神脈の暴走

文字数 4,050文字

 森が悲鳴のように、大きく叫んだ。

 鉄人とアゲハの激しい戦いが、始まったのだ。

 鉄人は手や足を使った格闘術で、アゲハを追い込んでいく。

 鉄人の拳は木の幹を余裕で砕き、蹴りは固い土を削り落としていった。

 威力はすさまじく、動けない岩や木は逃げることができず、脅えるように震える。

 アゲハにむかって、鉄人が折った、大木が落ちてくる。

「くっ!」

 アゲハはかわすと、さらに後ろに下がった。

 木の屑が、アゲハの目の前で踊る。

 ふさがれた視界の中で、風圧が鼻をチリチリと刺激した。

 鉄人の上段突きが、アゲハの顔面を捕らえた。

「はっ!」

 アゲハは突きを、すんでの所でかわした。

 鉄人の脇腹が、無防備になる。

 アゲハは見逃さず、剣を腹にむけて切りにかかった。

 鉄人は身体を回転させ、素早くかわす。

 そのうえ、拳を握り、裏拳で攻撃してきた。

 ――かわした瞬間に、攻撃を!

 アゲハの顔面に鉄人の甲がせまってくる。

「うわっ!」

 アゲハは裏拳を、すれすれの所でかわした。

 さらに鉄人は、拳を側面にした鉄槌でアゲハの胸を狙ってくる。

 アゲハは何とかかわし、その場から逃げだした。

 ――攻撃する隙がない! ここはいったん、後ろに下がる!

 アゲハは後ろをむき、全力で逃げだす。

 曇り気味の太陽が、アゲハの影を地面に映した。

 もう一つの影が、前にできていた。

 ――何? 影が?

 アゲハがその影に気づいた瞬間、頭上に鉄人の踵落としが決まった。

 大地が大きく割れる。

 アゲハの身体は布のように、グシャリと曲がった。

「――ふん。手応えありだな。つまらん。やはり獣人の小娘など……」

 鉄人が足下を見下ろすと、死体が消えていた。血の跡もない。

「なに? 手応えはあったはず……」

 鉄人が気配に気づく。

 土煙が晴れていくと、気配が遠くからしていた。

「ふう、ふう……」

 アゲハは鉄人の攻撃から、うまく逃げだしていた。

「ほう、魔法か? それが、お前の一系統神魔法か? そうであれば、つまらん能力だ。これでお前の魔法は終わりなのだからな」

 アゲハは幻神の力を発動させ、鉄人の攻撃から逃げていた。

 鉄人が倒したと思ったものは、幻だったのだ。

 ――危なかった。私が逃げることを、すでに見切られてた。

 一歩遅ければ、アゲハの頭は見事に割られていただろう。

 それを想像すると、呼吸はますます乱れていった。

 アゲハは目に流れる汗を、手で拭う。

 ――どうする? あの鎧にこの剣はつうじない。鉄人は確か、物理攻撃や神魔法ですら弾き返す『鉄壁のエコーズ』。私達、エコーズの英雄。

 アゲハは呼吸を整え、冷静に鉄人の情報を頭から引きだした。

 勝利するにはどうすればよいか、必死で考え、ある結論が導かれる。

 エコーズであればとても有効な作戦。

 ――……やるしかない。アレを。同じ種族に、したくはなかったけど。

 アゲハは、ゆっくりと、剣を構えた。


 ――あの剣の構え。どこかで見たことが……いや、まさかな。


 鉄人はアゲハの構えに、どこか懐かしいものを感じたが、気のせいだと頭を振り払う。

 自分とともに戦ったエコーズ、朧のものだとは想像もしなかった。

 目の前にいる少女が、獣人であるという思い込みを捨てない限り。

「水神の名において命じる。青い蝶を舞わせ、私を守れ」

 アゲハが神魔法を唱え、水の蝶を召還した。

 儚げにアゲハの周りを舞い、ヒラヒラと自由に飛んでいる。

 幻想的な光景に、鉄人は一瞬目を奪われ、

「ほう? それは水神の魔法か? ということは、貴様は二系統神魔法、荊棘魔法を使えるということか。その蝶の出来映えといい、イメージングもかなり使いこなせるではないか。まあ、そうでなければ、この鉄人を楽しませることなど、できないがな」

 普段、鉄人は無口だが、興奮でよく舌が回っている。

 ――あの余裕。まだ本当の力すらだしていない。本物の化け物だ。

 それは余裕のあらわれだと、アゲハは解釈した。深呼吸し、緊張をほぐす。

「しかし、それで神魔法は終わり。二つ以上の力はだせない。やはり貴様は――その程度だ」

 鉄人が、アゲハにむかって走りだした。

 ――速い!

