月の魔都

文字数 8,522文字




 カンタロウとアゲハは、橋の前で、マリアとランマルを待っていた。

 橋はかずらでできており、橋の底に敷かれてあるのは木片だ。長い間、使われてなかったのか、腐食しずらいかずらも、黒ずみ始めている。床の木は、何本か間が抜けていた。

 橋の下は崖で、底が暗くまったく見えない。

 橋の長さは五十メートルほど。幅は一メートル以上はあるだろうか。

 人が動くたびに、橋は大きく風で揺れる。

「大丈夫か! マリア!」

 カンタロウが、橋に残されたマリアにむかって大声をだした。

「怖いですぅ。もう動けません~」

 マリアは橋の真ん中で、動けず綱を持ったまま立ち尽くしていた。恐怖からか、両足がガクガク震えている。目は涙目になっていた。

「マリア。平気だよ、こんな橋。ほらほら」

 アゲハがふざけ半分で、橋を手でバシバシ叩いた。

「やっ、やめてくださいっ! アゲハさんっ! 本気で怒りますよっ!」

 普段は大人しいマリアも、さすがに怒鳴ってしまった。

「やだ。怖い」

 アゲハは橋から手を離し、両腕を胸に抱え、脅えているポーズをしてみせた。

「アゲハ、やりすぎだ」

 カンタロウがそれを注意した。

「この橋、まったく整備されてないな。……と、いうわけで、誰か助けて!」

 ランマルはマリアのさらに後ろの、入り口部分で止まっていた。橋に座り込み、まったく動けないようだ。顔は真っ青になっている。

「もう。さっきまでの勢いはどうしたの? マリアより後ろじゃん!」

 アゲハがランマルに活を入れた。

 ランマルは手を振っただけで、何も答えなかった。

「あとマリアちゃん、一つ言っていいか?」

「はぁい、なんですかぁ、ランマルさん……」

「実はさっきから、風でスカートがめくれて、ちらちら下着が見えてるんだ。すまん」

「きゃああ! 何見てるんですかっ!」

 マリアはすぐに橋に座りこんだ。

 橋の木の間から、上昇風が吹き、マリアのスカートを押し上げていたようだ。

 マリアは橋に集中していたため、まったく気づかなかった。

「だから、先に謝ったんだ。ごめんよ」

 ランマルは言おうかどうか迷っていたが、結局言うことにした。

「ランマル兄さん。マリアの下着は何色?」

 アゲハが手を上げて質問した。

「純白だ。しかもかなり――きわどい」

 ランマルは正直に答えた。

「きゃ、セクシー」

 アゲハは手を口に当て、悪戯っぽく笑っている。

「何言ってるんですかっ! もう嫌ですっ! 私、ここから落ちます!」

 恥ずかしさから、マリアが無茶苦茶なことを言い始めた。

「はあ、仕方ない。アゲハ。飛翔魔法でランマルを助けてやってくれ。マリアは俺が助ける」

「えぇ~。やだ、疲れる」

「我慢しろ」

 カンタロウはアゲハにそう言うと、橋を渡り始めた。

 アゲハは口を尖らせたが、仕方なく赤眼化し、ランマルの元へと魔法の翼をはばたかせる。

「よっと、大丈夫か? マリア?」

 軽く橋を渡ると、カンタロウはマリアのそばで腰を下ろした。

 崖から風の唸りが聞こえてくる。

「はっ、はっ、はい。だだ大丈夫です」

「立ち上がれるか?」

「なななんとか」

「じゃ、俺の背中に乗れ」

 カンタロウは背中をマリアにむける。

「嫌ですぅ」

 マリアは首を、ブンブン横に振った。

「どうして?」

「私、男の人に下着……」

「俺は見てないから」

 なんとかマリアを説得し、カンタロウの背中に乗せる。

「ちくしょう。もう少し若ければ、こんな橋余裕だったのに」

「都市でぬくぬくしてたからだろ? しっかりしてよね。ランマル兄さん」

「お恥ずかしいッス……」

 アゲハに脇を抱えられながら、ランマルは情けなさで顔を手で覆った。

 二人は無事、橋のむこう側に渡ることができた。

「うん?」

 カンタロウがマリアを背負い、運んでいると、突然、木がきしむ音が聞こえてきた。

 橋の腕木が折れ始めている。

 橋がガクンと、一段下に落ちた。

 ――まずい! 橋が!

