界はまだ空高く張られている。

 どうやら、吸収式神脈装置は地下にあったため、まだその活動を停止していないようだ。

 曇り空から降る小さな雨は、まだこの土地に到達していない。

 鉄人の気配を探ってみるが、どこにも存在しなかった。

「さすがに死んだか。はあ。これで二度目だけど、朧先生がいたら怒られちゃうな」

 幼少のとき、アゲハは同じ魔法をエトピリカで放った。

 自分が神脈を自由にコントロールできる体質だと気づいて、試したくなったのだ。

 そのせいで、エトピリカのすぐ近くにあった小さな無人島は、跡形もなく消し飛ばされた。

 それが原因で、朧からきつく、二度としないと誓わされたが、今回は目をつぶってもらうことにした。

「さて、カンタロウ君の所に行こ。早く行かないと、私の体力が尽きちゃう……」

 アゲハの後ろで何か、音がした。

 土が掘り返されるような音。

 アゲハは何気なく後ろを振りむくと、黒い物体が立っていた。

「えっ?」

「ふんっ!」

 アゲハの鎧に衝撃が走った。

 耳に鉄が砕ける音がする。

 鎧の残骸が、目の前を踊る。

 背中に激痛が走った。

 視線は空をむいていた。

 何者かに殴り飛ばされ、岩に背中をぶつけ、自分が空に弾かれていることに、意識が追いついた。

 ――えっ? 何?

 地面に倒れたアゲハは、何が起こったのかわからず、きょとんとした。


「――やってくれたな。小娘。この鉄人。久しぶりに死を感じたぞ」


 黒いものが口を開いた。

 鉄人だとわかった。

 全身から、黒い土が落ちている。

 ――鉄人……どうして……!

 鉄人の後ろに、人一人分ぐらい入れる、穴が開いている。アゲハはそれを見て、鉄人が穴を掘って、ここまで逃れたことを知った。

 冷静に分析できたのは、最初だけだった。


「ああああああああああああっ!」


 アゲハは激しい痛みで、その場にのた打ち回った。

 悲鳴が無意識に、口からでてくる。

 その後にでてきたのは、真っ赤な血。


「げほっ! がはっ! おえっ!」


 血が呼吸をふさぐ。アゲハはたまらずその場で吐血する。

 骨が体を支えてくれない。

 目に見えているものが、白く濁る。

 激痛が止まらず、アゲハの精神を侵食していく。

 ――何? 何? 何? 何? これは何?

 アゲハに、ガクンと暗い、何かが落ちてきた。

 痛みを感じなくなった。力も抜けてきた。

 ――やばい! 痛みを感じない! やばい! これはやばい!

 アゲハは必死で、意識を保とうとする。

 再び痛みと吐血が襲いかかってくる。

 地獄の棘に刺され続けているような、終わりのない拷問。

「ああっ! いあああああああっ! きぃあああああああああっ!」

 アゲハは仰向けになり、口から血を吐き続け、涙を流しながら叫んだ。


「――これは悪かった。一撃でしとめ損ねたな。まあいい。すぐそこに行って、トドメをさしてやる」


 鉄人がゆっくりと、地面を踏みしめ、アゲハに近づいてくる。

 その言葉だけは、なぜか鮮明に、耳に入ってきた。


 ――駄目! 駄目! 私は死ねない! カンタロウ君を! シオンを! 護らなきゃ!


 アゲハは叫びながらも、体を起こそうと必死になる。

 痛みよりも、死の恐怖が勝ったのだ。

 体は言うことを聞いてくれず、足が動かない。


 ――動いて! お願い! 神様! 神様! お願いします! 一生のお願いです!


 アゲハは必死で祈った。

 信じてもいない、神様にむかって。

 都合がいいとわかっていても、誰かにすがらざるおえなかった。


 ――私は死ねない! 自分がどうして神脈を持って生まれたのか! 出生の意味だってわかってないのにっ!


 アゲハの口に血の味と、鼻水の味と、涙の味がする。

 自分の今の形相を、鏡で見続ける自信はない。

 生への執着を、頭の中で吐き続け、身体に力を入れる。


 ――お願いです神様! 一瞬でいい! ほんの数秒でもいい! 私に、カンタロウ君とシオンを護らせて!


 その願いが叶ったのか、アゲハは立つことができた。

 鉄人は驚き、足を止め、

「ほう?」

「まも……るんだ……。ごほっ! わたし……が……ふたり……を」

 アゲハは足をふらつかせながらも、二本足で立ち、鉄人を見据え、

「だっ……て……」

 剣を持つ手の、震えが止まらない。

 涙が、とめどなく、地面を濡らす。

 足下にできた血の水が、波紋を流す。



 ――この国で、この大陸で、この世界で……檻の中に閉じ込められた、絶望的な孤独を……。



 アゲハの脳内に光景が浮かぶ。

 このコスタリア大陸で見てきた、エコーズへのどす黒い感情。

 大帝国の実験農場で見た、ゴーストエコーズ達を飼育している現場。

 幼い頃、自分が持っていた純粋な人間への憧れが、粉々に砕かれた瞬間。


 だけど、ようやく信じられる人間に出会った。


 自分の存在意義を見失い、エコーズ以外の者は敵だという認識を逆転させた人。

 カンタロウ。

 同じ種族である人に阻害された人間と出会って、封印されていた自分の心を、探しだすことができた。


 ――やっと、理解し合える人に……出会ったんだ……。


 アゲハの視界がゆがみ、

「あっ……」

 うつ伏せに倒れる。

 ――動けない。

 アゲハの筋肉が反応しない。

 言葉が、途切れた。

 聞こえたのは、鉄人が隣に立つ音。

「終わりだな。小娘。いや、名前を聞いておくべきだったな。女の身でありながら、よくぞここまで戦った。この鉄人、お前の意志の強さに感服したぞ」

 鉄人の言葉は、アゲハの耳に入っていなかった。

 ただ、笑いだけが、こみ上げてくる。


 ――ははっ、死ぬんだ。私。そりゃそうだよね。私は、神様に愛されていないんだから。


 アゲハの生への執着が、諦めに変わったとき、なぜか妙な安らぎがある。

 アゲハはその奇妙な感情で、あふれていた。

「せめてものお礼だ。苦しまぬよう、一撃でその頭を潰してくれる」

 鉄人が拳を強く握った。

 アゲハはカンタロウのことを思い出し、

 ――カンタロウ君。君といろんな所、一緒に旅したけど。本当に楽しかった。最初は君を騙すつもりだったけど。もう、そんなのどうでもよくなってた……あっ、そっか。

 アゲハは自分の感情に気づいた。



「さらばだ。気高き獣人の娘よ」



 頭の上では、鉄人が拳を振り上げている。

 アゲハは微笑んでいた。

 死の恐怖から逃避するために、笑ったのではない。

 純心な想い。

 ――君と一緒にいたときに感じた安らぎ……あれを、『幸せ』って、いうんだ。

 アゲハの頬に、透明な涙が流れる。

『アゲハ』

 どこからか、カンタロウが自分の名を呼ぶ声が聞こえてきて、そっと振りむいた。


 アゲハの顔つきは――『幸せ』な感情で、満たされていた。


 鉄人の鋼鉄の拳が、アゲハの頭に入った。

 アゲハの身体が、魚のように、ビクッと跳ね上がる。

 大地が地割れ、砂埃が空高く舞い上がった。




「お前の――冥福を祈ろう」




 鉄人は強敵のために、黙祷を捧げていた。
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