 その意外な速さに、アゲハは驚き目を見開いた。しかし、冷静さをすぐ取り戻し、鉄人の拳を目でしっかりと追う。

 ぎりぎりの所で、幻神の魔法を発動させた。

 鉄人はアゲハの頭を突きで潰したが、それがすぐに幻だと見抜き、

「甘いわ! 我に二度も同じ手が通用すると思ったか! そこだ!」

 回し蹴りを、後ろにいるアゲハにくらわす。

 それは水の蝶となり、水滴を散らばせただけだった。本体ではなかったのだ。

 ――何っ! この蝶は、あの小娘を守るためではなく……。

 水滴が鉄人の目の前を飛んでいる。

 アゲハの気配が、下半身に集中した。

 下をむいたとき、アゲハは鉄人の懐に入っていた。

「もらった!」

 アゲハは鉄人のヒビの入った胸にむかって、近距離で魔法を放った。

「ぐおぉっ!」

 鉄人はすさまじい水圧に、体勢を維持することができず、魔法とともに遠くまで跳ばされた。

 森の木がドミノのように、倒れていく。轟音が耳をつんざいた。


 そして、静寂が辺りを包む。


 アゲハは荒い呼吸をしながら、鉄人が飛ばされた方向を見つめ、

「くっ、はあ、はあ……。どう? 水を超高圧で放たれた味は? 過剰に神脈を体に吸収しなきゃならないから、負担はでかいけど、深手は負わせたはず……」

 刹那、背筋が凍った。

 背中から、何か巨大な気配がしてくる。

 アゲハが固まっていると、唸り声が聞こえてきた。

「残念だが――痛くも痒くもないな」

 鉄人が大きく腕を振り上げ、アゲハの頭上めがけて拳を振り下ろした。

 アゲハは飛び上がり、鉄人の拳をかわす。

「あっ!」

 しかし、アゲハは風圧をまともにくらい、遠くまで吹き飛ばされた。

 鉄人の攻撃はすさまじく、地面を破壊し、土地を変形させている。

 アゲハは小石のように、転がっていった。

 鉄人は拳を地面から抜くと、肩を鳴らした。腕から肉片のような土が、ポロポロ落ちていき、

「浅はかだな。この胸を攻撃すれば、我にダメージを与えられると思ったか? 貴様の一撃など、あの男に比べれば、木の棒でつつかれた程度の痛みしか感じぬわ」

 あの男とは、自分を倒したハンターのことだろうか。

 アゲハはそんなことを考えながら、土に手をつくと、その場から起き上がる。

 鉄人の後ろでは、魔法によって倒された木々が、死体のように重なり倒れていた。

「……あははっ。あの魔法攻撃がつうじないって……どんな体してんの? おじさん」

 アゲハは笑っていた。

 圧倒的な戦闘力の前に、自分は蟻のような小ささを感じる。恐怖を通り越し、笑いがこみ上げてきた。

「ふん、あまりの恐怖に、気でも狂ったか?」

 鉄人がそう言うと、アゲハの笑いが止まった。

 アゲハの左目の碧い瞳が、鉄人を真っ直ぐ見据え、

「だけどね。私はわかってた。あなたが魔法攻撃を一切受け付けないって。だからこうして、軽傷ですんだ。あなたがすぐ後ろをとって、攻撃してくるってわかってたから」

「……なんだと?」

 アゲハは手を合わせると、両目を閉じた。

 右頬から、神文字テファが消えた。

 赤眼化を解除したのだ。

 ――赤眼化をやめただと? なぜ今になって……?

 鉄人の周りを飛んでいる、魔法でできた青い蝶が、一匹一匹合体していった。

 次々と合体を繰り返していく。

 どんどん巨大な水の塊へと変化していった。

 ――なんだ? 青い蝶が集まっている。何をするのか知らんが、ここは逃げ……。

 嫌な予感を感じた鉄人が、その場から逃げだそうとしたとき、肩が何かに当たった。

 壁のような感触だが、そこには何もなかった。

 よく見てみると、透明な膜のようなものがある。

 鉄人の顔から血の気が引いていき、


「なっ! 結界だと?」


 神脈結界が、いつの間にか張られていた。

「そうだよ。すべてはあなたを、結界の中に入れるために仕組んだ罠。その檻に入ったら、どんなエコーズだってでられない」

 アゲハはカンタロウからもらった月の玉を、土の中に仕込んでおいたのだ。

 鉄人に魔法が効かないことを前提に、強力な神魔法を放ち、隙を作った。

 鉄人が吹き飛ばされている間、月の玉を土に隠し、結界が発動されるよう詠唱を唱える。

 獲物が結界の中に入った瞬間、神脈結界を発動させ、自分は遠くへと逃げる。


 アゲハの思惑どおり、進んでいたのである。


 小結界の中に閉じ込められた鉄人は、背中に圧迫感を感じ、後ろを振りむいた。

 アゲハが召還した、青い蝶達が集まってできた、水の球体ができていた。

 赤く燃え上がり、どんどん熱を帯びていっている。

 鉄人が目を見張り、

「これはっ!」

「神魔法の暴走。私は一時的に体内の神脈を止めることによって、内側ではなく、外側にむかって神脈を暴走させることができる」

 アゲハの口元が緩む。

 球体が赤く、溶岩のように温度が上昇している。

 鉄人の鎧が、炎のように燃え上がった。

 汗が全身から滴り落ちる。

「熱い! 水の温度が急上昇しているのか?」

「そうだよ。循環を失った魔法は停滞し、暴走し続ける。もう私のコントロールですら受け付けない」

 あせる鉄人に、冷静なアゲハ。

 神脈を吸収し、放った魔法は、普通大地の神脈に帰るか、術者の体内に戻ってくる。

 体内に流れる神脈を止めれば、放った神魔法は行き場を失い、暴走が始まる。

 アゲハは体内の神脈を、自由にコントロールできる特技を持っていた。

 カンタロウですらできない裏技だった。

「…………」

 鉄人の赤い目が、大きく見開く。

「初めて死を意識したんじゃない? 一代目コウダ様もそうだったみたいだよ――そんな目をしてた」

 後ろで、アゲハが呪詛のように、鉄人にむかってつぶやいていた。

 鉄人は何も、答えられなかった。


「さようなら、伝説のカリスマ的英雄――時代に取り残されちゃってたけど、あなたに会えて、嬉しかった」


 アゲハは鉄人に、最後の言葉を述べていた。
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