 カンタロウが向かう、むこう側までまだ距離がある。

 急がなくては、二人とも崖の底に転落する。

 カンタロウが走ろうとした瞬間、入り口の腕木がボキリと折れた。

「えっ? あっ?」

 橋が斜めに傾いた衝撃で、マリアはカンタロウから手を離してしまった。

 暗い底へと、真っ逆さまに転落する。

 手で何かを持とうと動かしてみても、空振りするだけだった。

「マリアっ!」

 カンタロウはすぐに赤眼化し、マリアの腕をつかんだ。マリアの体重と重力が一気に、腕に負担をかける。

「きゃああ!」

「くっ!」

 カンタロウは腕に力を込めると、マリアを抱き寄せ、横に抱えた。

 マリアは怖さから、カンタロウの首に抱きつく。

「カンタロウ!」

「カンタロウ君!」

 ランマルとアゲハが、むこう岸で叫んでいる。

「はっ!」

 カンタロウは木片をうまく伝い、出口まで一息で飛びついた。

「おおっ、無事だったか! カンタロウ!」

「心配させて」

 出口では、ランマルとアゲハが安堵の息を吐いた。

「…………」

 マリアはまだカンタロウにしがみついていた。両目がぎゅっと閉じられ、何も聞こえていないようだ。

 カンタロウは赤眼化を解除し、

「マリア」

「……えっ?」

 カンタロウがマリアの耳元で囁き、ようやく我に返った。

「マリア。助かったぞ。よかったな。二人とも無事で」

「あっ。私」

 マリアの腕の力が緩んだ。すぐそばには、カンタロウの顔がある。

「そうだ。助かったんだ」

 カンタロウの表情が、女性のように柔和になる。

 マリアはしばらく、それから目が離せなかった。

「はい。カンタロウ様」

 マリアは花のように微笑んだ。

「おいおい。見せつけてくれるな。目が痛いぜ」

「ぼんやりしちゃって」

 すっかり二人の世界に入っていたようだ。

 マリアはアゲハとランマルの存在に、気づかなかった。まだカンタロウに抱えられていることも、忘れていた。

「あっ! ごっ、ごめんなさい!」

 慌てて下りようとするマリア。

「いいさ。下りれるか?」

 カンタロウは丁寧に、マリアを腕から下ろした。

「はい……」

 マリアは少し未練が残っているのか、わざとゆっくりカンタロウから離れる。

「何マリア? ちょっと残念そうじゃん」

「違います! からかわないでください! アゲハさん!」

 マリアは自分の本心を見破られ、アゲハからそっぽをむいた。

「ふっ、恐怖は、恋を燃え上がらせるのか」

「何それ? 哲学?」

「そう。ある意味、人生の」

 ランマルはアゲハにうなずいていた。

 橋を渡り終え、四人は森の中へと入った。

 一応人が通る道があったみたいだが、緑の草で埋まってしまい、今ではまったく機能を喪失している。

 歩くたびに、木の実が砕ける音がする。

 道の脇では、破傘や薇など、山菜が我が物顔ではえていた。

 マリアはまだ興奮が収まらないのか、頬が仄かに赤い。両手を前でぐっと組み、下をむいたまま歩いている。チラチラとカンタロウの方を見るが、当人はさっさと先を歩いていた。

