ヒナゲシと寝床

文字数 2,406文字

 夜。

 本当にアゲハは、ヒナゲシの寝床に入り、服を脱ぎ下着姿になると、床に敷かれたベッドに入ってきた。

 ヒナゲシは自分の胸に顔を埋めるアゲハを、困ったような顔で見つめ、

「アゲハちゃん。本当に私のベッドで寝るの?」

「うん」

「私、邪魔にならない?」

「大丈夫。平気。ふふん」

 ヒナゲシの豊満な胸が気に入ったのか、アゲハは嬉しそうにはしゃぐ。

 ――私は平気じゃないんだけどな。

 ヒナゲシは寝る姿勢をどうしようか、悩んでいた。アゲハは自分より背が低いため、間違えて押し潰さないか心配になる。

「ねえ。本当に両目、見えないの?」

 アゲハが胸から、ヒナゲシに両目のことについて聞いてきた。

 ヒナゲシの両目を失った理由は、すでにカンタロウから聞いて知っている。

「どうして?」

「だって、料理のときも、食事のときも、動きに無駄がなかったから」

 アゲハはちゃんと、ヒナゲシの行動を観察していた。

 視覚がないわりには、ヒナゲシの動きに無駄はなかった。慣れもあるのだろうが、少し違和感を感じたようだ。

「ああ、両目がないのは本当よ。しばらくは不便だったけど、魔帝国のお医者様に、呪いというか、魔術というか。そういった類のものをかけてもらったの」

「魔道具のこと?」

「それはさすがに高価だったから、手間がかかるものを私は選んだの。一年ぐらい修行して、ようやく白い線のようなものが見えるようになった」

「白い線?」

「なんて説明すればいいのかしらね。私が見えるのは白い線の形。色や中身は見えないの。それは暗いまま。たとえば、目の前にリンゴがあるとしたら、その平面状の線だけが見えるの」

「道に書いた落書きみたいなもの?」

「そう。それが慣れてくると、少しづつだけど、立体的になっていく。今はそれが限界ね」

 「ふぅん」アゲハはよくわからなかったのか、ヒナゲシに対して気のない返事だ。

「目がないのに、どうして見えるの?」

「それはわからないわ。だけど、そのお医者様が言うには、人は目ではなく、脳で物を見ているらしいの。だから私は、たぶん、目ではない、何かで外の世界を見ていると思う。それが何かと言われれば、説明できないけどね」

「ふぅん……」

「あとは周りから、いかに情報を集めるかってことかな。目が見えなくなってからね。耳が良くなっちゃったの。だから、アゲハちゃんが獣人だとわかったのも、スズが言ってくれたから」

「ああっ……そうなんだ」

 ヒナゲシの話を、もう理解したのか、アゲハは眠そうに両目を閉じかけている。

「ねえアゲハちゃん――カンタロウさんのこと、好き?」

 突然、ヒナゲシがアゲハに、二人の関係のことを聞いてきた。

「えっ?」

「カンタロウさんって、いい男でしょ? 私はあの子の顔を、認識することはできないけど、女の子がけっこうこの家に来ていたから、かなり見かけは良いと思うの」

「うん、美形だよ。カンタロウ君は」

「それに優しい?」

「女の人には優しいかな。まだわからないけど」

「そっか。でっ、どう? カンタロウさんと一緒になりたいって思う?」

「う~ん。わかんない……」

「……そう」

 予想が違いがっかりしたのか、消え入りそうな声で、ヒナゲシは口を閉じた。

「どうしたの?」

「心配なの。あの子が。私は親だから、カンタロウさんより先に死ぬわ。残されたあの子は、どうしていくんだろうって」

 ヒナゲシの悩み。それはいまだ自分から自立できない息子のことだった。

 自分のためなら、カンタロウは必ず無理をする。それがヒナゲシは心配だった。

「…………」

 アゲハは何も答えない。

「もし、もしね。カンタロウさんがアゲハちゃんを好きになったのなら、あの子は自立できるんじゃないかって思うの。私から離れて、自分の足で前に進んでいけるかなって、そして自分の幸せをつかんで……」

「スースー」

 アゲハは眠っていた。

「……寝ちゃったのね」

 ヒナゲシは胸で、スヤスヤと眠るアゲハの髪を、そっと顔から払ってやる。

「ふふっ、可愛い子」

 アゲハの幼い顔立ちと可愛らしい寝顔に、つい微笑んでしまうヒナゲシだった。





 次の日の朝。

 アゲハは水で顔を洗うと、家の外を散歩していた。涼風が頬に当たってくる。

 アゲハの気配に気づいたのか、緑の蛇が草むらに隠れた。

 ――う~ん。カンタロウ君って、私のこと、好きなのかな?

 昨日、ヒナゲシに言われたことが気になる。

 もし、カンタロウが自分のことが好きなのであれば、今後仕事もやりやすくなるだろう。

 男に女の魅力を与えてやれば、操りやすくなる。そういう男女の関係は、この大陸に来てから知った。

「おっ、いたいた」

 アゲハはカンタロウを見つけた。

 カンタロウは家のそばで、刀の素振りをしていた。上は、シャツ一枚だけ着ている。腕の固い筋肉に、透明な汗が伝っていた。

「ヤッホー。おっはよう。カンタロウ君」

「……ああ、アゲハか。おはよう」

 アゲハに気づき、カンタロウは素振りをやめた。

「ねえねえ、カンタロウ君」

「うん?」

「私とママ――どっちが好き?」

 両手を後ろに回し、無邪気に聞くアゲハ。

「……そんなの決まっている」

 カンタロウは両手をだして、アゲハの頬に触れる。

 ――おっ、脈ありか?

 アゲハの期待感が膨らむ。

「ふんっ!」

「おうっ!」

 カンタロウはアゲハをそのまま、自分の頭の上まで持ち上げた。

「母に決まってるだろ」

 カンタロウは迷いもなく、はっきりと言った。

 ――やっぱりか。

 タコ口になりながら、予想通りの展開に、アゲハはがっかりした。

「それより昨夜、母と寝た感触はどうだったんだ? 気持ち良かったのか? 柔らかくて気持ち良かったんだろ? 素直に吐け」

 母を奪われた嫉妬で、問いつめ口調になるカンタロウ。それはまるで、妻を他の男に取られた夫のような、ドロドロとしたものだった。

 ――カンタロウ母よ。無理だ!

 アゲハはぶらぶら体を揺らしながら、カンタロウに好かれることを諦めた。
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