「ねえねえマリア。どうして顔赤いの?」

 マリアの頬が赤い理由を知りたいのか、アゲハが腕を引っ張った。

「そんなに赤くありませんよ。普通です」

 マリアは努めて、冷静に答えた。まだ自分の気持ちを、カンタロウに知られるのが怖いのだ。しかし、頬の紅色は急には引かない。

「嘘だぁ。超赤いじゃん。ねえ、どうして?」

 しつこく腕の服を引っ張るアゲハ。

「知りません!」

 マリアはつい大声をだし、アゲハの手を振り払った。

「こらっ、やめろ。マリアが嫌がってる」

 カンタロウがアゲハの頭上に、手刀をくらわした。

「てっ、何よぉ。ちょっと聞いただけじゃん」

 アゲハは子供のように、口を尖らせる。

「人にはいろいろあるんだ」

「何よそれ? じゃ、カンタロウ君。マリアの下着見て、どう思ったの?」

 アゲハは仕返しとばかりに、男が最も反応するであろう事を質問した。

 「ひっ!」マリアが逆に反応し、急激に顔を沸騰させる。

「そうだな。俺は見ていないが。やはり母の方が――」

「あっ、もういい。やめろ」

 カンタロウの無反応さを見て、これは使えないと判断し、アゲハは言葉を切った。

「なぜだ? まだすべてを言ってないぞ?」

「興味ないもん」

「聞けば興味がでてくる」

「絶対でないね。このマザコン」

「マザコンって言うな。親孝行と言え」

 それからも、二人は雑談を続けた。

「…………」

 マリアは会話に入れず、モジモジするしかなかった。

 ――マリアちゃん。やっぱりカンタロウのことが気になるんだなぁ。いじらしいっていうか、何ていうか。それに比べ、アゲハちゃんはズケズケ入ってくるな。

 二人の女性の性格の違いを比べ、ランマルが三人の後ろで、独自の分析をしていた。

 ――あいつも乙女心ってのがわかってないからな。母親のことばっかり気にしてるし。

 そんなことを考えていると、自分がまるでスズに相手にされていないことを思い出した。

「だが……俺が言える立場じゃないな」

 ランマルは目頭を押さえると、天をむいた。

 森を進んで行くと、緑の葉が土に積もっていた。

 今は冬ではなく、太陽もでている。しかし、緑の葉をつけた木は、骨のような枯れ木に変わっていた。

 土は乾燥し、所々にヒビが入っている。

 ――なんだ? 森が、枯れている?

 カンタロウが異常な状況に気づいた。

 他の三人も不気味な光景に、黙り込んでしまっている。

 動物の物音も、鳥の鳴き声も、消えている。

 寂しい風が、枯れた木の間をかけ抜ける。

 緑の草すらはえず、虫のかさつく音もない。

「ここだ。ここで、コウタロウさんに出会ったんだ」

 ランマルが懐かしそうに、緩やかな坂を見上げた。

 昔は背の高い、緑の草がはえていた。

 今は見る影もなく、乾いた土が風で転がっている。

 カンタロウの顔つきが変わり、

「ランマル、父はまさか……」

「いや、違う。コウタロウさんは王の命令で、黒陽騎士団についていっただけだ。あの人は大火災の中、人助けをしてた」

 釣瓶の城下町が、火災で燃え上がっている中、コウタロウは赤子を助けだしていた。ランマルはそれを、しみじみと話す。

「……そうか」

 カンタロウは身体がほぐれるような、安堵感を感じた。

「もうすぐ町だ。形は残っていないと思うけどな」

 ランマルはあの赤い炎を、思い出していた。

 竜が吐く火柱のように、天にまで昇る火炎の嵐。

 あの中で生きている者は誰もいないし、町は木片ですら残っていないだろう。


 しかし、釣瓶の町は存在した。


 町並みは木造建築で、幅の狭い通路を、水が何本も流れていた。

 地面は石でできている。

 水車もあり、音をたてながら回っていた。

「すごく綺麗な町じゃん」

 アゲハの感想のとおり、家すべてが新築のように、痛んでいない。

 水も綺麗に透き通っており、底まで丸見えだ。

 まるで今町が出来上がったような、奇妙な感覚に捕らわれる。

「わあ、水が流れてる。さすが水源のある町ですね」

 マリアが腰を下ろし、水を手に取ってみた。冷ややかで、さらりとした感触がある。

 三人が町の景観に感心している中、ランマルだけが、顔中から汗を流していた。

「どうした? ランマル?」

 カンタロウが真っ青になったランマルに、声をかけた。

「……馬鹿な。あの大火災だぞ? 町なんて残っているわけがない」

 昔、ランマルがこの町を見たとき、炎がすべてを灰に変えようとしていた。

 真夜中なのに、昼間のように明るく、寒い気温の中この辺りだけが、地獄の業火のように異常な熱さだった。

 そんな大火災が、この町を燃やし尽くしていたというのに、黒い炭一つ見つからない。

 アゲハが背伸びし、

「見間違いじゃないの?」

「いや、確かに俺は見た。黒陽騎士団が町に火を放ったんだ。それにあれから、もう十年以上はたってるんだ。町が残っているはずがない」

 夢でも見ているかのように、ランマルは立ち尽くしたまま動かない。

 ――確かに、人の気配がしないな。

 カンタロウは町の異様な静けさに、違和感を感じていた。

 枯れた森に入ったときに感じた、嫌な気配も残ったままだ。

 水車がカタカタと、骨を鳴らすように、無機質な音をたてる。

 ――気配がする。ここにいるな。あれが。

 アゲハはエコーズの気配を、感じ取っていた。

 目に見えない視線。体に突き刺さる殺意。

 明らかに自分達は、この町に歓迎されていない。

「綺麗な水。透き通ってる」

 マリアはまだ手に水をつけていた。

 後ろの三人が、遠くに離れてしまっていることに、気づいていない。ふと、手に赤いものが触れた。

 ――赤い、水?

 手でその赤いものをすくってみる。それはスルリとマリアの手から逃げ、水に溶けてしまう。

 ――なんだろう?

 上流から、赤いものが流れている。

 マリアは不思議に思い、上流へと歩いていった。

 坂道を上り、石の道から外れた山側に、小さな池があった。

 池は真っ赤に染まっていた。

 何かのプランクトンかと思い、マリアは池に近づき、中を覗いてみる。自分の姿が池に映り、体を赤く染めていた。

 池の中心に、何かがある。

 波紋をたてながら、ゆらゆらと浮いている。

 マリアはよく見ようと、目をパチパチさせ、

「あれは?」

 池の周辺を歩きながら、浮いているものを追いかける。

 だんだんそれが何か、わかってきた。

 獣の毛に、ガタイのいい体。その人物には、ほんの数時間前に会っている。


 それは、獣人、ライヤの死体だった。


「ひっ!」

 マリアは小さく悲鳴を上げた。と同時に、何かにつまずいた。

「きゃっ?」

 その場に転び、尻餅をつく。

「何……」

 手に何かぬめっとした感触があった。

 恐る恐る手を上げてみると、赤い血がべっとりとついている。

 第一級ハンター、ラッハが仰向けに倒れていた。

「あっ……ああ……」

 ラッハは断末魔を叫んだのか、大きく口を開けていた。腹は真っ赤に染まっている。鋭いもので何度も刺されたのだろう。鎧は粉々に破壊されていた。

 死が蛆のように、にょろにょろとマリアの足を這った。

 マリアはあまりのショックに、叫ぶことすら忘れ、その場から無意識に離れようと手を動かした。

 手についた血が、ラッハのものでないことに、ようやく気づいた。

 血の流れを目で追ってみると、山の土壁で、糸の切れた人形のように、座り込んでいる人物がいた。

 エスリナだった。

「そんな……エスリナ……」

 マリアは四つん這いになり、這うように地面を進んだ。

 エスリナにたどりつき、右手で白い頬に触れてみる。すでに冷たくなっていて、目から生命の鼓動が消えていた。

「ようやく……あなたのこと……思い出したのに」

 エスリナとはたった一度しか、会ったことがなかった。それはちょっとした出会い、挨拶程度の会話、そして別れ。

 あまりの短さに、マリアはエスリナをすぐに忘却してしまった。

 しかし、エスリナはマリアをよく覚えていた。もしかすると、エスリナの方から、話しかけてきたのかもしれない。

 マリアは全身の力が抜けた。

 恐怖、喪失、後悔、懺悔。

 感情があまりにも自分の体内に流れこみ、容量を超えてしまったからだった。

 虚ろな瞳で、マリアはエスリナを眺める。赤い血は背中から流れてきていた。

 正面の体は、生きているかのように、傷一つない。

 ――えっ?

 エスリナのお腹が、小刻みに動いている。

 マリアがそれを何気に見ていると、突然、ボコッと膨れ上がった。そして、ゴボゴボと、エスリナの口から赤い液体が流れだす。

「何?」

 エスリナのお腹が割れた。赤く、小さな両手が、腹をこじ開けようとしている。

「あっ……」

 長い髪が垂れ、小さな口が動き、細い背中が腹からでてきた。それは全身を外界にだすと、ゆっくりとその場に立ち上がった。

 赤い血塗れの少女が、呆然と座り込んでいるマリアを、見下ろしている。


 ――オネエチャン。


 それは一言。そうマリアを呼んだ。

「あっ、ああっ……シオン……」

 それは懐かしさだろうか。それとも、異様な者を見た恐怖からか。いや、もしかすると、愛らしいと思ったのかもしれない。

 マリアは口元に笑みを浮かべ、一粒の涙を流していた。

 赤い少女は、マリアにむかって、腕を振り上げた。腕はいつの間にか、鋭い剣に変わっていた。

 マリアの白い頬に、剣から垂れた、赤い血が線を引く。

「マリア!」

 少女の腕が刀で切り落とされた。少女は悲鳴を上げることもなく、何事もなかったように、立っている。

 マリアの目に、刀を持った、カンタロウが見えた。

「カンタロウ……様」

「マリア! しっかりしろ! コイツは神獣だ!」

 カンタロウはマリアを立ち上がらせ、その場から素早く逃げだした。

 少女の姿をした神獣は、ゆっくりと視線をカンタロウ達にむかわせる。

 マリアはもう一度、少女の姿を確認しようと、後ろを振りむいたとき、何かの声が聞こえてきて、

「この声は……」

「ハウリング・コール! 奴等が来るぞ! ランマル達と合流しよう!」

 カンタロウはマリアの手を強く握った。そこから、暖かさ、血の脈動、力強さが伝わってくる。そして、血の濃厚な臭いが鼻腔をうるわし、封印していた現実感が蘇ってきた。


 マリアが最後に後ろを振りむいたとき、そこにいたのは少女ではなく、顔のない神獣だった。


「うわっ! なんだ? この神獣の数は!」

「ちょっと! 数多すぎ!」

 ランマルとアゲハは、あまりの神獣の数に焦っていた。

 空からイカロス型の翼を持つ神獣が、舞い下りてくる。

 地上からは剣を持つソード型、体の固いアーマー型、地面を素早く走るドッグ型が二人を囲い始めていた。

 すべてを合わせて、もう五十近くは超えただろうか。

 カンタロウがランマル達と合流し、

「マリアを連れてきた! この数じゃ、俺達が不利だ! いったん逃げよう!」

「よっ、よし! そうするか!」

 カンタロウの提案に、ランマルは即賛成した。

 四人は町の外にでるべく、出口にむかって走りだす。

 先行はランマルとカンタロウが勤め、赤眼化して神獣達を蹴散らしていく。

「マリア? その血は?」

 アゲハがマリアの頬についた、赤い血に気づいた。

「ラッハさん達の血です……」

「ラッハ? あっ、あのハンター達のこと? 神獣と戦っているの?」

「いえ……もうお亡くなりになっていました」

 マリアの声が沈んだ。少なくとも、三人の死亡は確定している。

 ――えっ? そう簡単に死ぬような連中とは、思えなかったけど……。

 アゲハは予想外の答えに、言葉をつまらせる。

 特種エコーズの罠を見破る知恵。

 自信に満ちた強さ。

 そして、自分達を罠にはめる狡猾さ。

 アゲハにとって、やっかいな敵はゴーストエコーズよりも、むしろラッハ達の方だった。

 あまりにも呆気ない末路だ。

 嫌な予感がアゲハの背筋を凍らし始める。

「もうすぐ町からでられるぞ!」

 ランマルの言うとおり、町の外が見えてきた。

 四人の体に、力が入る。

 突如、白い膜が地上からあらわれた。

「なっ、なんだ?」

 ランマルが立ち止まる。

 白い膜は空高く上がっていくと、他の膜と繋がった。ちょうど町を覆う形になっている。

「これは……結界?」

 アゲハが何度も見た光景だ。

 神脈結界。

 その結界の中では、神獣は活動できない。

 ――どうして? レベル1結界すらなかったのに……まさか。

 アゲハは恐ろしい想像にたどりつき、愕然となった。もし、それが正しければ、ラッハ達が生き残れなかった理由も合点がいく。薄い氷を踏んでいるような、そんな気持ちになった。

「何にせよ助かったな。これで神獣なんて怖くな……いっ!」

 ランマルは叫び、舌を噛みそうになった。

 神獣は消失するどころか、さらに数を増している。

 結界の神脈から、次々と生まれでてきているのだ。それは赤子のように結界の中から生まれ、羽虫の幼虫のようにわいてくる。

「結界から神獣が……」

 カンタロウも信じられない光景に、自分の目を疑った。

「どっ、どんどんわいてでてくるぞ!」

「そんな、結界の中なのにっ!」

 ランマルとマリアは、絶望した声を上げた。

 ――しまった。罠だ!

 アゲハは唇を噛みしめた。





 カンタロウ達から遠く離れた場所。

 そこは結界の中だった。

 ツネミツは罠にはまったハンター達を眺めながら、小さな声で呟く。

「普通、吸収式神脈装置は、結界内部の神脈を吸い取る方式のため、神脈そのものである神獣は活動ができない。しかし、昔、結界の外側の神脈を吸い取る方式の、吸収式神脈装置が開発されていた」

 ツネミツは空を見上げた。結界から、翼のある神獣が、ボコボコ生まれている。

「その欠点は、結界の中で、神獣が自由に活動できるうえに、恐ろしいほどの数を生産してしまうこと。ゆえに外側吸収方式は不採用となり、今では開発されていない。開発者はその結界の名前を――『月の魔都』と名づけた」

 ツネミツは今、体の奥底から気持ち良さを感じていた。

 ちょこまかと逃げるネズミを、小さな檻に捕らえ、川に沈める残酷さ。

 ネズミが水の中でもがき、逃げようとも檻の中からでられぬ絶望。

 想像するだけでも、快感に満ち足りる。

「逃れられない――地獄へようこそ」

 ツネミツは猫がネズミをじらすような、残酷な笑みを浮かべた。
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